海外音楽評論・論文紹介

音楽に関するレビューや学術論文の和訳、紹介をするブログです。

Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・アルバム200 Part 15: 60位〜51位

60. King Krule: The OOZ (2017)

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2013年にデビュー・アルバム『6 Feet Beneath the Moon』をリリースしたとき、Archy Marshallは19歳にして自身に満ち溢れていた。都市が荒廃していく中、ロンドンの裏路地を大いばりでうろつきまわる悪党だった。King Kruleと改名してリリースしたセカンド・アルバム『The OOZ』にはそれらの街路についての描写はほとんどなく、それはMarshallの寝室の中に築き上げられた入念な小宇宙であり、そこでは荒廃は一種の慰めであった。様々な変名で一連の実験的楽曲をリリースしたのち、かれは『The OOZ』を「ギター・ミュージック」への回帰であると考えた。しかしMarshallはオーヴァードーズしたようなサイケ、不安げなヒップホップ、ゾンビ化したパンク、スポークン・ワード、ゆったりとしたジャズ、そしてサウンド・アートを呼び起こし、その形式に新たなベンチマークを定めてしまった。細かな装飾が現れては立ち消えていく:失恋と憂鬱を思い出させながら。高価で、孤独な町が彼の実在論的なファンクの背景を成す。しかし没入感のあるプロダクションと詩は、真っ暗な奥底から出てくる気の狂った腕のように聴き手にたどり着く。『The OOZ』はKruleの苦しみからできたものだが、その輝きには恐れるにはあまりにも精密なメランコリーがある。–Jazz Monroe

59. Taylor Swift: Red (2012)

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『Red』は、頂点へと上り詰めようとしている若い女性がその過程で全てを感じようとしているところを捉えた自画像である。楽曲は可笑しいほどに自己認識的で、正直であると感じられるほどに素朴で、リスクを冒すことへの誘惑や記憶や失望の急襲、そして初めて感じる大人のロマンティックな恋愛がもつ人を変えてしまうほどの力といったものが描かれている。このアルバムはTaylor Swiftに初のナンバーワン・ヒット(あの忘れがたい“We Are Never Ever Getting Back Together”)をもたらし、過激なことで知られる彼女のマーケティング戦略の多くの始まりとなった:記念のKedsのスニーカー、Papa Johnのピザの箱、兵器と化したタブロイド紙のゴシップ。ポップな曲の他には、別れる別れないの痴話喧嘩の話である快活な“Stay Stay Stay”や再生を歌ったメランコリックなバラード“Begin Again”など、彼女がこの10年で行ったアコースティック主体の最後の録音物となった楽曲も収録されている。『Red』のあとでは、「てかTaylor Swiftって誰?」と聞く人などアメリカにはいなくなった。–Anna Gaca

58. Kamasi Washington: The Epic (2015)

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少なくともここ60年の間、ロサンゼルスのジャズ文化はこの土地が持つ環境のいくつかによって形作られていた。ゆったりとした生活、設備の整った練習場所、テレビ・映画産業との距離の近さ、そしてニューヨークから発せられる漠然とした「上から目線」。2015年にサックス奏者のKamasi Washingtonがいくつかの自主制作盤を経てレーベルから初のアルバムをリリースした時、彼は34歳で、異様なほどに注目を浴びる準備ができていた。彼は、高校時代からの知り合いであるバンドメンバーの間に並外れた流動性を築き上げるのに十分な時間も、空間も、資源もあった。教会やR&Bのショウで腕を磨き、地元の長老やヒーローたちのネットワークによる後押しもあった。彼らはアカデミックな形式主義者やビバップ警察でもなかった。彼らはもちろん巨匠たちを知ってはいるが、コンプトンのヒップホップのグルーヴと、Patrice RushenGeorge DukeAlice Coltraneといった商業的で、プログレ的で、そしてスピリチュアルなジャズの両方に地理的に近い場所で育ったのであった。

こういった者たちのミクスチャー――と、ニューヨークから離れていることをいいことに――この『The Epic』にはくだけた感じと壮大な感じが同居している。Kenny GarrettとPharoah Sandersに影響を受けたWashingtonの演奏は、激しく敏捷なフリー・ジャズの悲しげな一吹きをしたかと思えば、続いてスロウなエレジーを、そして早口でメロウなファンクを吹き上げる。このバンドには二人のドラマー、二人のベーシスト、コーラス隊、ストリングスが含まれている。雷のようでありながら冷え切っていて、一枚岩のようにガッシリとしていながら極めて自然体なのである。この作品を起点にこの四半世紀のジャズの伝統(と呼びたければ)の中でも最も強力なうねりが生まれたと言ってもいい。もしそう呼ぶなら、ジャズはその始まりから常にポピュラーで、神聖で、優れたミュージシャンシップ――学術的でありながら土着的な――を受け入れてきたということを考えてみて欲しい。–Ben Ratliff

57. Kendrick Lamar: DAMN. (2017)

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圧巻の構成を持ち、ピューリッツァー賞を受賞したこの自叙伝的作品『DAMN.』でKendrick Lamarが主な燃料として用いたのは内なる葛藤であった。彼は善と悪の間で綱引きをしながら、コンプトンのように人種差別による抑圧と暴力が当たり前のように存在する場所で育った彼にとって道徳というものがどれだけ軽薄なものであるかを描き出す。Lamarは以前の作品の中でもこのような主題を取り扱ってきたが、『To Pimp a Butterfly』でのファンクな実験で研ぎ澄まされた歌詞の技巧とヴォーカルの柔軟さを輝かせながら彼が矢継ぎ早にヴァースを繰り出すその様は、これまでになくテクニカラーなディテールを伴っていた。

『DAMN.』は彼の父親と彼のレーベルの長、Anthony Tiffithが何年も前に偶然遭遇したことがあるという、驚くべき出自の物語が語られる“DUCKWORTH.”で幕を閉じる。何かが間違っていれば片方は死に、片方は監獄にいたかも知れない。しかし双方が無事であったために、Kendrickはこの物語は自分が「選ばれしもの」であるという物語を実証するもの、自分が世界で最も偉大なラッパーになるんだという運命を示すものとして使うことができたのだ。神による干渉を信じようが信じまいが、この予言が実現しなかったと主張するのは難しいだろう。–Michelle Kim

56. Björk: Vulnicura (2015)

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8作目となるこのアルバムで、Björkは離婚を聖書における罪という位置に差し戻した。失恋を題材にしたアルバムの中でも頂点に近いところに君臨するこの『Vulnicura』は、普通のそういった作品の感度を超え、まるで怒った神が悪者に言うように、「感情的な尊厳」を要求する。無重力ビート(Arcaが共同プロデュースしている)がマイクに密着して録音されたヴォーカルとストリング・セクションの紋章を継ぎ合わせ、Björkの失望を古代からの伝統から連なるところに位置づけている――苦悶は尊厳の一種である、と。“Black Lake”では彼女は元恋人に「あなたは私の限界のない感情を恐れた」と歌っている。このアルバムは、感情を最大限表現することはこのスーパースターが存在する偶然の事実ではなく、彼女の核となる哲学であるということを思い出させてくれる。一人の男の失敗を嘆くことによって、彼女は全てのリスナーに精算を要求し、芸術と道義の間の神聖な絆を照らし出している。–Jazz Monroe

55. St. Vincent: Strange Mercy (2011)

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Annie ClarkのSt. Vincentとしての3作目『Strange Mercy』を形作っているうす暗いナラティヴは、馬毛のむち、汚い警官、スーツ―ケースに詰まった現金など、鋭く毒々しいイメージを浮かび上がらせる。Clarkの父親は2010年に証券詐欺で投獄されており、そのことが鬱、犯罪、そして怒りをしばしばほのめかす婉曲的な本作の歌詞に影響している。しかし彼女はこの出来事を卒倒するようなギターの速弾きと、支配層と従属する人々、警官と一般市民、親と子供などの間の複雑な力のダイナミクスについての暗い物語のためのライターオイルとして用いている。『Strange Mercy』はClarkの2009年作『Actor』の映画的な推進力を、活発な実験的なアクセントでさらに爆発させている。“Nothern Lights”を締めくくる腐食性のソロから、精巧なポップ・ワークアウト“Cruel”を通底する針金のようなモチーフまで。彼女はこのあともより大胆な作品を投げかけていくのだが、その水銀のようなムードと気まぐれなインストゥルメンテーションによって、この『Strange Mecry』はSt. Vincentの中でも最も切迫していて最も広く反響する作品となっている。–Eric Torres

54. Young Thug: Barter 6 (2015)

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 Young Thugは、ラップ界における世代間の闘争の象徴的存在からこの業界の重鎮へと、物凄い速さで移り変わった。たった数年前、彼がアトランタのメロディックな新しい一派のリーダーとして現れた時、彼の曲芸のようなフロウと気の触れた叫び声は斬新で好奇の的となった。今日ではそのスタイルの模倣がチャートを独占している。いまだにThugの事実上のデビュー・アルバム『Barter 6』は今日に至るまで彼の代表作であり続けている。偏執症的であったり、内省的であったり、皮肉屋だったり、彼はその姿を変えながらWheezyLondon on Da Trackによるトラックの上を滑空していく。リリースにあたっていくつかの派手なドラマに見舞われたが(このタイトル自体が彼が以前憧れていたLil Wayneへの、明らかでありながら真意のよくわからない当てこすりであった)、Thugサウンドは並外れて焦点が合っていて、T.I.Boosie BadAzzYoung Dolphといったゲスト・ラッパーが記憶に残るラップをする不気味な“Can’t Tell”や嵐のような“Never Had It”でもゲストたちを食ったラップをしている。彼はその後も多作であるが、多くのリークやレーベルとの確執、そして私生活での問題が続いたあと、Thugはいまだにこの時のような純粋さを取り戻せてはいない。–Rawiya Kameir

53. Jlin: Black Origami (2017)

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インディアナ出身、フットワークの革新者であるJlinことJerrilynn Pattonはかつて、「実験音楽についての文学とは、空白のページのことである」と述べた。彼女による鋼鉄のようなこの2作目は、その独創的な考え方を証明するものになっている。発見の感覚が絶え間なく去来するこの作品には音のヒエラルキーが存在せず、酩酊感のあるポリリズミックなパーツが、まるでバレエのような優雅さでぶつかり合い、音を立て、グリッチを起こしている。『Black Origami』はまるで実際の人生のように、崩壊しては再調整して生成される産業化のように生き生きとして聞こえる。

「この作品を『Black Origami』と名付けたのは、人生も同じく、一つ一つの折りによってだんだんと一つの作品が出来上がっていくものだから。何も書かれていない、折られていない紙のような存在から始まり、そのあとは曲げられては折られて、曲げられては折られて、というのが続いていくものだ」とJlinは語る。では彼女の折りはというと、彼女はどのジャンルにおいても最も先進的な考え方を持った現代作曲家の一人で、最も人間らしい人の一人に自分を作り上げたのである。–Jenn Pelly

52. LCD Soundsystem: This Is Happening (2010)

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壮大な引退劇となるはずだった冬眠期間に突入する前に、LCD SoundsystemはJames Murphyが信じていた戒律の一つ一つを高らかに掲げた:ミラーボールの下で新たに洗礼を受けること、恋に落ちている相手のためだったら自分を変えること、ヒット曲を作らないこと、批評家たちに最後一撃を食らわせて、そして永久にステージを去ること。

バンドの一応の最終作となったこの作品は大ばくちとクライマックス、そして最後のさよならでいっぱいである。「家につれて帰ってくれ」というMurphyの叫びで終わる、感情が詰まったこのアルバムの脈打つ心臓のような楽曲である“All I Want”について、Murphyは一度「これは死にものぐるいであることの音楽だ」と語っている。天国やワインバーの個人経営者がここで彼を呼んでいるかのように、そして彼は作品の最後で再び故郷について歌っている。もちろん、現実世界ではLCD Soundsystemは再結成を果たしてこの7年後にまた優れた作品を作っているし、そこではこの「家につれて帰ってくれ」というモチーフはなんだか長い夜を過ごした酔っぱらいの男がUberの後部座席でぶつぶつ言っているイメージに聞こえる。『This Is Happening』の物語とマディソン・スクエア・ガーデンでのファイナル・コンサートはとんでもないカタルシスと重要さをたたえていて現実とは思えず、まるで夢のように心のなかに焼き付いている。–Jeremy D. Larson

51. DJ Koze: Knock Knock (2018)

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DJ Kozeはこのアルバムで歌ってこそいないものの、それでも彼の人間性は彼の作るよろめくようなビート一つ一つに輝いている。エレクトロニック・ミュージック界の主たるトラブルメーカー、金のハートを持つ彼は、『Knock Knock』の時ほど愛される存在ではなかった。彼のプロダクションは、彼がよくブックされるようなイビザの巨大クラブと相性がそれほど良くなかった。大仰ではなく個人的で、大衆向けと言うよりは風変わりだった。そして『Knock Knock』はそんな彼の特異性を最大限活用したものになっている。Bon Iverのサンプルがグリッチ―なディープ・ハウスにキャンプファイアー・フォークの雰囲気を加えたり、LambchopのKurt Wagnerがオートチューン越しに甘くさえずる。アルバムに収録されている宝石のような音色のサンプリング・サイケデリアは決まってレイドバックした雰囲気で、チョップアップされたソウルが簡単なドラム・ブレイクの上に乗っているものが多いが、Gladys Knightをサンプルしたメインステージ級のディスコ・ハウス・アンセム“Pick Up”を見逃すわけはないだろう。10000もの魂が一体となって踊る中で聴けば、このほろ苦い失恋のアンセムはこの上なくシンプルに人生を肯定してくれるだろう。–Philip Sherburne

Part 16: 50位〜41位