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<Pitchfork Sunday Review和訳>My Chemical Romance: Three Cheers for Sweet Revenge

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つまはじかれた者たちのアイコンとなった、オペラティック・ポップ・ロックの巨塔

ナとドナルドのウェイ夫妻は、犯罪組織やギャングの裁判でニュース番組によく取り上げられているニュージャージーの郊外、小さく陰気なベレヴィル郡の中でもとりわけ寂れたアパートメントで暮らしていた。理髪師であるドナはホラー映画や不気味な装飾を好み、部屋全体をヴィクトリア人形で埋め尽くしていた時期もあったという。石化したコウモリや今にも動き出しそうな人体模型なんかが詰め込まれた、木製の枠で区切られた地下室。そこで彼らの息子・ジェラルドは幼少期の多くを過ごした。コンクリートブロックほどの小さな窓が一つだけついた寝室で、彼は後にMy Chemical Romanceで明らかにすることになる「のけもの」としてのメンタリティを育んでいった。

ニュージャージー北部はやがて2000年代初期にハードコアやエモのシーンのホームとなり、ジェラルドのバンドもその波に乗って世界的な認知を獲得することになる。しかし子供にとっては、郊外というのは息苦しいものでもある。「俺達の親はなんだか俺たちを家の外に出すのを怖がっていたみたいだった」ジェラルドの弟、マイキーは後にこう語った。「俺とジェラルドの2人で過ごすことが多かった」。ウェイ兄弟はそんな閉塞的な環境を最大限に活用することにした。彼らはホラー映画やマンガに夢中になり、キャラクターや物語を創作しては孤独の慰みとした。ジェラルドにとって、マンガは単なる趣味以上のものだった:自身初のマンガを15歳の時に売り始め、アマチュア芸術家になった彼は、ニューヨークのSchool of Visual Artsに入学した。

卒業後、ジェラルドは、なにもないところから魔法で朝ごはんを作ってしまうお猿さんのお話で、カートゥーンネットワークパイロット版にこぎつけようとしていた。しかし2001年、通勤途中にツインタワーが崩れていくさまを目の当たりにした彼は、以前のような情熱が自分の身から離れていくのを感じた。9・11後の世界にあってテレビの世界はラディカルさに欠け、利益を過剰に重視し、激烈さを追うにはスローすぎると感じた彼は、幻滅とトラウマとともにそのキャリアを諦めることにした。地元のハードコアの英雄・Thursdayの演奏を小さなパブで見ている時に、スイッチが入った:「もっと大きな衝撃を与えたかったんだ」と彼は語る。弟と地元の音楽オタク、レイ・トロ(みすぼらしい外見と、気取ったギター・センターの店員並の正確な指弾きの才能の持ち主である)を仲間に引き入れ、一週間後にMy Chemical Romanceは誕生した。

今日、My Chemical Romanceの存在は至るところに見られる―ミームとして、カルトとして、美学として。「エモ」というくくりで語られるようになって久しいが、ボードビリアンのような(偽りの)華やかさ四つ打ちパンクの混合という彼らのスタイルは、このサブジャンルに新たな方向性を指し示していた。しかし彼らのサウンドは、その他多くのエモ・バンドが死んでいいた2000年代後半においても正当性を保っていた。その時代の芝居じみた歌詞を読み返す時にしばしば感じる懐かしさやこっ恥ずかしさはなく、My Chemical Romanceはゴシック的な装いを纏い、まるでそれが考えられないほどにメロディックなポップを生み出す下地であるかのように振る舞い、そのような恥ずかしさを転覆させてしまうのだ。今年彼らが再結成を発表すると、ファンたちはそれを子供時代の薄汚いおもちゃではなく、長きに渡って失われた家宝がようやく戻ってきたかのようにそれを歓迎したのであった。

彼らの長続きする魅力は、もしかすると彼らが十代の不安を通り過ぎてしまうことについて厳密には書きたがらなかったからかもしれない。彼らの初期の楽曲は9・11のテロに対する直接的な反応である。“Skylines and Turnstiles”はジェラルドが最初に書いた曲だが、存在論的恐怖の高まりに満ちている:「あれを目の当たりにしたいまになっても/俺たちは自分たちの純白さを取り戻すことを欲することができるのか?」2001年に当時のドラマーの屋根裏部屋で録音された“Attic Demos”はかろうじてニュージャージー北部のパンクシーンで話題になっただけだった。プロダクションは安っぽくてコンプがかかり、ジェラルドの声には緊張が感じられ、音程も外れている。しかしこのデモからはストーリーテリングに真剣に取り組んでいること、熱意のきらめきが感じられ、それは地元パンクシーンのたくましい男、フランク・アイイアロがリズムギターとして加入を決意するには十分だった。「あのデモには、これがどのようなサウンドなのかすでに想像できるような何かがあったんだ」

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彼らの公式なデビュー作『I Brought You My Bullets, You Brought Me Your Love』は2002年7月にリリースされた。Thursdayのフロントマン、ジョフ・リックリーがプロデュースを務め、地元パンクシーンの支柱・Eyeball Recordsからリリースされたこの作品は彼らの周囲のハードコアシーンの特徴を顕著に示している:ヴァースを切り裂くギター、クリーン・ヴォイスとズタズタの叫び声の切り替えなど。しかしMy Chemical Romanceが際立っていたのはファンタジーの確立である。このアルバムには吸血鬼のような主人公が恋人の死に復讐するという大まかなあらすじがあった。彼らのライヴは爆発的で、ガラスが割れることもしょっちゅうだったが、その評判がマネージャーの獲得と、Warner Bros.系列のRepriseとのレコード契約につながっていく。2003年も終わろうとするころには、彼らはよく利用していたパセーイクの小さなクラブを卒業していた。2004年には、The Guardian誌の好意的なレヴューもあり、彼らはイギリスを回るヘッドライナーツアーを敢行し、メジャーレーベルからのデビュー作もないままにKerrang!やNMEの誌面を賑わせていった。

Repriseと契約したことで、彼らはプロデューサーを選ぶ権利が与えられた。彼らは最初ロックの宣託者、ブッチ・ヴィグを指名したが彼は多忙で、代わりに選んだのがハワード・ベンソンだった。彼はかつてMotörheadとも仕事をしたが、近年はCrazy TownやHoobastankといった、つまらないニューメタルグループを手掛けている男だった。ベンソンとMy Chemical Romanceというのは奇妙な組み合わせだった。ベンソンがいつものようにスウェットパンツとホッケー・ジャージに身を包みスタジオにやってくるのを最初に見たメンバーたちは、彼をピザの配達人と間違えたという。皆が彼を「体育の先生」と呼んだ。それは、彼がだいたいバスケットボールの例えでコミュニケーションをとるからだ。しかしベンソンはバンドに対し曲の構成とメロディに取り組むように要求し、追加のギター・ソロや突然のエンディングに反対した。「この部分、他の部分となんの関係があるんだ?完全に困惑しているんだが」とベンソンが言うと「それがいいんだろ」とバンドが叫び返したものだ、とジェラルドは後に語っている。

しかしベンソンのしごきの甲斐あって、我々が『Thee Cheers for Sweet Revenge』として知っているこのアルバムは感情表出のピークまで押し上げられた。喪失についての煮えくり返るような楽曲“The Ghost Of You”のレコーディング中、ベンソンはバンドを説得し最後のコーラスを曲のエンディングにつけさせた(「俺達は全員あのコーラスが大嫌いだった」とトロは後に語っている)。My Chemical Romanceは、リックリーのようなスクリームの暴虐な力やオーヴァードライヴしたヘヴィなギターのアウトロを打ち負かすものなどなにもない、という世界からやってきた。オリジナルのアウトロにはその両方が備わっていた。しかしベンソンの公式に当てはめて考えるアプローチによって、この沈鬱なバラードはより良い形で着地した:あの最後のコーラス―傲慢で、恥知らずなほどにナルシスティックなクレッシェンドである―によって、このバンドは2006年の『The Black Parade』で書くことになる巨大なアリーナ・ロックの片鱗をのぞかせた。“The Ghost Of You”はイギリスのロック/メタルのシングルチャートの首位を獲得した。

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表面上、『Three Cheers〜』は高尚なコンセプト・アルバムで、幸薄なカップルが銃撃戦で命を落とし、その後あの世で再び結ばれるために「邪悪な人間1000人の魂を悪魔に奉納すること」を強いられるというお話である。しかしそれは力を込めずに掲げられた奇抜な着想である。自警団たちの小競り合いの代わりに、このアルバムは“Helena”によって生命に波紋を及ぼす。これはバンドのツアー中に無くなってしまったウェイ兄弟の祖母に捧げられた後悔の歌である。この曲は抑制と反響が効いたギターの音と、ジェラルドの半ばウィスパーのような声で始まる。そして、まるでお化け屋敷のびっくりじかけのようにバンドがフル・ヴォリュームで突入してくる:それはジェラルドの全力の叫び声に導かれた、ディストーションの一部隊である。

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『Three Cheers〜』の楽曲は間違いなくアンニュイさとナルシシズムアレゴリーであるが、それはまたストーリーテリングと世界観の構築に向けての逃避主義者的な探求でもあった。我々は“Give 'Em Hell, Kid”ですぐに主人公と対面することになる。彼ははるばるニュージャージから、刺激物を多分に使用し、復讐を果たすためにやってきた。3曲目の“To The End”では、彼は結婚式を殺害するためにマンションの中にいる。ウィリアム・フォークナーへの当てこすりのようなホモセクシュアルな底流など、まるでパンくずのように些細なディテールをこぼしながら。このナラティヴは、ともすると散漫に聴こえるこの作品を一つにつなぎとめる役割も果たしている:“Hang 'Em High”でモリコーネ風の口笛が聴こえてくる頃には、それは違和感なく物語の中での役割を果たしている。バンドとベンソンは、これらの文学的な大げさな仕草と、フックとコーラスがあるという典型的なロック・ソングの間で注意深くバランスを取った。しかし、10年前にはニュージャージーの地下室に閉じ込められていたバンド・メンバーと同じように、それを必要とするファンたちにも逃避が必要だった。眠たい、ちっぽけな街を嘆くのではなく、そこから完全に連れ出してくれるような作品が。

アルバムのコンセプトを最も明らかにすることに成功している“You Know What They Do To Guys Like Us In Prison”では、バンドはドラマとブラック・ユーモアの間の記憶に残るようなバランスを取っていて、リスナーを主人公の逮捕とそれに続くパニックの瞬間に引きずり込む。彼の心配事は笑ってしまうような些細なこと(「あいつらは全員トランプでイカサマをするし、チェッカーもなくなる」)とひどく深刻なもの(「俺と同じ房にいるのは殺人犯だ」)の間を揺れ動く。しかし曲が終わったあとでも記憶に残っているのは、最後から2番目のライン―「奴らは俺に女装をさせた上で腕立て伏せをやらせるんだ」―の歌い方である。それは才能をもって一瞬で行われる、泣き笑いの演技である。ときおり見せるクィアネスやジェンダー的倒錯への言及―ジェラルドはもしかしたら女性っぽい元恋人視点から歌っているのかもしれない―はこの作品が暴力と男性性をつなぐ手助けをしている。それは後に自身のジェンダーアイデンティティに苦しんでいると公に認めたフロントマンへの自己言及的肯定でもある。すぐにジェンダーによる憎悪に傾倒したり、女性殺人を夢想するようなシーンにあって、このような男性性の強直さに対する小さな反抗は圧力弁を緩めることのようにも感じられた。

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しかし、ファンたちの間でアンセムとなり、このアルバムのリリース後に多くの模造品が生まれたのはリードシングルである“I'm Not Okay (I Promise)”であった。不規則に変わるコード、節くれだったヴォーカル、溜まりに溜まった報復的なフラストレーションが直截的に吐き出された歌詞をもつこの曲は比較的直球のアウトサイダー・アンセムである。ナルシスティックな憂鬱が続く中、コーラスはどう考えても正確である:「俺は大丈夫じゃない/お前が俺をボロボロにするんだ」。繊細で、まるで16歳のような世界観(「みすぼらしい格好のことは忘れよう/彼氏が撮った写真のことも」)のこの曲は、ともすればセルフ・パロディ、エモにおける自己卑下のメロドラマを地で行くような曲になり得た。しかし、ひょっとするとバンドが彼ら自身とそのメッセージを死ぬほど真剣に捉えていたからこそ、この曲はクラシックであり続けているのかもしれない―純粋なカタルシスのほとばしりであり、近い将来カラオケ・バーで叫ばれることが運命づけられている。地下室で一人で録音されたジェラルドの歌唱の息も絶え絶えな必死さからこの曲のポップな構造まで、この曲は歌詞にあるような悲しみに対してほとんど勝ち誇ったかのような歓喜をもってアプローチしている。臆面もないほどにメロディックで、同じヴァース内でメソメソ泣くこととシャウトすることを恐れていない。“I'm Not Okay (I Promise)”は最も刺激的な方法で絶望の淵に立つことを克明に捉えている。

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結局、コンセプトよりも情緒が勝っている作品だ。『Three Cheers〜』でツアーに出てから2年、ジェラルドはこの作品の意味について別の見解を示し始めた:「本当は、これはニュージャージーに住む、祖母を亡くした2人の少年についてのもので、彼らのバンド仲間たちがそれを切り抜けるのをどう手助けしたのかということについてなんだ」。そして『Three Cheers〜』の美しさはその無常にこそある:郊外のキッズの日常のドラマを、生死をかけたメロドラマに仕立て上げてしまうのだ。青年期のプレッシャーを掘り下げるのではなく、このアルバムはそれを超越することを試みたのだ:ジュディ・ブルームのような世界において、それはスティーヴン・キングのように読める。

My Chemical Romanceは、感情的に阻害された人々でもなにかに喝采することは許されるのだ―たとえその勝利が想像上のものに過ぎないとしても―という事に気がついたからこそ成功を収めた。10代の感情というのは型にはまったものではないし、高校にはヒーローとヴィランがセットでいるわけでもない。欠落と後悔、高揚と憂鬱を映し出す世界を作るにあたって、My Chemical Romanceは決して聴衆を贔屓することはなかった:彼らのキャラクター、そしてバンドメンバー自身たちも、何かと何かの間で揺れ動いている人たちを受け入れた。ひょっとするとそれが、彼らがThe Daily Mailによって自殺カルトを形成していると非難された際、ファンたちが葬式の色に身を包み列をなし、驚くほどの肯定的な反応で反撃した理由なのかもしれない:「MCRが私達の命を救った」と。