海外音楽評論・論文紹介

音楽に関するレビューや学術論文の和訳、紹介をするブログです。

Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・ソング200 Part 7: 170位〜166位

Part 6: 175位〜171位

170. Lil Peep: “Kiss” (2016)

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Lil Peepの“Kiss”はまるで、2〜3の曲が千鳥足で一緒に家に帰ってきたようなサウンドである。ギターのサンプルはModern Baseballのものかもしれないし、Lil Peepによるものかも知れない。この曲で最初に聞こえてくる声はカリフォルニアのポップ・パンク・バンド、Better Luck Next Timeのダウンピッチされたサンプルである。向かってくる車のヘッドライトが目を細めると一つの光線に滲んでしまうように、この残響も合流する。Peepに最も近く親密なクリエイティブ・パートナーだったSmokeasacのプロデュースによるこの曲は、Peepのシグネイチャーである気だるさにどっぷりと漬かって始まるが、やがて2つ目の曲があくびをし、1つ目の曲の中で目覚めようとするようだ。Peepの曲にしては珍しく、絶望ではなく内気な希望のアンセムである。「もう一度だけ、キスをしてくれ/こんな夜にはもう一度くらいチャンスがあってもいい」と彼は歌う。このような多幸感の儚い暴走は、長続きはしない。なんとかしてそれを守りたいと、そう急き立てられてしまう。–Jayson Greene

169. St. Vincent: “New York” (2017)

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ハイパー・セクシュアルなシンセ・トレーニング・ソングや、全ての地獄に響き渡るほどファズがかかったベースラインに囲まれている、このピアノ・バラードはAnnie ClarkのSt. Vincentとしての5作目『MASSEDUCTION』における、胸が張り裂けるような中心曲である。Clarkが旧友に送ったテキストメッセージが流用された親密なヴァースは、どこかへと去っていってしまったが、絶対に忘れてしまうことはない人々や場所を称えている。「あなたは私を我慢してくれるこの街で唯一のマザーファッカーだ」彼女は歌う。一方でコーラスは宇宙へとズームアウトし、David BowieやPrinceといった亡くなったヒーローたちに敬意を払う。この曲は、暮らすこと、愛すること、そして大都市で何かを失うこと、そしてそれら全てを後悔しないことについての歌である。–Noah Yoo

168. King Krule: “Dum Surfer” (2017)

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この“Dum Surfer”で、King KruleのArchy Marshallは彼がビートメイクの腕前やラウンジをぶらつく人間が持ついかがわしさ以外にも、キビキビとしたロックを書けることを見せつけた。鼻に栓をしたボクサーのような歌いぶりで、彼は感情の両端を言ったり来たりする。バンドを「クソみたいなゴミ」と呼ぶ一方で自分が過ちを犯しやすい人間であることを惨めにも確信している。くねるバリトン・サックスとスモーキーなダブ・エフェクトが曲の輪郭をぼかし、呼びかけである曲名が徐々に優しい金言へと変わっていく。「Don't suffer」。一昔前であれば、この曲によってKing KruleはThe PixiesSonic Youthと並ぶオルタナティヴ・ロック界の巨塔になっていたかも知れない。その代わり、この曲は奇妙なジャズ・アンサンブル・Standing on the CornerからBeyoncéまで、ありとあらゆるファンを取り込んだ。–Andy Beta

167. Tinashe: “2 On” [ft. Schoolboy Q] (2014)

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L.A.のヒットメイカー、DJ Mustardのプロデュースによる“2 On”はワイドスクリーンで、精巧に作られている。渦を巻いた、ハイトーンなベースラインがブンブンと飛び回りながら鳴り、シンセ・ドラムの加工していく爪弾きのロールはあまりにもキャッチーで、ゴージャスなヴォーカルのメロディと張り合うほどだ。“2 On”とはTinasheの造語で、めちゃくちゃハイになった状態―興奮が乗じて無意識に近い状態になること―を意味する。彼女のリリックには酒やケムリへの言及が散見され、「トリップするまでつぶれる」ことを正面から祝福したこの曲のメッセージがHot 100の24位にチャートインするという結果を後押ししたのかも知れない(「“live fast, die young”、それが私のチョイス」というのは明らかに冷笑主義的である)。しかしTinasheの官能的で、引き伸ばされた「I Luuuuu to get 2 on」という歌声は喜びに満ちていると同時に生の肯定であり、多くのトラップがそうであるような無感覚の快楽主義とは距離をとっている。消滅がこれほどまでデリシャスに響いたことはこれまでなかった。–Simon Reynolds

166. Bad Bunny: “Caro” (2018)

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2018年に決定打となるデビュー作『X 100PRE』をリリースしたときにはもう、Bad Bunnyはすでに「música urbana」界隈では最大のアクトの一つだった。そしてアルバムからの4枚目のシングル“Caro”は彼の素晴らしさを最もクリアに提示してみせた。これは彼のもの柔らかで物憂げな男という美学を乗せるにはピッタリの船である。レイド・バックしながらもバウンス感はバッチリで、酩酊感のあるシンセと空間を生かしたメロディラインが彼の敏捷なフロウをガッチリと支える。ロマンティックであると同時に、個人がそれぞれの真実を生きるという普遍的な人間の欲求の表現という意味では政治的でもある。「俺がどう君を傷つけた?/俺はただハッピーなだけなのに」と彼は小声で歌う。

“Caro”はBad Bunnyにとって決定的な瞬間となった。服装の妙な選択、塗りたてのマニキュアへの偏愛に対するホモフォビック的バックラッシュのあと、このヴィデオは伝統的なジェンダー・ロールと有害な男性性の拒絶の機運を高めた。この驚くべき映像には女性のBad Bunnyによる吹き替えやランウェイを歩くドラァグ・クイーンが登場し、Ricky Martinだけになる光り輝くブリッジ部分では、Bad Bunny本人が男性・女性の両方からキスを受ける。“Caro”で、このプエルトリコのスターはいくつかの脚本を書き直してしまった。–Matthew Ismael Ruiz

Part 8: 165位〜161位

Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・ソング200 Part 6: 175位〜171位

Part 5: 180位〜176位

175. Nicki Minaj: “Come on a Cone” (2012)

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Nicki Minajは糖分過多のポップ・ラップ・アンセムを連発しスターに上り詰めた一方で、この年代を代表する凶暴なMCであるというステータスはこの“Come on a Cone”のような曲で確立された。パンチがあって、トゲのある論証法を発揮し、卑小さと敵意を剥き出しにする。過去10年間で最もダイナミックなラップ・パフォーマンスの一つに数えられるこの“Come on a Cone”は確固たる自信に裏付けされていて、全くのひとりよがりで、ありえないくらいに面白い。Nickiは自身がまばゆいファッションショーで最前列に座っているというステータスを武器として振り回す。「ワタシがアナと座っている時/ワタシは本当にアナと座っているの/メタファーとかパンチラインとかじゃなくて/本当にアナと座っているのよ」と彼女は吠える。「ワタシの勝ちって認めなさいよ」と彼女は勝ち誇る。認めなかったら・・・?Nickiはあなたの顔面にある突起物を突き刺しに来るかも知れない。–Sheldon Pearce

174. Florence and the Machine: “Shake It Out” (2011)

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Florence and the Machineの“Shake It Out"のYouTubeコメント欄を見れば、この曲はリリースから8年たった今でも人々の破局や憂鬱、病気や服役さえも乗り越える手助けをしていることがわかる。Florence Welchの突風のようなヴォーカルが希望と忍耐のメッセージを伝えるその癒やしの力は、この豪華なゴスペル・ポップを嵐の後に差し込んでくる太陽のように響かせてしまう。マルチ・プラチナを達成したFlorenceのデビュー作『Lungs』(2009)はこのロンドンのシンガーを世界的なステージへと知らしめることになったが、この“Shake It Out”とそれに伴うアルバム『Ceremonials』(2011)こそが、彼女のアリーナ級、ヘッドライナー級としての地位を確固たるものにしたといえるだろう(彼女はその地位を今でも保っている)。この10年のポップにおいて、このレベルの恍惚としたカタルシスを感じさせる瞬間は少なかった。大きな空間と大観衆がなければその価値は味わえない。–Amy Phillips

173. DJ Khaled: “I’m on One” [ft. Drake, Rick Ross, and Lil Wayne] (2011)

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合いの手を入れているだけの男が何故、このスターだらけのポッセ・カットを彼名義で出しているのかを不思議に思う人がいても不思議ではない。しかしこの曲において、DJ Khaledはそのエグゼクティブ・プロデューサーとしての才能をいかんなく発揮し、ヒップ・ホップ界の3大スターを集めることに成功している。彼らは皆くつろぎ、自分のゾーンに入ってラップをしているように聞こえる。Rick Rossは自身の『Teflon Don』で確立した、ドラッグディールのドンの寓話を語り、Lil Wayneはカジュアルに自信満々な態度(「お前らはバスを待ってるみたいにベンチに座ってな」)。しかしこの曲の主役はDrake。リーンに溺れながらも、“throne”に挑戦状を叩きつける。そのラップはカナダの同胞T-Minus、Nikhil S.、Noah "40" Shebibによる、サイレンのようなシンセサイザーで編まれたビートに完全に一体化している。このフックはDrakeの“Trust Issues”にも使われたことを考えると、この曲はDJ Khaledのものであると同時にDrakeのものでもある。関わっているアーティスト全員がヒット曲のポテンシャルを持っていることを再認識させられるサマー・アンセムがこれだ。–Matthew Ismael Ruiz

172. Sleep: “Marijuanaut’s Theme” (2018)

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3人組のドゥーム・メタル・バンド、Sleepはいくつかの単純なことをとてつもなくうまくやってのけたことでレジェンドになった。彼らの演奏はスローだ。そして、彼らの演奏はラウドだ。彼らはマリファナを吸うことを『ロード・オブ・ザ・リング』並みの壮大な旅のように聞かせることに成功した。だからこのバンドが15年ぶりの新作を引っさげてカムバックした時、彼らの節くれだったリフが90年代と同じほど天性の才能にあふれていた事自体、大いに祝うに値することだった。

遅く演奏されるメタルはよく終末的なイメージを想起させることがあるが、この“Marijuanaut's Theme”におけるMatt Pikeの途方もなく巨大なギターソロには間違いなく何か破壊の類を感じ取ってしまう。しかしSleepの新作は宇宙をフリーフォールしているようで、燃えるようでありながら心地よく聞こえるのがすごいところだ。彼らはまるでこう言っているかのようだ。「目を閉じてごらん。君の頭の中には演奏しているバンドがいて、彼らはハイになっているんだ」。–Sam Sodomsky

171. Adele: “Rolling in the Deep” (2011)

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“Rolling in the Deep”の冒頭で、Adeleは迫ってきている炎について警告し、やがて彼女は全てを焼き払ってしまう。大成功を収めた破局についてのアルバム『21』からのリード・シングルであるこの曲で彼女はグローバル・スターとなり、それ以降それと同じようなものをほとんど作れていない。この歌詞は「女の恨みは恐ろしい」というクリシェを早々に捨て去り、プリ・コーラスでは煮え立つような怒りも熱を下げ、悲しみとなり傷をさらけ出す。それに付随する音楽も完璧にマッチしている。Adeleはこの曲を「ダークでブルージーなゴスペル・ディスコ」と表現したことがあったが、まさに彼女はこのでっちあげのジャンルを歌うために生まれてきたように感じられる。彼女のヴォーカル・コントロール能力、彼女の声のエッジを削り取るメリスマの使い方はまるでスーパーパワーである。そして、その力を発揮するためにはこの曲が必要だったのだ。–Rich Juzwiak

Part 7: 170位〜166位

Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・アルバム200 Part 1: 200位〜191位

2010年代。プレイリストが関係のない曲たちで溢れ、アルゴリズムがリスナーを全方位から撃ち尽くす時代にあって、フル・アルバムのリリースというものがアンティークになりつつあるように感じられる。しかし優れたアーティストはいつの時代にあっても彼らのヴィジョンを拡張するような作品を作り、特にこの10年で彼らはアルバムという概念を進化させる方法を見出した。ヴィジュアル・アルバムという新しい試み、突然のリリース、そしてフィジカル・メディアにはもはや収まらないほど引き伸ばされた収録時間。かくしてこのフォーマットは生き延び、この荒れ狂った10年を経て、いまや最盛期を迎えている。以下のリストが、我々が選んだこの10年のベスト・アルバム200である。

 

200. Ratking: So It Goes (2014)

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アートワークに現れている、ディテールを徹底的に描きこんだニューヨークの地図からもわかるように、Ratkingのデビュー作『So It Goes』(2014)は彼らのホームタウンに深く飛び込んだ作品である。ハーレムのポーチの階段からカナル・ストリートに面した賑やかな店頭へと飛び出したのは、すきっ歯の癇癪持ち=Wikiと物憂げな夢想家=Hak(彼の軽口は止まることを知らない)だ。プロデューサー・Sporting Lifeの作り出すアブストラクトでサンプリング主体のサウンドスケープは近代のコンクリート・ジャングルの混沌を想起させる。70年代のノー・ウェイヴと90年代ヒップホップの実験性を連想させるサウンド。それらが合わさってRatkingはこの街の凄まじい風景画を描き出す。“Remove Ya”では街にはびこる"stop-and-frisk abuses(警官による暴力的な職務質問)"を取り上げる一方、ジャジーな“Snow Beach” ではビッグ・アップルを蝕むジェントリフィケーションを糾弾する。『So It Goes』はニューヨーク・シティのありのままの現実を伝える。 それはうわべだけ綺麗で、冷徹で、醜く、「眠らない街」の姿だ。–Quinn Moreland

199. Wu Lyf: Go Tell Fire to the Mountain (2011)

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ゼロ年代後期からテン年代初期にかけて、透き通ったギター・サウンド、謎めいた歌詞、そして自分の出自の詳細をを共有することへの嫌悪感を持ったインディー・バンドが数多く現れた。しかしそれらのバンドにはWu LyfのEllery Robertsのようなシンガーが不在だった。『Go Tell Fire to the Mountain』は辛抱強いポスト・ロック的構成によってRobertsのズタズタにされた喚き声を支え、それによって純然たるカタルシスが産み出されている。これらの楽曲は刃物のような鋭さを持つほどに赤裸々である。冒頭の“L Y F”でRobertsは“I love you forever”と叫ぶ。この実直さを思えば、彼らがその後解散したことも驚きではない。これほどの激情を保ち続けられる人がいるだろうか。誰もそんなことは望まないはずだ。Robertsの叫びが何についてなのか理解するのは簡単ではないこともあるが、シンガロングを誘うWu Lyfのベスト・チューンである “We Bros”は、「変わり者」の疎外感の中に佇んでいる。–Marc Hogan

198. Jean Grae / Quelle Chris: Everything’s Fine (2018)

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 この作品で、Jean GraeとQuelle Chrisの二人は近代のあらゆるトピック―警官による黒人への不当な扱い、インスタグラム・モデルが与える影響の拡大―に対し、濃密なスキット、凄まじいほどのパロディ、そして鋭いラップといった手法で真正面から切り込んでいく。彼らが始める会話には必ずしも結論があるわけではないが、二人は思慮深く、そしてその内容のためにスタイルを捻じ曲げることは決してない。Graeは足場として、どちらかといえば伝統的な手法を好む。彼女の技術は正確極まりないが、Chrisはワイルド・カードである。二人に違いはあれど、それがラップの面でもプロダクションの面でも互いを完璧に補完しあっている。このバランスは幅広い客演陣にも受け継がれていて、全員が二人の発するエネルギーに見合うパフォーマンスをしている。しかし結局の所この作品はJean GraeとQuelle Chris、“fine”であることに満足しない二人についての作品なのだ。–Alphonse Pierre

197. Fatima Al Qadiri: Genre-Specific Xperience (2011)

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 プロデューサー・Fatima Al Qadiriのこの作品ほど興味をそそられるグローバル音楽のドキュメントはここ10年間殆どなかった。ジュークやダブステップ、デジタル・トロピカリアといった細分化されたジャンルを翻訳し、彼女のインターナショナルな出自・ゲーマーであった過去と結びつく筋の通った声明として一直線に並べる、冷たくミニマルな実践である。5曲入りであるが、その志は高い。Ryan TrecartinやSophia al-Mariaといった著名なアーティストたちによって撮影された映像は、ニューヨーク美術館で公開された。そして何より、知性に訴えかけるダンスフロアがどんな形をしているのか、この作品はその一例を提供した。–Julianne Escobedo Shepherd

196. Portal: Vexovoid (2013)

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21世紀のデス・メタルバンドの中にはデジタル技術を支持し、その技術がジャンルにもたらすクッキリさを求める向きもいる。削岩機が向かってくる音を高解像度の音で聴くのを想像してみよう。Portalの爆発的な音楽に、そのモダンなパリッと感を見出すことは難しい。彼らはその代わりにオールド・スクールなデス・メタルを更新し、一つの津波を何重もの津波に変えてしまったのだ。このオーストラリアのバンドは全ての楽器を溶かして一体化させ、一列に並べてぶっ放すことに成功している。ヴォーカリスト・The Curatorのスローで喉から絞り出すようなグロウル、ドラマー・Iginis Fatuusのグツグツとかき混ぜるようなパーカッション(全てのメンバーは本名を明かしておらず、マスクをかぶってパフォーマンスを行う)。壮大なギターソロ、SF的な歌詞など、馴染み深いメタル要素もかすかに見られるが、それらをタール質で懲罰的に醸造することによってPortalはメタルをその出発点に引き戻している。つまりなにか恐ろしく、刺激的で、真新しい音楽としてのメタルへ。–Matthew Schnipper

195. Downtown Boys: Full Communism (2015)

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「我々が自分たちのにあるものだけで満足することがないのは何故だ?」“Monstro”の冒頭でVictoria Ruizは叫ぶ。Downtown Boysの鮮烈なデビュー作『Full Communism』のハイライトである。それは、国民(特に若者と、周縁化された人々)から必死になってなけなしの富をかすめ取ろうとする資本主義国家に対して投げかける問いとして、かなり的を得ている。真正なパンクの怒り―そして時折顔を覗かせるサックスのうまい使い方―によって、Downtown Boysは怒りのための場所であることを宣言する。Joey L DeFrancescoのギター・コードはこの最低な現状をぶち壊すためにかき鳴らされ、ドラマーのNorlan Olivioはバンド全体をアジテートし、この性急な緊迫を高めていく。この『Full Communism』で、Downtown Boysは人民を搾取のサイクルに固定化するシステムに対する、公正ないらだちの先駆者としての立場を確立したのだ。–Sasha Geffen

194. Titus Andronicus: The Monitor (2010)

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南北戦争ブルース・スプリングスティーンを生んだニュー・ジャージー、そしてTitus AndroniciusのシンガーPatrick Sticklesの自発的なアメリカ・メインストリーム文化からの亡命、そしてバグパイプを少々。これらをごちゃまぜにすると、この年代のエモ・ロック・バンドの青写真であるこの『The Monitor』が出来上がる。Sticklesの熱の入った想像の中では、全てはそれ以外全てを指し示すメタファーである。高校は戦場、彼の不安や不快感はエイブラハム・リンカーンのもの、そしてブルースが言った「宿無しは走るために生まれてきた」というのは間違いで、「死ぬために生まれてきた」のだ。嵐のようなリズム隊とともに、Sticklesはしゃがれた声で叫ぶ。人生において与えられた役割を受け入れること。悪意を糧にすることは馬鹿げているということ。ある曲のコーラスで彼は「お前はいつだって負け犬なのさ」と叫ぶ。何度も何度も。彼は負け犬たちにアンセムを与えることも忘れない。–Jeremy D. Larson

193. Lil Peep: Hellboy (2016)

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 『Hellboy』はLil Peepがまだ10代のときにリリースされ、その後数年の間に彼は亡くなってしまった。このミックステープは彼の苦しみ、そして苦しみから開放されたいという希望、そしてその希望は恐らく叶えられないだろういう諦念に焦点を当てた作品である。

彼は間違っているわけではない。そしてそのことはこのアルバムをまるで無視できない救助信号のように聞こえさせる。彼の音楽の中心に据えられた孤独は彼特有のものではない。彼に特有なのは、その孤独を蒸留する能力だ。成功を目の前にしても、彼の憂鬱は消えることがない。「前は自分を殺したかかった/そして今ここまできた、それでもまだ自分を殺したいんだ」エモ・バンドやエレクトロ・ミュージックから拝借してきたリフの上で濃厚に重なる彼の声。その響きがたまらなく美しいのがほろ苦い。もし彼と同じ苦しみを味わったことがあるなら、この作品はあなたが一人ではないことを確証してくれる。もしそんな苦しみを感じたことがないのなら、彼はその苦しみがどんな感覚なのかを我々に見せてくれるだろう。-Matthew Schnipper

192. Kelela: Cut 4 Me (2013)

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Kelelaはこの『Cut 4 Me』のリリースによって、エクスペリメンタル・ベースのムーヴメントをなにか人間的に感じられるものに昇華した。それはまるで、地球外生命体の研究チームがついに彼らとの接触に成功したかのようだった。UK発のレーベル・Night SlugsとL.A.にある姉妹レーベル・Fade to Mindのプロデューサー集団によって製作されたこのアルバムは、ドラムンベースダブステップ、テクノ、グライム、フットワークの要素を捻じ曲げ、人の少ないアンダーグランドなクラブ向けのサウンドトラックに仕立て上げている。クルーのメンバーたちの多種多様なスタイルを繋ぎとめる合鍵となっているのはKelelaである。彼女こそがシンセのマトリックスを開け、ガラスを打ち砕き、合間に挟み込まれた無音に隠されたソウルを明らかにする美しい歌い手である。その時代をくっきり映し出すものでありながら、未来を予言している作品というのは滅多にないが、『Cut 4 Me』はまさにその好例である。–Puja Patel

191. Kate Bush: 50 Words for Snow (2011)

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Kate Bushのこの10年で唯一の作品であるこの作品の中で、彼女は空から降ってくる雪の粒をキャッチしたり、人間に見つかってしまったイエティに警告したり、溶けていく雪だるまと一緒に眠ることについて歌っている。大きく目を見開いたような切迫感と、心の限りを尽くしたその歌唱は、ほとんど苦しんでいるようだ。イヌイットは「雪」を表す語彙が豊富であるという神話から名付けられたこの『50 Words for Snow』には神秘的なリアリズム、空想上の恋人、そしてここではないどこかという設定など彼女のトレードマークが感じられるが、楽曲は過去の作品よりも静か野心的であり、まるで室内楽のようである。歌われている題材はさらに物悲しい。彼女のシングルはこれまで、もうすぐ失うことになる美しい物事についての物が多かったが、『50 Words for Snow』の大半はすでに失われてしまった何かについて歌われている。その物悲しさはときに自己言及的なものでもあり、“Snowed In at Wheeler Street”では幸薄なカップルの物語が、彼女自身の過去の楽曲も登場しながら語られる。じっくりと注意を傾けて音楽を聞くことがどんどん無くなっていく時代において、これはその注意に報いてくれる音楽である。–Katherine St. Asaph

Part 2: 190位〜181位

Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・ソング200 Part 5: 180位〜176位

Part 4: 185位〜181位

180. Sons of Kemet: “My Queen Is Harriet Tubman” (2018)

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アメリカの財務長官は未だに奴隷制廃止論者=ハリエット・タブマンを冠した新20ドル紙幣について難色を示し続けている。一方で、自家製のハリエット・タブマンのラバースタンプは在庫切れとなり、Sons of Kemetとイギリス生まれ、バルバドス育ちのサックス奏者Shabaka Hutchingによる“My Queen Is Harriet Tubman”という大胆な宣言が多くのアメリカ人から賛同を集めていることを示唆している。このバンドのImpulse!デビュー作となる『Your Queen Is Reptile』の収録曲の中でも容赦ないハイライトであるこの“Harriet Tubman”は、アフリカン=アメリカン音楽であるジャズとアフロ=カリビアン音楽であるソカの融合である。しかし曲中にはUKらしい音もまぶされており、タイトルにはパンク由来の嘲笑感が垣間見え、チューバ奏者・Theon Crossの激情にはダブステップ的な揺らぎが感じられる。そしてHutching自身による息もつかせぬソロが始まるが、彼のスタッカートによって裏返った音色はまるでグライムにおけるフロウの連射と符合する。これら多くの音楽遺産を継承しているこの曲は、それでも前に進んでいる。この曲のサウンドは自由のために戦う未来の戦士たちを鼓舞するに違いない。–Andy Beta

179. Rich Kidz: “My Life” [ft. Waka Flocka Flame] (2012)

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この曲は、なんだか別の世紀からやってきたように聞こえる。アトランタのラップ・グループRich Kidzによる粗削りで大胆な宣言であるこの曲はプロデューサー・London on da Trackによって編まれたものだが、その過積載ともいえる音像は、Lex Lugerが(種々の問題によって存在感を希薄にしてしまう前に)確立した巨大なサウンド・プロダクションからの引用である。Waka Flocka Flameのキャリアは今やリアリティTVのぬかるみにはまってしまっているが、彼のこの曲への貢献は、様々なサウンドエフェクトを一度に鳴らしたようで、彼自身の2010年の傑作『Flockaveli』を思い出させる。Rich Kidzの二人、SkoolyとRK Kaelubももはや音楽制作のパートナーではない。これ以来何が起こったにせよ、この”My Life"はKoo-Aid色のダイアモンドであり、その目がくらむような輝きはまだ失われていない。–Larry Fitzmaurice

178. The 1975: “The Sound” (2016)

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“The Sound”には、The 1975の名曲たちに共通する特徴が全て備わっている。耳に残るコーラス、弾むようなネオン色のシンセ、Matty Healyはギリシャ哲学者をネームドロップし、すぐさま自分を「クリシェ」と呼ぶ。これは楽しく、賢く、そしてアンセム的な楽曲であると同時に、そういったビッグ・アンセムをからかう曲でもある。このようなマキシマリズムの上で、Healyはそれはそれはたくさんの欲望を歌う。人々の関心、セックス、知的な層からの承認、親密な人間関係、そしておそらく、不死。これは極めてミレニアル世代的な心持ちの体現である。自分自身の不安を訴えるのと同じくらい熱心に、自分自身をプロモートするのだ。–Matthew Strauss

177. A Tribe Called Quest: “The Space Program” (2016)

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A Tribe Called Questがこれほどまでにコンシャスで、(優れたラッパーの多くがそうであるように)精神的に目覚めていたことはなかった。そうではなく、彼らはハイ・カルチャーの番人としての遊戯的で冷笑的なトーンを纏い、キック・スネア・ハイハットを用いて同じ番人たちにそれを差し戻した。だからこそ彼らが18年もの活動休止ののち、この“The Space Program”において、この上ない強さで攻撃を再開したのはなんとも感慨深いことであった。この曲で嘲笑とともに提示されるのは、NASAは人種隔離政策下の列車と大差ない、つまりは金持ちだけを宇宙につれていきそれ以外の者たちはここに残していくんだという考えだ。まるで『Beats Rhymes and Life』(1996)の続きのようなソフト・タッチなキーボードとギターと共に、この曲は彼らのラスト・アルバム『We got it from Here... Thank You 4 Your service』の始まりを飾る。このアルバムは現在の世界と週末の状況を笑ってみせる作品だ。「Let's make something 」 というリフレインは、誰しもが一瞬にして感じ取れるマントラである。『We got it from Here...』はリリース直後のPhife Dawgの死によって化石的作品としての地位を確立したが、この曲はこのグループ、彼らのサウンド、そして彼らを排斥し続ける世界の中で、最後の一秒まで存在しようと戦い続けるという彼らのスピリットを克明に捉えている。–Matthew Trammell

176. Sampha: “(No One Knows Me) Like the Piano” (2017)

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UKのシンガー、Samphaがデビューアルバムの制作に取り掛かろうとなった時、彼は喪に服していた。彼が一緒に暮らし、世話をしていた母親ががんで亡くなったのだ。その結果生まれた『Process』は悲しみの辛く、ときに変化を与える力を深く覗き込んだパーソナルな作品になった。それが最もよく表れているのがこの“(No One Knows Me) Like the Piano”である。この曲でSamphaは、母親の家になったピアノを擬人化する。その家というのは彼がまだ幼い頃に亡くなってしまった父親が購入したものだった。ピアノは子供の頃に彼の失望を歌に変える手助けをしてくれた友人に例えられている。Samphaが自分の成長を語ると、部屋の生活音や鳥の鳴き声がミックスの深部で鳴らされる。それは親密さと、人生における個人的な休止期間へと迎え入れられる効果を生んでいる。–Gabriela Tully Claymore

Part 6: 175位〜171位

Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・ソング200 Part 4: 185位〜181位

Part3: 190位〜186位

185. Sharon Van Etten: “Seventeen” (2019)

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Sharon Van Ettenのベスト・ソングとは、その抑制によって傑出していることが多い。彼女のハスキーで音域の広い声と濁ったギターサウンドには脱線しそうな感覚があるが、そこは彼女のどっしりと構えた感覚によって制御されている。今年リリースの『Remind Me Tomorrow』に収録されたこの曲は、その考え方を極限まで拡張し、そしてそのまま突き抜けてしまっている。編曲は完璧であり、シンセの揺れ、Van Ettenの声の震えで巧妙に満たされた典型的なキーボード・ロック・アンセムである。しかし、彼女の若年期のドッペルゲンガーへのアンビバレントな内省は徐々に後景化し、そこで彼女は全力で叫ぶ。「きみが私のようになるのを恐れているんだ」彼女の雄叫びはクールさを失っているが、なにかもっと獰猛なものを獲得していている。–Marc Hogan

184. Frank Ocean: “Chanel” (2017)

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2016年の『Blonde』のリリース後、Frank Oceanはこのアルバムの流動的な自信の上に作られた一連のシングルを小出しにすることで翌年を過ごした。この曲はその第一弾にしてベストで、シンガー、作曲家、ラッパーとしての彼の才能を完全に掌握したアーティストの姿が捉えられている。メロディや構造に関してはあまり語る余地がない。ピアノのコードもシンプルで半透明、ビートもカジュアルでゆったりとしている。Frank、そして彼の言葉が連れて行ってくれる場所がこの曲の全てである。丘の上の温水プール、東京の裏路地、デルタ航空のファーストクラス・ラウンジ。注意深く聴けば、“Chanel”は男性性についての黙想であり、男性性の肯定と転覆を繰り返し、その無意味さを示している。そしてそれらの下部には、カジュアルでいつでも負えられると思っていた関係性が実はそれ以上の意味を持っていたことが明らかにされるという、ロマンティックな示唆もされている。意味と感情の世界をフリースタイルのカジュアルな優美さを持って楽曲に落とし込むことができるというのは、Frankに与えられた天性の才能である。–Jamieson Cox

183. Young M.A: “OOOUUU” (2016)

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Young M.Aのこの出世作には、偽ることのできない自信がにじみ出ている。ルースでスネアが重たいビートの上で、彼女は涼しげな顔で女性とのセックスをラップする。酒に酔うことや友達と軽口を叩き合うラインの中にさりげなくそのようなことを言ってのけるのは、ヒップホップの中で珍しいことだ。クィアのミュージシャンをどのように扱っていくか決めかねているこの業界においては目立つ存在であるM.Aは、この楽曲で彼女が彼女自身で居られる、あらゆる価値判断から解放された場所を作り出した。そこでは彼女はアウトサイダーではなく、自分の領域を統べる女王である。コヨーテの遠吠えを冠したタイトルはからかいであり勝利の雄叫びであり、ようやく自分の体の中で安心できたという安堵の声であり、他者にもそうしようと誘いかける声である。–Sasha Geffen

182. Beyoncé: “XO” (2013)

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“XO”は単純で甘ったるい、ハグやキス以上のものを歌っている。冒頭に流れるチャレンジャー号の乗組員が故障に気がついた際の音声は、その後に続くラヴ・ストーリーに死の影を投げかける。表面だけを見れば、徐々に盛り上がっていくこの曲はエアリーで、エロティックで開放的な旅路であったこの2013年のセルフ・タイトル作の残りの曲たちの中では息抜きのように感じられる。シンセと共にスネアがドロップし、ロック、レゲエ、EDMから引用されたサウンドスケープを作り出す。一方で、生々しく、ほとんど叫んでいるようにも聞こえるBeyoncéの歌声は、我々がそれまでに彼女から聞いたことのないものだった(のちにレコーディングの際に鼻炎を患っていたことがわかった)。

ヴィデオの中で、Beyoncéはカーニバルにいる。ゴージャスな笑顔を幾度となく見せつける。しかしカーニバルというのは所詮まやかしの世界である。若さゆえの楽しさは表面を覆い隠しはしても、下腹部の影を払い切れはしない。愛の呪文、そしてその終わりの予兆。“XO”は巧みに喜びと悲しみの均衡を描く。それは、予期せぬ終りを迎えることもある美しい物事についての教訓の物語である。 –Samhita Mukhopadhyay

181. Migos: “Bad and Boujee” [ft. Lil Uzi Vert] (2016)

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この“Bad and Boujee”の成功は、独自のポップ・カルチャーの生態系を生み出した。Migosはメインストリームのスターとなった。“Rain drops, drop tops”はキャッチフレーズとなった。この曲へのTakeoffの不参加はミーム的な陰謀論となった。この曲はMigosの中毒性を極限まで蒸留した産物である。Gucci Mane譲りのつい真似したくなるフレーズづくりの才能、Metro Boominの焼き付くようなビート、延々と続く合いの手、そして完璧なマッチングで登場するゲスト・スター。この曲の場合、売れる直前だったLil Uzi Vertがジャグジーで眠りにつくことについてラップしている。このあとすぐにMigosはThe Beatlesによって達成されたチャート同時ランクイン数の記録に匹敵し、世代を代表する巨人としてのステータスを確固たるものにした。–Jonah Bromwich

Part 5: 180位〜176位

Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・ソング200 Part 3: 190位〜186位

Part 2: 195位〜191位

190. Ty Dolla $ign: “Paranoid” [ft. B.o.B] (2013)

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Ty Dolla $ignの最大にして最良のこのシングルは、この10年の前半の多くのヒット・ソングと同じく、プロデューサー・DJ Mustardのミニマリストなタッチ、R&Bハウス・ミュージックの交配を見せつける一曲だ。その中でもこの“Paranoid”が傑出しているのは、広い空間を思わせる“snap-and-pop”なプロダクションが、「全く同じ香水をまとった」二人の女性に出会うためだけにクラブに繰り出すという物語をこの語り手に語らせるからだ。これはなにか仕掛けられた罠なのか、それとも自分の妄想に過ぎないのか、Tyは思い悩む。この内なる対話は彼自身による揺れるバッキング・ボーカルによって区切られるが、それは近代のロマンスにまつわるねじ曲がった混乱について論評するギリシャ聖歌隊である。–Jordan Sargent

 189. J Balvin / Willy William: “Mi Gente (Remix)” [ft. Beyoncé] (2017)

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コロンビアのシンガー・J Balvinの“Mi Gente”をヒットさせた要因―大胆なドラムビート、執拗な5音のボーカル・メロディー―の多くはモーリシャス系フランス人シンガー・Willy Williamの2017年の曲“Voodoo Song”(この曲自体、インド人作曲家のAkasshをサンプリングしたものである)から引っ張ってきたものである。この曲が世界的な、文化を超えたセンセーションを巻き起こしたのも不思議ではない。

BalvinはWilliamとこの素材を作り直し、スペイン語のリリック、チャント、そして火を吹くようなラテン・パーカッションを付け加えた。「el mundo nos quiere(世界が俺たちを求めている)」といった彼のラインは、この曲を普遍的なダンスフロア・ヒットに変え、全世界で断絶が進むこの時代にあって結束と団結を抱擁した。Beyoncéが大胆にもスペイン語に挑戦し株を上げたリミックスにも助けられ、この曲はSpotifyのGlobal Top 50チャートで首位を獲得した初の全編スペイン語楽曲となった。人々が団結し、この曲を好きになることを妨げるような境界線も、壁も、存在しない。この曲は、世界中に広がるネオ・ナショナリストの台頭に対抗する力がポップ・ミュージックにはあるということの証でありつづけている。–Jason King

 188. Future: “Incredible” (2017)

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傷心のうちのやけっぱちの恋愛に捧げられた酩酊感のあるこの曲の中で、彼と彼の新しい恋人は一緒にホットヨガをやり、互いに「好きだよ」とメールを送りあう。しかし彼はいまいちこの新しい恋に乗り気になれないようだ。お金や宝石、バイコディン(訳者注:鎮痛薬)への愛が同じ程の分量で歌詞に出てくる。一方、この曲のフックは至ってシンプルでわかりやすく―タイトルのフレーズを繰り返す、オートチューンのしゃっくりみたいなものだ―これまでに同じことがやられていなかったのか不思議になるくらいだ。プロデュースはDre Moon。彼はFutureの声に月明かりのようなシンセとしなやかなベースを焚べ、まるでアイランド・カクテルのような泡立ちを演出する。酩酊してふさぎ込んでいる、というような彼のイメージの歴史に照らしてみると、このような赤裸々な感情の発露にはかすかな希望のきらめきのようなものが感じられる。「このベイビーを甘やかすためならなんだってやる」と彼は嬉しそうに誓う。それは心の底からの言葉に聞こえるのだった。–Marc Hogan

 187. Thom Yorke: “Dawn Chorus” (2019)

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Thom Yorkeのソロ・アルバム『Anima』においてエモーショナルな中心的役割を果たしているこの曲には、彼の長年のパートナー、Rachel Owenの死(2016年)が影を落としている。このカップルは彼女の逝去の18ヶ月前には別離していたが、とはいえ彼がこの喪失に(どれだけ婉曲的であっても)反応していないと考えるには無理がある。「何かを恋しく思う、でもそれが何なのかわからない」と彼は物憂げに、床を引きずるような声でつぶやく。「渦の最中で風に浮いて/煙突からすすが飛び出していく、愛するきみの模様を描きながら」

“dawn chorus”とは、鳥が発情する時期に発する、朝の鳴き声である。自然を愛する一は意に介さないかも知れないが、Yorkeはこの曲の中でそれを「血に塗れた騒音」と読んでいる。有機的な世界を非難するとは、彼らしくないようにも思える。しかし喪に服している状態では、甘美であるはずのものでも辛く、酸っぱく感じられるのである。この曲で、Yorkeはそのことを美しく響かせている。–Matthew Schnipper

 186. Skepta: “Shutdown” (2015)

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Skeptaによる2015年のヒット曲“Shutdown”は、この年代を代表する究極のロンドン讃歌である。スラングを通常の語彙に押し上げてしまうほどにキャッチーで、世界で最もひ弱なサウンドシステムですら破壊してしまうほどにハードで、曲の中でほのめかしているように凱旋門とセントラル・パークを封鎖してしまうほどにこの世界と結びついている。曲の中間で差し込まれる風刺的なスキットの中で、考えられないほどに気取った女性がTVに映ったパーカー姿の男たちの「威圧的な」存在感を嘆いている。その男たちとは2015年のBRIT Awardsをグライム勢で乗っ取ってしまったKanye Westであり、その横にその他大勢のグライム・レジェンドたちと共にいたSkeptaである。この活躍によって、Skeptaのシングルはバトル・ラップ的なスタンドプレーを拒絶し、真の敵に標準を合わせる。国営放送に黒人MCが侵入したときに真珠を鳴らした金持ちたちだ。これ以降、新しい、開放の音楽としてのグライムの理想は、イギリスの大きなステージ、そしてその向こうでも、はっきりと鳴り響いている。–Jazz Monroe

 

Part 4: 185位〜181位

Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・ソング200 Part 2: 195位〜191位

Part 1: 200位〜196位

 195. Cloud Nothings: “I’m Not Part of Me” (2014)

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ゼロ年代からテン年代へ移り変わる中で出てきた有象無象のローファイ・ポップ・パンカーの中で、Cloud Nothingsのフロントマン・Dylan Baldiは歳を取るごとにヤバくなっていく唯一の存在だった。バンドのカタログのちょうど真ん中に位置するこの曲で、Baldiは彼の一見実行不可能に見えるすべての矛盾を息も絶え絶えな行き詰まりになるまで闘わせ、アルバム一枚分に値するほどの珠玉のフックたちとともに放出する。Baldiは吠える。「僕はきみじゃない/きみは僕の一部」と。これは自分の短所や、アイデンティティと取り違えてしまって拘泥してしまっているようなトラウマから開放されるための短いマントラである。過去を怒りにしてはいけない、とこの曲は言う。過去はあなたを前進させるものなのだから。–Ian Cohen

 194. Lil B: “Wonton Soup” (2010)

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2つの真実:Lil Bは「Galaxy Brain」級の平和、愛、理解を載せた喜びの船である。彼はこんなツイートもしている。しかし精神性が理性に負けてしまう必要はなく、この10年間この”Based God”は自身のオプティミズムクリエイティヴな自信のヴィジョンにコミットし続け、ベイ・エリアブログ界の碩学からニュー・スクールの正統な英雄へと進化したのだ。この”Wonton Soup”は最初期の頂点であり、準・メインストリームへと波及していった最初の曲である。彼のスタイル面でのトレードマークをすべて見ることができる。延々と続く”woop”というアドリブ、靄がかかったようなプロダクション、バカバカしい歌詞がまるで禅問答の快感に変わっていくように思えるモノトーンなデリバリー。これはBaseGodismについての最良の議論であり、説法よりもいいものかも知れない。–Jeremy Gordon

 193. Nilüfer Yanya: “Baby Luv” (2017)

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ロンドンから出てきたNilüfer Yanyaはこの”Baby Luv"において、少ないもので多くのことをやってのけている。この曲は彼女の執拗なギタープレイ、切迫した歌声以外にはスポットライトはあたっていない。Yanyaは繰り返しを巧みに使い、言葉やフレーズを楽器のように掌握している。彼女が「Do you like pain?」と聞くとき、その直前の”again”という一単語が何度も何度も繰り返され、その言葉の意味は消え失せてしまう。これが彼女のソングライターとしての「慎ましさ」のいい例である。明るい赤字のブロック体で文字を綴っていくのではなく、彼女は注意深く言葉を選び、それらの最大の力を引き出して爆発させるのだ。この曲のブリッジ部分で彼女が「call me sometime」と歌うとき、その聞き慣れたフレーズは新しく、そして脅かすような形を帯びる。–Madison Bloom

 192. Tame Impala: “Feels Like We Only Go Backwards” (2012)

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Tame Impalaの音楽はよく脳を溶かすような音楽的探究であると捉えられるが、バンドの中心人物・Kevin Parkerは実はポップスターばりの感情への理解を持っている。2012年作『Lonerism』に収録されたこの曲は、メロディと歌詞だけに注目すれば打ち砕かれた希望と拒絶に関する壮絶な瞑想である。しかしギャロップの歩みのようなベースや、万華鏡のように常に移ろっていくテクスチャと共に聴くと、祝祭的までとは言わないまでも、どこか郷愁的な色を帯びる。「Swimming Pools (Drank)」のヒットと論争も冷めやらぬ頃のKendrick Lamarがなぜこの曲でラップすることに惹かれたのか、これを聴けばわかるだろう。そして、Parkerがこの10年で、どのようにしてヘッドフォンの中の作家主義的ミュージシャンからコーチェラのヘッドライナーまで上り詰めたのか、その答えもここにある。–Marc Hogan

 191. Rico Nasty: “Smack a Bitch” (2018)

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Rico Nastyのショウに行けば、彼女が発する一語一句に飛び跳ね、のたうち回る10代の女の子たちの群衆を見ることができるだろう。Bikini Killのスローガン”girls to front”の精神で、このラッパーは彼女の最も凶暴な曲をやろうという時は女性だけのモッシュピットを要求する。若い女性たちがそれぞれの怒りを共有できるようなスペースをあえて空けておいた上で、だ。

その抑えがたい怒りの感覚こそ、彼女の出世作”Smack a Bitch”が多くの人々の心を串刺しにした理由である。Kenny Beatsによってプロデュースされた揺らめくような、ギターが鳴り響くトラックでRicoは「神よ、今日はビッチをやっつけなくても良かったことに感謝します」と叫ぶ。まるで誰かに一撃を食らわすことが彼女の日常的なルーティンであるかのように。彼女のデリバリーは半ば精神病の領域に踏み込み、「お前は終わってる」と宣言し、狂ったように高笑いする。Ricoは絶対に誰にも媚を売らない(=take no shit)し、それが見ていて痛快である。–Michelle Kim

 

Part 3: 190位〜186位