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<Bandcamp Album of the Day>Throwing Muses, “Sun Racket”

Throwing Musesの駄作なんてものがあるだろうか?答えはノーだ。「カレッジ・ロック」という物事を単純化するジャンル名の中で最も輝かしくオリジナルなバンドとして40年以上のキャリアを誇るThrowing Musesが、彼らの魅力的なディスコグラフィーにまたしても堅実な一枚を付け加えた。この『Sun Racket』は、ロックというジャンルを屈折させることはあるにしろ転覆させることは決してなかったこのバンドによる、最も典型的な「ロック」アルバムである。あるいは彼らは「ロック」というものがどういうものなのかそもそも分かっておらず、それを解明するのにこれまでの40年を費やしてきたのかもしれない。いずれにせよ、『Sun Racket』によって巻き起こされる騒動は、1980年代初期からこのバンドの特徴であり続けてきた生まれつきの奇妙さを保ってはいるものの、これまでのどの作品よりもブルータルで本気である。

彼らの直近の作品は2013年の『Purgatory/Paradise』で、この作品は意図的に脱臼された冗長な作品でありながらも、音響面のテクスチャはこのバンドのディスコグラフィの中でも最もきれいなものであった。そして『Sun Racket』はその逆をいくものである。聴くものに不快感と恍惚感を交互に与えるような歪んだギターの音色によって作り上げられた楽曲のコンパクトなコレクションである。パンデミック以前に作られた作品について「現在の状況を予見していた」というのはあまり好きではないが、1曲目の ”Dark Blue” で Kristin Hershが “I cried about a freak suspended animation” と歌うとき、自身をソングライターではなく、音楽が湧き出る源からこの三次元の世界に流れ込む際に通っていく導管であると呼んだ女性による予言的な歌詞と出会うのである。

『Sun Racket』にかけられているヴェールはこれまでになく分厚い。Hershの書く歌詞は年を経るにつれて奇妙さをましていっているが、これは一つには彼らがより遊び心を持つようになっているからであるように思われる。そんな彼女はこれまでになく感動的な空想を我々に見せてくれる。『Sun Racket』を通じてHershが選んだメタファーは水であり、リヴァーヴとディストーションにまみれた楽曲は陰気さと繊細さの間を飛び交っている。砕くような “Bo Diddly Bridge” で、Hershは “You know we only fuck with what don’t matter/ And we only fuck who does/ Because…” と宣言し、志向を完結させることをしない。後に優美で子供っぽい “Kay Catherine” で彼女は「あなたのエガをを抱きしめる太陽」という驚くべき描写を引っ張り出してくる。そしてあるところでは彼女はシュールなジョークをかます。例えば驚かされるような「流してしまわないで/それはフレディー・マーキュリーだから」というのは朦朧とした “Bywater” で、金魚がトイレの中で「海に出ていこうとして」泳いでいるところを歌った一行である。Throwing Musesはこれまでサイケデリックなバンドではなかったが、『Sun Racket』は物質世界と非物質世界の間に浮遊させられているような感覚を持っていて、一つの足は本能的に感じられるロック・ミュージックのアーシーさに立っているのに、もう一つの方はケミストリーという最も珍しい部類の音楽的才能を生み出す魔法の領域に根ざしているのだ。

By Mariana Timony · September 04, 2020

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