海外音楽評論・論文紹介

音楽に関するレビューや学術論文の和訳、紹介をするブログです。

Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・ソング200 Part 16: 125位〜121位

Part 15: 130位〜126位

125. Lykke Li: “I Follow Rivers” (2011)

www.youtube.com

Lykke Liはかつて、“I Follow Rivers”を書き上げたきっかけとなった圧倒的な欲望を「自然の力」になぞらえた。相手の思惑のなすがままになった末に「声を失ったみたいに」感じること。彼女はそのカタルシス的メタファーを、ガール・グループ風のストンプ・ドラム、不協和音を鳴らすオルガン、そして口ごもりがちなヴォーカルによって表現した。それは当初彼女が成功を収めた物静かでより繊細な曲とは正反対の方向性であった。それは彼女が当時まだ掘り起こしていなかった、より深いところにある新たな悩みのレイヤーを彼女に与えた。“I Follow Rivers”で、彼女はただ単により深刻な渇望を満たそうとしていただけかも知れないが、彼女の欲望を剥き出しにした傷だらけの歌声が、彼女に宇宙的な引力への思慕をもたらしたのだ。–Eric Torres

124. Nicki Minaj: “Super Bass” (2010)

www.youtube.com

 “Super Bass”がバンガーである理由の一つに、この曲が持つ感情的な深さがある:この曲で歌われている熱烈な欲望とのコントラストを形成し、パーティーを知らせるサイレンでもある、ヴァースのすぐ下に流れている悲しいコードをじっくり聞いてみれば良い。「男性の視点(male gaze)」を転覆させるような、彼女が魅力的に感じる男性のポイントのリストをシェアし、Nick Minajのラップの連射がビートと競争する。その後に続く「boom badoom boom」というコーラスは土砂降りの雨の後の虹のように輝く。ブリッジのトランス風のストリングスが、このコンテンポラリー・ポップの傑作の決め手である。–Ruth Saxelby

123. Clairo: “Bags” (2019)

www.youtube.com

ClairoことClaire Cottrillはこの“Bags”以前にも共感しやすくてキャッチーなベッドルーム・ポップを多くアップロードしていた。その中には恋愛関係のなかで女性が強いられる不公平な犠牲を嘆いたヴァイラル・ヒット“Pretty Girl”も含まれている。しかしそれらの曲は、まるで彼女がまだとっておきを残しているかのように、控えめに感じられた。デビューアルバム『Immunity』のリード・シングルは、新たな活力と否定しがたい輝きを持って彼女に改めて脚光を浴びせた。Rostamとの共同プロデュース作である“Bags”は、彼女のロー・ファイ的な出自を完全に過去のものとした。ドラムの振動や昆虫の羽のように唸るシンセ、酔っぱらいの喧騒のようなキーボートによってアクションがふんだんに聞こるこの曲だが、それでも一人で歩くのが好きだと回想するCottrillの声には抑制と落ち着きがある。この曲は、ドアが閉められたあともクールな装いを保とうとする途方も無い努力を鮮やかに切り取っている。–Vrinda Jagota

122. Playboi Carti: “Magnolia” (2017)

www.youtube.com

世の中にはアルバム・アーティストとシングル・アーティストがいて、それともう一つ、Instagram上の死ぬほど圧縮された動画の断片というかたちで猛烈に消費される、Playboi Cartiのようなラッパーがいる。インターネット上の最も無秩序な街角(アトランタにおいてもだが)から出現したCartiは、公式なアウトプットの量より約束のほうが上回る人であるが、それもまた一つの戦略である。“Magnolia”は彼の重要なスキルが全て同じ方向に向けられた、珍しい瞬間である:アドリブの延長線上とも言える、一瞬で覚えられるフックを持つ不吉な曲だ。このヒットはプロデューサーのPi'erre Bourneを無名の地位からラップ・プロダクションのAリストにまで押し上げ、世界的に知名度を獲得するきっかけにもなった。“Magnolia”はCartiとPi'erreの化学反応を蒸留した最良の結果であり、ラップ界の目まぐるしい世代交代の中で、すでに有象無象の模倣を生み出してもいる。–Paul A. Thompson

121. DJ Rashad: “Feelin” [ft. Spinn and Taso] (2013)

www.youtube.com

フットワークにおける時間との関係性は、音楽的な手品と大きく関わっている。このジャンルの音的要素は、他の者がダラダラと歩いているところを3倍の速度で走り抜けながら、その切迫感は他と矛盾していない。そして、そのエネルギーを流動的に扱うことに関して、DJ Rashadの右に出る者はいない。彼が生前唯一リリースした2013年のアルバム『Double Cup』に収録されている“Feelin”はRoy Ayerの“Brand New Feeling”の物憂げなサックス・リフを中心に、ソウル・シンガーMerry Claytonの恐るべきヴォーカルを蒸留し有機的な曲線にしてRashadの熱を帯びたビートに乗せていく(RashadのTeklife Crewのメンバー、SpinnとTasoが2012年に発表された“Feelin”の初期ヴァージョンからのブラッシュアップに貢献していることは記しておくべきだろう)。Ayerの原曲は、愛の初期衝動が持つ、どんどん変化していく力について歌った曲である。Rashadの場合、猛烈なペースで過ぎていく人生の中で何かを感じられるものを探し求めるという営みについての反芻である。–Ruth Saxelby

Part 17: 120位〜116位

Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・アルバム200 Part 5: 160位〜151位

Part 4: 170位〜161位

160. Noname: Room 25 (2018)

f:id:curefortheitch:20191104162136j:plain

Nonameはかつて自身の柔らかな音色と落ち着いた調子をさして、「ララバイ・ラップ」であると言い逃れをしたことがある。それは素晴らしいツイートだったが、ララバイは連署に値しなかった。『Room 25』は誰も眠らせることはないのである。彼女は息継ぎも忘れて彼女の内なる生と外世界を類稀な内省と気品で事細かに描いてみせる。刑務所の制度、負け犬のボーイフレンド、人の弱みにつけ込む政治家のために言葉を選び、Nonameはこの作品に深刻な雰囲気を与えているが、彼女は興奮させられているのと同じくらい魅了されているのだ。率直なセックスに関するラップからひっきりなしのボースティング、あつかましい賢さまで、目が眩むようなエネルギーがこの『Room 25』に生気を与え、その自由な精神を謳う。このアルバムは、自分の力に気づいたラッパーが、他でもない自分自身のためだけにそれを試しているサウンドである。「ビッチはラップできないって、本当にそう思ったの?」と彼女がいう時、それは気の利いた返しであると同時に、彼女の志望動機のように聴こえるのだ。–Stephen Kearse

159. Pallbearer: Foundations of Burden (2014)

f:id:curefortheitch:20191106005601j:plain

 アーカンソー州ドゥーム・メタルバンド、Pallbearerが有象無象の中から抜け出たのは、彼らの純粋な野望によってだった。彼らの楽曲の感情の激烈さと速度は、うす暗い地下室ではなく外の開けた空間を、一人でヘッドバンギングすることよりも大勢で合唱することを連想させる。ゆったりとした速度で無限個のギターのレイヤーによって演奏される彼らの音楽は絶望と痛みを思い起こさせるが、何故かこの作品は奇妙にも気分を高揚させるのだ。それは、一つにはBrett Campbellによる舞い上がるようなヴォーカルがそうさせているのだが、真の魔法はバンドの作曲によってこそかけられている。彼らの壮大な曲の尺はめまいをしそうになるメロディとクラシック・ロック風のコーラス、そしてフックと同じくらいに覚えやすいソロにピッタリの場所を提供している。この『Foundations of Burden』は2作目であるが、Pallbearerはそのサウンドの明度を高め、前作の暗黒感を脱ぎ捨てた。終わり近くに収録された“Ashes”は、シリアスなドゥーム・メタルのアルバムに欠かすことのできないアトモスフェリックなインタールードである。決して捨て曲なんかではなく、見事に作曲された、ポップス寄りのバラードなのである。–Sam Sodomsky

158. Sleigh Bells: Treats (2010)

f:id:curefortheitch:20191107000603j:plain

この『Treats』の導入は極めて爽快である。2つの素早い爆竹のような音が鳴り、エンジニアを震え上がらせリスナーをゾクゾクとさせるギターとブラスの音が巨大な爆発を起こす。このサウンドはフィジカルなもので、部屋ごと揺るがすためにデザインされている。もともとメタルコアバンドにいたDerek Millerや、Cheetah Girls風のガール・グループにいたAlexis Kraussがそれまでに作ってきた音楽のようには聴こえない。というよりも、これに似た音楽というのは全然存在しなかったのだ。

『Treats』の新しさはメタファーで説明するのが良いだろう。それはYM Magazineの古い号を撃ち抜き、その銃の音をサンプリングし、飛び散った紙片を集めて、歯の矯正器具や違法な薬物、「アホな娼婦、親友たち」、浜辺でのパーティーについての歌詞を書き綴ったみたいなものだ。濃縮還元のジュースみたいに純粋である。2019年になっても、この『Treats』は他のどんな音楽のようにも聴こえないが、それはまた別の理由による。今日のポップ・ミュージックとは違い、この作品にはネガティヴなチルがある(Sleigh Bellsは当然音楽性を転換したので、最近の彼らのようにも聴こえない)。しかしその残響は確かに存在する:PC Musicはそのアート・ポップのルーツとサウンドの一部を受け継ぎ―ソナーのような“Run the Heart”で使われている音、『Jock Jams』シリーズのようなシンセなど―それをさらに甘ったるい味付けにしている。LordeやBillie EilishのようなアーティストがSleigh Bellのディストーションやバブルガム的な言葉のあやを反転させたり嘲ったりして楽しんでいるが、時代が違えば彼女たちがそうなっていたのかも知れない。–Katherine St. Asaph

157. The 1975: A Brief Inquiry Into Online Relationships (2018)

f:id:curefortheitch:20191110225000j:plain

The 1975のMatt Healyは自身の内なる対話(実際は声に出しているのだが)についてをNew York Timesに以下のように語っている。「俺はジム・モリソンだ。俺はジム・モリソンか?申し訳ないが俺はジム・モリソンなんだ。俺は*******なジム・モリソンだ!!」『A Brief Inquiry Into Online Relationships』で彼の自分自身への容赦ない信仰は報われた。彼のもがきはドラマティックなジェスチャーへと癒合し、彼はようやく鳴りたかった自分になりきれた。彼は常に、そして同時に人を引きつける魅力を持ち、共感でき、優しく、そして耐え難いほどにバカバカしい。それは彼の音楽も同じで、オートチューン、オーケストラ、グラム・ロック風のギター、1980年代のシンセでいっぱいのショウルームが滲んで一体化している。

アルバムの15曲の中で、Healyは聴き手のショート寸前の頭の中でものすごい勢いで動き回っている考えを全て言語化することを企んでいる。退屈、未成熟な判断、突然存在の危機に襲われる発作、説明不能の欲望に突如襲われること、ウィスキーの味に関する意見、大脳皮質に刷り込まれたツイッターのフィードの音。皮肉の効いた、思わず引用したくなる句が満載のこのアルバムで、最も可笑しい瞬間は「もう一つ言いたいことがあるんだ」ということだろう。–Jayson Greene

156. Jenny Lewis: The Voyager (2014)

f:id:curefortheitch:20191112001605j:plain

Jenny Lewisの3枚目となるソロ・アルバムは過去の人生に郷愁と共に飛び込み、Lewisの子役からロック詩人への驚くべき転向がそうであったように、幅広い広がりを持つ。散らばった思い出は裏返されたタロットカードのようだ。10代にして手にしたパリ行きの航空券、崩落するツインタワー、議論の最中に殴ってしまった壁。それらは晴れ模様の80年代ニュー・ウェイヴ、70年代ロックの上でカラフルで、それでいて色あせたモンタージュへと溶け合っていく。音楽における年齢・性別による差別を歌った、乾燥した面白さを持つ“Just One of the Guy”は彼女の地元を思わせる曲だが、そのほかの曲はさらに遠くを見つめている。見かけによらず泡のような“Love U Forever”では彼女は将来の結婚とそれに続く消えゆくロマンスについて夢中で話す。虹色の完璧なヌーディ・スーツ武装したLewisは自信を成熟した、そしてどこか薄暗いロック・ベテランであると高らかに主張し、正真正銘のソロ・スターとしての正当な立ち位置を獲得した。–Hazel Cills

155. 21 Savage / Metro Boomin: Savage Mode (2016)

f:id:curefortheitch:20191112002031j:plain

このディケイドの中盤において、Metro Boominはヒップホップ界で最も信頼の置けるプロデューサーであった。Futureなどのアーティストのサウンドの成功を手助けし、脈打つような、そしてえぐるような革新的なビートによってDrakeの世界のトップの地位を守った。だからこそ、彼の仕事で最も優れたものが彼のそれまでのけたたましいヒット作や、その他のメインストリーム・ラップとは全く違うサウンドであることは不思議なことである。

『Savage Mode』は、まるで連続してみる夢のようだ。21 Savageの半ばささやき声のようなラップが、擦り切れた、泥だらけの絹のようなものに沈んでいく。環境音楽と似ていないわけではないが、環境として存在しているものはめったにこれほど人を不安な気持ちにさせないだろう。Metroと21は共に、首からさげた宝石を揺らしながら豪勢なホテルでセックスをすることを全くの異質の経験のように聴こえさせる。部屋の宿泊料金だとか首飾りの値段とかという話ではなく、物が首に触れるという感覚や、ベッドのシーツの落ち着かない感じだとかを。これは物静かな、身体的なハイ感覚である。ただしそれはひどいもので、すぐに終わりが訪れる。–Paul A. Thompson

154. Mica Levi: Under the Skin OST (2014)

f:id:curefortheitch:20191113003650j:plain

ジョナサン・グレイザー監督のホラー映画『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』のサウンドトラックの中で、電子音楽家であり作曲家のMica LeviはJohn CageやGyorgy Ligetiといったアヴァンギャルド音楽のアイコンたちの不協和音を用い、そこに彼女自身の持ち味であるひんやりとした感覚を付け足している。スコアを通じて、ヴィオラやチェロ、ドラムマシンはスローダウンされ厳しい効果を生み出していて、スカーレット・ヨハンソン演じる魅惑的で猟奇的なエイリアンを完璧に模写している。視覚の効果を増幅させるだけではなく、Leviはノイズの純粋な身体性の可能性を探っている。頭に急激に登ってくる血流が脳を叩く音、小さな毛がチクリと刺す痛み、柔らかな触覚、そして最後の一滴まで自分を飲み干してしまう、別世界から来た生物の知覚。–Andy Beta

153. Purple Mountains: Purple Mountains (2019)

f:id:curefortheitch:20191113235517j:plain

David Bermanの遺作となった今作は長い沈黙の末に発表され、その中では彼の孤独が響き渡っていた。2009年にSilver Jewsを解散して以来の復帰となったが、この中で彼は年齢を重ねる中で人間関係、信仰、自信、希望を保っていくことの苦悩について思いを馳せている。「あまりうまくいっていないんだ」彼はオープニングトラックで疲れ切った表情でそう宣言する。そしてその後続く曲たちの中で、これがいくらか控えめな言い方であったことが証明されていく。荒涼としてはいるものの、音楽自体は決してのたうち回ることはない。それは彼の新しいバッキングバンド(Woodsのメンバーが参加)による朗らかでアップビートなアレンジと彼の比類なき歌詞によるところが大きい。自己治癒としてのソングライティングの螺旋である“Storyline Fever”から、色分けされた煉獄についての“Margaritas at the Mall”に至るまで、過去の作品から変わらず彼の作曲・作詞は複雑で、可笑しくかつスマートである。Bermanの死後―アルバムのリリースからたったの1ヶ月、予定されていたツアーの数日前のことだった―ファンたちは彼の物語や写真、彼の最良の歌詞(多くがこの作品からのものだった)をシェアしてネットを盛り上げた。彼の声がこれほどまでに大きく、活気づいたことはなかった。–Sam Sodomsky

152. Arctic Monkeys: AM (2013)

f:id:curefortheitch:20191114020218j:plain

ヒップホップ・アクトの影響―特にMike SkinnerのThe Streetsからの―はArctic Monkeysの歌詞の中になら、かなり早い段階から聞いて取ることができた。しかしこのシェフィールド出身のバンドの5枚目のアルバム『AM』において初めて、彼らはその影響を音楽の中にも完全に取り込んでしまった。『AM』で、彼らはそのサウンドを自分たちの意志のとおりにカジュアルに捻じ曲げてしまい、それは息を呑むほどの出来であった。このバンドのスパルタンなギターリフが、極めて男性的な、Dr. Dre的とでもいうべき“Why'd You Only Call Me When You're High?”にこれほどまでにフィットすることを誰が想像できただろうか?または“Do I Wanna Know?”のような楽曲の中でのヴォーカル・フックが最良のMCたちの歌詞世界と多くを共有することができることは?『AM』は自分の置かれた場所に完全に満足している、巨大でうぬぼれた怪物である。これはポップが主流であったこの10年に違和感なく属している、数少ないインディー・ロックのヒット作の一つである。–Ben Cardew

151. Lady Gaga: The Fame Monster (2009)

f:id:curefortheitch:20191114021720j:plain

当初、Lady Gagaは周りよりも少しだけ賢い、将来有望なダンス・ポップ・アクトであり、それ以上でもそれ以下でもないと誰もが思っていた。しかしそこに“Bad Romance”が出た。ストア学派よろしく男を焼き殺してしまうビデオは瞬時にアイコニックな作品となり、ゴシック調のメロドラマを纏った巨大なクラブ・バンガーによってGagaは侮ることのできない真の勢力であることがアナウンスされたのだ。

“Bad Romance”は、Gagaの2008年のデビュー作『The Fame』のデラックス版として8曲の新曲を新たに収録してリリースされた『The Fame Monster』からの先行シングルとしてリリースされた(はい、その通り:『The Fame Monster』は厳密には2009年の11月にリリースされている。しかし、このディケイドに渡って長い影を投げかけている何かに免じて、我々は例外を設けることにした)。Beyoncéをフィーチャーしたとにかく楽しい“Telephone”(もともとはBritney Spearsのために書かれた曲だった!)を除いて、そこに収録されている曲は当時出ていた他の音楽のどれとも似ていなかった。異様で、神経を逆撫でるような、死や危険なセックスへの言及でいっぱいの、ヒッチコックの映画的な、脳を貪るような、なにかだった(Meat Loafが殺されたのはこれのせいではないかというような、恥ずかしげもないレトロなパワー・バラード、“Speachless”もある)。『The Fame Monster』のリリースによって、ポップ界では風変わりなことを競う軍備競争が始まった:Katy PerryからNicki Minaj、Keshaまで誰もがお互いを奇怪さで出し抜こうと必死であるように思われた。しかしその誰の旗も、Gagaのものより高くはためくことはなかったのだ。–Amy Phillips

Part 6: 150位〜141位(執筆中)

Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・ソング200 Part 15: 130位〜126位

Part 14: 135位〜131位

130. A$AP Rocky: “Peso” (2011)

www.youtube.com

“I be that pretty motherfucker”。この10年のラップ・ソングの中で、この5つの単語ほどすぐさまアイコニックになったフレーズで幕を開ける曲があっただろうか?“Peso”がブレイクした瞬間から、ニューヨーカーとしての生まれながらの権利を提示するA$AP Rockyはメンフィスとヒューストンのサウンドの上に築かれたスターダムの地位にボルトで固定されることは明らかであった。ヴィデオに映る彼は、上裸で、ワルで、黄金の歯と堂々としたカリスマが充満している。金が入ってくると、こんな冗談がついてまわった。彼はRakimにちなんだ名前を親につけられたのに、こんなラップをするなんて信じられるか?確かに、Rockyの音楽にあのニューヨークの先人たちほどに複雑で、革新的で、凶悪な部分はない。でも彼に「お前はprettyじゃない」とは言えまい。–Paul A. Thompson

129. Lorde: “Royals” (2013)

www.youtube.com

この10年の最初に、ポップ・ミュージックはティーンエイジャーに彼らの欲望が何であるかを教えた。ティーンエイジャーたちがミュージシャンたちに教えたのではない。ラジオが言うところによれば、ティーンの夢というのは地球を割ってしまうような激しいパーティーであり、フットボール・スタジアムにぴったりの「ウォール・オブ・サウンド」的なシンセのプロダクションに見られるような、行きすぎたほどの過剰さであった。そしてそこにニュージーランドから16歳のLordeが、ものすごく垢抜けた交換留学生のように颯爽とチャートに入ってきて、いかに虎やジェット機、キャデラックについての曲に彼女が飽き飽きしているのかを、冷たく、ほとんどアカペラのような宣言として歌った。

“Royals”のラップ・ヴィデオを嘲笑うようなMVが人種差別であると言う抗議を集める一方で、Lordeはこの曲でスターダムを駆け上り、その過程でポップを変形させた。それからの数年、このジャンルはより荒涼とした雰囲気になり、マキシマリストの詩は孤独と不安を強調した鬱屈とした歌にとって代わられた。そしてそれからというもの、HalseyやClairo、Billie Eilishといった、同じようなティーンの退屈を歌う新しい時代のアーティストが急増した。彼女たちは男性の視線の術中にはまることよりも、それらを無視することを目指した。この曲は新しい種類のポップ・スターを紹介しただけでなく、世界で最も人気のあるアーティストは羨望だけではなく、共感もされなければいけないと挑発した。–Hazel Cills

128. Young Thug: “Danny Glover” (2013)

www.youtube.com

 2013年、Young Thugは未知の惑星から降り立った。誰もが学びたいと切望する言語と、これまでの歌うラッパーたちについて我々が知っていたことの形を変えてしまうメロディーを携えて。アトランタの外に住む多くの人間にとって、この“Danny Glover”がこの別世界の住人を知るきっかけとなったであろう。Thugのラップはファストで、耳に残るパンチラインを吐く。彼はどぎついクセを持っているが、それらは全て枯れのお気に入りのプロデューサーSouthsideのハイハットと808サウンドの中で美味しく料理される。“Danny Glover”が発表された時、Thugのラップは誰にも似ていなかった。いまや彼のいないラップのサウンドは考えられない。–Alphonse Pierre

127. James Blake: “CMYK” (2010)

www.youtube.com

James Blakeはこの“CMYK”で、ベース・ミュージックの進化における新たなステップへの指針を示した。KelisAaliyahをサンプリングしたこの曲は90年代後期のR&Bを振り返っているが、そのリボンのようなボーカルとビロードでできたハーモニーはこの若きイギリスのプロデューサーが作る音楽の特徴となった。さらに重要なのは彼がこのボーカルにどのような処理を施したのか、だ。チョップし、ピッチを変化させ、そしてそれらを自身の声と重ね合わせることで、湿地帯のように弾力のあるシンセの上をまるで蜘蛛の巣のように漂う奇妙な交配種のコール・アンド・レスポンスを作り出している。それは新しい世界のサウンドが形になっていく過程の産物であり、その後の彼の作る音楽の道標となるのだった。–Philip Sherburne

126. Ciara: “Ride” [ft. Ludacris] (2010)

www.youtube.com

“Ride”のビデオの中で、Ciaraはその類まれなダンスのスキルと純然な肉体美を誇示している。彼女はびしょ濡れの下着姿で機械仕掛けの牛にも跨りもする。BETはこの色っぽいビデオの放送を禁止したと伝えられている。これはCiaraが「非常に不運だ」とした決断であり、決して引き下がらず、控えめにしたヴァージョンも制作しなかった。彼女には彼らのお墨付きなど必要としなかった。“Ride”でこのアトランタのシンガーは自身の芸術面での指揮を見せびらかし、トラックの歪んだビートをほとんど刈り取られたボーカル・パフォーマンスと合わせ、その自信を誇張している。聴いただけでムラッとくるようなLudacrisのヴァースをもってしても、Ciaraのショウを邪魔することはできない。彼女は一歩も譲らないのである。–Matthew Strauss

Part 16: 125位〜121位

Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・アルバム200 Part 4: 170位〜161位

Part 3: 180位〜171位

170. Skee Mask: Compro (2018)

f:id:curefortheitch:20191027002138j:plain

表面上、このBrian MüllerのSkee Maskとしての出世作は、Aphex Twin風に燃え盛るようなドラムパターンをゴージャスなアンビエントと融合させる試みに見える。しかし何度も聞いているうちに、この『Compro』はもっと複雑な作品に聴こえてくる。このドイツ人のプロデューサーは過去20年のエレクトロニック・ミュージックを巨大な砂場として扱い、十分楽しむことができるほどに耳馴染みがあり、それでも絶えず聞き手を驚かせるほどの突然変異を起こすような、丹念に織られたトラックを作り上げる。アルバムの1曲目“Cerroverb”は空っぽの空間の上に作られている。宇宙的なブリップが流れてくるが突然フェードアウトし、まるで我々が聴いているのと同時にこの曲が分解されていっているように感じる。“50 Euro to Break Boost”では砂混じりのブレイクビーツが、まるで酸性雨を降らせる美しい雨雲のように浮かんでいる霧のようなシンセを汚していく。この『Compro』で、Müllerは世界を作り上げたと言うよりは、その奇妙で美しい世界の終わりのサウンドトラックを作り上げたのだ。–Sam Hockley-Smith

169. Paramore: After Laughter (2017)

f:id:curefortheitch:20191027153100j:plain

Warped Tourの日々の中で、まだ10代だったParamoreのHayley Williamsが彼女のファンたちと築き上げた信じられないほど個人的な関係性―まるでこのバンドのポップ・パンクにはティーンにしか聞こえない周波数が含まれているかのように、大人の批評家の多くは当時その関係性について認知していなかった―は、10年続くほどに強力で、年齢と成熟を重ねるにつれて進化・深化するダイナミックなものであるということが明らかになった。この『After Laughter』は「大人のためのエモ」である。ミレニアル世代の「延長された青年期」という状態を定義する内面の混乱を覗き込む完璧な窓のように感じられるアルバムを、Williamsは作った。いまのParamoreは過去のParamoreがかつて持っていた切迫感を持っているのかも知れない。というのも、青年期の苦悩というのは思っていたより長く続くからだ。もはや誰しも「成長」をすることができないのかもしれない。もしくは、拳を固く握りしめ“Forgiveness”を寝室で歌うといったような開放の感覚というのは必要不可欠で永遠の喜びなのかも知れない。そしてその感覚をだれよりも上手に想起させるのはWilliamsにほかならないのだ。–Alex Frank

168. Julianna Barwick: The Magic Place (2011)

f:id:curefortheitch:20191029211134j:plain

シンガーでありアンビエント作曲家であるJulianna Barwickは、スティーヴン・スピルバーグの素晴らしい戦争映画、『太陽の帝国』を人格の形成期に見ておくことの重要性を語った。そこで最も重要なのは、彼女がその映画に使われていた、ウェールズの子守唄“Suo Gan”を青年合唱隊が歌うJohn Williamsによる劇伴を覚えていたことだ。彼女の出世作『The Magic Place』は、混沌の中の平穏な瞬間を描いている点で似通っている。彼女の主な表現の手法は彼女の声とループ・ペダルであり、完全に包み込まれるような感覚を与えてくれる。リヴァーヴに包まれた歌と息遣いのサウンドはそれがどこから発せられているのか忘れてしまうほどに反響する。他にも多くの若いアーティストがかつてナシとされたニュー・エイジというジャンルからインスピレーションを受けたこの10年の早い段階で発表されたこのアルバムは、いかにアンダーグラウンドが神聖さを包摂しているのかという代表的な例である。世界の騒々しさが増していく中、Barwickは彼女だけのサンクチュアリを築いた。そこは光と空間で満ちていて、自分の家だと感じられるほどには違和感がある、そんな空間だ。–Sam Sodomsky

167. (Sandy) Alex G: DSU (2014)

f:id:curefortheitch:20191029211346j:plain

Alex Giannascoliは質素なソングライターと呼ばれることはないだろう。2014に至るまでにも彼はかなり多くの作品を作りカルト的な人気を集めていたが、世界的にはあまり認知されていなかった。彼のAlex Gとしての5作目のアルバムとなる『DSU』がその状況を変えた。彼のフィラデルフィアにある自宅で録音された13曲で描かれる人物はどこか薄くらい。恋に悩む運命論者、後悔しているジャンキー、そして自分には感情がないと宣言している人。しかし彼の手にかかれは、彼らは少し呪われた、妙に意味深い物語になるのだ。彼の楽曲は、最もポップだった時期のElliott Smithを想起させるようなキャッチーで親しみやすいメロディを中心に作られていて、そこに聴いているものを惑わすような香り付け(ピッチを変えた赤ちゃんの声、不協和音の鋭い一打など)が入ってくる。全く理解できないというわけではないが間口が狭く、奇異でありながら中毒性もある。この『DSU』は、時代の中で最も非凡な才能というのは寝室で冬眠しながら聴かれる日を待っているのだということを証明した。–Quinn Moreland

166. Nicki Minaj: The Pinkprint (2014)

f:id:curefortheitch:20191029213630j:plain

 彼女にとって3枚目のスタジオ・アルバムとなるこの『The Pinkprint』で、Nicki Minajはラップ/歌、EDM/ヒップホップ、真面目/不真面目これら全てを一緒くたにしている。彼女は“Starships”のような直球のポップ・チューンを切り詰め、大胆なほどの多芸さを遺憾なく発揮している。『The Pinkprint』の食べ放題ビュッフェの中には生々しい自伝的な曲“All Things Go”やおどけた調子の卑猥な曲“Anaconda”、そしてAriana Grandeをフィーチャーした“Get On Your Knees”が含まれている一方、気を狂わせるほどのフロウのショーケース“Want Some More”のような曲も収録されている。彼女と共演しているスターはこのエクセントリックなプロダクションだ。Enyaにインスパイアされたミニマルなシンセ・ポップ“I Lied”、燃えるようなパン・カリビアンなグルーヴ感の“Trini Dem Girls”、そして多幸感あふれるダブステップ・ポップ“The Night Is Still Young”。この『The Pinkprint』を、名前の由来にもなったタイトに構成されたJay-Zによる2001年の傑作『The Blueprint』と間違える者はいないだろうが、この作品はMinajのイメージを深め多次元化する助けとなり、Cardi Bのような未来のラッパーのスタイルの可能性を切り開いた。また、これはMinajのこの10年での創造的な最高到達地点でもある。–Jason King

165. Jay Som: Everybody Works (2017)

f:id:curefortheitch:20191030202355j:plain

 ベイエリアシンガー・ソングライターMelina DuterteのJay Som名義の最初のアルバムである『Everybody Works』は彼女をメイン・ステージのステータスに固定し、新たなインディー・ロックの旗手へと飛躍させた。この楽曲群はインディー・ロックというジャンルを素晴らしいものにしているもの全ての、めまいがするほどの集中講座である。ファースト・シングル“The Bus Song”はコーヒーハウス風の弾き語りから眩いトランペットへと急ハンドルを切り、二人の友人の間の特定の関係性の言葉にされないダイナミクスから、公共交通機関の匂いのような普遍的に理解される関心ごとへと話題が変わる。Duterteの歌声はもの静かで会話のようであり、全てを一つにつなぎとめている。編曲がファンクに近い領域に足を踏み入れても、そのサウンドはポケットに入るほど小さく、あなたの世界を変えてしまうほど壮大である。–Marc Hogan

164. Hop Along: Painted Shut (2015)

f:id:curefortheitch:20191031203509j:plain

 Frances Quinlanが彼女のヴォーカルをすり減らしながら歌うのを聴くのは、誰かが黒タイツを履いた状態でガンガン走るのを見るようなものだ。たちまち、全ての衣服がパンクになっていく。Quinlanのバンド、Hop Alongの出世作となった『Painted Shut』は彼女の勝利宣言である。彼女の声は“I Saw My Twin”で「写真」という言葉を不条理なかたちでこすり、“Happy to See Me”では「やる気を鼓舞する動画を投稿すること」は地球に落下する小惑星の速度の比喩になっている。

どんな言葉からでも感情を搾り取ることができるのは天賦の才能であるが、Quinlanはこの時代で最も注目に値するストーリーテラーの一人になることでそれを繰り返し、しつこく伝え続けなければならなかった。“Powerful Man”で、彼女は子供を殴っている父親を目撃しながら、それを教師に伝えなかったことを悔いている。他のところでは、彼女は60年代のフォーク・ミュージシャンJackson C. Frankの視点から歌い、彼の自伝の中の悲劇的な場面をほのめかし、カブトガニのメタファーを用いて人生の不公平にまつわる普遍的な感覚を想起させている。その間中ずっと、残りのバンドメンバーたちは彼ら自身の住んだ瞳が放つ強度でもってQuinlanの急旋回についていく。彼女の兄(弟)のMark QuinlanはDave Grohlのようなグランジ・ドラマーのシンプルながらも力強いパーカッションで指揮を取り、情熱的でありながら不安を伴ったギターがクラシック・インディーとポップ・パンクをつなぐ。ローファイなソロ・プロジェクトがインディー界を席巻したこの10年において、拳で打つような演奏をする、正真正銘のロックバンドの正義を強く証明した。–Jillian Mapes

163. Meek Mill: Dreamchasers 2 (2012)

f:id:curefortheitch:20191104011334j:plain

2012年の5月、Meek Millはラップ・インターネットを事実上破壊した。『Dreamchaser 2』はミックステープ・サイトのDatPiffをクラッシュさせ、その後サイト史上最もダウンロードされた作品となった。この作品は彼のキャリアのターニングポイントとなり、Rick Rossの影から抜け出し、自分のサウンドを深化させた。DrakeとJeremihが参加している“Amen”ではこのフィリーのラッパーは疾風のようなフロウをスローダウンさせた。彼は時の富を自分の側に付けたのだ。

これほどまでに勝利の雰囲気が漂うこのプロジェクトにおいてさえ、司法上の嘆きがMillに取り憑いている。Drakeの“The Ride”の黙想的なリワークではフィラデルフィアの地方検事補・Noel DeSantisに多くのラインを差し向けている。彼女はこの『Dreamchaser 2』のリリースから7ヶ月後に法廷で彼と向き合うことになり、そこで判事のGenece BrinkleyはMeekに、パフォーマンスのために街から出ることを禁じた(Millの司法上の問題に対するBrinkely氏の判断は今後厄介さを増していくのみであった)。ヒップホップ界にとっては、『Dreamchaser 2』はMeekを簡単には到達できない高みへと押し上げた作品であり、彼はスター街道を邁進した。しかし刑事司法制度の内側では彼は運命を他人に委ねるほかなく、十代の頃からそうしてきたように、闘い続けなければならなかった。–Ross Scarano

162. Sturgill Simpson: Metamodern Sounds in Country Music (2014)

f:id:curefortheitch:20191104022216j:plain

 Sturgill Simpsonの音楽はモダン・カントリーを根っこに持っているが、彼はまた「コズミック・カントリー」の誇り高き遺産の一部でもあり、ローズ奨学生(訳注:オックスフォードの学生がもらう奨学金)のKris KristoffersonやKahlil Gibran(訳注:レバノン出身の詩人、画家、彫刻家)を引用するWillie Nelsonの、酔いどれの子孫である。彼の出世作『Metamodern Sounds in Country Music』のまさに1曲目において、Simpsonはイエスブッダ、「光でできた爬虫類のエイリアン」を全て一緒くたにまとめて編んでしまう。そこから、ケンタッキーで生まれ育った彼は自身のアーシーなルーツを深く掘る一方で、銀河的な深遠な思考へとさまよい歩いていくことに成功している。Simpsonは未だに一箇所にとどまることを拒み続けていて、『Metamodern Sounds in Country Music』は彼の精神が高みに昇り始めたその時を記録している。–Andy Beta

161. The 1975: I like it when you sleep, for you are so beautiful yet so unaware of it (2016)

f:id:curefortheitch:20191104115732j:plain

The 1975はこの10年間かなり長い道のりを歩んできた。Matty Healyを筆頭に彼らは生意気で体裁の良いシングルを出す元気な新人バンドから、不安が漂う現代の状況を最良の方法で捉える、もしくはそうする熱意があるアクトへと変身を遂げた。このバンドの2枚めの作品『I like it when you sleep...』は、彼らの情熱に技術が追いついた瞬間である。小賢しいPhoenix風のポップ・ロックに固執するのはやめ、彼らは幅広い影響からいろんなものを吸収した。80年代ポップ、ネオ・ソウル、シューゲイズ、そして心温まるアコースティック・バラード。一つ一つの歌詞全てがしっかりと着地しているわけではないが、それぞれの曲に一つはこの瞬間を生きるとはどんな感覚なのかというのが克明に描かれたラインが存在する。“A Change of Heart”の中心にあるこの歌詞はどうだろう。「僕を病気まみれだといった君の目からは後悔が溢れていた/そして君はサラダの写真を撮って、インターネットに上げた」。苦悩とバカバカしさのこの完璧なバランスによってThe 1975は聴手との関係性を濃密にし、そのサウンドは共鳴していくのだ。–Jamieson Cox

Part 5: 160位〜151位

Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・ソング200 Part 14: 135位〜131位

Part 13: 140位〜136位

135. Robyn: “Honey” (2018)

www.youtube.com

Honey”はRobynの楽曲の中でも淫らな部類の一つである。脈打つハウス・ビートにセットされた、午前3時のブーティー・コール。この曲はゆっくりと流れ、ガタガタ鳴るハイハットとストロボライトのようなシンセサイザーがダンスフロアに流れ出していく。一方で、このスウェーデンのスターは多くの余白を使って自分のヴィジュアルを花開かせる。ラメ入りの「糸を引く唾液」、歩道に光るエメラルド。音節の一つ一つがタフィーのように伸びていて、彼女の声はウィスパーの真上で滞空している。まるで聴き手に少し前のめりになって聴いてもらいたいかのように。しかし彼女のメッセージはわざわざ叫ぶ必要がないほどに明白である。一人で踊ってから10年が経ち、Robynはディスコへの凱旋を果たした。しかし今回は、彼女が一人で帰ることはない。–Madison Bloom

134. Kamasi Washington: “Truth” (2017)

open.spotify.com

Kamasi Washingtonは瞑想や彫刻、設計のための時間を必要とする芸術家である。彼の楽曲はそれぞれが醸造された感情の島であるが、そこは彼の発想が脈打つ場所で、そこでは一つ一つの曲が彼の作品を際立たせる官能的なトレードマークをつけられている。この“Truth”はこのサックス奏者の音楽的分野の中で、最も緻密で、そして恐らくもっとも神聖な部類である。湿ったベース、神々しいオーケストラの叫び、巨匠・Pharaoah Sandersを思い出させる興奮と純粋なアドレナリン。それはWashington自身の冒険の旅である。よりファンキーで、アフリカ的で、セネガルのダシキを着て楽しむような音楽。まあ、キングのブツということだ。

もともとは2017年のWhitney Biennialの展示に合わせて作曲され、後に『Harmony of Difference EP』の最後に収録されたこの“Truth”は、スピリチュアルな/音楽の/人間の旅についての曲である。この曲は芸術的な指揮がかなり複雑に重なりあっていて、それは詩人・Wanda Coleman、映画監督・John Singleton、ヴィジュアル・アーティストのBetye Saar、プロデューサー・DJ Quikなど、LAのブラック・コミュニティの中にあった習俗を掘り起こしてきた多くの歴史家たちに肩を並べる偉業である。じっくり聴けば、人生の緊張感と急展開、愛の感情的速度、息をすることのドラマが聴こえてくる。–Jason Parham

133. Future: “Mask Off” (2017)

www.youtube.com

Futureの音楽は放蕩や耽溺を褒め称えることで、それらが生み出す悲劇を脚色していることが多い。それは決して達成が簡単な作戦ではないが、このアトランタのスターは現代のラップ界の中で最も才能に溢れた名文家の一人なのだ。彼のチャート最高位を記録した“Mask Off”はとにかく突飛である。彼はサビで“molly”と“Perocet”という単語をタイトルよりも多い回数繰り返す。しかし彼はドラッグ乱用の深淵をつなぎ合わせることで応急処置を施そうとはしている。Futureはリーンをたった2つの単語で恐ろしく表現している。「俺のギロチン」であると。そんな中、マーティン・ルーサー・キングに捧げられた1978年のミュージカル『Selma』内の“Prison Song”から引用されたフルートのサンプルが彼のボーカルの周りを這いずり回る。「ムショの部屋は凍えるほど寒い」という“Prison Song”のボーカルをスクリューした音源がアウトロで歌われる。“Mask Off”はFutureの楽曲の中でも最もマンガのような曲であるが、現実が危うい勢いで現実感を失っていっている今日において、それは現実を要約する最良の方法なのかも知れない。–Ross Scarano

132. Kurt Vile: “Baby’s Arms” (2011)

www.youtube.com

“Baby's Arms”は、Kurt Vileの怠け者の禅のような人格が、いきなり焦点をパリッと合わせたサウンドである。2011年の作品『Some Ring For My Halo』は、それまでリヴァーヴのカーテン後ろに隠れていたこのフィラデルフィアのソングライターの再スタートのような作品だった。彼のバンド・The ViolatorsやプロデューサーのJohn Agnello、そしてその他の参加者たちと作業を行い、Vileは初期の作品のぼんやりとした雰囲気を透明なフィンガー・ピッキングと、ボソボソつぶやいていた警句を愛する人へ捧げる詩と取り替えた。“Baby's Arms”はクールでありスウィートであり、親密で反響している。囁きを微かに超えたものでありながら、それは全力のように聴こえるのだ。–Jesse Jarnow

131. Chromatics: “Kill for Love” (2012)

www.youtube.com

Johnny Jewelはその完璧主義故に多くの批判を受けることがあるが、“Kill for Love”のような曲を聞くと、このものすごく要求が高いことで悪名高いChromaticsの首謀者がだいぶ理性的に見えてくる。グループの2012年のアルバムのタイトル・トラックであるこの曲は彼らが細密画法を目指した楽曲である。幸せを追い求める倦怠感のサウンド。Ruth Radeletの見かけによらず無感情なボーカル・パフォーマンスは、習慣の中に潜んでいる新しい物事への切望を歌い上げる。「水を飲んだら大丈夫な気がした/ほぼ毎晩薬を飲んでいた/心のなかでは、変化を待ち続けていた」。ひび割れたシンセは晶洞を分かつほどの鋭さを持っている。ギターはめまいのようで感傷的でもあり、溶けていくように反響していく。シンバルは止まることなくがたがたいい続ける。不安の真っ只中にいることと傷ついていることは共に同じく自然に生じる衝動である。そこでは、一時的な逃避はいかなる時もなんの約束もしてくれないのだ。–Anna Gaca

Part 15: 130位〜126位

<Pitchfork Review 和訳>Kanye West: Jesus Is King

f:id:curefortheitch:20191030202748j:plain

7.2

キリスト教信仰はカニエのゴスペル・アルバムにおいて揺らぐことのない焦点である。これはある男の神(そして自分自身)に対する愛についての、豊かにプロデュースされていながらも欠点だらけのアルバムである

1964年、ミシシッピ州ロングデールのある田舎の集落で、Mount Zionメソジスト教会に集まった黒人信奉者がクー・クラックス・クランによって待ち伏せ攻撃を受けるという事件があった。襲撃者たち(中には警察の制服を着たものもいたという)はある男の顎を折り、他の人達を激しく殴打し、最後には教会を焼き払った。その混乱の中で、ベアトリス・コールという名の女性が絶望のあまり祈りの言葉を捧げた。「主よ、私はあなたに助けを求めています。他の助けを私は知りません。もしそなたが私から身を引いてしまったら、私はどこへ行ったらよろしいのか」。すると、なんとKKKの団員たちは撤退していった。ゴスペルの力というのはこれほど強いものなのだ。

“Father I Stretch My Hands To Thee”はアイザック・ウォッツによって1700年代初期に書かれた悲しいメソジスト系の賛美歌である。次の世紀になると黒人のゴスペル歌手によって人々を鼓舞するスタンダード・ナンバーとなり、教会の信徒席を飛び出して歌い継がれた。この曲は表面上カニエ・ウェストのお気に入りであり、2016年の『The Life of Pablo』においてT.L.バレットのヴァージョンをサンプリングしている(ちなみにその曲はアナルの漂白に関する不条理で始まる)。それから3年が経ち、カニエの宗教的な生まれ変わりを経たいま、そのモチーフはカニエの9枚目のアルバム『Jesus Is King』で再び用いられることになる。ゴスペルならではのタイトルの直球さを持つ“Follow God”は燃え盛るようなヴォーカルのサンプルを中心に組み立てられている。「主よ、私はあなたに助けを求めています」、1974年に発表されたあまり世には知られていないWhole Truthの“Can You Lose By Following God”のシンガーは歌う。

カニエがキリスト教の信仰に戻ったと宣言したあとの数ヶ月でレコーディングされた(そして、もう一度レコーディングされた)このアルバムは、彼が世界的な教会ブランドにしたパフォーマンス・シリーズであるサンデー・サーヴィスを始めてから初めて世に問う作品である。彼が「売り」にしているように(比喩的な意味でも、文字通りの意味でも)、『Jesus Is King』は彼の過去の罪との絶縁であり、赦免であり、白紙の状態である。そこから彼はある特定の一人の神の言葉を広めようとしているのである。その祝福はカラバサスでの窮地やジャクソン・ホールの小屋に降り注いできたものである。彼は常に宗教的だった。2004年の“Jesus Walks”ではクラブを聖なる寺院になぞらえている。カーダシアン家の手の込んだ、壮大なイースターの写真は毎年の伝統のようなものになった。『The Life of Pablo』は明らかに信仰についてのアルバムだった。しかしこのタイミングというのは注目に値する。

多くの統計によって、自らをクリスチャンであるとするアメリカ国民の数はどんどん減っており、無神論者、不可知論者であるとする人の数は着実に増えていることがわかっている。その一方で信者たちは他の人と比べて「より」信心深い、といった程度の認識である。政治というフィールドの中で福音派の右翼たちが持っている権力(カニエも近年そこに加わった)が、彼がこの春キリスト教に逃避先を探すきっかけになったのであろう苦悩の一部を生み出したのだと考えてみよう(最近のVibeの記事で、カニエと同じく双極性障害の診断を受けたライターのキアナ・フィッツジェラルドは、躁病の経験とスピリチュアル熱を持つことを結びつけた感動的な仮説を述べている)。

『Jesus Is King』は今や彼の特徴とも言えるカオティックなアルバムであるが、2018年のアルバム『Ye』よりはずっと焦点のあった作品になっている。『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』のハワイでの作業によって有名になった彼の神話めいたラップ・キャンプ方式によって、Timbaland、Pi'erre Bourne、Boogz、そしてRatatatのEvan Mastといった様々なプロデューサーの参加を27分の―完全に罪深いわけではないにしても―愉快なテクスチャに統合している。20世紀ゴスペルの影響はわかりやすく、温かく適用されている。上がったり下がったりする畏怖を感じるほどの聖歌隊ハモンドオルガンの柔らかな唸り声、緩やかに波立つピアノ、西アフリカにまで歴史的/地理的に広がりを見せるリズム。これほどまでに一貫性があって楽しいアルバムを、彼がこのような状況の中で作ることができるとは正直思っていなかった。

『Jesus Is King』では、過去15年のカニエのキャリアの様々な瞬間にうなずき返している場面が多くある。“God Is”で使われているゴスペル・ソウルのサンプルは彼がロッカフェラのハウス・プロデューサーであった頃を思わせる。レザーのスカートを履いていた時期のマキシマリズムは“Use This Gospel”の広大なサウンドスケープに受け継がれている。ここでのケニー・Gのサックス・ソロは、それが「可能であること」だけを理由にエルトン・ジョンをフックに招き入れたことの2019年版ともいえる。2013年の『Yeezus』での荒涼とした、立ち向かっていくような態度は“Selah”の推進力になっているバトル・ドラムに聴くことができる。“Water”での彼の怒り気味の弁解は“Only One”や“FourFiveSeconds”のプロデュースをしていた時期を思い出させる。そして全編に渡って、オートチューンのかかったヴォーカルは2008年の『808s & Heartbreak』から、『The Life of Pablo』での苦悩を経由して本作につながっている。

『Jesus Is King』は『The Life of Pablo』で仄めかされていた暗闇に対するいくつかの解決策を提示してはいるが、それはアルバムを効果的・感動的にするほどの人間の探求の深さを持ち合わせていない。人生というのは白黒つけられないものであり、いかなる神との交流の経験だけで語れるものでもない。主題的に最も興味深い瞬間は、“Use This Gospel”で何年かぶりに、そしてそれぞれ異なる自己反省の段階にいる中で再結成したClipsePusha Tとその兄No Maliceの二人が持っている生まれつきの緊張感である。彼らは『Jesus Is King』の中でFred Hammond、Ty Dolla $ign、Ant Clemonsによってもたらされている、ゴスペルの持つ共感しやすい普遍性をつなぎ合わせている。彼らは温かな信仰がもつ、人を鼓舞し、ずっと続いていくような穏やかさを表現している。例えば“Climbing Higher Mountains”で登らなければいけない山や、“Take My Hand, Precious Lord”で横切らなければいけない嵐を想像してみてほしい。伝統的なゴスペル、現代のゴスペルが苦しみ、救済、そして転身を想起させるのに対し、『Jesus Is King』はカニエ自身にどう宗教が働きかけたのかという点に焦点をおいている。“On God”で彼はこうラップする。「『お前のところには何故そんなに幸運が訪れるのだ?』/『キリストを主・救世主として受け入れよ』俺はそう答えた」

先週のインタヴューでZane Loweに語った通り、人々をキリスト教に改宗させることカニエのミッションなんだとしたら、彼はもう少し深いところを探す必要があるだろう。聖書の引用における上辺だけの仕草や、アメリカのプロスペリティ・ゴスペル(訳者注:“prosperity theology”が「富は信仰に対する神聖な報酬である」という宗教的信念なので、富を重要視したゴスペルのことだと思われる)の資本主義者的偏向以外には、神に従うということについてなんの指示もない。つまり、黙って主がフォーブスの表紙や10億ドル単位を稼ぐスニーカーのブランドを与えてくれるのを待っている以外ない、ということだ。カニエを苦しませている障壁が、インスタのいいね!や法外な税率(彼はIRSが「パイの半分」を要求してくると文句をたれている)であるなら、彼のいうことを真面目に受け取るのは難しい。人を最も変化させる信仰の特徴としての神の恵みや正義、そして愛よりも、カニエはメガ・チャーチの牧師としての野望にまつわるジョークに費やされたこの数ヶ月を有効にするために、裕福で権力を持った人のよりどころとなる宗教的肩書づけを内面化している。

タイトな着こなしをしていた妻を叱責したり、共作者たちに婚前交渉を控えるようお願いしたり、カース・ワードを一日2回までと決めてキリスト教徒としての点数を稼ぎ始めたりと、ここ数週間での啓示は、彼のゴスペルの解釈は信仰深いというよりは教義的であることを示唆している。歴史を振り返れば、カニエを唯一無二の絶対的な芸術家たらしめていたのは自身の偽善と倫理的欠落を弱さとともに表現してきたことだった。残念ながら、『Jesus Is King』にはそのような複雑さは殆どない(唯一の例外は“Follow God”で、自身の父親との対話は―浅はかと言えば浅はかだが―「キリスト的」であることの意味を考えさせられるものである)。

彼の政治から注意を逸らすほどの、あるいはそれをわかりにくくさせるほどの深さがこの作品には欠けている。拙速で短かなスローガン的作品であり、スポンテニアスさと未完成さを履き違えた結果、この額縁の外側にある事実を無視することは難しくなっている。例えば彼は合衆国憲法修正第13条の廃止を求めているが、それは彼が支持してやまないレイシストで、懲罰と監禁にとりつかれたかの大統領とは正反対の意見である。たしかに、“Water”で聴かれるベースラインはここ数年でベストの出来であるが、このような瞬間は作品のハイライトというよりも、せめてもの慰めのように感じられるのだ。カニエのアルバムはかつて我々の知覚や想像力を広げさせてくれるものだった。いまや彼の作品は彼のますますしぼんでいく世界の輪郭をクッキリと浮かび上がらせる。

Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・ソング200 Part 13: 140位〜136位

Part 12: 145位〜141位

140. Rae Sremmurd: “No Type” (2014)

www.youtube.com

2014年、Rae Sremmurdは当時スーパープロデューサーとしての頂点を極めていたMike WiLL Made-Itに後押しされ、あの伝染力の高い“No Flex Zone”でスポットライトを浴びた。多くの人々が彼らのラッパーとしての能力に疑問を持ちこき下ろしていたが、この二人のベビーフェイスのラッパー兄弟はクラブ・アンセムをその手の中に持っていた。しかしものの数ヶ月の間に彼らは初めてのヒット“No Type”を成功させ、Swae LeeとSlim Jxmmiの二人は一発屋から真のスターに昇格した。この曲の逆らい難い核にはSwaeの浮遊感のあるコーラスがあるが、“No Type”はキャッチーなフック以上のものも持っている。この曲はこのコンビの弾けるようなメロディ/騒々しいエネルギーという陰と陽のバランスを確立したのだ。–Alphonse Pierre

139. Iceage: “The Lord’s Favorite” (2014)

www.youtube.com

Iceageは最初の2枚のハードコア的な混沌と苦悩を落ち着かせ、この“The Lord's Favorite”のような緊張感のあるカントリー・パンク路線を選び取った。この曲ではフロントマンのElias Bender Rønnenfeltは高級なワイン、安いメイキャップ、5インチのヒールの魅惑に毒された恋に悩む誇大妄想狂の役を演じている。みすぼらしいクラブの暗闇で、これらの下品な悪徳がRønnenfelt演じる酔いどれの常連を刺激し、彼の神聖な特権についての考えを改めさせる。「結局のところ俺が神様のお気に入りであることは明白だ/そしていま、俺はなんだって望むことができる」と彼は呻く。最後の言葉は彼の口からだらりと流れ出る。このオランダのバンドはロカビリーの嵐を巻き起こし、拳を握りしめるような苦悩以上のものも見せられるというところを示した。–Quinn Moreland

138. Drake: “Hotline Bling” (2015)

www.youtube.com

ソーシャル・メディア時代の模倣画家であるDrakeは、スポンジボブのGIFのマッシュアップを作るTumblrティーンのように、音楽と文化的参照をシームレスに交換する。そしてこの曲は彼のヒップホップ界の最高のミーム大王としての地位を確実なものにした。Drakeは当初この曲をDRAMの“Cha Cha”のリミックスとして捉えていた。プロデューサーのNineteen85はTimmy Thomasの1972年リリースのソウル・クラシック“Why Can't We Live Together”をフリップさせて信じられないほどキャッチーなシンコペートされたドラム・シークエンスを作り出している。ヴィジュアル・アーティストのJames Turrellの2013年のインスタレーション作品“Breathing Light”をパクった、パステル・トーンのネオンで照らされたインスタ映えしそうな部屋が登場するビデオのおかげで“Hotline Bling”は爆発的にヒットしたが、そこでDRAMとDrakeはクレジットを巡って争った。数ヶ月のうちに、ネオソウルの女教皇Erykah Baduは「hotline」のコンセプトだけでミックステープをまるまる一枚制作し、現代社会における電話の役割に関する学術論文に仕立て上げた(しかもDrakeそっくりのAubreyというラッパーをフィーチャーしている)。まさにモダンアートのムカデ人間であるが、この“Hotline Bling”の最大のレガシーはこの曲がインスパイアをした作品/インスパイアされた作品との切手も来れないような繋がりなのではないだろうか。–Matthew Ismael Ruiz

137. Yaeji: “Drink I’m Sippin On” (2017)

www.youtube.com

このブルックリンで最も刺激的は若きエレクトロニック・アーティストは意図的な秘匿でキャリアをスタートさせた。Yaejiが朝鮮語で歌うのは当初他人に自分を理解されたくないからだった。その後彼女はこの茶目っ気がありエレガントな音節を気にいるようになった。彼女がブレイクするきっかけになったシングルはその愛情の点で明らかである。彼女は眠気を誘うシンセとトラップ風のドラム、冷たいヴォーカル・トーンの上で徘徊する。彼女の柔らかでふしだらな言葉たちがゆったりとした調子で歌われる。彼女が朝鮮語で「そうじゃない」と何度が呟いたあと、ブリッジでは英語も少し顔を覗かせる(適応というよりは独り言のようだ)。愛おしく、きらめくような、穏やかなミスコミュニケーションの瞬間。でもあの弾力のあるベース・ドロップ。これは間違いない。–Stacey Anderson

136. CupcakKe: “Duck Duck Goose” (2018)

www.youtube.com

受信した人のストレージがいっぱいになるほどの高画質でヌードを送ること。チンコを自由の女神に見立てること。「アソコのおかげですぐにぐっすり寝れる/チンコにまたがって、『おやすみなさいおつきさま』を読んであげる」というライン。これらは“Duck Duck Goose”でのCupcaKKeの、中でもまだ「おとなしい」瞬間である。このR指定のジョークの終わりなき弾幕のなかで、このシカゴのラッパーの下品なユーモアがでは存分に発揮されている。また、この曲は彼女が誰よりも上手くスピットできること、エリート・ソングライター並にウィットや駄洒落、鮮やかな比喩をヴァースの中に織り込むことができることを示している。CupcakKeはこれら全てを、パンパンになった汗臭いクラブ用のビートに乗せるのだ。それこそ、彼女の素晴らしさを堪能するのに最適な場所である。–Alphonse Pierre

Part 14: 135位〜131位