海外音楽評論・論文紹介

音楽に関するレビューや学術論文の和訳、紹介をするブログです。

Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・アルバム200 Part 8: 130位〜121位

Part 7: 140位〜131位

130. Tame Impala: Lonerism (2012)

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本質的には『Lonerism』とは、常にアウトサイダーのような気分であることの意味についての、神経質で深く内省に潜ったアルバムである。それが多くのフォロワーを生み、Tame Impalaをメインストリームに押し上げたということは皮肉ではあるが、驚くべきことではない。作品の中ではクラシック・ロックの語法が敬意を持ってアップデートされ、まるで無限に供給できるかのように覚えやすいリフが次から次へと繰り出され、至福の瞬間にもカタルシスの幻覚を生む余裕がある:諧謔的なシングル“Elephant”には確信が感じられ、特に威張っているように聴こえるが、“Feels Like We Only Go Backwards”は吹きすさぶシンバルとフロントマン・Kevin Parker自身のためらいと打ち砕かれた希望についての共同体的なフックを中心に組み立てられている。しかしこのTame Impalaのセカンドアルバムから一つだけ取り除くべきアイデアがあるとすれば、すべてが我々の制御下にあらず繰り返されているということだ。苛立ちがこれほど素晴らしく聴こえたことはない。–Sam Hockley-Smith

129. Various Artists: Bangs and Works Vol. 1: A Chicago Footwork Compilation (2010)

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ダンス・ミュージック界隈において、この『Bangs and Works』よりも重要な近年のドキュメントを思い浮かべるのはなかなか難しい。シカゴのフットワークはこのコンピレーションが出た時すでに20年以上のの歴史があったが、ローカルなシーンの外部にいる人間にとっては、首が折れてしまいそうになるビートと忘れがたいソウルのサンプルが融合したこのジャンルの初めての体験になったことは間違いない。フットワークを世界中に知らしめたパイオニアであるRP BooやDJ Rashadによるこのジャンルの形式の実例に始まり、精神世界に接近したDJ Nateのトラック、愛情支援についての簡潔な瞑想であるTha Pope…10年たった今でも、『Bangs and Works』は最初に効いたときと同じように新鮮で、爽快に響き続けている。–Ruth Saxelby

128. Radiohead: A Moon Shaped Pool (2016)

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 『A Moon Shaped Pool』が世に出た2016年6月、Radioheadが20年以上もの間我々に警告し続けていた恐怖の多くが現実のものとなり始めていた。ブレグジットとトランプのキャンペーンがナショナリズムの不快な緊張感を広げていた。地球の気温は急激な高みに達していた。非道な企業が1000万人ものFacebookユーザーから情報を抜き取り、民主主義の毀損に役立てていた。また、この作品はとThom Yorke個人に起こった大きな悲劇の最中に産まれたものでもあった。パートナー、Rachel Owenとの別離である(このリリースから7ヶ月後、Owenは長きにわたる癌との戦いの末に亡くなった)。ある科学的な解析によれば、この『A Moon Shaped Pool』はこの沈鬱なことで悪名高いバンドの作品の中でも最も憂鬱なアルバムであるということも不思議ではない。

しかしこの作品は何も同情が欲しくて泣くのではない。頑固なまでに前を向いていたこの4人組は自分たちが過去を振り返ることを許した。それは“True Love Walts”において最も顕著である。90年代中盤からライブで披露され、ファンのお気に入りでもあったこの曲がついにテープに吹き込まれたのだ。しかも、セルフ・パロディや甘やかしになることなく。輝かしいバラード“Daydreaming”で、Yorkeはほとんど浮かんでいるかのように歌う。「君たちに仕えることが単に…幸せなんだ」と。それは象徴的なRadioheadというバンドが、最悪な時期においてもファンと結び続けてきた絆、このアルバムが優雅に掲げて見せる絆の肯定である。–Ryan Dombal

127. Car Seat Headrest: Teens of Denial (2016)

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彼のインディー・ロック界の祖先であるThe Replacementsとおなじように、Car Seat Headrestの首謀者・Will Toledoはいかなる種類の人生の目的を求める大いなる旅にでることに対しても全く決心がついていないように聴こえる。彼は自分がまるで歩くゴミクズか何かだと思っているが、それは現在の若者がデフォルトで感じているステータスである。Bandcampでの多くのリリースに続く『Teens of Denial』において、Toledoはまるで自分の感情のチャンネルに応じた受動的なアバターのようである。どれだけ長い間凪を振り切り、聴衆がシンガロングしたくなるように鼓舞したとしても、それは自意識を伴った歌詞である「俺には憂鬱である権利がある!」。しかしそれでもなお我々に力を与えてくれるものだ。この作品の美しいところは、我々聞き手の忠誠心を要求していないところだ。ただ、自分も同じ気持ちであるということ認めるだけでよいのだ。–Jeremy Gordon

126. Panda Bear: Tomboy (2011)

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高評価を得た2007年作『Person Pitch』(と、それと同等あるいはそれ以上の評価を得たAnimal CollectiveMerriweather Post Pavilion』)の続編として、Noah LennoxPanda Bearとしての4作目となるこの作品は、昔ながらのサウンドを新しくも奇妙な未来に適応させるための手段であるように見える。このシンガーによる多重録音のハーモニーはThe Beach Boysを容易に連想させるし、波のようなタッチの“Surfer's Hymn”はわかりやすい「エサ」として機能しているのかもしれない。しかし、これらの響きわたる声の背後で攪拌されているのは数々の周縁的で曖昧模糊とした音たちである高速回転するベルか?逆再生されたピアノか?それはまるで暗い水面に反射する光のようにちらついている。ダブっぽい現代のサイケデリアに満たされたこの『Tomboy』は実際のビーチというよりはVR越しに見るビーチのようである。が、そこには現実に勝るとも劣らない夕日がたくさん見える。–Jesse Jarnow

125. Yves Tumor: Safe in the Hands of Love (2018)

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3枚目となる「Safe in the Hands of Love』で、Sean Bowieは実験音楽という概念それ自体にメスを入れた。彼/彼女は(訳注:原文では三人称単数の“they”が使われている。日本語に対応する単語がないのが残念だ。「かの人」とかだろうか)サウンドやオーディエンスについての強固な概念を引き裂き、そこから距離を置いてこの荘厳な混乱を称賛する。それでも、このプロデューサー/シンガーの中の相反する音楽的なテクスチャは驚くほど一貫性を保っている:R&B的グルーヴは不吉なスポークン・ワードのインタールードに違和感なく併合され、官能的なチェロと軍隊のようなチョッパー・サウンドが共存する。Bowieはポップさ我々の耳を引っ張ったと思えば急に何かとてつもなく過酷なものへ変身を遂げる。彼/彼女は前景と後景を転覆させ、その度の強いエレクトロニカの蒸留物のメインというよりはその足場となるようなほぼ無調のヴォーカル・メロディへと逃げ去っていく。喧騒の中で、『Safe in the Hands of Love』は抱きしめられること/拘束されることと、その2つが両立するまれな実例を検証している。アルバム自体がそれに似た奇妙な交差をはらんでいる:この作品は素晴らしく美しいとともに、素晴らしく我々を落胆させるのである。–Olivia Horn

124. Real Estate: Days (2011)

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このアルバム・リストの中には絶望の真っ暗な闇から掘り出された作品もあれば、ポップのサウンドを不可逆に変えてしまったアルバムもあるし、将来の人々によってこのディケイドの政治的混乱を捉えたドキュメントとして記憶されるものもある。その中でこのReal Estateの2作目、『Days』は、人々がただいい音を聞きたい時に手に取るであろう作品である。これが罪深い褒め方だと思われるなら、穏やかな状態を具現化すること、人生の大半を占める静かな悲しさと儚い楽しみの存在を立証すること、過去にとらわれることなく過去をありがたがるということに挑戦するということの難しさを考えてみてほしい。このアルバムので、Real Estateは過去35年間のどの時代を原材料としていてもおかしくないような、パリッとしていてそれぞれの楽曲が連結したジャングル・ポップという奇抜な形式を完成させた。『Days』の最も永続的なイメージはまるで木に彫られた一組の名前のようなものである。このアルバムはあなたが置いた場所でいつでも見つけることができるし、それはあなたの記憶通りの音を聞かせてくれる。–Ian Cohen

123. Deafheaven: Sunbather (2013)

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シンガーのGeorge Clarkeとギタリスト・Kerry McCoyがDeafheavenとしての最初のデモを録音したのは、彼らがサンフランシスコのミッション・ディストリクトにある古ぼけた女子修道院でほか12人と共同生活をしていたころで、2人のコールセンターでの仕事では家賃の500ドルを払うのもやっとだった。彼らの2作目の始まりの音を聞けば、彼らが何かからの逃避を試みているという感じを否が応でも感じるだろう:Clarkeはまるで自分自身の人生を恐れている男であるかのように叫び、凶暴なギター・トレモロとザラザラとしたブラスト・ビートは互いを追い抜こうとしているように聴こえる。ブラック・メタルとハードコアの純血主義者の悲しむところには、Deafheavenはウォール・オブ・サウンドカタルシスという一つのブランドと、恍惚とした混沌とメロディックなロマンチシズムの間を永遠に行ったり来たりするという90年代シューゲイズやポスト・ロックのブランドの間の区別を回避しようと決意していた。しかし『Sunbather』の表面上の美しさに焦点を合わせるということは、この作品の作曲上の野心のスケールそのもの、失うもののない人たちによるやけっぱちの野心、脇道や腸を殴ってくるようなクレッシェンドといったものを無視してしまうということである。–Emilie Friedlander

122. Snail Mail: Lush (2018)

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Lush』がこれほどまでに輝かしく聴こえるのはなぜだろうか?焦げるような欲望で眠れず過ごした夜、密かに思いを寄せていた相手への失恋、まっすぐ立てないほど酔ったことなどの、十代の数々の決定的な経験のあと、Lindsey Jordanはすぐさまそれらの感情をテープに録音し、その激しさを激しさのまま捉えた。このSnail Mailのデビュー・アルバムには彼女の魅力的なギタープレイ以上のものがある。翻される繊細なメロディーや忘れがたいリフ。彼女の透き通っていて表現的な声は戸惑いと無限の興味を伝える。Jordanの早熟で多面的な才能の根っこは彼女のライティングであり、複雑な感情の核心をたった数語で切り取ってみせるやり方である。“Heat Wave”を締めくくるフレーズを見てみよう:「なんだかローな気分/「時々」には夢中になれない」。場合によっては自分を幸せにしてくれるけど、完全に幸せにはしてくれないということがわかっている相手について、これ以上言うべきことはあるだろうか?–Jamieson Cox

121. The Hotelier: Home, Like Noplace Is There (2014)

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エモの作品であるとしても、『Home, Like Noplace Is There』の絶え間ない危機感の描写の毅然さには目を見張るものがある。始まりから終わりまで、この作品は悲劇を一つ一つ詳細に語るその中には些細なものもあれば壊滅的なものもある。中毒、虐待、自殺といった出来事が含まれている。それは手に余るほどで、自分が気にかけている人間が自分を最も必要としているその時、正気を保つので精一杯であるパニックの感覚をあまりにも効果的に伝達していることがある。しかしこのアルバムはその衝突をついつい飛び跳ねたくなるようなポップ・パンク的フックをもって中和しているし、その苦しみに麻痺してしまうことも上昇するための駆動を失ってしまうこともしない。代わりに立ち現れるのは、伝染する共感能力のポートレートである。–Evan Rytlewski

Part 9: 120位〜111位