海外音楽評論・論文紹介

音楽に関するレビューや学術論文の和訳、紹介をするブログです。

<Pitchfork Sunday Review和訳>Jill Scott: Who Is Jill Scott?: Words and Sounds, Vol. 1

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Jill Scott: Who Is Jill Scott?: Words and Sounds, Vol. 1 Album Review | Pitchfork

点数:7.7/10
評者:Anupa Mistry

平凡な女性にも愛とセックスをもたらした、ネオ・ソウル・クロニクル

0年代後期からゼロ年代初期、まだTumblrや他のソーシャル・メディアがジェンダーのヴィジョンや身体の表現のための逃避所となる前の話。セックスは魅力的で、痩せていて、若く、そしてストレートな男性と女性のみに許された特権であると考えることは容易かった。MTV世代にとって、愛とはホットであること、そしてヘテロであることの報酬だったのだ。

 映画やテレビがこのようなメッセージを増強させた(「The Bachelor」や「Extreme Makeover」といった番組がその極北である)が、音楽もそのメッセージの担い手であった。若い女性を愛や人間関係といったトピックに固定化させたボーイ・バンドから、快楽主義者のための音楽であったヒップホップまで。Akinyeleの「Put It in Your Mouth」とKhiaの「My Neck, My Back」が約6年間の間隔をおいてリリースされ、その間にはNasとBraveheartsの「Oochie Wally」が浮上した。そんな時代だった。

 セレブ達がマキシマリズムに走ったこの時代に、「規則正しく」「平均」「普通」であることは時代に逆行することだった。健康な身体というイメージと熱狂的同意。禁欲と放蕩の間で倫理的に揺れる代わりに、健康であることの自由。普通であることは、騒がしいセレブリティのエンターテイメント・ショウをパチリと消したあとに部屋中を満たす静寂であった。ニュー・ヨークやLAへと逃亡するのではなく、人々と場所と考え方を結びつけるものであった。太った人が痩せた人を好んだり、その逆だったり。それはセックスを超えたクィアネスだった。普通であることは多様性や相違に満ちて「いた」:脱色した金髪やヴィデオ・ヴィクセン(訳注:ヒップホップのビデオに出てくるような女性のこと)、シックス・パック、映画のスクリーンに映る物憂げな顔、これら以外のものすべては「普通」だった。しかしこのような環境下において、平凡な人たちの生き方などどうしたら知れるだろうか?ジル・スコットがこのデビュー・アルバム『Who is Jill Scott? Words and Sounds Vol. 1』をリリースしたころ、「平凡な」女性にとっての愛やセックスを記したクロニクルはまだ極めて少なかったと言えよう。

 それはリード・シングル「Love Rain」で始まった。一番のヴァースはスコットの故郷、フィラデルフィアのありふれた二人の若者の求愛行動のドキュメントである:長い散歩、長いおしゃべり、そしてたくさんのセックス。そしてそれらすべてがひと夏の恋の突然の終わりへとつながっていく。2番のヴァースは堰を切ったようにこう歌う:「愛が口からこぼれ落ち、顎をつたって彼の膝へと落ちた」彼女のエアリーなソプラノ・ヴォイスが、細切れになった暖かな吐息に言葉を乗せて吐き出される。このような視覚的なリリックはショッキングであった。これはDead Prezによる#sapiosexual(訳注:内面に性的魅力を感じること。ルッキズムやナンパ文化に対するカウンター)アンセムである「Mind Sex」をリリースしたのと同じ年であり、ここでスコットは皮肉を言って楽しんでいるのである。興奮の時代もまた全速力で進んでおり、男性性、資本主義的男らしさといったイメージがポップ・カルチャーを染め上げていた。でもこれは射精ではなかった:スコットも書いているが、これは愛であった。

 スコットが提示したのは、自分のセクシャリティに根ざした「普通の」女性の視点であった。もちろん、スコットは美しい女性である。彼女のボディ・ランゲージは開かれている。彼女は豊満であり、目的を持って歩く女性である。彼女の微笑むような目がそれを証明している。しかし彼女は痩せていること、まっすぐな髪、そして白い肌で支配されていた世界に対するオルタナティヴとして自身を提示した。自分の体に注目を集めるためではないが、スコットは自分の体に注目させた。「心や感情、魂や体を持った、本当に健康な女性がいて、彼女たちはただ自分たちと同じ素質を持った男性を求めているだけ」と彼女はデビュー・イヤーの最後にワシントン・ポスト紙に語っている。「私達は全員が全員5.9フィートではないし、巨乳でもない。本当のことを言えば、そんな女性なんていないんだ」

 『Who Is Jill Scott?』において、この歌手はベティ・デイヴィスの『Nasty Gal』のような溌剌としたファンクからミニー・リパートンの『Perfect Angel』のような柔らかなロマンスまでをひとつなぎにしてみせる。彼女は自身のソプラノ・ヴォイスに低音を入れ込み、その反対側でため息をつく方法を見いだした。愛とは相手に見つけるものであると同時に、自分自身に見つけるものでもある:「He Loves Me (Lyzel in E Flat)」は彼女の実生活のパートナーシップを記録したもので、共感しやすい恋の始まった頃の情熱や激しさを歌っている。「One Is The Magic #」では孤独を開放であると説いてみせる。「The Way」は女性がセックスを中心にして生活をスケジュールするという、このアルバムのハイライトである。彼女は男に会いに行ったクラブで偶然会った女友達にこう告げる:「ダンスフロアで踊っていたいんだけど/頭の中では他のいやらしくて突飛なことを考えてる/今夜はハイスコア更新」。愛やお互いが満足し合うセックスについてのスコットの物語は、パフィーのキラキラと輝くスーツ・ラップやチンコのデカさを自慢するロック・バンド、そしてテストステロンを武器とするボーイバンドによる不平等な快楽主義にたいするカウンターであった。

 そしてさらに、スコットは曲の中に普通の人々のイメージを入れ込んだ。愛を込めてお互いの生活を皮肉る友人たちの声、遊び場を走り回り手遊びをする子どもたち、ポーチに座ったりドミノに興じたりする老人たち、街角にたむろする若い男たち、隣人の窓に運ばれていく料理の匂い。『Who Is Jill Scott?』は音楽家の内的世界を聴手の生活圏内に置き、そこにはそれぞれの人生を生きる人々が溢れている。この作品はそんな彼女のコミュニティの社会的繊維を祝福するものだ。これはすれ違う時にかわされる会釈、通りを飛び交う怒鳴り声、そして世代が混ざり合う社会そのものなのだ。

 「A Long Walk」や「Gettin' In The Way」といった曲のビデオによってこのようなイメージは生命を吹き込まれ、スコットをアメリカのもう一つの側面の隣に住む少女にすることに成功している。後者のビデオはシャワーを浴びる男のショットで始まり―髪を編み込んだ、男らしい、深い茶色の肌をして、ずぶ濡れの男―スコットのカットに移る。スコットは赤いヘッドラップにボタンアップのデニムシャツというカジュアルな出で立ちである。

 ポップ・カルチャーにおける女性はずっと記号として扱われてきたが、黒人の女性に対するそれは更に固定化されたものだった:トリーナ、フォクシー・ブラウン、リル・キムといった人気のアーティストたちは下品だとレッテルを貼られ、マライア・キャリーデスティニーズ・チャイルドといったシンガーは高嶺の花のお嬢様、そして露出の少ない人達―ダ・ブラットやミッシー・エリオット―はセクシャリティに対する疑惑の目を向けられていた。エリカ・バドゥの内省ですらどこか他人事として見られていた。今日ではSZA、ジョルジャ・スミス、ナオ、ノーネーム、カーディ・B、そしてリアーナといった美しく才能のある女性たちが共感のしやすさという点で愛されている―他の黒人女性に対して直接語りかけるという点で。しかしディーヴァかヴィクセンか、コンシャスかポップか、フェミニストか健全であるか、といった二分法によって分断されていた90年代の文脈の中では、一人で同時にフェムで、性的で、黒人で、ソウルフルで、とっちらかっていながらも実験的である―もしくは単に市場でレモンを絞っている女性のようである―というスコットの能力は抜きん出ていた。

 ベビーブーム世代のヒップホップ・フェミニストたちに声を与えた2000年の著書『When Chickenheads Come Home To Roost』の中で、ジョアン・モーガンは「若い黒人女性の声全てを捉えようとすることは不可能である・・・この本だけではあなたに真実を差し上げることはできないだろう。真実とは、あなた方の声が堆積し隙間を埋め、コーラスのリミックス、リワークを施した時に起こること、そのものである」と書いている。『Who Is Jill Scott?』はこのようなたぐいの真実を提示するものである。「Gettin' In The Way」のような曲では父権制というものが女性感の関係性に与える害を明らかにしているが、それに先行する曲はスコットに更に微妙なニュアンスをにじませることを可能にしている。「Exclusively」はある女性が朝のセックスに浴し、オレンジジュースを取りに行くところの、ウトウトとした内面の独白であり、フェンダー・ローズとレイジーなドラムがその後ろで鳴っている。可愛らしい女の子がスコットの「女性としての直感、そしてある種の不安感」に火をつけ、彼女はスコットの匂いを嗅ぎ―スコットの朝の遊戯を調査するためだ―「ラヒーム、でしょ?」と聞く。そしてスコットは音楽が消えゆく中こう答える「そのとおり」。

 世紀の変わり目、フィリーは震源地となった。ザ・ルーツミュージック・ソウルチャイルドといったミュージシャンがヒップホップやR&Bの分野でオルタナティヴなアイデアを創始し始めていた。ビーニー・シーゲルはロッカフェラと絶好調。1997年には黒人女性・家族・コミュニティを支援する草の根イベントであるThe Million Woman Marchが数十万人もの人々を集めた。アレン・アイヴァーソンはシクサーズでプレイし、容赦ない彼のスワッグはスポーツメディアの度肝を抜いた。

 スコットはこのようなエネルギーを糧にしただけではなくそれを吸収し、彼女の音楽はエネルギーを持続させる一助となった。熱心なファンであればザ・ルーツの1999年発表の4作目『Things Fall Apart』のライナーノーツでジル・スコットという名前を知っていたことだろう。まだ有名になる前のスコット・ストーチと共に、彼女はこのフィラデルフィア出身のバンドの出世作となった「You Got Me」を作曲した。ストーチがスコットと会った際、彼女はフィラデルフィアのアーバン・アウトフィッターズで働いていた。二年後、彼らがザ・ルーツの曲を完成させ、スコットはフックを歌ったのだが、バンドのレーベルによって変更がなされた。当時のネオ・ソウル界きっての女皇帝であり、すでに大きなファンベースを築いていたバドゥがスコットに代わってフックを歌った(両者の関係は良好である)。この曲はグラミーを受賞し、ザ・ルーツはスコットをツアーに連れだし、「Jilly from Philly」ここにあり、とファンに知らしめたのであった。

 スコットは自身のコミュニティやブラック・アメリカに関する言説や意識に注意を向け、そのことが彼女の人間性と音楽性を決定づけた。彼女はヒップホップ、ジャズ、戦争賠償金、アブラハム教の文献、ソウルフード(とコラードの腸に対する働きについて)、著名で収監されていた活動家であるムミア・アブ=ジャマール、四散の概念化、市場に行くこと、夜遅くに電話することについて書いた。彼女の音楽はヘテロセクシュアルの関係や黒人男性に対する尊敬を中心においており、それは内面化されたミソジノワールクィアフェミニスト作家のモヤ・ベイリーが発案した用語で、黒人女性に対するレイシズムミソジニーが結びついたものを指す)であると議論する者もいた。しかしそのイメージやそれらの肯定は、歌唱に評価されているコミュニティや生き方が大事ではないということを意味しないし、「骨の髄まで孤独/昨日の夜には/あなたは私の家、私の身体の中に/私のドームの中にいたというのに」や「これまで自分のプライドを誰かの目を通して定義してきた/でも自分の内側を覗いてみたら、そこには自信満々に闊歩する自分がいた」といった率直な歌詞が若い世代の女性たちに訴えるものがないということでも決して無い。

 2001年の暮れ、スコットは「Words and Sounds」ツアーの模様を収録したダブル・ライヴ・アルバム、『Experience: Jill Scott 826+』をリリースした。比較的お行儀の良い作曲だったデビューアルバムの曲が、ビッグに、広がりを持ち、脱構築を経た楽曲になっている。そこで彼女は自分の声が持つ力やレンジをフルに発揮している。節回しに遊び心を加え、音節を伸ばしたり、スキャットをしたり、インプロをしたり、観客に歌詞を叫ばせたりしている。観客を彼女の内面の声、門にもたれかかり「良い一日を」と言ってくれる地元の人達として捉え、『Experience〜』でスコットは近所の人々の話し声や笑い声を再現している。彼女は観客に語りかけ、彼らはそれに応える。「Gettin' In The Way」のミュージック・ヴィデオについてこういう指摘をしている:「私達はナチュラルさをもった人間を自動的にポジティヴだと決めつけちゃうよね」と。観衆は野次を飛ばし、笑った。Jilly from Phillyは受け入れられた。だって彼女はいつだってリアルさを失わないのだから。

<Pitchfork Sunday Review和訳>T. Rex: The Slider

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T. Rex: The Slider Album Review | Pitchfork

点数:9.5/10
評者:Andy Beta

マーク・ボランのキャリアの絶頂にして、贅沢で完璧とも言うべき傑作『The Slider』

969年、マーク・ボランは『The Warlock of Love』と題した詩集を出版した。その頃には、マーク・フェルドとして生まれたこの男はすでにモッズ・ロック・バンド、John's Childrenのギタリストとして活動した経歴を持ち(わずか4ヶ月ではあるが)、その後フォーク・ロック・デュオ、Tysrannosaurus Rexへと注力を注いでいた。ボンゴ奏者のスティーヴ・ペレグリン・トゥックと共に、このグループは『My People Were Fair and Had Sky in Their Hair... But Now They're Content to Wear Stars on Their Brows(邦題:ティラノザウルス・レックス登場!!)』や『Unicorn』といったタイトルのアルバムをリリースした。ボランはだいたいステージ上で足を組んで座り、アコースティック・ギターを掻き鳴らし、後にプロデューサーのトニー・ヴィスコンティが彼をイギリス人ではなくフランス人であると思いこんでしまうほど激しい情動を声に込めて歌った。これらの努力も虚しく、彼がスターになることはなかった。しかしその詩集の最後の行に書いてあったことは、その後起こることを予見していたように読める:「かつて固く凍った水があったこの場所に/爬虫類の王、ティラノザウルス・レックスが立ち上がる/生まれ変わり、踊るのだ」

 そのまさに翌年、Tyrannosaurus Rexは生まれ変わった。T. Rexとしての最初のシングルで、ボランは立ち上がり、レスポールをプラグ・インし、ミッキー・フィンをトゥックと交替し、発音もはっきりと、落ち着いて歌うようになった。手拍子と、堂々と歩く闘鶏のようなギター・リックに後押しされ、「Ride a White Swan」は英国チャートで2位にまで上り詰めた。T. Rexは踊っていた。おかげで『The Warlock of Love』は4万部を売り上げ、ボランは売れっ子の詩人となった。

 T. Rexのセカンドシングル「Hot Love」が1位を獲得した頃、「Tops of the Tops」での演奏の前にボランは頬骨にグリッターを塗ることにした。サイモン・レイノルズが著書『Shock and Awe: Glam Rock and Its Legacy』で振り返っているとおり、そのパフォーマンスこそが「グラム・ロックの爆発を点火させた火花であり」、サイモンは「マーク・ボランの外見とサウンドに心が揺さぶられた。電気ショックでちぢれたような髪、ラメできらめく頬・・・マークはまるで全く別の世界からやってきた将軍のように見えた」と告白している。1971年の『Electric Warrior』はチャートで1位を獲得し、「Bang a Gong (Get It On)」がトップ10入りを果たしていたアメリカの地に乗り込む準備が整った。約2年間にわたる輝かしい年月の間、イギリスは音楽雑誌の呼ぶところの「T. Rextasy」状態に陥った。

 この変身は、どんなマジックを用いて達成されたのだろうか?諸説あるが、この写真がひとつヒントを与えてくれる。ボランはチャック・ベリーのTシャツを着ているが、フィンのシャツにはこうある:「コカインを楽しもう」。目もくらむほど大昔のロックンロール時代ほどにまでサウンドを削ぎ落とし、コカインの神経への刺激を愉しみながら、T. Rexはいきなり「ビートルマニア」以来の熱狂をもたらしたのだ。ヴィスコンティはボランの天才性を、彼がビートルズの影響を完全にスキップし、代わりに50年代に回帰する点に見出している:「彼はエルヴィス、リトル・リチャード、チャック・ベリーバディ・ホリーなんかを参考にしていたんだけど、それが彼の妙というか。そこが独創的だった」。

 1972年の3月にレコーディングが行われ、7月にリリースされた『The Slider』は、T. Rextasyの絶頂であると同時に、すぐそこにまで迫ったその次代の終焉をも暗示していた。フランスの打ち捨てられた城でレコーディングされたこの作品には、「グラムの王」としてのマーク・ボランの最盛期が克明に記録されている。1976年のナディア・コマネチ、80年代のプリンス、スヌーカーをするロニー・オサリバンみたいなものだ。T. Rexはその期間の間、なにか間違えることもできたのだ。

 だから、『The Slider』の一つ一つの手首の動き、一つ一つのダウンストロークには神が宿っている。ボランのノートに書き殴られた一行一行が、深遠なる神からの御宣託となった。そして、それが完璧なポップだろうが荒削りなものであろうが、すべてのカットがヴィスコンティによって綿菓子の中に巻き取られていく。そしてマーク・ヴォルマンとハワード・ケイラン(Flo & Eddieとしても知られる)によるバッキングボーカルは、鼻にかかった声がハーモニーとなり、新たな高みへと到達している。『The Slider』は自信にあふれるばかりにボランの自尊心で酩酊し、うわ言を言っているかのようで、低俗で勢いのあるリトル・リチャード風「ラッ・バッ・ブーン」や奇妙なマチズモ・ロック、霊妙なアコースティック・バラードなどを行き来し、ボランの歌詞は一行おきに深遠さと馬鹿馬鹿しさ、憂鬱とナンセンスを行き来するのだ。

 「Metal Guru」の爆発的なギターと、ボランの感傷的な「Mwah-ahah-yeeeah」という叫び声でアルバムの幕が上がる。これはイントロダクションであり、お祝いの掛け声であり、ヴィクトリー・ラップである。やがてヴァースは奇妙な地形の上をウロウロと回り道することになる:シュールレアリズム的な家具(「甲冑でできた椅子」)、ロックンロールで使い古されたクリシェ(「ぼくのベイビーを連れてきてくれよ」)、早口言葉(「just like a silver-studded sabre-tooth dream」)。膨大な量の無意味さである。

 ジョン・キーツバイロン、パーシー・ビッシュシェリーなどの同郷の詩人や、J・R・R・トールキンルイス・キャロルのような空想的な作家たちにインスパイアされ、ボランはキャリアの最初期から奇妙で、掴みどころのない単語を組み合わせるやり方を見つけていた。ボランが無名なヒッピー・フォークのアンダーグラウンドからメインストリームなポップスターに成り上がり、妖精の代わりに自動車を使うようになっても、彼は自身の歌詞のムードを変えなかった。70年代がはじまり、ロックとポップの間のギャップが広がりだしたこの時期、ボランはジャンルの間の境界線をぼかそうとしていた。もはや捨て曲が多く入ったフル・レンス・アルバムでは満足できず、代わりに45回転シングルの簡潔さを好んでいたT. Rexの最良の曲たちは、まるでハード・キャンディーのような衝撃を聴くものに与えた。噛みごたえがあって、口が溶けるほどに甘くて、ちょっと現実のものとは思えない感じがするのだ。

 それでも、彼は自分のルーツであるフォークを捨てはしなかった。「Mystic Lady」は甘く、繊細なアコースティック・ナンバーで、麻で身を包んだ魔女に捧げられた一極である。かき鳴らされるアコースティック・ギターヴィスコンティによるロマンティックなストリングスが一筋の風を吹かせる。ある一節には、クリシェと衝撃的なシュールレアリズムが並んでいる:「ぼくの心を苦しみで満たして/ぼくのつま先を雨で浸して」ボランの食いしばったような神経質な声が、その直感的な感覚を引き出している。

 70年代のヴィスコンティはのちにボウイやシン・リジーのようなアイコニックなアルバムをプロデュースすることになるのだが、このアルバムですでに彼の黄金のようなタッチが聴こえてくる。3分間のどんちゃん騒ぎのような「Rock On」では、彼はブギウギ・ピアノ、オーバードライブ・ギター、跳ねるようなスネア、Flo & Eddieの輝かしくグロテスクなハーモニー、フェイザーフランジャーをかけたサックスを一緒くたに織り込み、星屑の筋を作り上げる。

 『The Slider』の中でも弱い曲たち―「Baby Boomerang」や「Baby Strange」はタイトルが示すとおり幼稚である―でさえ、ヴィスコンティの手によって昇格されている。「Rabbit Fighter」のストリングス・セクションは、その熱い空気感によって何よりも力強いアンセムを作り出している。同様に印象的なのは「Spaceball Ricochet」のような残り物のような曲が完全に換情的になっている点である。「Ah ah ah/Do the spaceball」という歌詞は書かれたときにはなんの役割も意味もなしていなかったが、格式高いチェロと、ボランの息継ぎとFlo & Eddieの奇妙な伴奏によって、この無意味な散文はアルバムの中でも一、二を争う神秘的な瞬間を作り出している。

 「Chariot Choogle」は(A面の「Buick Mackane」もそうだが)ヘヴィなギターと酩酊感のポリマーである。ラグビー選手の吠える声のような粗暴な歌詞の中にも甘美な部分がある:「ガール、君はグルーヴだ/君が踊る時、それはまるで天体のようだ」。これはT. Rexというバンドがブルース・ロックの超男性的な側面を背負いつつ、それを軽いタッチの、両性具有的なものに置き換えてしまったことを明らかにしている。レイノルズはそれを「コック(男性器の意)・ロックがコケティッシュ・ロックになった」瞬間だと語っている。12バー・ブルースのタイトルトラックでの、ボランの「そして俺は悲しい時、滑り落ちていく」という告白はフェイザーのかかったストリングスやボーカル、シェイカーやシューという摩擦音も相まって、めまいのような、ASMRのような感覚を誘発している。他の場所ではボランはスライダーというのは「セクシャルなグライダー」だと歌っているが、アルバムのプロモ用の広告では「生きるべきか、死ぬべきか、それがスライダーだ」と問いかける。何度も聞き返したが、私にはこのタイトル名詞、あるいは動詞が何を意味しているのかわかっていないことを告白する。

 今考えると、ボランがそこまでうぬぼれている状態というのは想像し難いのだが、イギリスにおいてT. Rexという名前がビートルズストーンズといったバンドと同じくらいの意味合いを持っていた時代というのがあったのだ。実際には会ったこともないボブ・ディランを「ボビー」と呼びアルバムの中で何度も言及するなんていうことができる人物が彼以外にいるだろうか?彼の虚栄心の塊にような映画『Born To Boogie』をビートルズのメンバーに取らせることができる人物が?同じステージ上でエルトン・ジョンを食っちゃう事のできる人物が?そして友でありライバルでもあるデイヴィッド・ボウイが『Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』でやっとチャート・インを果たした時、ボランはトップ30に3枚ものアルバムをチャートインさせていたのである。

 しかし、最後に笑ったのはボウイだった。Melody Maker誌やNew Musical Express誌の読者投稿欄ではボランが好きか嫌いかで戦争が行われていたが、『The Slider』は首位を逃し4位にランクイン。彼の支配は終焉を迎えたのである。彼はあと2つヒットを放ったが、どちらも1位に輝くことはなかった。1973年という年は、ボランが人生において最後にトップ10に曲を送り込んだ年となった。イカロスよろしく、崖から飛び降りたのだった。

 バンド名とのヴォルマンは「彼はロックスターの中でも最も巨大なエゴの持ち主だった。彼の中ではマーク・ボランよりもすごい人なんていないんだ」と語る。「Hot Love」Flo & Eddieのファルセットのコーラスがボランに最初の成功の味を教えたことは偶然ではないように思える。しかしFlo & Eddieはボランのナルシシズムに嫌気を指したのも最初であり、次作『Tanx』の前にバンドを脱退している。ドラマーのビル・レジェンドがそれに続き、ヴィスコンティは『Zinc Alloy and the Hidden Riders of Tomorrow』のあと、あっさりとプロダクションの責任から開放されてしまった。その年のうちにミッキー・フィンも去ってしまった。マーク・ボランが交通事故でなくなった1977年には、彼はすでにボウイの存在によってかき消されてしまっていたのだ。

 しかし、『The Slider』のジャケット写真を一目見るだけで、ボランの残したレガシーは今日も息づいているということがわかる。ある者はそこにスラッシュのアイコニックな外見の元祖を見るだろう。小柄なボランがキラキラ光るハイヒール・ブーツを履いてステージ上を両性具有の妖精のように歩いているのを見れば、そこには同じく小柄で実際にも大きく見えるプリンスのようなロックスターが参考にしたことが見てとれる。21世紀に入り、ロックバンドが過剰な装飾を削ぎ落としても、ボランのDNAはザ・ホワイト・ストライプスブラック・キーズといったアーティストの中で芽吹いている。ギターがなくたって、ミレニアム世代のダンスプロデューサーたちも目指すところは同じで、SuperpitcherやMichael MayerMatthew Dearといった後進たちが、キラキラと光るグラムに立ち返っている。

 イギリスにおけるグラムの誕生を請け負いつつも、レイノルズはT. Rexはロック・レガシーにしては「気まぐれすぎる」と主張する。『Ziggy Stardust〜』には一貫した物語があり「クラシック・アルバム」の地位に上り詰めたが、『The Slider』は我々の理解を永遠に拒むのである。その謎を謎のままにしておくために、ボランの曲は先人たちの曲を見習い、「Wang Dang Doodle」でもジャバウォックの詩でもやってしまうのである。そんな「なぞなぞ」めいたやり方で、ボランはいつだってブギーのために再生するのだ。

<Pitchfork Sunday Review和訳>Janet Jackson: Damita Jo

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Janet Jackson: Damita Jo Album Review | Pitchfork

点数:7.8
評者:Rich Juzwiak

再評価にふさわしい、豪華で、ずば抜けてセックス・ポジティヴなアルバム

ャネット・ジャクソンがジャケットで見せている、チェシャ猫のような笑みに騙されてはいけない―このアルバムはある意味で悲劇なのである。このアルバムは、まるで数時間後に死亡事故に逢う最愛の人との他愛もない会話のように、思わぬ重さを持ってしまっている。始まろうとする愛の表現として意図されたものは、多くの目には不快で恥ずかしいものになってしまった―ジャネット・ジャクソンがある一線を越えてしまったあとに、さらにその先にまで行ってしまったことの証明である。

 2004年のスーパーボウル・ハーフタイムショー―例の乳首事件が起こった―の直後にリリースされたこともあり、『Damita Jo』は、あの世界的に愛されたアーティストのキャリアを揺るがしてしまったほどの暴落にどうしても結び付けられてしまう。彼女の『Greatest Hits』には本当にグレイテストなヒットが収録されるほどの、商業的なピークにおいて、である。一夜にして、ジャネットは「普通の人」から「奇人」ジャクソンになってしまったのである。

 しかし、『Damita Jo』はその状況の単なる被害者であるばかりではない。これは騒動へのレスポンスでもあったのだ。恥を恐れないセクシュアリティで溢れかえったこの作品は、ジャクソンの作家性(例のスーパーボウルでのパフォーマンスも含め)の中にすでに充満していた官能性をあからさまに倍増させた。ジャクソンはこのセックスの愉しみに関する瞑想を拡大していくことを抑えることだってできたはずだ―2004年1月の半ばに放送された「MTVニュース」を読むとスーパーボウル後にもまだ数週間、彼女にはアルバム制作時間が残されていたことがわかる。しかし、そのかわりに彼女は自分のヴィジョンを描ききった。「問題になるだろうからと、いくつかの曲をアルバムから外すよう求めてきた人もいた。でもそうすると自分自身のあり方を変えてしまうことになる。そんなことはたとえ誰のためであろうとやらない」と、ジャクソンはアルバムリリース日の翌日、「Good Morning America」で語っている

 ジャクソンは真っ向から戦うのではなく、子守唄を歌うべきだったのかもしれない。『Damita Jo』のリリースのタイミングで行われたほとんどすべてのインタビューでスーパーボウルの話題が持ち上がり、ジャクソンは明らかに不快そうだった。しかも魔の悪いことに、彼女の身体に脂が乗っていたのは明白だった。ジェイ・レノはキスを請い(「よかったよ・・・君の得意分野だ」とキスのあとに言った)、イギリスのトークショーの司会ジョナサン・ロスは「なんて可愛い顔をしているんだ」と述べデヴィッド・レターマンは普段は毅然としているジャクソンを激怒させるほど問い詰めた。10分間ものスーパーボウルに関する質問を受けたあと、彼女は「私の胸に注目してほしいわけじゃないから、なんか他のことは話せないわけ?」と言い放った。

 近年、ブラック・ツイッター(訳注:アフリカ系アメリカ人たちの、ツイッター内でのヴァーチャル・コミュニティ。#BlackLivesMatterや#HandsUpDontShootなどの運動の中で一定の役割を果たしている)や、ジャスティン・ティンバーレイクが2018年のスーパーボウルでパフォーマンスするというどう考えても癪に障る決断によって、ジャクソンのキャリアは批評的な再評価がなされてきた。リスナーたちには無視され、批評家たちには適当な聴かれ方をした『Damita Jo』はジャクソンの作品の中でも拭うことのできないシミであり、如何に強者が没落していくかを量的に示した一連の商業的失望の第一歩である。

 しかし『Damita Jo』は我々の関心や正義を受けて当然である。それは単に評価を修復するということだけではなく、メインストリームの場―スーパースターが所属するメジャー・レーベルの、高い期待寄せられたアルバム―における具体的なセクシャリティの描写という点でずば抜けているからだ。

 『Damita Jo』は新しく築かれた人間関係においてセックスが担う決定的な役割についての探求である。これは除菌されたメインストリームのポップカルチャーが若い恋愛を描く際に虚飾されてしまう基本的な真実である。付き合いたてのカップルはたくさんセックスをするという単純な事実を検証した芸術は―大島渚の1976年の映画『愛のコリーダ』やギャスパー・ノエの2015年の作品『Love』のように―悪名高い遺産を残すことがよくある。『Damita Jo』はアルバムのリリース時でジャクソンが1年半ほど付き合っていたプロデューサーのジャーメイン・デュプリとの関係に着想を得たものである。

 「これは愛についてのアルバムだ」とジャクソンはライアン・シークレストに答えている。そして、このセリフはこの時期多くのインタビューで繰り返されている。これを昼間のテレビ用の方便であると捉えることもできるし、文字通りに捉えてもいい:『Damita Jo』が愛というテーマを下敷きにしているのなら、セックスについて率直に話し合うことが必要不可欠なのである。愛に焦点を当てることは、セックスを漂白することではなかったのだ:それはセックスを文脈の中で語るということなのである。あるいは当時多くの評論家が言ったように、レコードを多く売るために挑発的になっているのだ、ということもできるし、長い間リスナーから信頼を得てきたアーティストを信頼するということもできた。「セックスは売れるって多くの人が知っているし、彼らはそれを利用したんだと思う。でも私にとっては、セックスっていうのは本当のことに思えた。私の友達に聞けば、セックスは私の人生の大きな部分を占めているって教えてくれるはず」と彼女はBlender誌に語る

 ジャクソンによる事実に基づいたセックスのプレゼンテーションは、アメリカが生まれつき持っている清教徒的風土にあってはラディカルであると受け止められた。『Damita Jo』やそのひとつ前の2001年の『All for You』(ジャクソンが9年間を共にした元夫、レネ・エリゾンド・Jr.との破局直後に制作)で書かれ、歌われているセックスは、結果など気にせずに提示されたものであった。ファンタジーの中でも最上級のファンタジー、メタ=ユートピアがあり、そこでは女性やスーパースターは自分自身を完全にさらけ出すことができ、更にそれでいてそれを恥じる必要がない。ジャクソンという、何十年も自分のベッドに聴き手をいざなってきたアーティストが可もなく不可もなく、平凡なミッドテンポなR&Bを使って微妙な命題を伝えようとしたことは、子作り用の音楽で溢れたこのジャンルにおいて、ヘイターたちを納得させるには間違いなく不十分である。(訳注:この一文だけどうしても意味が取れませんでした・・・。)

 ジャクソンが『Damita Jo』と引き換えに思い出させてくれるセックスというものは、楽しいものであると同時に彼女の存在にとって非常に決定的な概念である。「映画にも出るし、ダンスもするし、音楽もやる/何かをするっていうのが大好きなんだ」と彼女はタイトル・トラックで歌っている。この曲の推進力のあるコーラスでは、まるで70年代のシットコムのテーマソングのように上昇するホーンの音に導かれて始まる。『Damita Jo』においてセックスはクラブの隅っこで見つけられたり、古きハリウッドから脱出するための婉曲表現として飾り立てられたりする。カニエ・ウェストがプロデュースに参加している「I Want You」では、B.T. エクスプレスによる「Close To You」のサンプルの上で彼女は「好きにして」と甘くささやく。このサンプルはピッチがかなり上げられているので、ストリングスはまるでダグラス・サークの映画の音楽のような凄まじく感情的な音色になっている。

 ここでは、ジャクソンにとっては歓びというものが原理となっている。彼女の歌は、欲望の対象については多くを語らない:これらは愛そのものに宛てられたオードなのである。これらの歌はジャクソンを中心に据え情熱のための情熱、セックスのためのセックスを訴える。このことは「Warmth」や「Moist」のようなオーラル(・セックス)組曲において最も明白になる。前者では駐車した車の中でフェラチオをすることを熱を込めて語っており、ジャクソンは口にペニスと思しきなにかが入った状態で歌っている(2009年、『Discipline』のリリースタイミングでのインタビューにおいて彼女は確かに「口の中に何かを入れて」レコーディングを行ったことを喜んで認めた)。「Warmth」は歌というよりはサウンドスカルプチャーに近いものであり、ちょっと弱いサビと同じくらい、うめき声や喘ぎ超えが重要な役割を果たしている。「これは私のターン」と彼女は「Warmth」の結末でささやき、オーラルセックスを受ける側に回る「Moist」へと流れ込んでいく。

 2曲は合わさってこのような場合における「能動的」と「受動的」な役割を構成していると同時に、ジェンダーに関係なくオープン・マインドなセックスがもつ汎用性のようなものを強調している。ジャクソンは自らを「ボトム(訳注:セックスにおいて服従的な役割を担う人。Mということなのか、ゲイ用語で言う「ネコ」のことなのかは不明瞭)」であると公言している―2004年6月、ニューヨーク・プライド・フェスティバルにおける「The Dance on the Pier」でヘッドライナーを務めた彼女は集まったゲイの男たちに向けてそう言ったと言われている。しかし彼女のリリックを見るに、ジャクソンが特に「パワー・ボトム(訳注:これはゲイ用語。「される」側でありながらセックスにおいて主導権を握ること)」であることは間違いない(彼女が見知らぬ男のナニを見て、すぐさま「私だけって言って」と懇願する「All For You」における彼女の推察の仕方は、完全に彼女の正体を暴いている)。

 『Damita Jo』は黒人女性によって著されたメインストリームのエロティカである点だけではなく、それが暗闇や恥にまみれていないという点でも特異であった。ジャクソンの1997年の名作『The Velvet Rope』は我々をボンデージ・プレイを行うダンジョンに放り投げるようなものであったが、『Damita Jo』は一転して概してアップビートである(音楽がアップテンポというわけではないが)。彼女のキャリアの中でも最もR&B的なサウンド(ジミー・ジャムとテリー・ルイスによるプロダクション/作曲チームに依るところが大きい)によって、『Damita Jo』は明るく涼しげな雰囲気を持っている。島を想起させるような曲もいくつかある。そう、その島というのは人々がファックする島である。

 前述したアルバム・カバーで彼女が浮かべている笑みは、トム・オブ・フィンランドが肉感的な絵画で描いてきたような、ありえないくらいの巨大な男たちの余韻である。自分たちがしたセックスの一秒一秒を愛するような、そんな笑み。歓びとパワーに溢れた「ボトム」の話をしよう。高名な伝記作家デヴィット・リッツによるUpscale誌のインタビューの中で、彼女は自分がセックスに取りつかれているのではという憶測を取り上げ、こう言った。「『取りつかれている』というのはなんだか断定的な言葉に聴こえる。セックスについては、私はあらゆる断定を窓から投げ捨てようとしている」

 しかし、内部からの恥がないことは、外部から見ても恥がないことを保証はしない。『Damita Jo』には確かに好意的なレビューもあったが(有名なところではBlender誌で4つ星をつけたアン・パワーのものが知られている)、多くの批評家(その大抵は男であったが)がこの作品に当惑し、うんざりした。ニール・ストラウスはRolling Stone誌に『Damita Jo』は「気張りすぎてるきらいがある」と書き、Whashington Post紙のデヴィッド・シーガルはこのアルバムには「自暴自棄な雰囲気が感じられる」と言った。Entertainment Weekly紙で、デヴィッド・ブラウンはジャクソンが「セクシーで挑発的であろうと気張るあまりに、結局どちらにもなれていない」と言った。アレクシス・ペトリディスによる一見好意的なレビュー(「その結果は驚異的なものである」)でさえもこのアルバムの「歌詞における偏執狂」を取り上げている。「彼女は『doing it』や『coming』と言った語句を使ってうんざりするほど言葉遊びをしており、それはまるで発狂した14歳の少年のようだ」と。

 今日において『Damita Jo』がセックス問題を抱えていないことは明白であるが、一つだけ特殊な問題を抱えている。「R&B Junkie」のようなすばらしいトラックにはあまりメッセージが込められていない―それはジャクソンがラテン系のように踊ること、キャベツ・パッチ(訳注:80〜90年代に流行したダンスの一種)、エレクトリックスライド(訳注:これもダンスの一種)、Voughan Mason & Crewの「Bounce, Rock, Skate, Roll」・・・などなどを引用する、オールドスクールR&Bに対する漠然とした賛歌である。(言うだけ野暮かもしれないが、Evelyn "Champagne" Kingの至高のブギー・クラシック「I'm In Love」を引用して曲を作ったのは、ジャクソン自身がR&Bジャンキーであることの証明である)

 下品な論説を伴うということは、ジャクソンがそれまで公にしてこなかった面―つまり、大胆不敵なダミタ・ジョー(彼女のミドルネーム)と、誰とでもヤッてしまうストロベリー―を提示するという点で『Damita Jo』における明白なテーマである。しかしこれらのキャラクターはいささか軽快なタッチで描かれている。たしかに彼女のアルバムがここまでセックスにフォーカスしたことはなかったが、彼女に注意を払ってきた者ならだれでも、彼女がそれまでの数十年にも渡ってヤリマン女だったことは知っていた。そして、彼女が遡ること1986年に「私のファースト・ネームは「baby」じゃない/ジャネットっていう立派な名前があるの/ミス・ジャクソンとお呼び」と吐き捨ててからというもの、そのことを改めて考える人はいなかった。では、『Damita Jo』はいかに我々のジャネット・ジャクソンに対する理解度を高めたのだろう?はっきり言って、このアルバムにはそんな効果はないのだ。

 実は、これらのキャラクターは答えよりも疑問を我々に投げかける。このアルバムにはジャクソンが伝えていないことを伝えているというライトモチーフがある:「私にはもう一つの一面がある/それは隠していない/でも見せはしないけどね」と彼女はタイトルトラックで歌う。アルバムは告白のアルバムであると宣伝されていたので、聴いたとしても新しい情報はないと、騙されたと感じて聴くのを止めたくなるかもしれない。しかし、9年間の結婚をそれが終わる時になるまで秘密にしていた(『The Velvet Rope』のプロモーションの際にオプラに嘘をつくということをしてまで)エンターテイナーとしては、彼女自身のナラティブに関して好戦的であるのは一種の表現である。これらの仮面やキャラクターというのは彼女の違った側面を照らし出すためではなく、むしろ彼女が手放したくないものを守るためのものなのだ。

 それでも、そんなことは彼女の愛嬌のあるデリバリーを聞けば気にならないものだ。ジャクソンは技術的な面では素晴らしい声の持ち主ではないが、素晴らしいシンガーである(その点では、クリスティーナ・アギレラはそのちょうど真逆である)。彼女は美味しそうに曲を飲み込み、確信を持ってパフォームをし、明らかに限られたレンジの中で優しさの無限のパレットを持っているようだ:クスクス笑い、呻き、囁き、猫のような声、小鳥のさえずりのような声。彼女のリズムの感覚は敏捷で、それによってビートの周りでボーカルが跳ね回る。彼女は教会の屋根を吹き飛ばすほどのパイプの持ち主ではないが、非常に器用なパフォーマーである。彼女、ジャム、ルイスの三人が彼女の限界をどうしたら拡張できるかを知っているため、彼女のメイン・ボーカルを幾重にも重ねたハーモニーにもたれかからせるのである(甘美な「Truly」を聴いてみると良い)。彼女の声には美的な力は備わっていないように思えるが、伝統的な「歌の巧さ」を超越することができる理由は、「全能のパワー」以外にあり得るだろうか?

 『Damita Jo』のシングルはひとつも国内のトップ40にチャートインしなかったが、ヒットが少ないことでかえって、我々は今日この作品を聞いても余計な文化的付録に惑わされることなく、一つの声明として聴くことができる。(それは、たとえ「Truly」や「Island Life」ほどの至高の作品が無視されていても、ポップカルチャーに公正さを履行する義理はないということも思い出させてくれる。)ジャクソンが普通の人間であり、セックスのような普通の人間がすることを普通にするというステータスを頑として表明したこのアルバムのリリースが、彼女の商業的な不振とたまたま重なったことはテーマ的な宿命であるように感ぜられる。『Damita Jo』の中で―意図として、そしてその遂行において―明白に提示される人間性は、愚鈍なマーケティングの観点とは逆に、究極的には人間の本来の機能・欲望の一部として性的な内容を売った。曲と曲の間には彼女のトレードマークとも言うべきインタールードがあり、そこで彼女は湿気、ウナギ、夕暮れ時、そして音楽に対する愛をぺちゃくちゃとしゃべる。彼女は人生とは部外者には無関係に思われるようなディテールにこそ価値があるということを知っている。『Damita Jo』の中には勝利、悲劇、そして死の運命と言った気配が、まるでジャクソンの笑顔のように広がっている。彼女は言う、生まれたまんまの真っ裸でここにいるけど、乗るか乗らないか、どうする?と。多くの人々が乗らなかった。そしてそれは彼らの敗北であった。

<Pitchfork Review和訳>Chai: PUNK

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pitchfork.com

点数:8.3(BNM)
評者:Sophie Kemp

日本の4人組の2枚目のアルバムは、大胆不敵なフェミニストのメッセージが乗った、熱狂的で何もかもが過剰なポップに捧げられている

下の歌詞について考えてみてほしい:「ピンクのおしりは my charm/トゥインクル ジュエル パール プリンセス トワイライト!」そして次にミックスに少しきらめきをふりかけてみよう:ほんの少しだけボーカルにディストーションをかけて、複数のシンセのラインをねじ込んで、最後には面白半分で4つ打ちのドラムなんかも足してみよう。これで「I'm Me」、Chaiの甘〜いバブルガム・ポップのできあがりである。Chai。4人組のディスコ・パンク・バンドであり、様式化された共同生活を送り、おそろいの衣装を着ながら、日本という国における美しさや可愛らしさの機能の仕方を動揺させようと熱望するバンドである。

 名古屋を拠点とするこのバンドの2枚目となるアルバム、『PUNK』はとんでもないくらい思い切った作品である。現在のインディー・ロックのトレンドはヘヴィな音で、喪失や切望を歌うことである。しかしChaiは楽しみのためにイエスと叫ぶバンドであり、『PUNK』は自分でいること、友達を愛すること、そして自分の生き方にたいして周りがどう考えようと気にしないということについて真剣に書かれた作品である。「I don’t know about the world but I know me/I don’t hide my weight(世の中については知らないけど、私は自分のことはわかってる/体重は隠さない)」とボーカリストのManaは「I'm Me」の中で繰り返す。『PUNK』にはこのような大胆不敵なフェミニスト的ソングライティングが満載である。エンパワーメントがダサいのだとしたら、Chaiの女性たちはダサくあることを選んでいるのだ。

 ブログ・ハウス平穏な時代と、Lizzy Mercier DesclouxTom Tom Clubのようなダウンタウン・ニュー・ウェイヴ勢の恍惚とした楽しみ。Chaiはこの二つから等しく影響を受けている。楽しい物事がぎゅうぎゅうに詰まったこの30分のアルバムの中では、息継ぎをするのも難しい。例えば「GREAT JOB」を例に取ってみよう。この曲は田舎のアーケードで一段と光り輝く「ダンス・ダンス・レボリューション」から流れてくるような音楽に聴こえる。スロット・マシンの勝ちの演出が光り、シンセはまるで車のクラクション、ボーカルはトラックの内部で、まるで音質の中で受粉するためにうじゃうじゃと群れているミツバチのようにガヤガヤと叫びまわる。「ファッショニスタ」はネオンで光り輝くギターのオーバーダブでガンガンと突き進んでいくが、その一方で産業的な「かわいさ」の資本主義的衝動について大真面目に語っている。「Too much メイク/リップとアイブローだけで all set/ツヤのある yellow skin/これ以上はない」が象徴的なラインである。マーチングバンドのような15秒間のループによって構成されるポスト・パンク・トラック「THIS IS CHAI」では、彼女たちは人間の声の歪みや崩壊のエフェクトを探求している。これらの曲のノイジーなレイヤーを聴くと、ホイップクリームの缶が圧力で膨張して爆発する光景を思い浮かべてしまう。

 Chaiがやっとその勢いを緩めかかるのが、愛する人たちと新年を迎えることを歌う星のようなポップ曲「ウィンタイム」である。ベットリとしたようなシンセの音が印象的だ。バンドがアルバムの中で最も控えめな雰囲気にシフトチェンジすると、その歌詞世界は深い宇宙へと旅立つ。「冷たい空には/欠けてる月が笑うよ/まぶしいくらいに」と4人は歌う。単なる友情の歌であるにとどまらず、「ウィンタイム」は幸福が夜空に浮かぶ惑星を退行から抜け出させる力を持っている、そんな未来を描くのだ。

<Pitchfork Sunday Review和訳>Fiona Apple: When the Pawn...

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pitchfork.com

点数:9.4/10
評者:Judy Berman

フィオナ・アップルのセカンドアルバムには、彼女の魂と感情の深さを物語るダイヤのように研ぎ澄まされたソングライティングが詰まっている

ィオナ・アップルが書くことを始めたのは、両親との話し合いをより効率的に進めるためだった。問題児扱いされセラピーに通わされていた子供として、彼女はそのような争いごとにおいて自分の置かれている立場を大人たちに知ってもらうことに苦労していた。「だから私は自分の部屋に戻って手紙を書いたの。一時間ほどして部屋から出てくると、『これが私の気持ちです』ってその手紙を読んで、また部屋に戻る」と、アップルは1999年、ワシントン・ポスト紙のインタビューに答えている。「議論において、相手の目の前に自分の立場を置く感じが好きだった。手紙を書いたら、その議論で勝たなくたってよかった」

 この点において、そしてその他の多くの点において、彼女は早熟だった。そんな、議論において意義を申し立てるのと同じ衝動によって、この偉大なアート作品は作られた。無視を決め込もうとする大人たちに異なった世界の見方を見せつけるため。そのオーディエンスがたとえ二人だろうと、300万人―アップルの1999年発表のファースト・アルバム『Tidal』の場合―であっても。この驚くべきデビューアルバムには移り気な恋人やレイピスト、アップルが若くて小さな女性だからといって眼中に置かないような馬鹿者たちに対するアンサーが込められていた。ヒップ・ホップファンである彼女はボースティングの持つ力を理解していた。この無愛想さをもって、『Tidal』は誤解されていることにすでに慣れている者からの先制=自己防衛としても機能したのだ。

 新しいファンの多くはアップルよりも若い女性だったが(アルバムリリース時彼女は18歳だった)、彼女の個人主義的で溌剌としたメッセージを本能的に理解した。しかし彼女のあけすけさは、マスコミからの批判を招いてしまう:1997年のVMAアワードでの「この世界はクソだ」スピーチはエンタメ業界が認めたくはなかった領域にまで踏み込んだセレブリティ文化に対する分析だった。しかしこのスピーチは尻切れトンボのようでもあり、彼女が弁の立つ演説者というよりはやはり雄弁な物書きであることを示してもいる。彼女が2枚めのアルバムに向けて曲作りを始める頃には、アップルは以下のような評判を獲得していた―ビッチ、生意気なガキ、ヘロイン漬けの野良女、拒食症の疑いあり、そしてニューヨーク・タイムズ紙によればTVでは「ロリータ風のパーティー田舎娘を演じている」が、コンサートでは「枯れかけたスミレ」のようになるパフォーマー。この様な評判を彼女は振り落とすか、少なくとも彼女自身の言葉で再定義しようとしていた。

 『When The Pawn...』は一見、障壁のある恋や不健全な欲求を解剖するような10篇の曲群で、常に自分との戦いを強いられている間はロマンティックな関係は保つことができないことを力強く訴えているように見える。しかし、歌詞の多くの部分でアップルが呼びかける「you」というのは必ずしも単数形ではない。女性シンガーソングライターというのは総じて私小説的であると考えられているが、アップルは常々、作品の曲はひとつも特定の、個人的な出来事から作曲されていないと主張してきた。彼女は単に、この嘲笑的で批判的な世の中に対してべらべらと喋っているに過ぎないのかもしれない。

 彼女が内省的ではなく、もっと外を意識していることの第一の手かがりは、彼女がアルバムタイトルに選んだこの90語のポエムである。

When the Pawn Hits the Conflicts He Thinks Like a King What He Knows Throws the Blows When He Goes to the Fight and He’ll Win the Whole Thing ’Fore He Enters the Ring There’s No Body to Batter When Your Mind Is Your Might So When You Go Solo, You Hold Your Own Hand and Remember That Depth Is the Greatest of Heights and If You Know Where You Stand Then You Know Where to Land and If You Fall It Won’t Matter Cuz You’ll Know That You’re Right

(戦場に赴く歩兵は王様のように考えるの/戦いの中では知識こそがとどめをさせるから/そして彼はリングに上がらずとも/既に勝利を手に入れているわ/知性を武器にしたとき/叩きのめす相手など存在しないのだから/だから独りで歩き出すときには自分を信じて/自分を深めることだけが、頂上へと導いてくれるのだと覚えていなさい/そして自分が何処に立っているかを分かっていれば/何処に向かえばいいかも分かるはず/もしも途中でつまずいたとしても、大したことじゃない/だってあなたの中にこそ"真実"はあるのだから[訳:新谷洋子(日本盤ライナーノーツより)

 当時は注目を集めるための無意味な戦略だとして無視されていたが、このポエムは、世間に流布している良くない評判によって笑いものにされ、それから身を守ろうとしている傷つきやすい人間に対する激励演説として、実はかなりわかりやすい部類である(たしかにスポーツのメタファーがいくつも混在してはいるが)。1997年のSpin誌の表紙特集に対する読者の反応を読みながら、アップルはこの詩をツアー中に作った。その特集の中にはテリー・リチャードソンによる写真が掲載されていたのだが、そのキャプションにはいやに感情的な身体的描写があり、その中で彼女はうぬぼれた、芝居がかったいやな奴と描写されていたのだ。「ツアーバスで座っていたらビョークが表紙のSpin誌が置いてあって、拾って読んでみると私の特集に対するひどい読者投稿がたくさんあった『あいつはこの世で一番むかつく存在だ』などなど」と彼女はPost誌で回想する。「すごく動揺して、泣いた。どうやって自分を続けていったら良いのか、どうしたらこの状態から回復することができるのかわからなかった」

 しかし彼女は彼女自身を貫いた。遠慮のない自己分析で、世間のイメージをはねのけたのだ。1999年11月9日にリリースされた『When the Pawn...』は、唸りを上げる魂が目の細かい櫛で自らを解いているところをとらえたオーラ写真のような、よく作られた自画像ではない。1曲目の「On the Bound」において、ナレーターの幸福への不信感はすべてを飲み込んでしまうようなロマンスを脅迫する。「A Mistake」ではシンバルとシンセの低音がサイレンのサンプル音を使わずとも緊急事態を示唆し、アップルの告白の声が切迫感を増す。「私は大した好みを手に入れた/それはよくできた間違いをすること/間違いを犯したい/なんで間違いを犯しちゃいけないの?」しかし、自己破壊的なロックのクリシェとして始まるこの歌は、誠実さや凝り性というパンク的ではない性質についての嘆きに変わっていく。「私はいつも私がやるべきだと思ったことをやっている/大体いつもみんなにいいことをしている/なぜ?」

 『Tidal』における「Sleep to Dream」や「Never Is A Promise」のような虚勢には、彼女の強烈さが他の曲に与える影響に対するアップルの鋭敏な理解が見て取れる。そしてこのテーマがシングルにおいてよく扱われているのは単なるまぐれではないように思える。ひきつったようなシンコペーションの聴いた小曲が彼女のスモーキーなアルト・ヴォイスの敏捷さを際立たせる「Fast As You Can」は「あなたは自分がどれだけ狂っているか/そして私がどれだけ狂っているか知っているつもりなんだ」とご立派に冷やかしてみせる。これは恋人への警告として、そしてアップルのデビュー時におけるパブリシティを通じて彼女に向けられた中傷―それは有史以来のわがままな女性アーティストを払いのけるための中傷だった―として二重の意味合いを帯びる。これは精神疾患に関する描写の正統性についてポップ・カルチャーが真剣に考え始める何年も前だったが、この曲は彼女の内面の葛藤を決して負かすこともなだめることもできない獣(けもの)と身体を分け合うことになぞらえており、その闘いを「内側で萌芽すること」と描写している(2012年に、アップルは自身の強迫性障害について公表した)。

 「今日、またおかしくなっちゃった」と彼女は「Paper Bag」の中で歌う。グラミー賞にもノミネートされたこの曲は、『When The Pawn...』の中でも一番優しい曲として記憶されている曲かもしれない。ブロードウェイ・ミーツ・ビートルズといった趣のこの曲は勝ち誇るようなホーンの突風が特徴だが、メロディがバウンシーになっていくと、歌詞の内容はその調子の良さに抗うように突然、失望を歌う。歌詞は星や白昼夢、希望の象徴としてのハトの話から始まるが、突然このようなポップ・ソングの幻想を追い払い、アップルが求めている男が彼女のことを「片付ける気も起きないガラクタ」として見ているという薄暗い現実を明らかにする。彼女は自虐することになんのためらいもなく、「Paper Bag」は彼女の唯我論に対する狡猾な言及によって決定づけられる。「彼は言った『それは君の頭の中のことだろう』/そして私は言った『これだけじゃなくて全部がそうなのよ』と/でも彼はわかってくれなかった」。彼女と、無理解な世間が一気に引きずり出される。

 この曲はアップルの壊れやすく、気まぐれなイメージを拡大させたという点でアルバムを象徴する一曲である。それは自己認識の点だけではなく、ジャジーでビートがついたピアノ・バラードという『Tidal』のサウンドを拡張させたという点で象徴的なのだ。『When The Pawn...』のプロデューサー、ジョン・ブライオン(彼のバロック的なアレンジは近年、ルーファス・ウェインライトエイミー・マンといった時代やシーンを超越した声の文脈を形成した)は、彼女のスタイルは他の要素を飲み込んでしまうほど特徴的であること、そしてそれは一貫性を失わせるものではないことを見抜いていた。それでも、彼は自分でもこの作品のイノベーションについての業績が自分に負わされすぎていると感じている。Permorming Songwriter誌での談話において、「Fast As You Can」の拍子変化などに見られる変わったリズムの元はアップルの作曲によるものだと明かしている。彼は言う。「色で例えるとコーディネートをしたのは私だが、リズム自体はフィオナのものだ」

 実は、そのような役割分担を指揮したのはアップルである。ブライオンは作業を初めて間もない頃のことを覚えている。彼女はピアノで、ほぼ完成された『When The Pawn...』を演奏し、彼にこう伝えた。「私は優れた作曲家だし、いいシンガーで、自分の作った曲をピアノである程度は演奏できる。で、あなたはそれ以外に長けているわけでしょ。だからそういうふうに勧めていくのがいいと思うの。ああ、なんかズレてるなあと思ったら教えるね」と。それを心に留め、彼はまず彼女のヴォーカルとピアノを録音し(弾き語りで行われたこともあった)、それからディープで印象的なプロのセッション・ミュージシャンたちの助けを借りて他の楽器を足していった。多様なサウンドやスタイルをミックスするという骨の折れる作業であったが、ブライオンの手腕によってアルバムには一貫性があり、どのジャンルのクリシェも覆してしまうような、暗くもロマンティックな手触りが漂っている。

 鉛筆で書いたスケッチの上にコラージュを糊付けしてしまうように、このアレンジの結果アップルの曲が塗りつぶされてしまうという結果になる可能性も十分にあったが、ブライオンは盛大な飾り付けよりもディテールにこだわることを好んだ。大いなる別れの歌「Get Gone」では、まばらなピアノとブラシでこすられるスネアが聞こえる控えめなヴァースと、アップルが弾くキーボードが激しさを増し、ダグラス・サークによるストリングスが辛辣なボーカルを断ち切ってしまう、反抗的なコーラスとの間を行き来する。「To Your Love」のアウトロにおける唸るようなエレキ・ピアノのサウンドは曲のライミング・カプレットの可愛いらしさに割って入り、感情的な複雑さを加えている。「Paper Bag」と「Limp」という、このアルバムの中でも大胆で斬新な2曲に挟まれた「Love Ridden」は『Tidal』の型によって作られた優しい曲で、ブライオンのストリングセクションはアップルの声とピアノの周りの背景に少し影を投げかけるのみである。

 言うなれば『When the Pawn』は『Tidal』よりも身体的親密さをフランクに描写しているとも言える。しかし、後のアルバムではアップルはセックス・アピールを食い物にするのは止めている。ファースト・アルバムに収録され、機知に富んでいながらも広く誤解されている曲「Criminal」(誘惑するような歩き姿や悪名高きビデオは、彼女の作品の中で最も皮肉にまみれた90年代のティーン・ポップに似ていたのだが)と同じようなやり方で。アップルのセクシャリティに対する新しいアプローチはアグレッシヴ過ぎて、恐ろしさすら感じるものだった。「全然惹かれないの/だからあなたが売っているその肉をどこかにやって」と「Get Gone」の中で彼女は呻く。「Limp」の熱狂的なコーラスはガスライティング(訳注:心理的虐待の一種)、性的暴行、公衆の場での窃視行為(のぞき)などをまとめて想起させる:「私を狂人と呼べばいい、押さえつければいい/泣かせればいい、ベイビー、どこかに行って/今にあなたは自分の手のひらの中で野垂れ死ぬだろう」。

 デビュー作がトリプル・プラチナムになった歌手として、そして当時のボーイフレンドにして素晴らしい共作者だった、映画監督のポール・トーマス・アンダーソンの恋人として、彼女は大きな影響力を持つようになり、その力を使ってミュージック・ビデオ内の自分の提示のされ方にまで制御をするようなった。スーツを着込んだ男たちとまぬけな空想の中で踊る、アンダーソンによる作品「Paper Bag」は彼女の不機嫌なイメージを払拭するものだった。「Fast as You Can」では、彼女は曇った窓ガラスを吹き、そこでカメラが彼女を明瞭に捉える。最も驚くべきなのは「Limp」で、彼女は「Criminal」のMVを想起させるような暗い部屋の中にいる:彼女は自画像のジグソーパズルに取り組むのだが、そこに殴り書かれた「angry」という単語を完成させるピースを見つけることができない。最後の場面では、彼女はカメラを見下ろしてこう吐き捨てる。「私はあなたに何もしてないじゃん/でも何をしようとしても、あなたはほろ苦い嘘で私を打ち砕く」これらのビデオは視聴者のアップルに対する見方・イメージに挑戦するものだった。「Limp」が最も極端で、努力している人に対して冗談で攻撃するようなフレームの外の人々全員を巻き込むようなものだった。

 このようなサディストの中には、もちろん批評家も含まれている。それでもすべての批評家たちが、「彼女が性悪で子供っぽい魔性の女」というアップルのためにこしらえた語り口から彼女が除外されるにふさわしいと思ったわけではなかった。『When the Pawn...』に対する好意的な評判(それらが優位を占めていた)であっても、いくつかの小言を挟むのを忘れていなかった。「アップルのパブリック・イメージは、どんな意地悪なジャーナリストが望むよりもずっと彼女にダメージを与えていた」とA・Vクラブのジョシュア・クラインは書いている。「22歳の段階で、彼女はすでにコートニー・ラブを超える嫌な女で、その事実が彼女の素晴らしい音楽を覆い隠してしまうこともしばしばだった」。タイトルに関するジョークはある意味必要とされていた。Spin誌のエリック・ウェイズバードはこの作品が良いものとだと知りながら否定的なレビューを書いた男性批評家たちを暗に揶揄しながら、こう書いた。「私はこの作品をちゃんと鑑賞したから言わせてもらうが、このアルバムは本当の"ball-breaker"である」

 もしもそれが、すでにファンではなかった者たちの間でのアップルのイメージを押し上げることができなかったのだとしたら、すくなくとも『When the Pawn』は彼女の音楽が自ら語ることができる時代に現れたのだろう。『Tidal』が現れたのはアラニス・モリセットの『Jagged Little Pill』が、1995年の6月にリリースされたにもかかわらず10週連続で1位を獲得していた頃だ。ノー・ダウト、トレイシー・チャップマンシェリル・クロウ、ナタリー・マーチャント、ソフィー・B・ホーキンス、メリッサ・エサリッジ、メリル・ベインブリッジ、ジョーン・オズボーンといった面々がホット100を占める、「ロックな女性」の季節だった。アップルを深く傷つけた1997年11月号のSpin誌の表紙特集も「女性特集号」で、それは最初の「Lilith Fair」ツアーのあと間もなくであった。彼女の人気を後押しした「怒れる女性」というトレンドは、アラニス(アップルと同様にイライラしている若い女性)やトーリ・エイモス(自身のレイプ経験を歌にしているピアニスト)としょっちゅう比べられることを意味していた。

 1999年―ラップ・ロック、ティーン・ポップ、スマッシュ・マウス、サンタナ『Supernatural』の年―までには、彼女が類稀な存在であることは明白だった(アップルに似たアーティストがいないことは当時のポップ界の景色であり、作家でありRolling Stone誌の批評家であるロブ・シェフィールドはそれを見て彼にしては珍しく行き過ぎたことを書いている:「ある意味では、アップルの音楽はコーンやリンプ・ビズキットなどの怒りにまみれたラップ・メタルの精神的な姉妹なのである」)。振り返ってみると、彼女のほんとうの意味での同志というのはエリカ・バドゥやザ・マグネティック・フィールズ、ローリン・ヒル、コーナーショップなどのアーティストである。分類不可能なシンガーソングライターで、新旧を織り交ぜたスタイルで時代性を超越したものを作り出すのだ。Entertainment Weekly誌が『When The Pawn』のレビューの中で枠組みを提示したように、「たくさんの若いアーティストたちがチャートやMTVの『Total Request Live』を席巻していて、それは止まることがなさそうだ。しかしその現状によって我々は―なんと言えばよいのだろうか―長生きと本質をパフォーマーに求めるようになっている」

 ポップ・フェミニズムの台頭、メンタルヘルスにまつわる開けた、見聞の広い会話などが、あの10代の悲しい少女が1996年からずっと見てきたものを広く世界に知らしめるのには、フィオナ・アップルは狂ってなんていなかったのだと知らしめるのには、さらに2枚の型破りなアルバム(2005年の『Extraordinary Machine』と2012年の『The Idler Wheel』)が必要だった。でも『When The Pawn』は彼女を批判していた人ですら真剣に向き合うことを強いられるほどよい作品であり、批評家たちも不服ながら高く評価し、彼女が最終的には勝ちを収める闘いの始まりを告げる一斉射撃がこれであった。「私にはいい弁護人が必要」とアップルは「Criminal」の中で嘆願した。そして3年後、彼女は自分自身の最良の代弁者となったのだ。

<Pitchforok Sunday Review和訳>Eve: Let There Be Eve...Ruff Ryders' First Lady

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pitchfork.com

点数:8.1/10
評者;Wawiya Kamier

Eve、1999年のデビュー作。逞しく、意志に満ちたショウケース

997年、Eveの約束されたキャリアは一人の皮肉屋で、ジャンキーで、髪をブロンドに染めたデトロイト出身の白人少年によって終わりを迎えかけた。彼女は10代の頃から音楽に手を出していたが、本気で取り組み始めたのはたまたま立ち寄ったブロンクスのストリップクラブでMaseと出くわしたことがきっかけだった。「あの夜、彼はと二人でドライブして、日が昇るまで夜通し二人でラップしたの」と彼女は最近振り返った。「そして二度とクラブには戻らなかったわ」そしてドクター・ドレーのAftermathの幹部とこれまたばったり会い、彼女はロサンゼルスに飛び、オーディションを受け、その場で契約を交わした。共演を始めて8ヶ月が経ったところで、ドレーはエミネムに出会い、Eveはフィラデルフィアへと送り返されることになる。

 よくできた出自話にはありがちなことだが、この失敗がEve Jihan Jeffersを決心させた。そのチャンスはRuff Rydersという形で現れた。彼らはニューヨークのクルーで、90年代後期にはマネージメント会社からレーベルへと転身を遂げた。プラチナ・ブロンドの坊主頭、両胸に配された前足のタトゥー。Eveは目立った。しかしそれと同じくらい驚かれたのは彼女のラップスキルであった。「書いては読まされ、書いてはよ優れを繰り返した。まるでブートキャンプだった。彼らに自分が本物であることを証明しなければならなくて、それのおかげで良いMCになれたんだと思う」と彼女は言う。

 1998年、Ruff Rydersを代表するラッパー、DMXがダブル・プラチナ・アルバムをリリースしたのと同じ年、Eveは本格的に活動を開始する。その時点で、彼女の名前がクレジットされた仕事は映画『ブルワース』のサウンドトラックに提供した1曲だけだった(当時の名義はEve of Destruction)。しかし1999年にはエリカ・バドゥThe Rootsのブレイク曲「You Got Me」に参加(クレジットはされていない)、Blackstreet、Janet JacksonJa Ruleと共に「Girlfriend/Boyfriend」にも登場した。彼女は全く違うスタイルをこの二曲で披露している:前者ではずる賢く魅惑的な香りのするラップ、後者では真面目でウィットが効いたラップを。彼女の初リリースは、なんとなくサルサに影響されたと思われる「What Ya Want」で、ゲストはDru HillのNokio。E-MUのシンセのラテン・プリセットでごく簡単に組んだようなビートのこの曲はすぐにトップ40へと食い込んだ。

 その秋、2000年問題や不確かな未来へのあやふやな集団的不安心理が高まる中、Eveは自らを「スカートを履いた闘犬」と称しRuff Ryderに正式に加入、『Let There Be Eve...Ruff Ryders' First Lady』をリリースする。このアルバムは女性ラッパーとしては史上3枚目となるビルボード200の1位を獲得した。彼女はまだ21歳で、人気上昇中のラップ・クルーにおいて「ファースト・レディー」という象徴的な、しかしそれでいて強制的な役割を担わされていた女性たちの一人であった。リル・キム、フォクシー・ブラウン、ミア・X、そしてラー・ディガなどがこのジャンル内で名を挙げ、それぞれが自分のスタイルを持っていた。そしてもちろん外せないのがローリン・ヒルだ。彼女はどうにかしてワイクリフ(・ジョン)やThe Fugeesによる暴政を逃れ、今日まで破られることのない記録を持つアルバムをリリースすることに成功していた。

 Eveのように、この様な女性ラッパーたちは同じくらいの知名度を持つ男性ラッパーたちよりもカリスマ性がありスキルもあったが、自分のプロジェクトに対するクリエイティヴ面での権限が彼らほど与えられないことが多かった。『Let There Be Eve』ではその緊張感を感じることができるだろう;14曲と4つのスキットを通して、Ruff Rydersの傲慢なエネルギーは明白である。Eveは彼女自身のデビューアルバムにおいて、最初に登場する声でも、2番目でも、3番目でもない。イントロ曲「First Lady」は今まさにレッドカーペットが広げられようとしているのと同じような曲で、スウィズ・ビーツと男性の声によるコール・アンド・レスポンスが続く。「E−VAYって言ったら、Eで返せ!/RU−UFFって言ったら、RYDERSで返せ!」次の曲は鋼のように尖った「Let's Talk About」で、Ruff Ryders関係者のDrag-Onのアドリブで始まる。そして何秒後かにようやくEveが登場し、それはまるで太陽光のような安心感である。

 それでも、全体を通して「内輪感」は非常に強い。スウィズ・ビーツのプロデュースによる元の断片ー例えば凍てつくようなポッセ・カット「Scenario 2000」(フィーチャリングはDMX、Drag-On、The Lox)においては、スウィズは自分の楽曲をサンプリングしているーに彼女のアイデアが追加されているように思える箇所も、Eveは自分のために十分な空間を作る必要があった。胸をドシンと打つようなスキット「My B******s」はDMXの「My N****s」に対する直接の回答であるが、このプロジェクト全体のテーマを提示するような役割を見事に演じている:「子供の面倒をみる私のB**** s/お前がリスペクトしてない私のB****s/お前がいつも無視する私のB****s/お前らなんかリアルでもなんでもない、クソ以下だ」。Eveのリリックは書き起こすといたってシンプルに見えるが、それはフィリー・ラップが称賛されてきた叙情性と切迫さを湛えているのだ。

 『Let There Be Eve』を利用しようとすしたRuff Rydersの狙いとは裏腹に、「これはオレたちのゲームだ」と思いこんでいた男どもをEveは難なく負かしてしまい、このアルバムは自己決定の作品として受け止められることになった。このアルバムには実験的な側面はほとんど無いーそれは後の大ヒット作『Scorpion』を待たねばなるまいーが、Eveは器用に、スウィズ・ビーツの無気力なプロダクションを相手にまるでボクサーのように動き回る。当時、共演者や批評家はEveの成功の要因を彼女が伝統的な女性性を失うことなく男どもとつるむことができる能力にあると分析した。ローリング・ストーン誌のトゥール氏はこのアルバム評の中で彼女を「曲線のあるサグだ」と描写した。彼女の策略は、「スカートを履いた闘犬」になるにあたってジェンダー・コードをスイッチさせることを要求した。「クール・ガール」という概念がポップ・カルチャーの中で広く認識される何年も前の話である。これは過酷で攻撃的なフレームワークであった。すべてのジャンルを反映させ、Eveは自身のパワーを刻むために時にハーコーな、「男らしい」ラップをすることによってその命題に挑戦した。

 彼女は自身を大胆に定義する。フェミニストであり、元ストリッパーであり、男性ばかりのクルーに籍を置くことはなんでもないが女友達に対してはユニークな忠誠を誓う。このアルバムの主なシングル群はその両方に対する忠誠を表現したものである。景気の良い、弾むようなリズムの「Gotta Man」は絆のアンセムで、保釈金を喜んで支払うことや秘密を守ることを歌っている。10代の頃、私はよく「Love Is Blind」を聴いて泣いたものだった。この半自伝的なシングルにおいてEveは親友がパートナーに暴力を受けていることを物語り、復讐を夢見る:「お前を殺してしまうかもしれない/お前はあの子を人形のように扱い、棚の奥に押し込んだ/学校にも行かせず、チャンスも与えず/お前のせいで子供が生まれたのにお前はなんの手助けもしないじゃないか」。1999年というと、デスティニーズ・チャイルドやTLCが「Bills, Bills, Bills」や「No Scrubs」といった曲で男たちに責任を取るよう求めており、それによって彼女たちは不当にも男嫌いのフェミニストとして一括りにされてしまった。Eveもそのコーラス隊に加わったが、その精神をより具体的で、一か八かのリアリティーに落とし込んだ。電話代をかさませるような男も厄介だが、子供の面倒を見ない男も、パートナーに手を挙げる男も、周囲の女性の生活を困難にさせるような男も、同様に厄介なのだ。このメッセージは多くの人に突き刺さった。

 2000年、Eveは『ザ・クイーン・ラティファ・ショウ』に個人的経験をPSA(公共広告)として提供した、あの「Love Is Blind」の題材となった友人とともに登場した。フックで歌っているのはフェイス・エヴァンズだが、彼女にしては珍しくうす暗い声で歌っている。この曲は私個人の経験からはかけ離れているが、思春期を迎える若い女性としてこの曲の物語はクソみたいな架空の未来で起こりえそうなものの範疇の中にあると感ぜられた。90年代には、Salt-N-Pepaやリル・キムといった女性がヒップホップをセックス・ポジティヴ・フェミニズムを歓迎する雰囲気にも似たものに変えた。Eveはそれをもう一歩押し進め、複雑なナラティヴを駆使してセックスについてラップし(「あなたが私をイカせると、ここら一帯が洪水になるかも/靴下もびしょ濡れね」)、人生の砂っぽさを伝える。彼女はチャートのトップを占めていた、キラキラとしたファンタジーに対するありがたいカウンターバランスであった。それはまるで嫌というほどディズニーのファンタジー映画を見たあとに強力なドキュメンタリー作品を見るようなものだった。

 しかしこのアルバムのリリース後、Eveは自身が説明するところのうつ状態に陥ってしまう。彼女はいきなり訪れた急激な変化に飲み込まれてしまったのだ。「私はまだ21歳で、ほんとうの意味での話し相手もおらず、自分が経験していることを真に理解してくれる人もいなかった。私はその時まさに成長の真っ只中で、若い女性から女性へと変わりつつあった」と彼女は2001年、Ebony誌に語っている。

 彼女はRuff Rydersからクリエイティヴ面でのコントロールを勝ち取り、『Scorpion』という作品を作ることでそこから抜け出すことに成功した。「Let Me Blow Ya Mind」をフィーチャーしたこのポップなアルバムはグラミー賞の最優秀ラップ/サング・コラボレーション部門の最初の受賞作となった;彼女はDrag-Onとスウィズ・ビーツの代わりにグウェン・ステファニードクター・ドレーを手に入れたのだ。そうすることで、彼女は女性ラッパーというテリトリーを広げることに成功した。リル・キムやフォクシー・ブラウンといった彼女の同期たちはイット・ガール・ファッションに好ましさを見出していたが、Eveは高級ブランドの広告に出演することよりもより高い野望をいだいていた。「ファッションに気を使いすぎて、ラップを書くのがうまくない奴らもいる」と彼女はしたり顔でラップした。しかし彼女もやがて自身のブランド、惜しまれつつも短命に終わったFetishを立ち上げた。その間中ずっと彼女は25歳以降音楽を作り続けるとは思わないと、早期の引退を予言していた。彼女は演技や映画監督、慈善事業に興味を示していた。『Scorpion』から18年が経ち、彼女はいくつかの大予算映画には出演しているが、アルバムのリリースは2枚だけだ。彼女は約束を守ったのである。

<Pitchfork Review和訳>Juice WRLD: Death Race for Love

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pitchfork.com

点数:6.8/10
筆者:Alphonse Pierre

エモ・ラップの旗手が送る、72分にもわたる探求―ドラッグ、失恋、そして失恋につながるドラッグについて

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 の浮上のスピードはそれを期待させたのだが、Juice WRLDがInterscopeのサインの入った箱に入れられ、「新しいラップ界の顔です、お見知りおきを」というメッセージと共に2018年のヒップホップ界の玄関に置かれることはなかった。この20歳のイリノイ出身のラッパーは2015年以来、Lil Peepのような赤裸々さ、Chief Keefのようなデリバリー、XXXTentacionのようなチープなアコースティック・ギターサウンドといった影響を、完璧なレシピを用いて自分のスタイルに発展させていった。しかしこのレシピだけでは彼の成功は説明がつかない。SoundCloudをちょっとスクロールするだけで、同じ様な材料をブレンドさせたアーティストがが山ほど出てくるが、成功しているのはほんの僅かである。その秘密は、Juice WRLDには人を引きつける才能があるということだ:あるラインはまるで、彼が見つけたiPodではMy Chemical Romanceの「Welcome To the Plack Parade」しか流れなかったかのように聞こえるし、かと思えばその次のラインはまるで彼がたった今『Bang Pt. 2』を聴き終えたのかのように聞こえるのだ。

 この『Death Race For Love』の72分間を通して―Juice WRLDのアルバムがポッドキャスト1.5個分の長さであるべき理由はまったくない―Juice WRLDの歌詞は二つのカテゴリーに分けられる。歌詞の50%は悪であり(「最悪の状況に逆戻り、悪魔の絵文字」)、残りの50%もまた悪であるが、それは頭の中に引っかかり、究極的には善となる(「君の最も暗い秘密を教えてよ、クソ、どうせお前はイエス様にもいわないんだろうよ」)。1曲目の「Empty」において、Juice WRLDは自身のお気に入りのプロデューサー、Nick MiraがプロデュースしたZaytovenのなり損ないのようなキーボードの上で、問題を隠すためのバンド・エイドのようにドラッグを使用する(「問題はスタイロフォームで解決」)。その無愛想さは「Robbery」のようなこれまたピアノ・リード曲でも続き、彼はオープン・マイクを台無しにする詩人のように歌い、映画『セイ・エニシング』のジョン・キューザックさながら恋人を取り戻そうとする。「医師を君の窓めがけて投げる/ぼくは家に戻らないと」

 Juice WRLDがエモーショナルになるときはいつも(つまり常に、ということだ)、彼はリーンによって泣きそうになりながらも、すんでのところでその悲しみをほろ苦さに変えるように聞こえる。彼とコラボ・アルバムをリリースしたFutureのように、Juice WRLDの開け具合には限界がああり、自分の男らしさに疑問を持たれることを恐れているように思える。その点について、文字通り「HeMotions」というタイトルの曲が収録されている。

 彼はまるでジキルとハイドである。彼は常軌を逸していて、自分の感情に正直ではない。しかしそれでいて、何かを憎しみによって乗り越えたときでさえどこか得意げなのである。まるで彼の世界は愛を中心に回っているようである。その回転が止まるときまでは。

 『Death Race For Love』には3人のゲストが登場する。一人目は場違い(だが歓迎だ)なR&Bシンガー、Brent Faiyazで、インタールードで歌っている。もうひとりは道化役のYoung Thug、そして3人目がエモいCleverの客演である。Cleverと並ぶと、Juice WRLDがいわゆる「エモ・ラップ」界隈からどれほど抜きん出た存在7日がよく分かる。Juice WRLDは金儲けがしたくてヒップホップを作っているパンク/ロック・アーティストではない。彼はジャンルの範疇外から影響を受けたラッパーなのである。彼はラップを離れ、もっと遠く、例えばポップ・パンクをやっていた可能性も十分にある。でも彼はそうしなかった。そしてその事実こそが『Death Race For Love』に本当のJuice WRLDを感じることができる理由でもある。これまでに受けた影響と心を素直に、人生の浮き沈みをリアルタイムで作品に反映させているという意味で。