海外音楽評論・論文紹介

音楽に関するレビューや学術論文の和訳、紹介をするブログです。

Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・ソング200 Part 24: 85位〜81位

Part 23: 90位〜86位

85. Charli XCX: “Track 10” (2017)

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Charli XCXは「聴くSF」である。愉快なほどにロボット風で、風変わりなほどに宇宙的な彼女は2017年のミックステープ『Pop 2』で自分が何処へ向かっているのか、そして何処を目指すことができるのかということを誰よりもよく理解していた。その最後に収録されているのが“Track 10”、後にプロダクションを変更しLizzoをゲストに迎えた2019年のシングル“Blame It On Your Love”となる楽曲である。しかしこちらのやや質素なオリジナルのヴァージョンはベース・ドロップだけではなく、繰り返しループし、その度に心と四肢に深く入り込んでくる、重く積み重なったコーラスに依拠している。Charli XCXはポップ・ミュージックの鍵となる部分のコードに揺さぶりをかけている:可能な限り少ない言語でより多くのことをやってのけてしまうのだ。“Track 10”のコーラスは我々の耳を奪ったまま、それを聞く前の世界のあり方を忘れさせてしまうほどだ。–Hanif Abdurraqib

84. Kelela: “Bank Head” (2013)

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6年前にリリースされたこのKelela“Bank Head”は未だに改善され続けている存在の実証である。今日、電子音楽のプロデューサーとタッグを組むR&Bシンガーは珍しくない:しかしまだまだ物事が素朴だった2013年の夏の間、KelelaとKingdomによるmp3のデモはまるでクラブキッズとR&B原理主義者の両方が直感的に察知している未来のようなサウンドに聞こえた。つまり、文化的錬金術師(訳注:cultural alchemist。様々な文化的要素を背景に持つ表現者のこと?Jason Maydenによるこの記事がわかりやすい)としてブラック・クィアアンダーグラウンドが正当に評価されるということだ。Kelelaをアンダーグラウンド・アイコンとして売ることは簡単だった:彼女のヴォーカルは彼女たちの世代がJanet、Brandy、Mariahから学び取ったアクロバティックな技術に裏打ちされていたし、彼女のスタイルはウルトラモダンな開会式を好むようなファッション業界の人間にも受けが良かった。あとはビートが仕事をするだけだ:この曲の駆動を担う手拍子はマイアミ・ベースからバイリ・ファンキ、ハウスに至るまでジャンルを横断しながら尻や舌に行動を促す。そしてシンセにまみれたこのトラックはまるでベッド・スタイ(訳注:ベッドフォード=スタイベサント。ニューヨークはブルックリンの一地区)の閉店後のクラブから朝日を浴びながら出てくるときのようなサウンドだ。「時間はとてもゆっくりと過ぎていく」とKelelaは歌っているが、彼女がこの未来的なサウンドを描き始めていたときのことをまるで昨日のように感じてしまう。–Matthew Trammell

83. Deerhunter: “Desire Lines” (2010)

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多くのDeerhunterのカタログとは異なり、この“Desire Lines”はフロントマン・Bradford Coxとほとんど無関係である。代わりにギタリスト・Lockett Pundtによって歌われるこの曲は彼らの5作目であり『Halcyon Digest』のハイライトである。金切り声を上げる2つのギターリフが狂乱の数分間の間互いをめがけて突進しやがて衝突する。その間バンドはと言えばこの楽曲を、まるで死んでいるのかどうか確かめるかのようにハンマーで何度も何度も殴りつける。最初あなたがこの曲を聞いてArcade Fireだと思ってしまうのも無理はない―“Desire Lines”は(Arcade Fireの)“Rebbelion (Lies)”と同じ苦悩の声から始まる―しかしDeerhunterのほうが鋭いエッジを用いていて、楽曲が持つ生々しい素材をよりダークでエレガントな形に削ぎ落としている。–Jo Livingstone

82. Dej Loaf: “Try Me” (2014)

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2019年のラップ界では、ジェンダー・ノームの転覆が両極で起こっていた。一方では、甲高い声の小僧どもがこぞって、いかに男性的でR指定な歌詞を吐き出しながらも子供っぽく内気に聞こえさせることができるかということを競っていた:Playboi CartiやLil Uzi Vertの最新のヴァースを聞けばLooney Tunesの葉巻を吸っている赤ちゃんを簡単に思い浮かべることができるだろう。他方では、筆鋒鋭い女性ラッパーたちが猫の目のようなメイクをしながら、このジャンルを新たなエッジへと誘っている。これらの現象は決してフェミニズムを称揚しているだとか、そういうことではない―あなたが彼(女)たちをどう見ようと、彼(女)たちはあなたの喉元に掴みかかってきているというだけの話だ。その双方のスタイルの試金石となるのがDej Loafの“Try Me”であると主張することができるだろう。デトロイトの玄関ポーチから巻き起こった嵐で2014年を席巻した、キラキラと光るストリート・アンセムである。彼女のユニセックスな服装や柔らかな声と、敵を「マカロニにしてやる」という宣誓によって、彼女は女性ラッパーが時に酸っぱく、時に甘く、メロディーの中で男たちに教訓を示すというやり方を切り開いた:一例として、A Boogie Wit Da Hoodieは彼のラジオ受けするようなフロウをDej Loafの先駆者的スタイルから拝借したと認めねばならないだろう。–Matthew Trammell

81. Cass McCombs: “County Line” (2011)

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Cass McCombsがこの孤独の苦痛にまつわる柔らかな枕のような瞑想をリリースした頃には、彼はすでに謎めいた時節違いの歌を好む、とらえどころのないアメリカン・フォーク・ロック・シンガーとしての地位を確立していた。彼の柔らかなファルセットを全面においたこの“County Line”はMcCombsの曲にしては珍しく、自身の美しいメロディーの才能を奇妙なコード進行や耳障りなインダストリアル・サウンドでわかりにくくしたいという衝動に抵抗し、美しいオルガン、か細いドラム、鼻にかかったギターを背景に選んでいる。この曲の力はその美しさを主題が持つ惨めで香り高い痛みによって相殺し、高速道路の標識を互いの人生に出たり入ったりする際の目に見えない境界線のメタファーに高めてしまうようなやりかたに宿っている。McCombsの手にかかれば、“君はぼくを愛そうともしなかった”という赤裸々な歌詞でさえ、簡単に解釈できるものではなくなる―何故か。それは“County Line”のミュージック・ヴィデオに登場する、アメリカとメキシコの国境に並ぶ車の列を見ればわかるだろう。–Emilie Friedlander

Part 25: 80位〜76位