Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・アルバム200 Part 7: 140位〜131位
140. Parquet Courts: Sunbathing Animal (2014)
ポップが主流となり、インディー・ロックにとってはこの上なく居心地のよかったこの時代において、Parquet Courtsは時代に取り残されることを選んだ。愉快でファニーな2012年の出世作『Light Up Gold』のあと、そのフォロー・アップとしてリリースされた『Sunbathing Animal』によって、このバンドは近代アメリカン・ロックを支える柱となった。 この作品は現代の熱狂によって妨害された超・理性主義的な個人の空気を称賛するものである:この作品が紡ぐシュールで冗長な話は、よくよく精査すると、正気さを求める嘆願である。Andrew SavageとAustin Brownが放出しているのは、なんとか質問の体を保っているものの疾風である:労働搾取、政治の残虐性、アメリカの暴力の亡霊と壮観(訳注:原文だと“the specter and spectacle”とあり、駄洒落になっている。過去の暴力の歴史が亡霊のように取り憑いているアメリカという国では、いまでも暴力が紙面を飾っているのだ、というような意味だと思われる)の中で、愛と情熱の永遠に続く試練をどのように通り抜けていくんだい? 音楽は走り、這い、おどけて見せては装飾を見せびらかす。ゆるい楽曲に天才的なフックを隠すことは大胆であり、それはあなたがこのバンドに注意を払うか、その全く逆であるかを分かつ印である。–Jazz Monroe
139. Emeralds: Does It Look Like I’m Here? (2010)
この『Does It Look Like I’m Here?』によって、オハイオ出身のエクスペリメンタル・トリオはよりメロディックでキラキラとした作風へと進化した。以前のサウンドが持っていた密度や強度を一切失うことなく。上昇するアルペジオや漂うギター・ラインでいっぱいの比較的短い曲群の中で、彼らはループの層を作り、ステレオのスペクトラムを輝かしいアクセントで塗りつぶしている。70年代のシンセサウンドの探究心と80年代のドリーミーなアンビエンスをつなぎ合わせたこの作品は、このディケイドを通して繁茂したニュー・エイジ・リヴァイヴァルに先んじていた。彼らはもう1枚のアルバムを残して解散してしまったが、その後のMark McGuire、Steve Gauschildt、John Elliotのそれぞれのソロ作品は滑らかで宇宙的な、激しいノイズと同じくらいの鋭さと複雑さを持った音楽のアイデアを支え続けている。–Marc Masters
138. Alabama Shakes: Sound & Color (2015)
Alabama Shakesの2枚めのアルバムは、人類が定住できてやり直すことができる新たな惑星を見つけるというミッションを課せられ宇宙に打ち上げられた宇宙飛行士についての歌から始まる。そしてこのように、『Sound & Color』は我々が原点回帰ロックンロールの救世主のポジションを与えたバンドに対して期待していたものをことごとく転覆させていく―Brittany Howardが歌っている事柄、サウンドそのもの、そしてどの惑星を彼らが訪ねるのか。“Future People”(10〜20年後の自分に会うということについての曲)のような楽曲にはなにか異質なものがあるが、それと同時にHowardの心配事は極めて実際的だ:“Miss You”ではミッキーマウスのタトゥーを入れた恋人を失うことが、“Don't Wanna Fight”では水道料金と電気代を支払うことが歌われている。The Shakesはまるで火星からやってきたThe Swampersのようにグルーヴし、踊ってみせる。HowardはBowieがEtta Jamesを真似たかのようにシャウトし、甘くささやき、甲高く叫ぶ。『Sound & Color』はサザン・ソウルにその根を下ろしているが、その視線は天空にしっかり固定されている。–Stephen Deusner
137. A$AP Rocky: LIVE.LOVE.A$AP (2011)
『LIVE.LOVE.A$AP』は、インターネットがなければ存在し得なかった最初のヒップホップ・プロジェクトであると感じられる。A$AP Rockyの単純明快なデリヴァリーと「俺はクソだ」というアティテュードに代表されるように、この2011年のミックステープはハーレムで育った彼の背景を中心としているが、プロジェウとのサウンド面ではRockyと彼のクルーがオンライン上で気に入った国中の様々なシーンのものを引っ張ってきている。チョップされたヴォーカルはリーンが滴るヒューストンが元であるし、ダークなテーマはマイアミを拠点とするSpaceGhostPurrpのRaider Klanから直接的な影響を受けていて、雲がかったプロダクションは、カリフォルニアで当時Main AttrakionzやLil Bといったアーティストたちが使っていたスタイルの上に成り立っている。プロデューサーのClams Casinoと共に、Rockyはこれらのスタイルに一つ新しいフレイヴァーを付け足した。既存のアイデアを焼き増しするのではなく、それを彼自身のスタイルと組み合わせることで、地域の協会に縛られない何かを作り出したのだ。–Alphonse Pierre
136. Tim Hecker: Ravedeath, 1972 (2011)
2011年にTim Heckerが『Ravedeath, 1972』をリリースした際、このオーガニックなパイプ・オルガンとシンセサイザーの腐食作用の衝突をして、批評家たちはこれこそがデジタル世界において音楽が生き抜いていく可能性についてのコメントであると解釈した。2019年になってみると、そんな問題は『Ravedeath, 1972』が同時代に与えた避けられないほどの反響効果に比べればいささか表面的に思える。その薄汚れた、誇りをも巻き上げるようなツンドラ気候の大平原は、我々に約束されてしまっている終末の時の前兆にほかならない。腐敗が生ける者たちを打ち負かし、ノイズが信号をかき消してしまうような世界。しかし音楽そのものは絢爛豪華で、形而上学的な何かに根付いている。静寂の中をよじれ、かすかに漂う巻層雲は楽観主義のように使い古されたものを見せてくれるのではなく、失望の淵に立たされた人間に目覚めさせるような安心を与えてくれる。それこそがこの『Ravedeath, 1972』を単なるアンビエントの幻想から、時代を超えて聴かれるべき切迫した衝突についての作品になったゆえんである。–Laura Snapes
135. Fleet Foxes: Helplessness Blues (2011)
Fleet Foxesの2枚目のアルバムは難産だった。それは1枚目の成功によるところが大きい。Robin Pecknoldとその仲間たちは公式に頼ることなくいかに自分たちの本能を信ずるべきか思い悩み、彼らの新曲を待ち受けているであろう反応にいらだちを覚えた。そういった心配事こそが、この紛れもない不安に満ちた『Helplessness Blues』の下地となった。作品の冒頭の語調は場面設定を行うもので(「僕も今や年を取り…」)、Pecknoldのメランコリーなテナー・ヴォイスが、ミレニアル世代の不安にかんする言説が世の中を席巻したこのディケイドの始まりを布告した。彼が描いたのは消えることのない青年期である―親に敷かれたレールを飛び出し、安住の場所や生きる目的を探し求め、干上がった人間関係からこぼれ落ちていく、その様だ。何よりも、Pecknoldは自分の能力(そして意思)に疑問を投げかける。タイトルトラックではこう歌われる。「なにか巨大な機械の中の歯車」以外に自分はなれるのだろうか、と。これらの込み入った恐怖がそれを包み込む膨れ上がったサウンドを飾り立てている。山のように高く積み上げられたハーモニー、洞窟を埋めてしまえるほどのリヴァーヴ。Fleet Foxesのマキシマリスト的フォークは、極めて小さな感情を壮大なものに見せてしまう。–Olivia Horn
134. M83: Hurry Up, We’re Dreaming (2011)
Anthony Gonzalezが2008年の『Saturdays = Youth』のツアーを終えようとしていた頃、このM83のフロントマンはフランスを離れ、ロサンゼルスへと移り住んだ。この街にインスパイアされて作られたのがこの彼の最大にして最良の、最もシネマティックなアルバム、『Hurry Up, We're Dreaming』である。思春期のエモーション、感情を露わにするコーラス、スラップ・ベースの効いたファンク、ヴィンテージのシンセの膨れたサウンド、ちょうど手の届かないところにある家庭や愛、もしくはそれ以外のなにかに対する欲望、これらの激烈さに由来する魔法のようなリアリズムがこの作品の楽曲に染み付いている。このアルバムにはブラザーやシスターに関する何らかの大まかなナラティヴがあるのだが、“Midnight City”のネオンのようなグルーヴや“Steve McQueen”の潮の満ち引きにノックアウトされるのにそれらのストーリーを知る必要はない。Gonzalezの郷愁は極めて具体的で、個人的で、彼に固有のものであるが、それがかえってこの『Hurry Up, We're Dreaming』を普遍的で人々の心を奪うようなサウンドに仕立て上げている。この直後に爆発的に増加した模倣者たちの波にも耐え売るほどの強度を持っていたことは今更言う必要もないだろう。–Stephen Deusner
133. Frankie Cosmos: Zentropy (2014)
Greta Klineは、このFrankie Cosmosでのフル・バンド・デビュー作のタイトル『Zentropy』は「禅的なもの」への異議申し立て、自分の環境を受け入れること意味していると皮肉を言った。それはこのアルバムに対するアプローチとして賢明であるといえる。本作は大きさや小ささ、洗練されたものと粗野なもの、深刻さと可笑しさといった概念を崩壊させ、しまいにはどれも同じようなものであると受け入れざるを得なくなる。『Zentropy』は10曲入り17分という長さ以上の長さを感じるわけではないが、なにかそれ以上のものを感じてしまう。テンポはガタガタとよろめき、歌詞のモチーフは曲をまたいで滲んでいく。「バスに水をはねられるタイプの女の子」であること、ダンスに行きたいと切望すること、犬の死を悼むことなどの、書き留めておくに値する巨大な感情が超新星爆発を起こす。その下部では、Kleinはゼロ年代のアンチ・フォークのニューヨク風の無表情さや90年代のKレコードのようなパジャマ・パーティー風の奇抜さを透過した60年代のガール・グループのようなポップな繊細さを発露している。これ以降のFrankie Cosmosの作品の長さは増していき、深度でも勝るとも劣らないが、この『Zentropy』においてKlineは我々にすべてを与えてくれた。–Marc Hogan
132. Amen Dunes: Freedom (2018)
Damon McMahonによる幻惑的なロックプロジェクト、Amen Dunesの5作目はおぼろげな昔のビジョンに、過去の遺物となったロック・ジャムの蒸気を注入した。McMahonにはアンチヒーローや自分の内面の弱さ、現代において消えゆく良心というものを見る目がある。「プライドが俺を壊したのさ/奴が俺を見つけてしまったんだ」甘美な“Miki Dora”の昇りゆくベースの上で彼は歌う。これは快楽主義と混沌のサーファー・アイコンへの同情的な敬意である。歌詞で我々の注意をひくのに長けている才人であるMcMahonは、ある行での真正な正直さとその次の行の皮肉めいた取り消しを一貫したものとして読ませることができる。彼のバンドは温かなりヴァーヴの雰囲気を作り上げ、サイケデリックな膨張を安定化させ陰鬱なリズムに逆行してループし、腐敗と婉曲の空気が充満する。『Freedom』はこのディケイドのアルバムとは思えない。このアルバムは時間の中で宙吊りになっているように感じる。–Anna Gaca
131. Run the Jewels: Run the Jewels 2 (2014)
Run the Jewelsこそ、このディケイドのラップの中でで最もありそうもなかった、刺激的なサクセスストーリーであった:インディー・ラップ職人であるEl-Pとアトランタの重鎮Killer Mikeは互いに新しいインスピレーションを与え合った。彼らが合わさった時、彼らは自分たちの命(そして私たちの命すら)をかけているかのようにラップした。『Run the Jewels 2』は彼らの不気味なケミストリーが『アナーキスト・クックブック』並の規模に到達した傑作である。二人の緩急巧みなラップとElのアリーナを揺らすようなプロダクション。これは熟練の野卑の作品であり、二人の負け犬が機を逃すことなく新たな高みに到達したアルバムである。しかしそんな荒波の下にあって、このアルバムを飛び抜けたものにしているのはヒューマニティと先見の明である:警察による暴力、#MeToo、世界を硬直化させる二人の理想主義者の間で急成長する友情。マーベルが彼らにオリジナルのコミックを与えたのも無理はない。–Marc Hogan