<Bandcamp Album of the Day>Armand Hammer, “Shrines”
Armand Hammerの音楽を通して世界を見るというのは、1988年のジョン・カーペンター作SF映画『ゼイ・リヴ』に登場するサングラスを装着するのと似ている。この二人組みの4作目『Shrines』の、Elucidとbilly woodsによる自由な連想に基づくヴァースが自分の中で焦点を結び始めるまでには数度通して聞くことが要求される。しかし一度そこにたどり着けば、ひたすらに先延ばしにされるアメリカン・ドリームの驚くべき図式――ネズミの寝床、軍隊化された警察、ジェントリフィケーション(これについてbilly woodsは“Pommelhorse”で『オズの魔法使い』になぞらえて「風が吹けば/黒人はポーチから追い出される」とラップしている)など――が見えてくるだろう。
「俺達は豊かさの口の中で放浪者を開放している/その理由を聞くやつは俺の周りから去りな/もうタイムアウトは残されていない、まるでファブ・ファイヴだ」、Elucidは“Slewfoot”でこうラップする。彼はもう我慢ならないのだ――2018年の『Paraffin』において、彼は「オレンジ色のファシストについての長年の二つの賭けに残念ながら」勝ったということを宣言していた。『Shrines』ではこのグループはその反資本主義的なヴィジョンをさらに推し進めている――それは詩において破滅的な場面を描いているだけではなく、それらの詩が公民権を奪われた者たちへの簡潔で的を得たモットーたり得ているという点において、もである。Armand Hammerは他のラッパーを芸術性の面でサイズアップするのもいとわない。その代わり彼らは自分たちと「パフォーマティヴな反抗的レトリック」を持つスターたちの間にはっきりと線を引く。Woodsは最後の“The Eucharist”でとっておきの大胆な批判を提示する。「Jay-Zは本当に“'D'Evils"を聴いているのか?それともその上澄みだけをとろうってのか?」
『Shrines』にはこのグループのかこの作品のどれよりも多くのプロデューサーやゲストが参加している。その多くはすでにこの二人組の緊密でアヴァンギャルドなサークルの一員である:Curly Castro、Fielded、Kenny Segal、Messiah Muzik、R.A.P. Ferreira、Quelle Chris。Earl Sweatshirtによるぼんやりとしたインストゥルメンタル(“Bitter Cassava”)とヴァース(“Ramses II”)はArmand Hammerがその射程を更に広げていくことを示唆している。このような時代にあって、『Shrines』がもつ仲間意識というのは意図的なものに思える。2018年、ElucidはPitchforkに自分の音楽は似たような精神を一つにまとめるものであり、「自分たちは同じ悪と戦っている」と感じられるものであると語った。『Shrines』はそのようなサングラスを掛ける人が多ければ多いほどいい、ということを証明している。
By Christina Lee · June 15, 2020