海外音楽評論・論文紹介

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<Bandcamp Album of the Day>Mary Timony, “Mountains (20th Anniversary Expanded Edition)”

Mary Timonyのファースト・ソロ作がリイシューされるのにこれほど適した時機はなかったかもしれない。最初のリリースから20年がたち、『Mountains』は隔離され鬱屈した世界の中で、接続と交わりにまつわる我々の夢を政治的に描く。Timocyが生まれ育ったまさにその街で、わずかに残された民主主義の残滓を打ち捨てようと試みたトランプ・カルトの群衆の中に、「毒された月の下を行進する愚か者の列」を見出すのは難しいことではない。(今回のリイシューを祝して行われる予定だったライブ・パフォーマンスは議事堂での混乱を受けてリスケされることとなった)

伝統に縛られない楽器選びをしているのにも関わらず、これらの楽曲には赤裸々な感触があるーーそれはまるで終わることのない冬にさらされた木々のようである。このアルバムのエンジニアを務めたのはChristina Files(Swirlies、Victory at Sea)で、工場として使われていた古くて大きな建物の中で制作は行われた。この広大な空間がこの作品の「不毛の土地」感に寄与している。(例えばアルバムで用いられている意図的にチューニングが狂ったピアノは空っぽのエレベーター・シャフトの中で録音された)

Timonyは1曲目の “Dungeeon Dance” の中で、このアルバムに対する熱意に輪郭を与えている。その歌詞は憂鬱の経験と芸術を通じてその経験に意味を見出そうとする探求をつぶさに書き記している。その意味では、1927年の小説『灯台へ』でまさにその小説の創作ーー著者の「何らかの試み」ーーについて書き記した小説家、Virginia Woolfを想起させる。Woolfと同じく、Timonyは自身の自己破壊的な性分について赤裸々に書き記している:“Paited Horses” で彼女はこの曲に殺されることを切望し、“Valley of 1,000 Perfumes” で平穏の中で自死したいと告白する。しかしそのような絶望の淵にいながらも、Timonyはそれでも創作の中に光を追い求め、最終的には「投げ出してはいけない/他にも苦しんでいる人たちはたくさんいる」と決心する。『Mountains』に単一のテーマがあるとしたら、それは我々がお互いのために生き続けなければいけないということであり、我々が人生に求めている意義やつながりを自分たちで作っていかなければいけないということだ。

その創作が簡単だということではない。“The Hour Glass” で、Timonyはツアーするミュージシャンとして生き残っていこうとしながらも退屈な仕事をこなさなければいけないという苦しみと格闘している。「これは生活、仕事、そして自立のナイフ/夜にだけ自由になれる、でもその時私達は眠っている」このリイシューの最後には新ヴァージョンの録音が4曲収録されているが、それが新たな陰影をもたらしている。“Return to Pirates” の新バージョンは、Timonyが絶望を乗り越えて勝利へと前進していく様が強化されていて、「愛の庭に佇みたい/羊と鳩に導かれて」と歌われている。“Valley of 1,000 Perfumes” のオーケストラル・バージョンはストリングスのアレンジが生い茂っていて、Timonyの声は彼女が「こんにち、私達の音楽は充分なスタイルを持っていない/自殺から逃げてカントリーへと駆け込んでいく」と主張するところでよりはっきりと歌い上げられている。この1行は、世紀の変わり目において、音楽と人生の両方を再び意義深いものにするための新しい方法を探していたTimonyの先見の明を改めて思い出させてくれる。

2000年にリリースされた当時、『Mountains』は完全に見落とされるか、批評家たちに積極的に嘲笑されるかのどちらかであった。それから20年がたった今、その影響は多くの後進たちのアルバムの中に見て取ることができる(Sleater-Kinneyのサイケ・プログレ作『The Woods』はTimonyの美的感覚に直接的に影響を受けているように感じられる)。このアルバムは素晴らしくタイムレスで有り続けている:光のきらめきに乗って新たな現実を創造し、暗闇を乗り越える術を学ぶためにいつでも立ち戻ってこれる場所として。

By Erin Margaret Day · January 26, 2021

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