海外音楽評論・論文紹介

音楽に関するレビューや学術論文の和訳、紹介をするブログです。

Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・アルバム200 Part 11: 100位〜91位

Part 10: 110位〜101位

100. Ariana Grande: Sweetener (2018)

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 一時、Ariana Grandeのキャリアは暗闇に飲み込まれてしまうのではないかと思われた。2017年、マンチェスターでの彼女のコンサートでは自爆テロで22人が亡くなった。そこにいた人達であれば、その後ベッドから起き上がること、それだけでも称賛に値することであった。しかしGrandeは底知れぬ強さとともに毛布すらも投げ捨て、さらにはこの『Sweetener』で表舞台にカムバックした。そのトラウマからこの明るいポップの肯定までは決してまっすぐな道のりではないが、彼女はそこを優雅さと平静さを持って歩き抜いた。アルバムの大半を共作・プロデュースしたPharrellはバウンシーで忙しないビートでゼロ年代初頭の華やかさを醸し出している。Grandeはその大きな声で悼み、祝福する。“no tears left to cry”という悲劇的なタイトルは、他の人が使えば少しやり過ぎなくらいセンチメンタルになりすぎていたかもしれない。しかしGrandeが使えばそれはアンセムになる。このアルバム全体がそうだ。–Matthew Schnipper

99. Bad Bunny: X 100PRE (2018)

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シングル曲の強さだけでアリーナを売り切ってしまうミュージシャンというのは珍しいのだが、Bad Bunnyはまさにそれをやってのけてしまった。しかも彼の規格外で風変わりなペルソナがアメリカにする多くの英語話者に認知されるよりも前に、である。このプエルトリコ人のシンガー/ラッパーは適切なタイミングで現れた適切な人物―若く、風変わりで、並外れた才能があり、実験的である―であり、Soundcloudにアップされたシングルは口コミで広がっていき彼は自身の新興宗教の調達者となった。『X 100PRE』というタイトル(「永遠に」を表すインターネット上の言葉遊びだ)は彼の音楽性の永続性を自己評価したものであるが、作品自体は彼の幅を探求したものであり、自身が率いたラテン・トラップの波に乗りつつも、デンボウ、切ないバラ―ド、クラブ風のレゲトン、明るく元気いっぱいなエモなどにも挑戦している。

Bad Bunnyが厳格な男性性のスクリプトに準拠することを回避していること―爪を磨くことや、アクリルのエクステを身につけることなど―はこの音楽がムーシカ・ウルバーナ(アーバンな音楽)であることを表していると同時に彼の音楽の自由さを表していて、『X 100PRE』はそのような頑固さへの素晴らしき反抗である。作品を通じて、彼の深く、そして実証的なコミュニティへの思いは、個人的な騒々しさと自尊心を透過に表現する能力によって特徴づけられている(もしくは、バンガーである“Caro”で彼が言うには、「俺が俺に価値があるということを知っている」)。希釈されたレゲトンとそこから派生した様々な音楽が英語圏のオーディエンスの人気を獲得し米国のチャートを駆け上がったが、Bad Bunnyのデビューは、彼らの若きスペイン語話者のファンたちへの返答として最も重要な作品である:ここは彼らの世界であり、彼の世界であり、彼らはそれを手に入れたのだ。–Julianne Escobedo Shepherd

98. Todd Terje: It’s Album Time (2014)

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ノルウェーのニュー・ディスコ・マスター、Todd Terjeの今日に至るまで最新作のタイトルは、人気DJ/プロデューサーというのはいつも12インチやエディットから「シリアスな」アルバムによる声明に飛躍するよね、ということを認める冗談である。Terjeはこの通過儀礼に対して、人生に一度の真に特別な出来事―一番の盛装をして、冷蔵庫の一番うしろにしまってあったシャンパンのボトルを開けるような―であるかのようにアプローチしている。『It's Album Time』という作品を聴くということは、宇宙的なカクテル・ラウンジの幻想曲に足を踏み入れるということである。一流のおもてなしをするべく、Terjeは夕方のお楽しみに完璧なペースをセットし、まずは焦らすような前菜(作品の幕開けを含む、つまらないスペース・ファンクの楽曲)を提供した後からメイン・コース(“Strandbar”や“Delorean Dynamite”のような、ひたすらに快楽的なエレクトロ・ハウスの歓び)を振る舞ってくれる。自身のエキセントリックなイメージによってDJ兼アーティストの作るアルバムのテンプレートを作り変えようという試みの中で、Terjeはあるお決まりの手法に頼るしかなかった:ロックスターのカメオ出演である。しかしこの場合、それは計算されたクロスオーヴァーの試みではない。Robert Palmerの1980年作、ムーディーでミニマリストなニュー・ウェイヴの傑作“Jonny and Mary”にBryan Ferryをキャスティングすることで、Terjeはこのアルバムの乱痴気騒ぎに絶妙なタイミングで休憩を挟み込むだけではなく、それを最も必要としている失われた魂たちへの同情的なポートレイトを描き出している。–Stuart Berman

97. The War on Drugs: Lost in the Dream (2014)

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War on Drugsの三作目にして最初の傑作、『Lost in the Dream』において、 “An Ocean Between the Waves”や“Red Eyes”といったハイライトは単純な快楽を軸としている:ゆっくりと盛り上がっていく展開や、タイミングのよい「ウー!」という掛け声。しかしバンドのリーダーであるAdam Granducielによるプロダクションは綿密にレイヤーが重ねられ、時折純粋なアンビエンスへと溶け込んでいき、彼のダークな手触りがより大きなストーリーを語りだす。伝説によると、Granducielは創作に打ちのめされ、自分で作った楽曲を捨てて作り直すという作業を延々と繰り返しほぼ狂気と虚脱状態であったとされる。「この作品に、自分が望んでいたようなやり方で貢献しているような気がしなかった」と彼は当時語った。それは高いハードルであるが、それが彼らしい:これは、現実の人生とでたらめな夢の間の靄のかかった交差点で永遠に生き続ける音楽である。–Sam Sodomsky

96. Low: Double Negative (2018)

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 この容赦ない政治的狂気のさなか、Lowは守りに入って争いに関わらずに住むことだってできたはずだ。しかし25年間のキャリアの中でリスクを厭わず活動してきたこのミネソタの三人組はこの混乱に立ち向かうこと―もしくは、少なくともこの混乱を音楽にすること―を義務として感じた。『Double Negative』において、Lowがかなり前に発明したしぶといスローコアのサウンドは壊れたメロディー、歪んだアンビエンス、そして遠い残響へと崩壊していく。”Always Up”と”Always Trying to Work It Out”の中で、彼らはスマートフォンをもっている人なら誰でも日々経験している睡眠不足からくる疲れを映し出す。しかし『Double Negative』はバラバラの破片になったスタンダードなLowの作品ではない。それは何か矛盾したものを生み出しながらその革新へと迫っていく、彼らに予め備わっていた影響―ダブ、テクノ、ドローン、ノイズ―で自給された作品であり、首尾一貫した混乱の表現である。–Marc Masters

95. Jai Paul: Leak 04-13 (Bait Ones) (2019)

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 2013年、Jai Paul名義のデモやラフ・テイクを集めた音源が彼の関与や承認なしにBandcamp上で売りに出されると、すでに世捨て人であったこのポップ・ソウルアーティストは更に辺境へと飛び出した。ほとんど7年間もの間、一回のゲスト参加と彼率いる芸術シンクタンクThe Paul Instituteの裏方での作業を除いて、彼は沈黙していた。そして2019年に彼は新曲を追加し、リークされた音源の公式リリースという形で再びこの作品を公表した。そして手記の中で彼はこの経験の「完全な衝撃」とその後の感情的な落ち込みを打ち明けた。

9年に渡って作り上げられたこの『Leak 04-13 (Bait Ones)』は、その長い創作期間を経てもなお、毛羽立ったビートの実験精神、スペース・エイジ・ファンクが詰まった粗削りでタイムレスなカプセルであり続け、ボリウッドをサンプリングした柔軟な“Str8 Outta Mumbai”は“BTSTU”の大ヒット以降Paulの周辺で巻き起こった「一発屋」論争をピシャリと終わらせてしまうような輝かしいポップなハイライト曲である。2010年の初期にすでに感じられていた、刺激的でジャンル分け不能な未来は、このディケイドの終わりにそれにふさわしい再訪とリアリティ・チェックを受けたのだった。–Eric Torres

94. Vampire Weekend: Contra (2010)

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Vampire Weekendの2008年のデビュー作は、Wes Anderson風の上流階級生活の装飾によってパンク精神を持つファンたちを逆なでした。彼らはさらにリスクを冒し、『Contra』というタイトルをニカラグアでCIAの援助を受けて活動していた同名の右翼軍事団体からとってつけた―これは同国の共産主義政府にちなんで命名されたThe Clashの『Sandinista!』をかけたとんちである。『Contra』はVampire Weekendが持つ側面を全て増幅し激化させた作品であり、伝統的インディー・ロックのファンたちはそれを「反動」と結び付けた: 優美な細部、快活な弾み、裕福なボンボンのような抜け目なさ、これ見よがしな引用。デビュー作のデモのようなサウンドに磨きをかけ、『Contra』はチャートを意識して作られている。ドラム・マシーンは人間の手による演奏と統合され、デジタル・リヴァーヴは一連の音像にかすかに「録音物感」を付け加えている。狂気のように走り抜ける“California English” ではEzra Koenigの元来バターのような歌声がオートチューンによってなめらかな光沢を与えられている。

『Contra』が『Sandinista!』と共有しているのは、その後のThe Clashがそうであったように、外向きな立場と越境的な雑種性への切望である。彼らの楽器庫の中にはレボロ、ザブンバ、シェケレがあるが、私にもそれらが何なのかはわかっていない。しかしこれらのエキゾチックな借用は「抵抗の律動」としての一体感よりはむしろリベラル=エリートの観光旅行のように読める。それが何につながっていくのか?Vampire Weekendはどちらの側に立っているのか?しかしサウンドがこれほどまでに心を引き、言葉がメロディーと魅力的に踊っているのを聴けば、そんなことを気にするのは至難の業である。–Simon Reynolds

93. Tirzah: Devotion (2018)

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Tirzahのデビュー・アルバムを傑出したものにしているのは、彼女の声(温かく穏やかなかすれ声)や彼女の歌詞(関係性の性質についての思考をスクラップしたもの)だけではない。それは彼女の歌い方に込められたさりげない親密性にある:このロンドン出身のアーティストが“Fine Again”のコーラスで単語を一つずつ伸ばして肩を覆えるほどの長さにしてしまうような、そんな方法だ。“Affection”では言葉になる前のヴォーカルが身をくねらせている。顎を突き上げて柔らかな警告をする“Go Now”。多くの楽曲で使用されているのは彼女が即興的に歌った最初のテイクであり、それはTirzahとこのアルバムのスペーシーなビートと内生的なピアノの反復を作り上げた作曲家/ミュージシャンのMica Leviとの間の友情の証である。ポスト・プロダクションの段階での磨き上げにおいてその瞬間の感情の価値を大切にしながら作られたこの『Devotion』は、その結果として真に奇異なポップ作品であると同時に聞きやすい作品になっている。–Ruth Saxelby

92. JAY-Z / Kanye West: Watch the Throne (2011)

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JAY-ZKanye Westが自分たちを祝福してタッグを組んだ『Watch the Throne』は、2011年のリリースに際し、全世界的な経済危機の直後にマイバッハを破壊するような放蕩ぶりによって非難を受けた。どちらのラッパーも自分たちが趣味の良さの限界を広げたことに関して謝らなかったが、さらに言えばこの金塗りのアルバムはその虚飾を補って余るほどの内容を持っていた。両スターは想像もできないほどの社会的上流階級にまで登り詰めながら除け者のように感じていることについてのこれらの楽曲のなかで、人種についての最も深く悲しみを誘う沈思を披露している。札束の山の上で寝そべることと、Olsen姉妹と結婚することについての有名な2つのラインの間にあるのは実はWestの地元・シカゴでのギャングによる暴力に関しての思慮だったりMartinやMalcomを思い出させるような賛美歌だったりする。このアルバムは皆が共感できる作品だろうか?そうではない。そうではないが、我々を啓発してくれる作品ではあるし、時に思いがけないほど感動的であるのだ。–Evan Rytlewski

91. Bon Iver: 22, A Million (2016)

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振り返れば、『22, A Million』でのスタイルの変化は必ずしも予想外のことではなかった。Justin VernonはKanye Westとのスタジオ作業を経てオートチューンやその他のデジタル技術に触れ、それらの超モダンな仕草がこの『22, A Million』と初期2枚の謙虚でアーシーなトーンとの隔たりを生んでいるのだ。しかしこのウィスコンシンのグループの2016年の作品をこれほどまでに衝撃的なものにしているのはプロダクションの選択よりもその純然たる大胆さにこそある。陰と陽のシンボルやヨーデルにも似たヴォーカルの飛躍からウィッチ・ハウスのミックステープからとったと見られる表記が歪んだ曲のタイトルまで、このアルバムには恥ずかしげもないほどの風変わりなエネルギーが存在している。何処までが手の混んだギャグなのか見極めるのはいつだって簡単ではない:アンチ・ブランドの顔であったヴァーノンが、上流階級ヒップスターのエース・ホテルでの交友を本当に称賛するだろうか? しかしあなたが“___45___”の絡み合ったサックスや加工されたクワイアを聴く頃には、このアルバムの根底にある誠実さを疑う余地はなくなっている。–Philip Sherburne

Part 12: 90位〜81位(執筆中)