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Weekly Music Review #11: Black Thought『Streams of Thought Vol. 3: Cane and Abel』

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Black Thoughtは1987年に結成されたヒップホップ・バンド=The Rootsのフロントマン。ドラマーのQuestloveが繰り出す極上のグルーヴに乗っかる彼のラップはそのたぐいまれなライミングのスキルや高度な比喩表現によるボースティングによって「ヒップホップ・ゲーム界随一」と評されることも少なくない。また30年以上の長いキャリアの中で創作面での落ち込みがなく、一度も「駄作」といわれる作品をリリースしたことがない。その一貫性もまた彼の絶対的な評価を形作っている。Eminemの近年の落ちぶれぶりなどと比べるとわかりやすいが、これほどのベテランで未だに新しいヴァースが待望されている存在は珍しい。
 彼のスキルがよくわかるのがこのラジオでのフリースタイル動画。約10分間ノンストップでラップしまくっている。

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このヴァースを解析した人がいて、そのデータがまたすごい。

239小節・10分間のラップの中で、半分以上の単語が韻を踏んでいるだけではなく、繰り返しではない単語も半分以上、1単語当たりの音節数も非常に高い。そしてなによりも10分間もの間一度も途切れずにラップしているのが驚異的(もちろん完全即興ではないだろうが)。


 そんな彼の、実は初めてとなるアルバムサイズのソロ作品がこの『Streams of Thought Vol.3: Abel and Cane』だ。この『Streams of Thought 』シリーズはこれまで2つ出ているが、それぞれ5曲、9曲だったのがこの第3弾では13曲入り。とりあえずここで一区切り、といった感じなのかもしれない。
 1曲目の “I'm Not Crazy (First Contact)” はネイティヴ・アメリカンの作家/詩人/アクティビストであるジョン・トルーデルの発言の引用から始まる。

コロンブスがこの大陸にたどり着いたとき、彼はボートから降り、最初に目に入った人物に訪ねた。「君は誰かね?」と。するとその人は答えた。「人間です」と。コロンブスは「そうか、インディアンか」と答えた。コロンブスはヨーロッパにある様々な部族の子孫としてそこにたどり着いた。そのようにして出現したのが、我々が言うところの「コロンブスの精神」というものだ。このことを発見したとき、これはウイルスがこの土地にたどり着いたようなものだと思った…
…とにかくコロンブスはこの土地にたどり着いたとき、人間であるということは何なのかをわかっていなかったんだ。

 コロンブス率いるヨーロッパからの入植民によってアメリカ大陸にインフルエンザ、麻疹、天然痘と言った病原菌がもちこまれ、先住民に大きな犠牲が出たという歴史的事実を踏まえると、2020年にあってこの世界を蝕んでいる「ウイルス」と「レイシズム」という2つが偶然にも重なり合ったこの言葉を冒頭に持ってくることで、この作品が2020年のこの世界の中で生まれたものであることを強く意識させる。
 しかし、本編の中のリリックは政治的・社会的メッセージは想像されるよりも少ない。今回取り扱う作品を決める際に「BLMもあって、選挙もあって、絶対にすごいことになってる」と断言してしまったが、彼がアフリカン・アメリカンのコンシャス・ラッパーであるからと言って声高に主張を叫ぶだろうと決めつけてしまった自分の浅ましさに恥じ入るばかりである。
 今年発表されたRun The Jewelsの『RTJ4』がそうであったように、このアルバムも私的な思索(結婚生活の維持の難しさを扱った “We Could Be Good (United)”)と多少バカバカしいほどのブラガドーシオ(“State Prisoner” や “Magnificent”)の中に、政治的なメッセージが込められた作品である。政治的であることはプライヴェートであることと矛盾しない。なぜなら個人的なものは政治的なもので、逆もまたしかりであるからだ。

youtu.be

“Thought vs Everybody” の中で、Black Thoughtは一つの疑問を投げかける。

Am I a journal or journalist?
(俺は新聞の記事なのか、それともそれを書く記者なのか?)

 彼の名前はBlack Thought、「黒い思考法」とでも訳せるだろうか。彼はアフリカン・アメリカンの哲学を体現する存在でありながら、それをラップという形式に落とし込んで口承していく「語り部」なのである。彼の言葉の中にはこれまで400年間もの間苦しんできたアフリカン・アメリカンの思考が息づいている。彼のリリックの中にアフリカン・アメリカンの運動家の名前がよく出てくるのも、数々の演説や著作からの引用がビートに乗せて流されるのも(コメディアンのDave Chapelleのジョークも引用されている)、その受け継がれて思考を後世に伝えるためであろう。上記のフリースタイルの中でも彼は「考古学者が王の墓に眠る俺の言葉を発見する」「伝言を預かってきた」という言葉を残している。彼はそのような大きな歴史の文脈の中に自分を置き、そして多くの偉人たちの目で今の生活を眺め、彼にしかできない方法でそれを記録していく。彼がやっているのはそういう芸術だ。だから日々の生活を綴ってもポリティカルな色を帯びるし、ボースティングにボースティングを重ねてもそれが生き方になる。そんな彼の存在に一種の神々しさを感じるのは、彼に「預言者」の影を見るからかもしれない。