海外音楽評論・論文紹介

音楽に関するレビューや学術論文の和訳、紹介をするブログです。

<Bandcamp Album of the Day>Ennio Morricone, “I Due Evasi Di Sing Sing”

1960年代のEnnio Morriconeの映画スコアがリイシューされたと聞いて、ポンチョとカウボーイ・ハットについ手が伸びてしまったカジュアルなファンも多いだろう。しかし『I Due Evasi Di Sing Sing』はスパゲティ・ウエスタンではないーーこれはマヌケな泥棒二人を描いたコメディであり、監督を務めたのはのちにクレイジーで素晴らしいホラーやファンタジー映画を手掛けることになるイタリアの伝説的カルト映画作家=Lucio Fulciである。Morriconeとセルジオ・レオーネの初コラボレーションとなった『荒野の用心棒』と同年の1964年に公開されたこの『I Due Evasi Di Sing Sing』は、カウボーイ・ブーツよりもスキニーなネクタイが似合う、キリッとしたビッグ・バンド・ジャズ風の作曲が多く、この作曲家の腕前の全く異なる側面を如実に示している。

サウンドトラックはそれらの楽曲が映画的な目的のために作られたということを忘れさせてはくれないものだがーー例えば “Le Sedie Elettriche” の茶目っ気たっぷりのサウンドは耐えられないほどのぶりっ子ぶりであるーー、それでもそれ単独で成立してしまうほどのクールさを湛えている。“Il Boss E Le Pupe” や “Incontro Dei Boss” のスムースなサウンドやブラス、ジャズ・ドラム、そしてヴィブラフォンらしき音色が作り上げるカクテル・ラウンジ・ジャズはどうだろう。無声映画風の印象的なソロ・ピアノの演奏が聞ける “Ballerine” や、真夜中のノワール風で、象牙色に輝く “All Night Club” と言った楽曲もある。

『I Due Evasi Di Sing Sing』のサウンドトラックはもともと極めてレアなプロモ盤が色々異なるタイトルで出ているだけだった。この新たなリイシューはMorriconeの「重要な鑑定人」であるClaudio FuianoとDaniel Winklerの助けも借りつつ、Sonor Music Editionsの長=Lorenzo Fabriziによって集められたものだ。このチームはマスター・テープを修復し、もともとのサウンドトラックのシークエンスにセッションから取られた2つのボーナス・トラックも加えられている。Morriconeの文句のつけようのない晴天の中でも重要な時期のものがこれだけクリアな状態で聞くことができるのは彼らの努力のおかげである。

By Dean Van Nguyen · February 02, 2021

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<Bandcamp Album of the Day>Madlib, “Sound Ancestors”

理論上、MadlibFour Tetの組み合わせは奇妙であるように思える:前者はジャズ、ファンク、ヒップホップに根差した、サンプルを主体にしたビートを作るのに対し、後者は電子音をきしませ、そこにテクノ、アンビエント、難解なダンス・ミュージックをこちゃまぜにしてかけていく。しかし、両者の違いはそれだけであるといえばそれだけである。両者ともにジャンルの中に閉じこもったり、あるいは自分に期待されていることに恩義を感じたりはしない。『Sound Ancestors』は名義上Malibのアルバムということにはなっているが、実際のところは近年彼がラッパーのFreddie Gibbs兄弟のOh NoドラマーのKarriem Rigginsと作ってきたようなコラボレーション・プロジェクトである。

このアルバムは何百ともある彼の未完成・未発表のビートや、彼がここ数年間でほかのミュージシャンたちと録音してきた生楽器の演奏から選び取られたものである。Four Tetはその素材を受け取り、Madlibの現時点までの仕事の集積としてこの『Sound Ancestors』のスケッチを描いた。彼の特徴でもある無秩序さをいくらか残しつつ、新しいリスナーのために少々リファインも加えている。“The Call”の押し寄せるようなパーカッションとループするベースは、Madlibの『Rock Konducta』シリーズのグランジ―な要素を体現している。“Hang Out (Phone Off)” のラウドなエレクトロ・ファンクのバウンス感はブラック・エンパワーメントやモンサントの恐怖についてのヴァースを確約するようで、Georgia Anne Muldrowに提供したトラックを思い起こさせた。アルバムの後半――特に“Latin Negro” や “Duumbiyay”――ではFour TetMadlibの国際的な側面を取り扱っている:彼の高名な『Midicine Show』シリーズの2~3作目で聞かれるようなものに似ている。

その結果、再利用されたサイケ・ロック、オブスキュアなソウル、そしてドラム中心のブレイクビーツが靄のように漂う41分の広大なセットが完成した。全体を見れば、この作品はMadlibの多くの側面を表している:レコード漁りが好きなジャズ・ファン、そしてブラジルやアフリカのサウンドを愛している熱心な自作農といった。Four Tetの助けを借りることによって、この作品はMadlibこれまで作品の緩さを引き継ぎつつ、滑らかなで一貫性のあるステートメントであるようにも聞こえる。Madlibの作品はいつもそうだが、いったい「これ」が金庫の中でどれだけ眠っているのだろうと思ってしまう。しかし歴史が繰り返すものであるとすれば、『Sound Ancestors』はより広いヴィジョンに向けた最新の第一歩であるにすぎない。これは、あなたが聞くまで自分がそれを必要としていたことも知らなかったような、そんな音楽だ。

By Marcus J. Moore · February 01, 2021

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<Bandcamp Album of the Day>Divide and Dissolve, “Gas Lit”

Takiaya ReedとSylvie Nehillは言葉をすりつぶしたりはしない。それどころか、彼らは言葉自体使うことがない。彼らが選んだドローン・メタルという表現方法は、明確なステートメントを発話するのには向いていない――その内容が、起伏のあるフィードバックの波という形で形成されない限りは。それでも、一つだけはっきりとわかることがある:彼らは幸せではないのだ。長い歴史の中で発表されてきたプロテスト・ミュージックと同じように、これを聞いているあなたは、彼らが一体何を言おうとしているのかということを知るために、彼らが何について不平不満を述べているのかを実際のところ知る必要はない(もちろん、植民地主義、白人至上主義、ジェノサイドなど、そういった音楽が明確にターゲットにしてきたものはそれに値するものではあるが)。

これは醜い主題についての、醜い音楽である――しかしそれは美しい目的を持っている。Divide and Dissolveとして、ReedとNehillの二人は彼らの正当な怒りを、ドローン・ギターとフィードバックの音と、ネオクラシカルな作曲とヘヴィーなドゥームというユニークな化学反応を用いてアンプを破壊せんばかりの原初の叫びに変えていく。Unknown Mortal OrchestraのRuban Neilsonは意外なコラボレーターかもしれないが、彼のプロダクションはこれらの不協和音が急所に的中するために必要なブーストを与えている。2018年の『Abomination』と比べると、例えばファズの音なんかはずっとたくましさを増している。このように迫力を増したサウンドによって、リスナーたちは“Denial” や “It’s Really Complicated” といった楽曲に何か共通した雰囲気を感じ取ることができる。テンポの変化や、あるいは彼らがノイズを説き伏せて形を変えていくやり方(そのほとんどがわかりやすく提示される)でさえも、この二人が編んでいくインストゥルメンタルのナラティヴを紐解くのに一役買っている。そして “Did You Have Something To Do With It” で実際に言葉が発されるときでさえ、それはMinori Sanchiz-Fungによる詩の朗読に、ほとんどアンビエントのようなバッキングがついているに過ぎない。それが言葉であれ音楽であれ、Divide and Dissolveの二人はそのメッセージに焦点が残存することを求めている。そのことだけははっきりと伝えている。

By Jeff Treppel · January 29, 2021

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<Bandcamp Album of the Day>Palberta, “Palberta5000”

アンダーグラウンド・レーベル=Feeding Tubeからの初期のリリースの時点から、ニューヨークのアートスクールで結成されたパンク・トリオ=Palbertaの楽曲は縫い目から裂けていくようでありながらも、はっとさせるような斜に構えたポップ的瞬間へと融合していくようにも感じられた。彼女たちが不機嫌なノー・ウェイヴ・バンドのように数秒ごとにうねりくねっていく演奏をしていようと、13分間にも及ぶリズム・ボックスのグルーヴの上で笑い転げていようとも、このグループのガタガタの創作物をつなぎとめている接着剤となっているのが3パートのハーモニーである。彼女たちのボーカルは、終わりなき反復がもつその力をもってしてキャッチーさを獲得している。

彼女たちの最新作『Palberta5000』はこのバンドのローファイ的な出自を清純なプロダクションで塗り替え、メロディにより重点を置き、それぞれのメンバーの声もより分離がはっきりしている。それでもまだ「昔の」Palbertaのように聞こえる瞬間もある:“Big Bad Want” の神経質な不協和音、逆上したかのような “Hey!” (歌詞はこの曲のタイトルだけで構成されている)などがそうだ。“I’ll Take The Cow” は3拍子のワルツのリズムで揺れていき、涼しげなスロウ・ジャム“The Way That You Do,” での3人の優しい歌声はゼロ年代のインディー・バンド=Grass Widowを思わせる。アルバムの後半に入ると、Arthur Russelのディスコ組曲へのアンサー・ソングである “All Over My Face” が、転がるようなドラム・フィルとカウベルのブレイクによって押し出されていく。最後の “Before I Got Here” のホーンは楽曲に堂々とした雰囲気を与え、このグループの将来の可能性をまた一つ示唆している。短いランタイムにめまいがするほどたくさんのアイデアが詰めこまれたこの『Palberta5000』は、Wireの『Pink Flag』やMinutemenの『Double Nickels on the Dime』といった、パンクの目老番とされているような作品群と同じように聞かれるように設計されている。聞くたびに新しく好きになる楽曲――あるいは楽曲の一部分――を見つけることができるのだ。

By Jesse Locke · January 28, 2021

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<Bandcamp Album of the Day>Marcos Resende & Index, “Marcos Resende & Index”

Marcos Resende & Indexの1976年のセルフタイトル作はこれまでリリースされたことがなく、それはこのブラジルの有名ジャズ・ファンク・バンドの出発点が不明瞭なままであることを意味していた。これらの楽曲は、サウンド・エンジニアの「ブラジルのRudy Van Gelder」ことToninha Barbosa(AzymuthMarcos Valleを手掛けた)と共にリオのSonoviso Studiosで約1ヶ月の間に録音された。しかしこのリリースが実現することはなく、2年後にこのグループが高く評価されたアルバム『Festa Para Um Novo Rei』を発表したあともその事態は変わらなかった。その代わり、このテープはResendeの手元に残り、日の目を見る機会を伺っていた。2018年、彼はこのテープをFar Out RecordingsのJoe Davisに手渡した。Joeは古いブラジル音楽に注目を集めることを生業としている。2年のあいだFar Outと共にテープのレストア作業に取り組んだあと、悲しいことにResendeは昨年11月、73歳で亡くなってしまった。この作品がついに日の目を浴びることになり、このリリースはResende自身の歴史にとってだけではなく、ブラジル音楽の歴史にとっても極めて重要なピースとなった。

『Marcos Resende & Index』に収録されているのは、キーボードにResende、ベースにRubão Sabino、ドラムにClaudio Caribé、テナー・サックス、ソプラノ・サックス、フルートにOberdan Magalhãesを迎えたバンドによる、ファンキーで自由奔放な6つの楽曲である。ミュージシャンの間にはわかりやすく、気楽なケミストリーが共有されている。Resendeの鍵盤は頻繁にアレンジの前面に飛び出してくる。彼のメロディックな演奏と、ストリングを模した柔らかなコードがミックスに出たり入ったりしながら、プロジェクト全体に夢見心地な雰囲気を与えている(Jack McDuffが同年にリリースされた『Sophisticated Funk』で同じような雰囲気を用いていた)。

楽曲それ自体は奇妙で、予測不可能な道のりをたどっていく:例えば “Praça da Alegria” は猥雑なファンクから70年代シットコムのような切れ味へと急旋回していく。Resendeはこのうち5曲を手掛けているが、その中には彼がポルトガルに暮らしていた頃に惹かれたというプログレッシヴ・ロックからの影響も聞き取ることができる。“Nergal” では、Resendeは多くの種類の電子ピアノとアナログ・シンセサイザーを演奏し、追加のベース奏者、ギタリスト、パーカッショニストをスタジオに招いて陶酔状態を作り上げている。しかし、最も実験的な楽曲は最後に収められた “Behind The Moon” で、他の惑星からやってきた奇妙な熱狂のような、Brian Enoのアート・ロックとGiorgio Moroderのうだるような暑さのポスト・ディスコの間の点をつなぎ合わせるようなごちゃまぜのテクスチャを持っている。この楽曲は『Marcos Resende & Index』の最も本能的な瞬間に、長らく聴かれることのなかった特異な楽曲たちに飾りボタンを縫い止め、世に送り出している。

By Dean Van Nguyen · January 27, 2021

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<Bandcamp Album of the Day>Mary Timony, “Mountains (20th Anniversary Expanded Edition)”

Mary Timonyのファースト・ソロ作がリイシューされるのにこれほど適した時機はなかったかもしれない。最初のリリースから20年がたち、『Mountains』は隔離され鬱屈した世界の中で、接続と交わりにまつわる我々の夢を政治的に描く。Timocyが生まれ育ったまさにその街で、わずかに残された民主主義の残滓を打ち捨てようと試みたトランプ・カルトの群衆の中に、「毒された月の下を行進する愚か者の列」を見出すのは難しいことではない。(今回のリイシューを祝して行われる予定だったライブ・パフォーマンスは議事堂での混乱を受けてリスケされることとなった)

伝統に縛られない楽器選びをしているのにも関わらず、これらの楽曲には赤裸々な感触があるーーそれはまるで終わることのない冬にさらされた木々のようである。このアルバムのエンジニアを務めたのはChristina Files(Swirlies、Victory at Sea)で、工場として使われていた古くて大きな建物の中で制作は行われた。この広大な空間がこの作品の「不毛の土地」感に寄与している。(例えばアルバムで用いられている意図的にチューニングが狂ったピアノは空っぽのエレベーター・シャフトの中で録音された)

Timonyは1曲目の “Dungeeon Dance” の中で、このアルバムに対する熱意に輪郭を与えている。その歌詞は憂鬱の経験と芸術を通じてその経験に意味を見出そうとする探求をつぶさに書き記している。その意味では、1927年の小説『灯台へ』でまさにその小説の創作ーー著者の「何らかの試み」ーーについて書き記した小説家、Virginia Woolfを想起させる。Woolfと同じく、Timonyは自身の自己破壊的な性分について赤裸々に書き記している:“Paited Horses” で彼女はこの曲に殺されることを切望し、“Valley of 1,000 Perfumes” で平穏の中で自死したいと告白する。しかしそのような絶望の淵にいながらも、Timonyはそれでも創作の中に光を追い求め、最終的には「投げ出してはいけない/他にも苦しんでいる人たちはたくさんいる」と決心する。『Mountains』に単一のテーマがあるとしたら、それは我々がお互いのために生き続けなければいけないということであり、我々が人生に求めている意義やつながりを自分たちで作っていかなければいけないということだ。

その創作が簡単だということではない。“The Hour Glass” で、Timonyはツアーするミュージシャンとして生き残っていこうとしながらも退屈な仕事をこなさなければいけないという苦しみと格闘している。「これは生活、仕事、そして自立のナイフ/夜にだけ自由になれる、でもその時私達は眠っている」このリイシューの最後には新ヴァージョンの録音が4曲収録されているが、それが新たな陰影をもたらしている。“Return to Pirates” の新バージョンは、Timonyが絶望を乗り越えて勝利へと前進していく様が強化されていて、「愛の庭に佇みたい/羊と鳩に導かれて」と歌われている。“Valley of 1,000 Perfumes” のオーケストラル・バージョンはストリングスのアレンジが生い茂っていて、Timonyの声は彼女が「こんにち、私達の音楽は充分なスタイルを持っていない/自殺から逃げてカントリーへと駆け込んでいく」と主張するところでよりはっきりと歌い上げられている。この1行は、世紀の変わり目において、音楽と人生の両方を再び意義深いものにするための新しい方法を探していたTimonyの先見の明を改めて思い出させてくれる。

2000年にリリースされた当時、『Mountains』は完全に見落とされるか、批評家たちに積極的に嘲笑されるかのどちらかであった。それから20年がたった今、その影響は多くの後進たちのアルバムの中に見て取ることができる(Sleater-Kinneyのサイケ・プログレ作『The Woods』はTimonyの美的感覚に直接的に影響を受けているように感じられる)。このアルバムは素晴らしくタイムレスで有り続けている:光のきらめきに乗って新たな現実を創造し、暗闇を乗り越える術を学ぶためにいつでも立ち戻ってこれる場所として。

By Erin Margaret Day · January 26, 2021

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<Bandcamp Album of the Day>Yu Su, “Yellow River Blue”

バンクーバーを拠点にしている音楽家Yu Suはこのデビュー・アルバム『Yellow River Blue』で、ダウンテンポ・ハウスアンビエント・ダブの狭間でゆらぎながら、このアーティストがここ数年の間に確立してきた丁寧に角がとられた音像をはっきりと示した。巧みにレイヤーが重ねられた1曲目 “Xiu” は、跳ねるようなpipaのリードと、朝の霧のように消えては現れるSuの拡散されたボーカルを中心に組み立てられている。彼女の声は、同じくバンクーバーサウンド・マッシャー=Aiden Ayersのドラムと、北京の二人組=Gong Gong GongのJoshua Frankが爪弾くベースによって不釣り合いなほどに強勢の置かれたリズムの上を転がっていく。“Xiu” はアコースティックで、オーガニックで、それでいてダンサブルに感じられる。それはクラシカル・ピアノの演奏家だった彼女が近年成長を遂げる中国のアンダーグラウンド・クラブ・シーンを通過したという、Su自身のミュージシャンとしての経歴を反映しているかのようである。

“Gleam” で彼女はミッドテンポのスウィート・スポットを発見し、アンビエント・ミュージックや急進的なサウンド・デザインからの正体不明の影響をごちゃまぜにしている。“Klein” ではゆったりとした雰囲気を作り、よろめくような疑似トリップ・ホップ的方向にかじを切っている。フィードバック・ノイズと雑味のあるベースラインを背後に抽象的なボーカルのダブが鳴り響く。Suは中国中央部の開封市出身であり、最後から2番めの ”Melaleuca (at night)” でのペンタトニック・スケールを用いたシンセ・ストリングのメロディーなどに微かな中国的要素を聞き取る事ができる。しかし全体的に見るとこのアルバムはメロディーや楽器の使い方、リズムにおいて、どこかの地域にピン留めされることを拒んでいる。

というわけで『Yellow River Blue』という作品は、現代の中国のシーンとの共振をより深めていきたいというYuの姿勢を表している。これは彼女が共同設立者となり、中国から「多様に現れてくる」音楽を発信することを目的とした北京を主な拠点とするbié Recordsからの初となるリリースである。アルバムの最後に収録された廈門市のプロデューサー=Knophaによる “Xiu” のリミックスは、Su自身の音楽、ひいてはbiéとの共同作業が今後どのような形を取るかということにまつわる強力なヒントとなっている。

By Josh Feola · January 25, 2021

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