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Weekly Music Review #2: Fantastic Negrito 『Have You Lost Your Mind Yet?』

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ストリートからグラミーへ。その波乱の人生

 Fantastic NegritoことXavier Amin Dphrepaulezzは1968年生まれの52歳。2016年の『The Last Days of Oakland』、2018年の『Please Don't Be Dead』に続いて、これがこの名義での3作目となる。年齢の割に遅咲きのように感じられるそのキャリアだが、それは彼が歩んできた波乱の人生と関係がある。
 厳格なイスラム教徒の父親の第8子(姉妹兄弟は15人)として出生した彼は12歳の時に家出し、ストリートでその青年期を過ごしたという。ドラッグの売人として過ごしていた彼だが、プリンスの作品を聴いて(そして彼が独学で音楽を学んだと聞いて)音楽の道を歩み始める。
 その後何とプリンスの元マネージャーに渡したデモテープがきっかけでメジャー・レーベルと契約、1995年にはXavierという名義で『The X Factor』というアルバムを発表している(日本盤も発売されたようだ)。なんとも順調なキャリアである。

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しかし、このアルバムが商業的に全く成功しなかった(実際に聴いてみるとそれもうなずける出来ではある)だけでなく、1999年には交通事故に遭い、3週間もの間生死を彷徨うことになる。こういったことが続き契約も打ち切られ、次第に彼は音楽を作ることもやめてしまうようになる。
 しかし、自分の子供をあやす際にギターを弾いて歌を歌ったところ喜ばれたことから、2014年に音楽活動を再開。現在の音楽性の核を成すアメリカのルーツ・ミュージックへ傾倒し始めたのはこのあたりだという。そしてストリートでライブ経験を積むうちに、アメリカの非営利ラジオ局=NPRの大人気コンテンツ ”Tiny Desk Concert” が主催するコンテストの第一回で優勝。その後本編に出演した際の映像がこちら。

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その後上述のように2作のアルバムをリリースしているが、2作ともグラミー賞の「最優秀コンテンポラリー・ブルース・アルバム賞」を受賞している。2020年のフジロックフェスにも出演予定だった。上のライブ・パフォーマンスを見るとぜひ生で観たくなってしまう。いろんな映像を見ていてもピシッとドレスアップしていることが多く、多少シアトリカルな側面も持っているのも彼の魅力だ。

ブラック・ミュージックの多様な側面を体現

 「ブルース」と形容されることの多い彼の音楽だが、一つのジャンルに押し込めることができないのが彼の音楽の魅力でもある。優しいバラードではソウルの風味を漂わせ、プリンスを原体験に持つ男としてファンクの要素もある。歌詞のないハミングやハンドクラップでスピリチュアルな空間を作り上げる手法はゴスペル的でもあるし、その力強い歌声はLed Zeppelinロバート・プラントを思わせ(前作の1曲目 “Plastic Hamburgers” はまさに ”Black Dog” 風)、楽曲によっては歪んだギターが前面でかき鳴らされることも多く、ハード・ロックのように聞こえる瞬間すらある。

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 それでも彼の音楽が「ブルース」にカテゴライズされるのは、彼の音楽がどんな形をとっているときでも、その声の底からは<悲しみの感覚>が滲み出ているからである。ミュージシャンの作品をその人の人生によってキャラクタライズしてしまうのは危ういとわかっていながらも、彼の歌うメロディ、歌詞、そして歌うその佇まいには常に、かき消すことのできないどうしようもなく暗い悲しみが見え隠れしているのだ。
 今回のアルバムでも、このように伝統的なブルースに縛られずジャンルを横断するような楽曲が多く聞かれる。特に同じくNPRのTiny Desk Contestの優勝者であるTank and the Bangasが参加した “I'm So Happy I Cry” と、80年代から活躍する西海岸のベテランラッパー=E-40が参加した “Searching For Captain Save A Hoe” ではラップが大々的にフィーチャーされている。これまでも「ヒップホップ以降の感覚が〜」と評されてきた彼だが、意外にもラップが入っている曲はこれまでなかった。ちなみに “Searching For Captain Save A Hoe” という曲名はE-40が93年に発表したクラシック・ナンバー “Captain Save A Hoe” を受けてのものである。

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歌詞の中で貫かれる<悲しみの感覚>

 彼はこの作品について、「これまで多くのトピックについて歌ってきたけれど、今回はパーソナルな作品にしたかった。自分や、自分の周りにいる人達が抱えているメンタルヘルスについての。聴いていて『これって自分のことかも』と思えるような楽曲を作りたかった」と公式の予告動画の中で語っている。『Have You Lost Your Mind Yet?』(=発狂はお済みですか?)というタイトルは、ここ数年間(特に2020年に入ってから)我々が目の当たりにしている、狂気が蔓延した世界にうってつけのタイトルであると言える。
 上でも触れた ”I'm So Happy I Cry” はオーバードーズによる不慮の事故で亡くなったラッパーのJuice WRLDの報道を見てインスパイアされた楽曲だそうだ。ドラッグディーラーとして生活をしていたこともある彼だからこそ、このような状況を繰り返したくない、という思いがあるようだ。

「ぼくがこの問題に言及するのは、こういう物語は繰り返されてきたし、ぼくは実際にそういったことを経験してこの目で見てきたから、声を上げたいと思ったからだ。彼らの周りには彼ら自身の精神、体、たましい、そしてコミュニティが破壊される事によって利益を得る奴らや企業がうようよいるということを忠告したい。ぼくはもう若くないし、小さな子供もいる。だから世にどんな貢献をするのかということに注意をはらいたいんだ」(公式ステートメントより)

 歌詞の中では過去の自身の経験を歌いながら、コーラスの前では「それでも俺は諦めなかった」と繰り返し、コーラスでは「今日、行きているということを実感する/嬉しくて泣いてしまう」と力強く歌い上げる。しかしそれが感動的でポジティヴなムードに回収されていくのではなく、ドラッグによる躁状態を思わせるような性急な手拍子と、どこかサイケデリックな音像の中で進んでいくのがこの曲のミソであり、上で述べたようなどうしても拭い去ることのできない<悲しみの感覚>とでも呼ぶべきブルースの感覚である。
 2番ではゲストのTarriona "Tank" Ballによるラップが入ってくるのだが、ここでの彼女のフロウも切羽詰まった不安定さを醸し出している。冒頭でも

I'm happy happy, sappy sappy
Sad song are the worst song of the bad day,
or the best song on the good days
(私はハッピー、ハッピー、ジメジメ、ジメジメ
悲しい曲は調子の悪い日には最悪だけど
気分がいい日に聞くと最高)

と感情の起伏について語っている。終盤の「Today we wake to another morning sun(今日も私達はまた、朝日を浴びて目覚める)」というリフレインには、今日もまだ自分が生きている喜びというよりも、ほっと胸をなでおろすような安堵と、それと裏返しにある自分の(心の)健康に対する不安が垣間見える。歌詞だけ読むと前向きに見えるが、それが深い悲しみと表裏一体であるというのがブルース、あるいはアフリカ系アメリカ人の音楽の特色であるとも言える。
 この曲に続く ”How Long” もまた、今作の一つのハイライトである。重厚なシンプルな4ビートで進むこの曲はブルースと言うよりはロック・バラードと形容したほうがしっくりくる(個人的にはGotthardに代表されるような北欧メロディアス・ハード・ロックを思い出した)。制作はコロナ禍以前に終了していたとのことで、もちろんジョージ・フロイド殺害事件よりも前なのだけれど、昨今の#BlackLivesMatter運動の高まりとどこかリンクした内容となっている。

Spitting out hashtags
There’s a lynch mob ready to kill you
ハッシュタグを吐き出せば
そこにはリンチをしようと暴徒が群がってくる)

Stuck deep in a hole
He cannot breathe
(深い穴に嵌ってしまった
彼は息ができない)

そしてサビでは「あとどれくらい、あとどれくらい私達は耐えられるだろうか」という悲痛な叫びが歌われる。
 彼は今作を作る際に60〜70年代のソウル・ミュージック、具体的にはギル・スコット・ヘロンスライ・ストーンといったアーティストたちから着想を得たという。50〜60年前の楽曲が今でも正鵠を射る、そんな社会に我々は生きている。「あとどれくらい」と問わずにはいられない。

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総評

 グラミー賞を2度獲っているのにも関わらず、彼はそれに見合った知名度を持っているとは言い難い。それは日本だけではなくて、本国でもそうだ。MVの再生回数だって10〜40万くらいだ。コメント欄にも「過小評価されてる」との言が目立つ。しかし、それが今現在のポピュラー音楽界で「ブルース」というジャンルが置かれている状況なのかもしれない。だからこそ、ジャンルを越境した魅力を持つ彼のような存在が広がっていかないのは歯がゆくもある。
 今回の作品はヒップホップの要素や打ち込みのビートも入ったりしていて、これまでの作品の中では最も広く聞かれやすい部類に入ると思う。だけれど、個人的には前作のようなもっと油ぎった作風のほうが好みっちゃ好みかもしれない。クオリティ的には申し分ない出来ではあるが、大々的なスペクタクル感には欠ける。もちろんそれはそもそも意図しない作風のアーティストであるということは承知の上で、であるが。今の流行の逆を行っているこの「地味」さが彼の魅力でもあり、知名度の低さの所以でもある。
 と、急になんだか下げることを書き始めてしまったけれども、やはり彼の最大の武器である素晴らしいヴォーカル・パフォーマンスを存分に味わえる作品であることは間違いなし。これまでの作品と合わせて、聴くべきアーティストの一人であるし、ライヴが見られる機会があるのであれば(来年のフジロックとかかなぁ…)是非見てみたい。