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<Pitchfork和訳>Jay Electronica: Act II: The Patents of Nobility (The Turn)

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点数:8.7 [Best New Music]

筆者:Matthew Ismael Ruiz

Jeff “Chairman” Maoによって行われた2010年のインタビューの中で、Jay Electronicaは自身にまつわる神秘的な雰囲気は混乱のもとであると認めた。「みんながなんでそんな事を言うのかわからない。俺はTwitterにもいるし、Facebookにもいる。知り合いに対してはオープンだ。どこからそういう神秘的なイメージが定着したのか分からいんだ。俺はかなりオープンな人間なんだけど」。そしてそれから10年たった今でも、彼を取り巻く上京というのはあまり変わっていない。ツイートの頻度はどんどん落ちていき、アルバムは決して完成せず、かといって完全に姿を消したというわけではなく、ゲスト参加や、アナウンスはされたもののリリースされていない『Act II: The Patents of Nobility』からのハイライトであると思われる単発のシングルを発表したりなど動きはあった。

実際のところJay Electronicaについて不思議であった唯一のポイントは、“Exhibit C” のリリース後、ラップにおけるキリストの再臨であると目されながらも、誰から見ても次なるヒップホップ・クラシックであろうと思われていたこの作品の発表をためらっていたのかという点である。彼ほどの才能を持った人物が、なぜしっかりと固められたスターダムへの道を進むことを嫌がったのか。批評的に多くの人々が熱狂した程のラッパーである彼がなぜロンドンへと逃げ出して隠遁生活を送り、彼の最高傑作をハード・ドライヴの中でホコリが被ったままにしておくのか。ファンも批評家たちも理解に苦しんだ。

そして今回『Act II』が発表され、これらの疑問への答えがよりシャープな形を与えられた。しかしJayは進んでこれをリリースしたわけではない。もともとアナウンスされていたリリース日から遅れること11年、正体不明の集団がハッカーたちに9000ドルを支払って購入したという音源がオンライン上にリークされた。彼はこのリリースを阻止しようとしたことは認めたが、彼の「公式な」デビューとなり、批評的にも成功を収めた『A Written Testimony』が3月にリリースされたあと、彼はーーたとえ未完成なものであってもーー自分の作品が公的にリリースされることに比較的前向きな気持だったようだ。もしかしたら彼は少し成熟したのかもしれないし、過去10年間人々の前でかぶり続けていた仮面を脱ぎ捨て、期待の重圧から解き放たれたのかもしれない。理由は何であれ、リークから数日後、サンプルのクリアランスを取ったあとでアルバムは公式にリリースされ、Jayは直ぐに反応があったことに感謝を表明した。

トラックリストは2012年にアナウンスされた際に公開されたものとほぼ同じだが、Charlotte Gainsbourgをフィーチャーした “Dinner at Tiffany's” のみ、オリジナルの “Shiny Suit Theory” と別個に分けられている。作品としては、2007年の出世作であり、Jon Brionによる映画『Eternal Sunshine of the Spotless Mind』を土台として作られた、伝統的な形式や構造を捨て去った15分間の作品『Act I: Eternal Sunshine (The Pledge)』の続編のように感じられる。『Act II』は悲しげなピアノのメロディとベース・ラインが特徴の “Real Magic” で幕を開け、ここでは彼が本来意図していた三部作の構成を垣間見ることができる。マジックの種はーー2006年の映画『プレステージ』でマイケル・ケインが親切に説明してくれているがーー3つの部分から構成されている。手品師が極めて平凡なものを観客に見せる「誓約(=The Pledge)」、その平凡な物体を使ってなにか驚くべきことをする「ひねり(=The Turn)」、そして一見不可能に見えることをやってのける「威信(=The Prestige)」。「これはまだ『ひねり』/やつらはまだ『威信』への準備ができていない」と彼はラップするが、それはこの後に続く作品を想定してのものだったのだろう。

彼の声を大半の曲で聞くことができる。このアルバムは明らかに未完成であるとはいえ、多くの楽曲がほぼ完成しているように聞こえ、最後の4分の1にかけてラフな、デモ音源風のクオリティのビートに引用したボーカルが乗っかる曲が多くなっていく。“Rough Love” や “Night of the Roundtable” のような楽曲が日の目を見ることを彼が望まなかったのは容易に想像できる。この状態では、アルバムのクライマックスのインパクトをいくらか鈍らせているのは間違いない。それでも、この『Act II』の完成版には何の間違いもなかったであろうと想像するのは難しくない。そして彼のこれまでキャリアの中でオフィシャルに、あるいはそうでなくてもリリースされてきたものの中で最も強力な楽曲もいくつか今作には含まれている。

もともとは “Better in Tune With the Infinite” というタイトルでシングル・リリースされていた “Better in Tune” は、彼の神秘的な雰囲気というのは他社によって彼に向けられたイメージの表出に過ぎないということの何よりの証拠である。彼特有のスタイルを思う存分に発揮し、Elijah Muhammadや「オズの魔法使い」からの引用を坂本龍一のサンプルに乗せて、一つのヴァースにまとめられたその歌詞は感動的で赤裸々であり、『Act II』のリリースが送れたことに関する質問にほぼ直接的に答えている。「自分自身を表現しきれないのはフラストレーションだ/そして裸になるほどに信頼するのは難しいことだ/自分を曝すなんて、憎悪にまみれたこの世界で/神なるものすべてを人間の病んだ考えが支配しているこの世界で」。これは文筆家が締め切りをにらみつけるのとどこか似ている部分がある:一日が過ぎ去っていくごとに自分も変わり、世界も変わり、自分の中の対話のヴォリュームは上がりきってしまい、身動きが取れなくなってしまう。これは誰のためのものだ?皆はこれを聞く必要があるのか?聞くべきなのか?この身動きが取れない状態が長く続けば続くほど、その瞬間はバックミラーの中を交代していき、その潜在的インパクトは色あせていってしまう。

その点で、このアルバムを聞くことが出来たということ自体が小さな奇跡のようなものである。なぜなら、この『Act II』で彼が研ぎ澄まして使用しているスタイルは特異なものに感じられるからだ。『A Written Testimony』は彼のリリック面の才能を本質的に伝える象徴的な作品だったが、この『Act II』と比べると相対的に保守的な作りではある。Jayの素材の使い方は敬虔であり親密である。彼はもともとその曲が録音されていた部屋に一緒にいたかのように、もともとあった曲に自分の声を付け加えていく。それは長く失われていたメロディやブレイクを探し求めてレコード箱を漁る行為とは一線を画している。Serge GainsbourgとBrigitte Bardotが60年代に発表した原曲に親しんでいるものにとっては、“Bonnie and Clyde” には強烈な不協和音があり、彼の特徴的な拍手のサンプルがなければ、Jay Electronicaの作品を聴いているということを一瞬忘れてしまいそうになる。しかし3分が経った頃、それはまるでSergeは50年後のこの未来を予見してまるで彼のためにこの曲を書いたように感じられるのだーーミックスの中にパーカッションが埋められ、彼の声の周りでストリングのメロディが渦を巻いていく。“Real Magic” や “Road to Perdition” でRonald Reganをサンプルしているときでさえ、彼はこの亡くなった俳優でありアメリカ大統領であった彼の言葉に、自分の作品のためにひねりを加えていて、まるでそれらの言葉が彼の作品のために話されたような趣を醸し出している。

このアルバムがリークされ、半ば強制的にリリースに至ったことで、ファンたちは起こり得た自体について考えさせられる。待たされてい間にも多くの楽曲を聞いて行きていた後、2020年にこの作品を聞いたことで、我々はそれはまっさらな状態で聞くという敬虔を奪われ、代わりに新しい文脈に並べられた見覚えのあるパズルのピースについて再び考えさせられる羽目になった。ここで学ぶべき教訓は、先延ばし、自身の喪失、そして自分の中にこもってまったり、自分を破壊してしまうほどに自分を見つめ直してしまうという作家につきものの落とし穴についてである。

『Act II』はオールタイム・クラシックとなり得る作品であり、このアートフォームを祝福しながら同時にそれを前進させるような一枚である。収録曲の中でも強力なものがリリース前に何年もの間宙に浮いた状態であったり、決して訪れることのないクライマックスに向けて続いていったりという今我々の手元にある形をとっているこの作品は、世界が前に進んでいる間アーカイヴの中に取り残されていた、ほぼ完成しかけの下書きで有り続ける。しかしこの作品は他の誰にも生み出すこと、ひいては完成させることなど、彼をおいては誰一人できなかっただろう。