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<Pitchfork Sunday Review和訳>Anita Baker: Rapture

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ELEKTRA • 1986

 「クワイエット・ストーム」とは、70年代末期に、小石のようにすべすべとしたR&Bのバラ―ドに対して名付けられたブラック・ラジオ用語である。サブジャンルの名前がそれ自体に最適な文脈を示唆する形で名付けられることは珍しいことだ。アイズレー・ブラザーズ”Choosey Lover” やスモーキー・ロビンソンの「元祖」である ”Quiet Storm” を聴いてみよう。これらの楽曲の中で描かれる空は暗い紫色の雲で覆われ、その中で雷が光り始めているということに気が付くだろう。転機と切り離された屋内では、誰かがコートを脱ぎ、それがむき出しの木材の床に柔らかな旋風を巻き起こす。空気中には蒸気のもやがかかり、隣の部屋からは浴槽に流れ込む水の音が聞こえてくる。これこそがこのジャンルが暗に聴き手に売り込んでいる、快適で親密なライフスタイルである。ソファや浴槽、あるいは安定した長期間の関係のように、仕事に疲れた体によくしみこんでいくようなソウル・ミュージック。このフォーマットはロマンスにおけるスローモーションのような雰囲気、あるいはあまりにも強力に結びついているために周囲の分子の動きを鈍くしてしまうほどの関係性を醸し出すことに特に長けている。だからもしあなたがいいソファや大きなバスタブをもっていなくたって、ラジオをつければこの音楽そのものの魅力にどっぷりとつかり、物理的な現実ではなく、無意識の白昼夢にすら近い、深いところにある欲望へと引き付けられるのを感じることができるだろう。

 80年代中盤、アニタ・ベイカーは自身の2作目のための楽曲を品定めしていた。彼女は作曲屋にいつも「暖炉の傍で聴くようなラブ・ソングで、ジャズの雰囲気があるもの」はないのか、と問い合わせていた。言い換えればクワイエット・ストーム路線の、暖炉がその中でちらちらと光っているような楽曲である。ベイカーはこの路線で丸々一枚アルバムを作りたいと思っていた。そうすれば、当時全盛期を迎えていたアグレッシヴで機械的なポップR&Bのプロダクションがムードを邪魔するなんてことがなくなる。彼女は5曲を持ち帰り、さらに自身が作曲にかかわった3曲を追加した。それらは最終的にちょうどアルバムくらいの長さの、承認にまつわる組曲となった。楽曲のタイトルは ”You Bring Me Joy” や ”Same Ole Love (365 Days a Year)” などと名付けられ、愛や幸福の持続、温かさややさしさといったものが繰り返し立ち現れる際の癒しの力への賛辞となった。彼女はアルバムのタイトルに「Rapture(=有頂天)」と名付けた。そのタイトル通り、ここに収められた楽曲は常に地表から数インチ浮遊しており、まるでささげられた愛の深さによって不思議な力を与えられているかのようである。

 当時のベイカーは、自身がデトロイトの幼い女の子だった際に聴いて育った音楽に陰影をつけるような音楽を好んで作っていた。彼女は教会で歌を教わった:彼女のシンガーとしての最初の記憶は、演壇の上に一人で立ってゴスペル曲を歌っているというものだ。その歌は、彼女が礼拝中に寝てしまわないようにと家族が教えてくれたものだった。しかしベイカーが成長するにつれ、彼女のゴスペルへの愛情はジャズへの関心へと変わっていき、彼女はコルク抜きのようにねじ曲がったような声の持ち主、たとえば彼女のアイドルであるサラ・ヴォーンなんかに強く惹かれていくようになる。80年代初期、ベイカーは地元デトロイトのディスコ/ファンク・グループ=Chapter 8でシンガーを務めたが、アルバムを一枚作っただけでレーベルから捨てられてしまった。幻滅した彼女は音楽業界から離れ、ウェイトレスや法律事務所の受付などの仕事をするようになった。新興レーベル=Beverly Glenに泣きつかれた彼女は再び歌うようになり、そこからデビュー・ソロ・アルバム『The Songstress』を1983年に発表した。

 『The Songstress』はR&Bチャートでまずまずの成功をおさめ、天空のような美しさを持つジャズ風のスロウ・ジャム ”Angel” はトップ5入りを果たした。次の作品ではより指揮権を強めたいと思ったベイカーは、Elektra Recordsと契約し、『Rapture』ではエグゼクティブ・プロデューサーを務めた。それは彼女が個人的にすべての楽曲をかいたわけではないが、楽曲の選出や、リスナーのために彼女が設計したシームレスな環境などに彼女のパーソナルなものが含まれているということを示唆していた。作品の冒頭から、ベイカーの声――27歳とは思えないほど豊かでディープなコントラルト――はコードやドラムの雲を突き抜けるようにして揺らぎ、最大の確信と正確さをもって、この作品の意図を提示するラインを歌う:「With all my heart / I love you baby」。このようにして『Rapture』の1曲目 ”Sweet Love” は始まり、リスナーの五感すべてをあふれさせるような交響曲のように響く。ベイカー自身もそれに影響されているようで、楽曲が進むにつ入れてヴォーカリーズ風に歌い、言葉は母音に溶け込んでいき、フレーズは液体と固体を行き来する。タイトル曲的な位置づけの ”Caught Up in the Rapture” では、「ba ba baya ba ba ba bah」という言葉にならない興奮状態から始まっていく。これは各ヴァースの冒頭で繰り返されるが、それはまだ形になっていない感情から作られたかのようである。

 『Rapture』は1986年当時のポップ界で必須項目となっていたエレクトロR&Bや、当時のこのジャンルにおいてもっとも著名だった「催眠術師」たち、プリンスやジミー・ジャム、テリー・ルイスのように過剰なまでに機械的で性的に解放された領域とは一線を画していた。発表当時、作家であり批評家でもあるネルソン・ジョージはこの作品を「古くて新しい」と表現し、ベイカーの楽曲が古いブラック・ミュージックの形式にルーツを持っていることを強調しようとした。その一方で、この作品の中をロケットのように貫いている感情はゴスペルのそれのように巨大でゾクゾクとさせるようなものだった――ベイカーが ”You Bring Me Joy” で「myyyy joy」と歌う際の巨大さを思い浮かべればわかるだろう。しかしこれらの表現は同時にコントロールされ様式化されてもいて、楽器ごとに描かれている。それはそれ以前のジャズやフュージョン、ソフトR&Bを容易に連想させるものであった。

 どこか「レトロ」な痕跡がある音楽であるにもかかわらず、『Rapture』は1986年の基準においても古臭く感じるところが少なかった。そのプロダクションは一つの基準を作りさえした:彫刻に例えるならば、それは人間の手で加工されたものなのかどうか判断が付かないような、そんな代物だった。一つ一つの音の分離がよく明瞭でありながら、その足音はついさっき湖の中から出てきたかのような湿ったエコーで包まれていて、深いリヴァーヴに浸っている。ピアノの存在は、ミックスの中で分厚いのと同時に広く広がっていて、まるで元恋人の香水の雲に包まれているような感覚になる。パーカッションやベース、ギターといったすべての楽器がテクスチャーとして機能し、”Same Ole Love” などで見られる川のようなリズムの中でもう一つのビートとして機能し、ラヴ・ソングの小さな永久機関を作り出している。そして、『Rapture』のリリース当時ベイカーはシンセサイザーへの嫌悪感を表明していた(「サウンドが薄っぺらい」と語っていた)にもかかわらず、このアルバムにはシンセがそこかしこで使われていて、アコースティック・ピアノとミックスされることでクリスタルのようなレイヤーで音色を包み込んでいる。

 それは、『Rapture』はR&Bアルバムとしてノスタルジーや正統性を主張するのではなく、むしろその継続性をこそ主張する作品であると感じられる一つの理由である。たとえこれが古いソウルをもって作られた音楽であったとしても、別に古いソウル・ミュージックを模倣しようとしているわけではないのだ。そうではなく、過去のスタイル――ソウルのビン詰めにされた感情、ファンクのゆったりとしたステップ、ディスコとポスト・ディスコのつややかなグルーヴ、ゴスペルの力強さ、ジャズの好奇心――が現在の場に持ち出され、この楽曲の外部の時間の感覚がどうでもよく感じられるようなやり方で結び付けられているのだ。それによってこれらの音楽的形式が同時に花開き、互いに絡まっているような夢のような空間を作り上げている。『Rapture』はベイカーの建てた家のようなもので、愛の神秘やブラック・ミュージックの歴史が探求され保全されていくような、温かくて安全な場所なのである。まるで暖炉のように。

 『Rapture』がとった、同時代のポップ・プロダクションの計略に対する不可知論的アプローチは、この作品の様々なフォーマットやチャートに対する奇妙ともいえる柔軟さという結果をもたらした。これはクワイエット・ストームでありながら、まるで天候のパターンそのもののようにアダルト・コンテンポラリーのラジオ局でも流され、最終的にビルボードのトップ40入りを果たした。私が子供のころ、ベイカーの声はまるで環境音のようにしょっちゅう流れていて、まるで家にある一対の家具のようであった。あるいは、まだ家具がなんであるか知る前は、私の上の空気を通り抜けていく甘いささやき声のようなものであった。その30年後、私はニューオーリンズのJazz & Heritage Festivalで、アニタ・ベイカーのパフォーマンスを見た。それは2018年の彼女のフェアウェル・ツアーの一部であった。彼女のステージ上の存在感は驚くほどに活力に満ち溢れていて、彼女の声の抗いがたい引力以上のものがそこにあった。彼女は腕を振り回し、その空気をしっかり握りしめたかと思うと、まるで自分の音楽が流れているその空間に触れることのできるかのようにそれをつま弾いた。しかし彼女が口を開けて歌いだした瞬間、時は崩壊し、私は初めてベイカーの声を畏怖の念とともに受け止め。まるでシルクのスカーフを口から出してしまうようなマジシャンのようだと思った、あの頃の年齢に戻されてしまったのであった。

BY: BRAD NELSON