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<Pitchfork Sunday Review和訳>Alicia Keys: Songs in A Minor

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J • 2001

 1998年の夏、アリシア・キーズはすでに彼女のデビュー作『Songs in A Minor』をほぼ完成させていた。しかし彼女が所属するコロンビア・レコードは違う方向性を目指したほうがいいと告げた。そう、彼女はクラシックの教育を受けたピアニストであり、17歳にして歌唱、作曲、編曲、そしてプロデュースまでやってのける神童だった。だというのに、ピアノを弾くのは控えめにして、例えばクリスティーナ・アギレラみたいになれって? あるいはもう少し体重を落として肌を見せたほうがいい、だって?

 「彼らは私に、ヘルズ・キッチンからやってきたおてんば娘、次のティーン・ポップ・アイドルになってほしがっていた」キーズは回顧録でそう振り返っている。エリカ・バドゥディアンジェロマクスウェルジル・スコット、そしてキーズといったアーティストたちと、90年代後半のセックスにあふれたR&Bの流行を分かつものはレトロ・ソウル風のサウンドだったが、レーベルは大物プロデューサーたちを雇ってそういった要素を削ぎ落そうとしていた。キーズはレコーディングのプロセスに打ちのめされ、ケリー・”クルーシャル”・ブラザーズと組み、クラシックとソウルを混ぜ合わせ、ヤングアダルト・メロドラマとベートーベンを統合したような熟達した音楽を作ろうと決めた。コロンビアの重役たちは彼女に、「まるで一つの長いデモ音源のようだ」と告げた。

 もちろん、レーベルのこの意見は笑ってしまうほどに間違っていた。キーズは1999年の初めにコロンビアを去り、Arista Recordsのクライヴ・デイヴィスと契約し、やがて彼が立ち上げた新しいレーベル、J Recordsに所属することになった。そこでは、彼女は自分のヴィジョンを自由に操縦することができた。2001年11月には、彼女はチャート1位を獲得したアルバムを持ち、『Rolling Stone』誌は彼女を「次なるソウルの女王」とほめたたえた。2002年3月には、5×プラチナ・セールス、さらには最優秀新人賞とNo.1ヒットである ”Fallin'” の最優秀楽曲賞を含む5つのグラミー賞を獲得した。

 『Songs in A Minor』は、iTunesの誕生とDestiny's Childによる官能的なエンパワーメントのさなかに発表された。ブリトニー・スピアーズJC・シャゼイのボーイ・バンドは3作目を発表したところで、アッシャーは『8701』に向けて勢いを増し、石のように固い腹筋だけでポップ・ミュージックを叩き潰そうとしていた。そこに、自分でプロデュースを手掛け、ショパンにインスパイアされ、自尊心、生存、そして幸福の実践的な追求について歌った楽曲を携えたキーズが現れた。彼女は深遠な愛や欲望、感情やキャリアの安定を歌った。しかしこれは暗い時代でもあった。『Songs in A Minor』は3週間の間ビルボードの首位にとどまっていたが、それはアリーヤのセルフ・タイトル作が2位に従えていたのと同じ週だった。その直後に彼女の死、そしてその1か月後には9.11が待ち構えていた。キーズは気が付くとインディア・アリーとともに新しいネオ・ソウルの親善大使としてポップ界の中心にいたのだった。

 キーズへ与えられた賞賛はもちろんふさわしいものであったが、それは同時に多くの言外の意味が含まれていた。彼女はニューヨーク出身のバイレイシャルで、ハーフトップとブレザーを身にまとい、スティーヴィー・ワンダー風のコーンロウにビーズをあしらったいでたちであった。品位ある白人作曲家が糊のきいたスーツを着ているというイメージと結びついているこのジャンルにおいて、彼女はクラシック音楽家がどんな姿をしているべきかという期待を転覆させたのだ。彼女は文化の衝突を強調し、レザーのトップスやヘッドスカーフ、あるいは床まであるような長さのファーなどをまとって、突然グランドピアノの前に姿を現すのであった。『Songs in A Minor』のイントロ、”Piano & I” において、ベートーベン「月光ソナタ」のオペラ風のハミングから激しいドラムへと展開していくインストゥルメンタルを使って、彼女は自身のスターとしての地位を喜んで受け入れている。「こんなところにいるなんて知らなかった」彼女は言う。「私の名前を知ってる?」

 彼女は法的に本名を変える前は、アリシア・アウジェッロ・クックという名前であり、非常勤の女優でありパラリーガルであった母親テッリ・アウジェッロの手によってヘル図・キッチンで育った。キーズはキャリア初期において、父親の不在について公の場所で語るのを避けていた。黒人の父親にまつわるステレオタイプを語りたがる口にまんまと載せられたくはなかったからだ――彼女の母親は白人で、父親は黒人だった。彼女は幼稚園の先生がピアノを教えて呉れた際にクラシック音楽と出会った。キーズは夢中になった。7歳でスズキ・メソードを習い始め、14歳でジャズに着手した。ヒップホップ、ソウル、そしてクラシックはすべて等しく彼女に語り掛ける音楽だった。2001年、彼女は『Rolling Stone』誌にこう語っている。「ビギーとマーヴィンは、私が知っていることについて書けばいい、うまくやろうとしなくてもいい、ただそこにあるものをかけばいいと教えてくれた」

 キーズが14歳のころ、Harlem Police Athletic Leagueのコミュニティ・センターのボーカル・コーチが彼女にブラザー、ジェフ・ロビンソンを紹介してくれた。彼は彼女の中にメアリー・J・ブライジモーツァルトを難なく体現してしまうようなアーティストの可能性を見出し、彼女のマネージャーとなった。キーズは1年生が始まって数週間でコロンビア大学を中退し、クイーンズのローズデールにあるスタジオに移り住み、ブラザーたちと『Songs in A Minor』の骨格を作った。このとき16歳である。その合間を縫って、キーズはコンピレーション作品に参加することで名を上げた。1997年、彼女は『メン・イン・ブラック』のサウンドトラックに滑らかなバドゥ風の ”Dah Dee Dah (Sexy Thing)” を提供し、ジャーメイン・ドゥプリの『12 Soulful Nights of Christmas』に ”Little Drummer's Girl” で参加している。

 しかし、クライヴ・デイヴィスと契約し――彼はAristaから追い出された後にJ Recordsを設立した――『Songs in A Minor』を完成させた後も、キーズはジャクソン5にインスパイアされた、失望から不用意なほどの至福へと急激に転換していく関係性を歌ったバラード ”Fallin'” のオーディエンスを見つけるのに苦労していた。アーバン・ラジオはこの雰囲気を理解してくれなかった。キーズは実際に見てみないと理解が難しいパフォーマーだった。デイヴィスは最後の切り札として、キーズがピアノを演奏している映像とともに、隠された才能から文化的存在を見つけ出すことで知られ、また、たまたま何百人もの視聴者を持つトークショウもやっていることで知られる、あるメディア関係者に手紙を送った。2001年6月、キーズはピンクのサテンの襟のついたタキシードを着てオプラの隣に立ち、『The Oprah Winfrey Show』で全国テレビデビューを果たしていたのだった。

 ”Fallin'” はたくましさを超えてスピリチュアルさすら感じるようなバラードである。キーズは膨れ上がるようなファルセット(「どうやってこんなにたくさんの喜びを私に与えてくれるの」と彼女は始める)からしわがれたアルト(「そして同時にどうやってこれほどの痛みをくれるの」と彼女は吐き出す)へと振り切り、一行ごとにそこはかとない疲労感を表現している。彼女は『Rolling Stone』誌に「とても若いシンガーがクレイジーなくらいディープな歌を歌えば、”なんでこの人はこれほど気持ちがわかるのだろう?” という感じでイルだとおもった」と語っている。彼女にはミュージック・ビデオのアイデアがあった――刑務所にいるボーイフレンドに会いに行く彼女をカメラが追いかける――それは彼女がサントラ・ラッカーという13回連続の終身刑を言い渡された女性についての記事を『F.E.D.S.』誌で読んだことがきっかけだった。この楽曲はあまりにも有名になりすぎたため、サイモン・コーウェルはのちに『アメリカン・アイドル』の参加者がこの曲を歌って台無しにすることを禁止する、と冗談交じりに言うほどだったこれはこの曲がポップの巨人による無視できない名曲になりつつあるという兆しだった。

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 それに続くヒットである ”A Woman's Worth” ――ロレアルのスローガンに率直にインスパイアされたフェミニスト・アンセム――はキーズにによる、萌芽しつつあったデジタル世代にとっての ”Respect” だった。もちろんアレサの傑作ほど爆発的ではなかったものの、メッセージ性のある音楽を官能的で優秀なポップスに昇華するという難題をうまくクリアしている。この曲のビデオは2000年代の盛装――ヒップハガーとボンバージャケット――で歩道を歩いているキーズが、少年を引き留めて騎士道の意味を教えているシーンから始まる。

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 このアルバムの中心に据えられているのは、感情について探検をするティーンエイジャーの姿である。キーズは ”Butterflyz” を14歳で書き、”Troubles” を17歳で書いたが、ボーカルやアレンジよりも作曲の面に若さが表れている。”Butterflyz” において、彼女は子供ような無垢さで恋の甘い高揚感をつづっている:「あなたがもたらすのは楽しさ/私はあなたにすべてを差し出したい」。歌詞を読むだけではこの楽曲の実際の魅力を損なってしまう。それに続いて、この楽曲は失恋を多く経験することについての鋭い洞察である ”Why Do I Feel So Sad” の傷ついたリフレインへとスムーズに移行する。しかしキーズの作詞の筆が最もさえわたっているのは ”Rock wit U” で、アイザック・ヘイズによるつむじ風のようなストリングスとフルートの一筆書きは大仰なベースと相まって、『シャフト』のサウンドトラックにぴったりな出来となっている(実際にこの曲は2000年に公開された続編のサントラに使用された)。「あなたが書けた呪文から逃れる術はない/私の心も精神も置き去りにされて/あなたのもとを去ろうとしたなんて/私は愚か」と彼女は憑りつかれたかのような低い声で歌う。

 このアルバムの16曲の中で、キーズの声は美しくひび割れたかと思えば、優しく神聖ですらあるうめき声にカールしていき、彼女のボーカルは張りつめているわけでも大胆であるわけでもなく、信じられないほどに説得力がある。2001年のレビューで、マーク・アンソニー・ニールは彼女のボーカルの質を、シンガーのアビー・リンカーンがファラー・ジャスミン・グリフィン著『If You Can’t Be Free, Be A Mystery: In Search of Billie Holiday』の中で語った「彼女はうまく歌おうと頑張っていたわけでも、自分が優れたシンガーであると証明しようとしていたわけでもない。不誠実な音を一つも発さなかったのだ」という言葉を引用して評している。この心の底からの誠実さは『Songs in A Minor』の楽曲がお涙頂戴の領域に滑り落ちていくのを防ぎつつ、ジミー・コゼィアーの美しい音色を渦を巻くストリングスをフィーチャーした ”Mr. Man” などの、このアルバムで最もメランコリーな瞬間を聴いたときに「もっとこの瞬間が続けばいい」と思わせているのだ。この曲での二人はまるで歌いながら本当にワルツを踊っているかのようだ。プリンスの隠れた名曲のカバー ”How Come You Don't Call Me” (原曲は ”How Come U Don't Call Me Anymore”)は原曲の魅惑的なファンクを尊重しながら、最後にはクレッシェンドのついた呻くような泣き声が追加されている:「なんであなたは私を苦しめるの」と、”Fallin'” へとフェードアウトしていく中で彼女は歌う。

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このアルバムの中で最も隔世の感を感じるのは、Blu Cantrellの ”Hit Em Up Style (Ooops!)” のような、2000年代のスキャンダラスなクラブ・レコードのコンセプトを反映したような楽曲である。キーズが他の女性と縄張り争いをする ”Jane Doe” や、理性に反した嫉妬心を歌うニュー・ジャック・スウィング・ナンバー ”Grilfriend” なんかがそうだ。その両曲において、キーズの心からの熱意とピアノの強がりがこの作品を本来よりも特異で説得力溢れるものにしている。彼女のボーカルの抑制は、まるで「エンパワーメント・アンセム」というラベルが貼られたかばんから引っ張り出してきたような後の作品(”Superwoman” や ”Girl on Fire”)よりもしっかりしていることがあるくらいだ。

 キーズのセカンド、サード・アルバムである『The Diary pof Alicia Keys』『As I Am』は『Songs in A Minor』のクラシック的青写真を微調整し、エレガントで懐かしさのあるソウルに仕立て上げたものだ。彼女のベスト・ソングのいくつか――”Wreckless Love”、”Try Sleeping With a Broken Heart”――は、彼女の恥知らずの理想主義とリアルな危急性の料理捨つさせる微妙なバランスを実現している。彼女は時にそれをやりすぎるきらいがあるが、この作品ではそういうことはない。

 大学入学前の夏、私は ”Troubles” を沈んだ気持ちで聴き、出来の悪い詩が書かれた本を泣きながら読み漁っていた。地下室の布団の中で1人、私はキーズと同じことを思い悩んでいた:「なんで私の心は定期的に私を引きずり落とすのだろう?」(回答なし)、「あとどれくらいこの疎外感を感じるのだろう?」(永遠に、でもそれでもOK)。”Lovin U” の輝くようなゴスペル・ソウルにおいて、キーズは献身的な愛を抱きしめつつも、それに苛立っている。「私があなたに永遠を与えたら/あなたは私のことを気にかけてくれるのでしょうか」と彼女は人生の伴侶にしたいと思っている人に訊く。いつものように、彼女は人生において永遠に続く単純な修辞的疑問を投げかけているのである。