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<Pitchfork Sunday Review和訳>Speaker Knockerz: Married to the Money II #MTTM2

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TALIBANDZ ENTERTAINMENT • 2014

 サウス・カロライナ州コロンビアに住むデレク・マカリスター・Jr.は16歳でお金がなく、ほかのティーンエイジャーたちと同じように、遊ぶお金が欲しいと思っていた。彼はファストフード・チェーンのZaxbysの仕事に応募していたが、そこからの電話が返ってこないとわかった時、彼はコンピューターに向き直った。彼はFruityLoopsというビート作成のプログラムを13歳のころから使っていた。それはセルフ・プロモーションの魔術師で10代のダンス・ラップ・アイコンであったSoulja Boyが同じものを使っていたからだ。彼はそれで作ったビートをSoundClickというサイトで販売し、ソーシャル・メディア上で果敢にそれを宣伝していた。

 2010年か2011年ころ、マカリスターのビートが初めて売れた。マイアミのラッパーが50ドルで買ってくれたのだ。そのお金で彼は手頃な値段のスピーカーを一組購入した。彼はMeek Millの『Dreamchasers』収録の ”Tony Montana”、そしてFrench Montana『Coke Boys 3』収録の ”Dope Got Me Rich” といったメジャーのリリースへの参加を達成した。彼のプロダクションを聞けば、アトランタのラップ・シーンからの影響が明らかに聴いて取れる:彼のピアノのメロディはびっくり箱にピッタリ合うほどにソフトで、Travis Porterの楽曲と並べても遜色ないだろう。彼の暗い808のサウンドやチクタクと刻むハイハットLex Lugerからの影響が感じられる。サウスカロライナの16歳の少年のベッドルームにあるパソコンで、違法ダウンロードしたFruityLoopsを用いて作成された彼のビートは、それでもFutureの『Pluto』に収録されている楽曲のようにきこえる。

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 翌年にかけて、マカリスターは250個ものビートをSoundClickのページにアップロードし、その全てを売ることに成功した。この新しいお小遣いで、彼は即座に彼の宝物となるものを購入した。黒一色の新車のカマロだ。後にその車は彼の楽曲の中で繰り返し言及され、ミュージック・ビデオにも登場することになる。その車はスローモーションで撮影されると、ますますバットモービルのように見えるのだった。

 ラップを始めたのは、ほとんどプロモーション上の戦略からだった。「ラップを始めた目的は、俺が自分でいい曲を作ることができると知っていたからだ」彼は2013年、まるでガラケーで録音されたような音質の悪いインタビューでそう語っている。「俺は自分をプロモートする方法を知っていたから、どんどん多くの人たちが俺のビートを甲斐に集まってきたんだ」。2012年の春、彼はSpeaker Knockerzという名前でYouTubeにメロディックなシングルをアップロードし始めた。彼の初期の楽曲の中でも最良の ”All I Know” はロボティックで無機質なメロディーを大量のオートチューンと明るいピアノのラインに乗せて聞かせるものだった。この融合が彼の音楽を決定づけ、やがて2013年にリリースされる2枚の重要なミックステープにもつながっていく。

 『Married to the Money』と『Finesse Father』は、サウスやミッドウェストで2010年代初期に流行していた人気のラップとそう変わりなく聞こえるが、それもそのはず、それ以上のものを目指して作られてはいないからだ。キラキラとしたプロダクション、無表情に歌われるキャッチーな歌声と細部へのこだわりによって、この2枚のミックステープはメロドラマ的な小さなサーガとしての地位を与えられた。中にはクラブでケツを振るためだけのクソみたいな曲もあった(”Freak Hoe” など)。しかし大抵の曲はほろ苦いアンチ・ラヴ・ポップとストリートのフィクションによって構成されていた。しかし彼の失恋、孤独、そしてパラノイアは、インターネットで崇拝するように見ていたミュージック・ビデオからこれらの感情を学んだ10代の若者の空想のように、奇妙なまでに取り除かれていた。

 彼は身の回りの音楽を研究した。まるでそれによって試されているかのように。(彼のYouTubeには彼がFutureの ”Same Damn Time” に合わせて踊る動画がある。彼は途中で音楽を止めてこうコメントしている。「なんでラッパーたちっていうのは中途半端に売れたことを自慢するんだ? それって本当に馬鹿げたことだと思う。俺なら半端なく売れたってことを自慢するけどな」)。特に彼が入れ込んでいたのがシカゴで現れつつあったドリル・ラップ・シーンの冷酷なスタイルだった:それは(Lil)Drukが試し始めていた禁欲的なメロディであれ、(Chief)Keefがトラウマをドラッグやアルコールで麻痺させることについて声を震わせる様であれ、ファンたちはそれらがトップ40のヒット曲であるかのように一緒になって歌うのであった。同じように、Speaker Knockerzは ”How Could You” で極悪で神経症的な感傷を、あるいは ”Rico Story” 三部作では希望のない犯罪の物語を、早口でまくしたてることができた。そしてその重苦しい雰囲気を、スキニージーンズを履いたティーンエイジャーたちが踊るために作られたような、太陽の光をまぶしたプロダクションと重ね合わせた。そうするとまさにそのとおりのことが起こったのである。

 サウスでブレイクを果たす代わりに、Speaker Knockerzの音楽はさらに北のシカゴで生き生きと聴かれるようになった。スピリチュアル的に、Future風の強化版オートチューンとドリルのブルータルな心象風景をブレンドした彼のスタイルは、Breezy Montanaの ”Ball Out”、Shawty Dooの ”Its Foreign”(プロデュースはSpeaker Knockerz)、そしてSicko Mobbによって制作された数々の曲のようなローカル・ヒットを次々に生み出していたシカゴのバップ・シーンとうまくマッチしたのだった。キング・オブ・バップと呼ばれるシカゴの重要なローカル・テイストメイカーであるKemoは、『Married to the Money』収録の ”Annoying” に合わせて自身がダンスする動画をアップロードした。Kemoのお墨付きによってSpeaker Knockerzはシーンの主役に躍り出た。やがて、Toni Romiti――短い動画を投稿するプラットフォーム=Vineで当時人気だった人物――がこれらのシングルをシカゴで耳にし、彼女の6秒動画のBGMとして用いた。Speaker Knockerzは少しずつバズり始めた。

 2013年の暮れ、Speaker Knockerzは彼の決定的なシングルとなる ”Lonely” をリリースする。彼のスタイルの完成形であった。矢継ぎ早に繰り出されるハイハットと心臓からの出血のようなピアノの上で、彼はまるでターミネーターのような冷酷さでこうつぶやく。「なにもないところから始めた、俺はハングリーだった/今ではビッチが着いてくる/クソが、俺はお前のホーミーになんかなりたくない/俺は俺ひとりで金を稼がなきゃな」。今回のバズは相当なもので、あのDrakeですらこの曲に合わせて歌う動画を上げるほどだった。Speaker Knockerzは ”Lonely” に続いて同じくダイナミックな ”Erica Kane” をリリースした。これは ”Rico Story” 三部作と並び彼の作詞の巧みさを伝えるものだった。”Erica Kane” は彼が生前リリースした最後の音源となった。2014年3月、まだ19歳だったSpeaker Knockerzはガレージの中で胸を抑えて倒れ込んでいるところを警察と父親によって発見された。死因は心臓発作だった。横たわる彼の横には黒塗りのカマロがあった。

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 Speaker Knockerzは確かにポップ風のラップ・ミュージックを作っていたが、彼が生きている間彼はポップ・スターではなかった。彼はいくつかのインタビューしか受けなかったし、彼について書かれたものもそれほど多くない。そしてAtlanticやUniversal Republicからの誘いにも関わらず、彼はレーベルと契約しなかった。彼の知名度はシカゴやニューヨーク、そしてミルウォーキーなど限られた地域だけのものだった。さらに彼が出てきたのはラップ・ブログが衰退し始めた頃だった:メディアが取り上げるのは、XXLのフレッシュマン特集の表紙を飾るような、バックにレーベルがついているスターばかりだった。彼が死んだあとでさえ、彼の家族はWondering Soundというウェブサイトのプロフィール以外は口をつぐんでいた。彼の死から半年後にリリースされ、”Lonely” ”Erica Kane” の両曲を収録した『Married to the Money II』がどのように完成されたのかは不明だったが、どうやら彼の家族、とりわけ彼の父親、デレク・マカリスター・シニアが大きな貢献を果たしたのだろうと考えるのが妥当だろう。

 マカリスターは当初、父親(同じく音楽プロデューサーだった)と母親と共にブロンクスで育った。マカリスター・ジュニアが5歳のころ、父親はドラッグ関連の罪で刑務所に送られた。その頃、母親はマカリスターとその妹をサウス・カロライナへと移したのだった。13歳のころ、Speaker KnockerzがFruityLoopsで遊び始めたころ、彼はそのつたないインストゥルメンタルを電話越しに父親に聴かせ、アドバイスと批評を求めた。マカリスター・シニアは出所後、息子と親しく一緒に作業するようになり、彼をスタジオに連れていったり、彼のキャリアが芽を出し始めると雑務関連の部分を手伝うようになった。

 近しい血縁のものが関与したにもかかわらず、その他多くの死後リリースされたラップ・アルバムと同じように、『Married to the Money II」は欠陥品だった。その構造は2020年のPop SmokeShoot for the Stars Aim for the Moon』と共通している部分がある。それは、メインストリームでの成功を目前にしていながらも突如失われた地方のスターのレガシーを受け継ぎながらも、新しくファンになる可能性のある人たちに向けた紹介でもある、という作品を目指して作られたという点だ。でも結局そんなたいそうな目標をいくつも目指したところで、とっ散らかったサウンドになってしまうのだ。

 土台となったあの2枚のミックステープと違い、『II』にはタイトなエディットというものは存在せず、再生時間は長い。Speaker Knockerzの見切りの良さは、まるで思い付きのようで、面白くカオティックだった。しかしここではいろんな選択が必要にかられたものになっていて、特にこれまでの作品ではあまり見られなかったコラボレーションにかなり比重が置かれている。これらの楽曲のうちかなり多くのそれが未完成であることは聴いてすぐに分かるだろう:”U Mad Bro” でのKevin Flumはかなりありきたりな白人早口ラッパーのように聞こえるし、幼馴染であるCapo Cheezeが ”Smoke It” や ”Double Count” で用いているオートチューンを聞けば、あの時のJAY-Zは正しかったと思ってしまうかも知れない。Speaker Knockerzの初期の名声に貢献したVineスター、Toi Romitiが歌う ”Scared Money” のフックはどうしようもなく酷い代物だ。

 粗が目立つ部分はあるものの、『~II』はSpeaker Knockerzのカタログへの出発地点として意図されたものである。特に特筆すべきは、引き続き当時のラップ・ミュージックのトレンドを最大化したような彼のプロダクションである。オートメーション風のハンド・クラップやフィンガースナップ、ブンブンと唸るドラム、そしてエレクトロニックなキーボードのメロディ。これらはリングトーン・ラップと、Rich Gangの『Tha Tour Pt. 1』やMigosの『Rich N***a Timeline』といった重要なミックステープの発表の間にぽっかりと空いた、非伝統的なATLラップの特徴である。もちろん “Lonely” と “Erica Kane” がピークではあるが、ポップなシンセサイザーの上に心臓のように弾むドラムがのっかる “Tattoos” や、オートチューンが深くかけられた彼による泣き叫ぶような歌声にぴったりの “Don't Know” もまたこの流れに連なるものだ。これほどバブリーでハーモニックなプロダクションを聴くと、もし彼が自身の手で――安価な用兵に頼るのではなく――ヴァースやフックを完成させるチャンスがあったなら、『~II』は彼の代表作になったのではないかと思わずにはいられない。

 彼のこれまでのミックステープにおける歌詞の構造と同じく、歌詞――楽しげなものから陰鬱なものまで――はナーサリーライムのように直截的である。”We Know” の歌詞はこんな風だ。“The phone, the phone is ringing/I’m ’bout to talk dis dumb n***a out all of his ching-ching/All dis finnessin’ now I got all of this bling-bling/N***a… I’m fuckin an’ smokin’ and drinking”。初歩的な単語たが、方向感覚を失わせるようなオートチューンの歌声と、気持ちを感じるということを初めて学んだAIのような不気味なエネルギーの融合がそれらを浮かび上がらせている。同じように、”On Me” は気の抜けたゲストのヴァースを無視すれば、Speaker Knockerzの短いキャリアの中でも随一の生き生きとしたメロディックなヴァースを聴くことが出きる。“She wanna ride in my black car, because I’ma star” と彼は軽快に歌う。まるで彼のカマロに乗らないかという誘いは跪くことと同義であるかのように。

 時がたつにつれ、Speaker Knockerzの物語を語るのは難しくなってきている。彼が成功を収めた地方のシーンは全く違うものになっているし、彼の音楽が芽を出したソーシャル・メディアのプラットフォームは今や遠い過去の記憶となった。彼を初期のヴァイラル・スターに仕立て上げたオリジナルのVine動画を探すのは難しくなっている。もしある日目覚めて彼のYouTubeページが閉鎖されていたら、我々が彼について知っていることの多くは失われてしまう。それはインターネット上だけに存在する物事がいかに儚いものであるかという事を、そしてビッグ・テック企業が明日にもその息の根を止めることができるプラットフォーム上にあるレガシーの脆弱性を、思い出させてくれる。

 しかしともかく、多くの記憶に残っているポップ・ミュージック同様、『Married to the Money II』はタイムカプセルのようなものだ(Speaker KnockerzのCDの隣にはスナップバックキャップ、トゥルーレリジョンのジーンズ、彼のお気に入りだったUrban OutfittersのグラフィックTシャツ、そして不必要なチャックがたくさんついた服なんかがあるだろう)。しかし彼の同胞であるFutureやChief Keefと同じく、この瞬間は重要であると同時に、この時期に偶然起こった時代を超えた物語の背景でもある。もっと伝統的なポップラップの楽曲は2010年代初期のその瞬間に永遠に閉じ込められているが(例えば:”Rack City” や ”Black and Yellow”)、”Lonely” のようなシングルはタイムレスに感じるような感傷を湛えている。Speaker Knockerzは、2010年代に自分のベッドルームに閉じこもってインターネットをしていたティーンたちに人気だったもの全てに大きな影響を受けているにも関わらず、彼自身が独自の存在であるかのように聞こえるのだ。