海外音楽評論・論文紹介

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Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・アルバム200 Part 1: 200位〜191位

2010年代。プレイリストが関係のない曲たちで溢れ、アルゴリズムがリスナーを全方位から撃ち尽くす時代にあって、フル・アルバムのリリースというものがアンティークになりつつあるように感じられる。しかし優れたアーティストはいつの時代にあっても彼らのヴィジョンを拡張するような作品を作り、特にこの10年で彼らはアルバムという概念を進化させる方法を見出した。ヴィジュアル・アルバムという新しい試み、突然のリリース、そしてフィジカル・メディアにはもはや収まらないほど引き伸ばされた収録時間。かくしてこのフォーマットは生き延び、この荒れ狂った10年を経て、いまや最盛期を迎えている。以下のリストが、我々が選んだこの10年のベスト・アルバム200である。

 

200. Ratking: So It Goes (2014)

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アートワークに現れている、ディテールを徹底的に描きこんだニューヨークの地図からもわかるように、Ratkingのデビュー作『So It Goes』(2014)は彼らのホームタウンに深く飛び込んだ作品である。ハーレムのポーチの階段からカナル・ストリートに面した賑やかな店頭へと飛び出したのは、すきっ歯の癇癪持ち=Wikiと物憂げな夢想家=Hak(彼の軽口は止まることを知らない)だ。プロデューサー・Sporting Lifeの作り出すアブストラクトでサンプリング主体のサウンドスケープは近代のコンクリート・ジャングルの混沌を想起させる。70年代のノー・ウェイヴと90年代ヒップホップの実験性を連想させるサウンド。それらが合わさってRatkingはこの街の凄まじい風景画を描き出す。“Remove Ya”では街にはびこる"stop-and-frisk abuses(警官による暴力的な職務質問)"を取り上げる一方、ジャジーな“Snow Beach” ではビッグ・アップルを蝕むジェントリフィケーションを糾弾する。『So It Goes』はニューヨーク・シティのありのままの現実を伝える。 それはうわべだけ綺麗で、冷徹で、醜く、「眠らない街」の姿だ。–Quinn Moreland

199. Wu Lyf: Go Tell Fire to the Mountain (2011)

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ゼロ年代後期からテン年代初期にかけて、透き通ったギター・サウンド、謎めいた歌詞、そして自分の出自の詳細をを共有することへの嫌悪感を持ったインディー・バンドが数多く現れた。しかしそれらのバンドにはWu LyfのEllery Robertsのようなシンガーが不在だった。『Go Tell Fire to the Mountain』は辛抱強いポスト・ロック的構成によってRobertsのズタズタにされた喚き声を支え、それによって純然たるカタルシスが産み出されている。これらの楽曲は刃物のような鋭さを持つほどに赤裸々である。冒頭の“L Y F”でRobertsは“I love you forever”と叫ぶ。この実直さを思えば、彼らがその後解散したことも驚きではない。これほどの激情を保ち続けられる人がいるだろうか。誰もそんなことは望まないはずだ。Robertsの叫びが何についてなのか理解するのは簡単ではないこともあるが、シンガロングを誘うWu Lyfのベスト・チューンである “We Bros”は、「変わり者」の疎外感の中に佇んでいる。–Marc Hogan

198. Jean Grae / Quelle Chris: Everything’s Fine (2018)

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 この作品で、Jean GraeとQuelle Chrisの二人は近代のあらゆるトピック―警官による黒人への不当な扱い、インスタグラム・モデルが与える影響の拡大―に対し、濃密なスキット、凄まじいほどのパロディ、そして鋭いラップといった手法で真正面から切り込んでいく。彼らが始める会話には必ずしも結論があるわけではないが、二人は思慮深く、そしてその内容のためにスタイルを捻じ曲げることは決してない。Graeは足場として、どちらかといえば伝統的な手法を好む。彼女の技術は正確極まりないが、Chrisはワイルド・カードである。二人に違いはあれど、それがラップの面でもプロダクションの面でも互いを完璧に補完しあっている。このバランスは幅広い客演陣にも受け継がれていて、全員が二人の発するエネルギーに見合うパフォーマンスをしている。しかし結局の所この作品はJean GraeとQuelle Chris、“fine”であることに満足しない二人についての作品なのだ。–Alphonse Pierre

197. Fatima Al Qadiri: Genre-Specific Xperience (2011)

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 プロデューサー・Fatima Al Qadiriのこの作品ほど興味をそそられるグローバル音楽のドキュメントはここ10年間殆どなかった。ジュークやダブステップ、デジタル・トロピカリアといった細分化されたジャンルを翻訳し、彼女のインターナショナルな出自・ゲーマーであった過去と結びつく筋の通った声明として一直線に並べる、冷たくミニマルな実践である。5曲入りであるが、その志は高い。Ryan TrecartinやSophia al-Mariaといった著名なアーティストたちによって撮影された映像は、ニューヨーク美術館で公開された。そして何より、知性に訴えかけるダンスフロアがどんな形をしているのか、この作品はその一例を提供した。–Julianne Escobedo Shepherd

196. Portal: Vexovoid (2013)

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21世紀のデス・メタルバンドの中にはデジタル技術を支持し、その技術がジャンルにもたらすクッキリさを求める向きもいる。削岩機が向かってくる音を高解像度の音で聴くのを想像してみよう。Portalの爆発的な音楽に、そのモダンなパリッと感を見出すことは難しい。彼らはその代わりにオールド・スクールなデス・メタルを更新し、一つの津波を何重もの津波に変えてしまったのだ。このオーストラリアのバンドは全ての楽器を溶かして一体化させ、一列に並べてぶっ放すことに成功している。ヴォーカリスト・The Curatorのスローで喉から絞り出すようなグロウル、ドラマー・Iginis Fatuusのグツグツとかき混ぜるようなパーカッション(全てのメンバーは本名を明かしておらず、マスクをかぶってパフォーマンスを行う)。壮大なギターソロ、SF的な歌詞など、馴染み深いメタル要素もかすかに見られるが、それらをタール質で懲罰的に醸造することによってPortalはメタルをその出発点に引き戻している。つまりなにか恐ろしく、刺激的で、真新しい音楽としてのメタルへ。–Matthew Schnipper

195. Downtown Boys: Full Communism (2015)

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「我々が自分たちのにあるものだけで満足することがないのは何故だ?」“Monstro”の冒頭でVictoria Ruizは叫ぶ。Downtown Boysの鮮烈なデビュー作『Full Communism』のハイライトである。それは、国民(特に若者と、周縁化された人々)から必死になってなけなしの富をかすめ取ろうとする資本主義国家に対して投げかける問いとして、かなり的を得ている。真正なパンクの怒り―そして時折顔を覗かせるサックスのうまい使い方―によって、Downtown Boysは怒りのための場所であることを宣言する。Joey L DeFrancescoのギター・コードはこの最低な現状をぶち壊すためにかき鳴らされ、ドラマーのNorlan Olivioはバンド全体をアジテートし、この性急な緊迫を高めていく。この『Full Communism』で、Downtown Boysは人民を搾取のサイクルに固定化するシステムに対する、公正ないらだちの先駆者としての立場を確立したのだ。–Sasha Geffen

194. Titus Andronicus: The Monitor (2010)

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南北戦争ブルース・スプリングスティーンを生んだニュー・ジャージー、そしてTitus AndroniciusのシンガーPatrick Sticklesの自発的なアメリカ・メインストリーム文化からの亡命、そしてバグパイプを少々。これらをごちゃまぜにすると、この年代のエモ・ロック・バンドの青写真であるこの『The Monitor』が出来上がる。Sticklesの熱の入った想像の中では、全てはそれ以外全てを指し示すメタファーである。高校は戦場、彼の不安や不快感はエイブラハム・リンカーンのもの、そしてブルースが言った「宿無しは走るために生まれてきた」というのは間違いで、「死ぬために生まれてきた」のだ。嵐のようなリズム隊とともに、Sticklesはしゃがれた声で叫ぶ。人生において与えられた役割を受け入れること。悪意を糧にすることは馬鹿げているということ。ある曲のコーラスで彼は「お前はいつだって負け犬なのさ」と叫ぶ。何度も何度も。彼は負け犬たちにアンセムを与えることも忘れない。–Jeremy D. Larson

193. Lil Peep: Hellboy (2016)

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 『Hellboy』はLil Peepがまだ10代のときにリリースされ、その後数年の間に彼は亡くなってしまった。このミックステープは彼の苦しみ、そして苦しみから開放されたいという希望、そしてその希望は恐らく叶えられないだろういう諦念に焦点を当てた作品である。

彼は間違っているわけではない。そしてそのことはこのアルバムをまるで無視できない救助信号のように聞こえさせる。彼の音楽の中心に据えられた孤独は彼特有のものではない。彼に特有なのは、その孤独を蒸留する能力だ。成功を目の前にしても、彼の憂鬱は消えることがない。「前は自分を殺したかかった/そして今ここまできた、それでもまだ自分を殺したいんだ」エモ・バンドやエレクトロ・ミュージックから拝借してきたリフの上で濃厚に重なる彼の声。その響きがたまらなく美しいのがほろ苦い。もし彼と同じ苦しみを味わったことがあるなら、この作品はあなたが一人ではないことを確証してくれる。もしそんな苦しみを感じたことがないのなら、彼はその苦しみがどんな感覚なのかを我々に見せてくれるだろう。-Matthew Schnipper

192. Kelela: Cut 4 Me (2013)

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Kelelaはこの『Cut 4 Me』のリリースによって、エクスペリメンタル・ベースのムーヴメントをなにか人間的に感じられるものに昇華した。それはまるで、地球外生命体の研究チームがついに彼らとの接触に成功したかのようだった。UK発のレーベル・Night SlugsとL.A.にある姉妹レーベル・Fade to Mindのプロデューサー集団によって製作されたこのアルバムは、ドラムンベースダブステップ、テクノ、グライム、フットワークの要素を捻じ曲げ、人の少ないアンダーグランドなクラブ向けのサウンドトラックに仕立て上げている。クルーのメンバーたちの多種多様なスタイルを繋ぎとめる合鍵となっているのはKelelaである。彼女こそがシンセのマトリックスを開け、ガラスを打ち砕き、合間に挟み込まれた無音に隠されたソウルを明らかにする美しい歌い手である。その時代をくっきり映し出すものでありながら、未来を予言している作品というのは滅多にないが、『Cut 4 Me』はまさにその好例である。–Puja Patel

191. Kate Bush: 50 Words for Snow (2011)

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Kate Bushのこの10年で唯一の作品であるこの作品の中で、彼女は空から降ってくる雪の粒をキャッチしたり、人間に見つかってしまったイエティに警告したり、溶けていく雪だるまと一緒に眠ることについて歌っている。大きく目を見開いたような切迫感と、心の限りを尽くしたその歌唱は、ほとんど苦しんでいるようだ。イヌイットは「雪」を表す語彙が豊富であるという神話から名付けられたこの『50 Words for Snow』には神秘的なリアリズム、空想上の恋人、そしてここではないどこかという設定など彼女のトレードマークが感じられるが、楽曲は過去の作品よりも静か野心的であり、まるで室内楽のようである。歌われている題材はさらに物悲しい。彼女のシングルはこれまで、もうすぐ失うことになる美しい物事についての物が多かったが、『50 Words for Snow』の大半はすでに失われてしまった何かについて歌われている。その物悲しさはときに自己言及的なものでもあり、“Snowed In at Wheeler Street”では幸薄なカップルの物語が、彼女自身の過去の楽曲も登場しながら語られる。じっくりと注意を傾けて音楽を聞くことがどんどん無くなっていく時代において、これはその注意に報いてくれる音楽である。–Katherine St. Asaph

Part 2: 190位〜181位