Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・ソング200 Part 19: 110位〜106位
110. Chairlift: “I Belong in Your Arms” (2012)
ブルックリンのシンセポップの審美家、Chairliftは2016年の解散に至るまで、密かに影響のあるアクトだった。ブログ時代のColumbiaのレーベルメイトであるPassion PitやMGMTとともに、彼らのポップ作曲への歪んたアプローチは音楽業界中に響き渡った:このディケイド開始時のメジャーレーベルの登録簿を掘ってみれば、Caroline PolachekとPatcirk Wimberlyのアプローチを模倣しようと試みたアクトがいくつか見つかるだろうが、それらのアクトはこの二人組の中道左派的な奇妙さをも真似することはできていなかった。“I Belong in Your Arms”は彼らの最良のアルバム『Something』(2012)に冠された宝石である。Polachekは空気を求めて息継ぎをするかのように歌詞を歌い、それは「意識の流れ」的な不条理である(「バナナスプリット/正直に言えば/君は私のリモコン」)。ドラムマシンとシンセは太陽に触れようかというくらい永久に上昇を続ける。去来するのは、温かな抱擁以外何も意味を成さないと感じるくらいに深く恋に落ちるという目がくらむような感覚だ。他人に自分を差し出すということは常にリスキーであるものだが、この3分半の間、Chairliftは献身という行いを価値あるものであるように思わせてくれる。–Larry Fitzmaurice
109. Drake: “Nice for What” (2018)
Aubrey Graham(訳注:Drakeの本名)は自信を持って自らを盲信し、Lauryn Hillによる「サイテーな彼」ソウル・クラシック“Ex-Factor”のサンプルでラップすることにした。破廉恥でバウンシーなビートのこの“Nice for What”には、ニューオーリンズのアイコンBig Freediaのヴォーカルも追加されている。しかしここでDrakeが伝えているメッセージは、この10年の間で彼が多く広めてきたドッグ・ゴスペル―無礼で、責任逃れをするDrakeのような男性によって不当に扱われてきた全てのインスタ ・クイーンに捧げるトワーク―に対する「ごめんなさい」という、成長した男性のそれである。よく「女性向けの音楽」を作っていると非難されるこのラッパーは、この“Nice For What”で、良心とともにそれを実際に行ってみせた。これは動き続けている全ての自立した女性たち―「去年彼氏ができたけど、人生は続く」―そして甘い言葉を囁く野郎どもをなだめることよりも自分の仲間たちと共に輝くことを選ぶ女性たちへの祝福である。この曲のビデオの監督はKarena Evansが務めており、Misty Copeland、Tracee Ellis Ross、Olivia Wilde、Tiffany Haddishといった何かを成し遂げた女性たちを女性の視点で見つめているーこれによってDrakeの器の大きさをより正当なものにしている。父親になったことが彼を成長させたのかもしれない。ひょっとすると彼は寝室のSupremeのラグやバスケット・フープからも卒業したのかもしれない。–Julianne Escobedo Shepherd
108. Girlpool: “Before the World Was Big” (2015)
フィラデルフィア出身のデュオ、Girlpoolのデビュー作『Before the World Was Big』のタイトル曲はHarmony TividadとCleo Tuckerの2人が小さなバンドを初めた時、21世紀において成人するということの意味についての率直なポートレイトを描くように、自分たちの焦燥感を蒸留した作品である。この曲は、子供の寝室の床においてあるような木琴のチリンチリンという素人感のある音から始まる。その繊細な音色はチクリとするようなギターの音に貫かれ、やがてTividadとTuckerが2人でタンデムを組みながら突入してくる。2人は、彼女たちがまだ幼馴染だった頃、世界が近所を意味していた頃、人生の複雑さなんて知る由もなかった頃について振り返る。彼女たちはおとなになるということの淵に立ち、未来というのが答えを持ったただの質問であった頃を賛美する。–Gabriela Tully Claymore
107. Fetty Wap: “Trap Queen” (2014)
一見、Fetty Wapの“Trap Queen”はその最初の歌詞のように単純である:「『おい、調子はどう?』、そんな感じだ」。ごく少数のライム・スキームで構成されたこの曲は、ギラギラしたトラップのプロダクションと、薬物売買版ボニーとクライドタイプのラヴストーリーによって完成された、頭にこびりついて離れなくなるように設計されたポップ・ラップ曲である。そこでこの曲が過度に単調になるのを妨げているのが、このニュージャージー出身のラッパーの普通ではない声である。電子的に強調された彼のビブラートはあまりにも深く神経質であるがためにヨーデルと比較されるほどであった。しかしZappのRoger Troutmanや他のファンクのパイオニアたちがそうであったように、Fettyはそのエフェクトを自分の声を殺菌したり補正するために使ったのではなく、楽曲にさらに感情を込めるためであった。彼が“Baby, yeahhhh”と歌うたびに、密かに機械的なひび割れや震えが、さらなる愛情を鳴り響かせるのだ。–Michelle Kim
106. Christine and the Queens: “Tilted” (2015)
Ed Sheeranのようなチャートを独占するようなアクトは陳腐なアウトサイダー的ナラティヴからスーパースターダムを形作ったが、果たしてそのことは真の変わり者—高貴な魅力と平凡な伝統という二分法にすら当てはまらないような人—を生み出しただろうか?Christine and the Queensの“Tilted”はそのギリギリの領域を優雅に確立したが、それをハッシュタグ可能な定義に落とし込んで商品化することもまた、優雅に回避した(その胸のすくような捉えどころのなさは、このフランス人シンガーの印象派的な英語での作詞という奇癖によるものかもしれない)。“Tilted”はあらゆる作法の不均衡の余地を持ちながら、紙吹雪のようなポジティヴさよりも中立の立場を提唱している:彼女が「私は実は大丈夫」と歌う時の「実は」という言葉は、自己嫌悪という状態が自然なものであるべきだという考えを一笑に付す。そしてヴァース内のシンセがアドレナリン、もしくは興奮による温かな血流で揺らぐ時、Chrisは何かを初めて受け入れた時の打ちのめされる感覚を臨場感たっぷりに伝えている。–Laura Snapes
Part 20: 105位〜101位