海外音楽評論・論文紹介

音楽に関するレビューや学術論文の和訳、紹介をするブログです。

Pitchforkが選ぶテン年代ベスト・アルバム200 Part 16: 50位〜41位

Part 15: 60位〜51位

50. Grimes: Visions (2012)

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Claire BoucherがGrimesとして発表した最初の2枚は、彼女のポップ的本能を実験的操作の奥底に沈めてしまっていた。3作目となる『Visions』は新たに解き放たれた才能とそれを使いこなすことへの興奮できらめていている。ここに収録された楽曲は、泡立つようなテクノの鼓動の上に敷かれたポップ・メロディのねじ曲がった閃光であり、素のヴォーカルの甘々しさの下には何かかすかに不吉なものが顔をのぞかせている。このアルバムはこれ自体に組み込まれた独創的なタイムキーピング――4分を超える曲と、2分以下の曲がそれぞれ多く収録されている――と、馴染みはないが親しみやすい空間によって操作される。そのビートは近くに聞こえるが穴だらけで、 “Circumambient”のダンス・グルーヴを暗闇の中で探し当てたり、“Oblivion”のそれを消してはリライトするのを何回も繰り返したりしている。 ゴシック風の装飾がつけられた“Skin”のような楽曲をそう呼びたければ、バラードも収録されている。ほぼ8年がたった今でも、Boucherの人間の手によるサイボーグ・ポップは謎めいているように聞こえる。–Anna Gaca

49. Oneohtrix Point Never: Replica (2011)

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『Replica』のリリース時に出会ったリスナーは、その背景を知らなくても、Oneohtrix Point Neverの作品の何かが変わったことを知ることができるだろう。ニューヨークのミュージシャンがこれまでに発表してきたアルバムのようなレトロフューチャーシンセサイザーのファンタジアの代わりに、その起源を解き明かすのが難しく、不思議で、ほとんどメロディックで抽象的なサウンドが登場したのだ。サウンドの多くは80年代のテレビCMからサンプリングされたものだということが後々判明したが、Daniel Lopatinの奇妙な切り方やループの仕方によって、キッチュ倍音やあらゆる文脈から解放された。その代わり、これらの体を失った声と半分認識可能な音は、漠然とした抑揚のない哀愁のようなものを暗示していた。死したメディアの悲しみ、その輪郭がすでに記憶から消えつつある過去を悼む仕草である。–Philip Sherburne

48. ANOHNI: Hopelessness (2016)

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『Hopelessness』はドローン戦争の危機、デジタル監視社会の到来、とめどない地球資源の侵食、そして父権的暴力についての、とてつもなく恐ろしい洞察である。これらのゾッとするような、それでいて美しい楽曲の中で、ANOHNIはこれらの危機に肉体を与えている。そしてこの10年でこれらの楽曲はより妥当性を増していった

いとも簡単に親密さと恐怖を両方伝えることのできるANOHNIの天上の歌声ーーそのトーンは優雅で共感性で洗練されつつも、悪を糾弾する強靭さも持ち合わせているーーにも増して、この作品にはそれらの罪を人間の根底にあるようなものに感じさせるような物質的な視点がある。彼女は「爆発したガラスの心臓」を歌い、沸騰寸前の惑星の温度を肌で感じ、知らない人の姿を観察する無機質なレンズ、骨の髄まで吸い取られていく様子を表現している。『Hopelessness』を通じてそれらはアメリカの行う大量虐殺の強力なシンボルとなる。ハドソン・モホーク、Oneohtrix Point Neverと共にプロデュースしたANOHNIは、エレクトロニック・ダンス・ミュージックを用いて、真実をありのまま、鋭いエッジを損なわないままに伝えている。『Hopelessness』はANOHNIがAntony and the Johnsonsと共に長年作ってきた環境保護論者によるポップを、我々が行きている現在、そして未来のディストピアに向けた、刺す程に鋭く、それでいて上品なプロテスト・ソングとして結晶化している。–Sheldon Pearce

47. Carly Rae Jepsen: E•MO•TION (2015)

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『E•MO•TION』は健全なチャート首位常連であるCarly Rae Jepsenの終焉、そして「ひたすらに頑張る」守護聖人であるCRJの始まりを告げる作品となった。感覚が麻痺するほど“Call Me Maybe”が至るところで流れたあと、Jepsenは自身のサウンドの探求に赴き、何百という楽曲の共作したのち、明るく、大胆で80年代の滑らかさをはっきりと取り入れたシンセ・ポップにたどり着いたのである。『E•MO•TION』は当初商業的な失敗であるとみなされたが、その他のアルバム数枚とともに、2010年代のある特定のトレンドを象徴する作品となった。それは「メインストリームのポップ・スターによるインディー界からの支持獲得」である。Dev HynesやRostamといったコラボレーターと作業し、Jepsenは参照地点を研ぎ澄まし、このアルバムに肌に触れるような音響的ディテールを詰め込んだ。ジョン・ヒューズ作品のプロムのシーンのために作られたかのようなバラード“All That”になだれ落ちるシンセの光沢や、ハウス風の佳曲“Warm Blood”が少なくとも4つの異なるレベルで鼓動するさまなど。そして“Careless Whisper”以来最もエピックなサックスのイントロを忘れることのできる人などいるのだろうか?しかし、『E•MO•TION』を誰もが認めるカルト・ヒットにまで押し上げたのは、Jepsenの率直な切望と鋭い拒絶の感覚である。本当に良いロマンス・コメディ映画のように共感できるし、稀有な存在である。–Jillian Mapes

46. The Knife: Shaking the Habitual (2013)

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The Knifeの5枚目にして最後のアルバムは、以下のことだけを要求する作品であった。西洋社会の最も強固な柱である、資本主義、家父長制、ジェンダー別の適合性、これらの抹殺である。そして真のパフォーマンス・アーティストたちらしく、KarinとOlafのDreijerきょうだいは彼らのメッセージの正当性は、自分たち自身を抹殺する意思があるかどうかにかかっているということを心得ていた。一つ前のディケイドにはブラックライト風テクノ・ゴス貫通不可能なオペラティック・ドローンスケイプのためにネオンできらびやかなインディー・ポップを見捨ててしまったようなグループによる作品ながら、『Shaking the Habitual』は急進的な自己否定の作品であった。うす暗いエレクトロ煽動家は動物的で、ポストアポカリプティックなインダストリアル・アクトとして生まれ変わり、(おそらく)回路がショートしたシンセと、人間の骨によって叩かれる焼け焦げたドラム缶による不心身な打音を鳴り響かせた。これを粉砕されたエレクトロ・パンクと位置づけるか、19分間に渡る吐き気を催させるアンビエント運動と位置づけるか、不健全なトロピカル・ファンクと位置づけるか、いずれにせよ『Shaking the Habitual』は反抗を駆り立てる手段として執拗にアジテーションを続ける。振り返ってみれば、今現在湧き上がっている難しい対話、法廷闘争、そして悪意に満ちた偽の情報に向けた準備としての懲罰的なブートキャンプとして機能したのは、この作品かもしれない。–Stuart Berman

45. Mount Eerie: A Crow Looked at Me (2017)

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一度立ち止まって、2009年の12月を思い出してみよう。そして、そのときは生きていたが、今はこの世にいない人たちのことを。あなたの年齢が上であればあるほど、多くの人が心に浮かんでくるだろう。そして次の10年には更に多くの名前がそれに加わるであろう。それは避けられない宿命である。

Death is real(死は現実である)。Phil Elverumは『A Crow Looked at Me』をこの一行から始めている。この前年に癌によって亡くなった妻=Geneviève Castréeの死についての、静かで率直なアルバムである。『Crow〜』は歴史上最も「特定の何か」について作られたアルバムである――ソングライターの人生から直接、多くのディテールが描きこまれている。新着メールの内容から、彼が妻が使っていた古い歯ブラシにどれだけ長い間抱きついていたかまで。しかしそのミニチュアの内部にあるのは、Elverumからは独立して存在する真実である。このアルバムを聞いて自分の周りの人間を考えないことは不可能である。彼の物語がやがて自分のもののように感じられてくる。

『Crow〜』はまるで、一人で読み、読み終わったら引き出しにしまうような、旧友からの手紙のような作品である。人々の人生に出たり入ったりするように設計されたアルバム。“We are all always so close to not existing at all(ぼくたちは常に、全くの存在の消滅と隣り合わせである)” とElverumは “Swims” で歌う。その考えが手元にあるのであれば、この作品もまた、あなたの手元にある。–Mark Richardson

44. A Tribe Called Quest: We got it from Here... Thank You 4 Your service (2016)

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2016年に入って1ヶ月の間に、A Tribe Called Questのファンたちは「二度と新曲は聴けないだろう」という状態から「Phife Dawgを悼みながら新しいアルバムに備える」という状態へと、急激な変化を経験した。この感情の疾風は楽曲の中の混乱と危急さに現れていた。”The Space Program” と ”We the People...” という最初の2曲だけをとっても、出口戦略や新しくより良い世界への考察が取り上げられている。この作品が発表されたのはドナルド・トランプが大統領に選ばれた週の終わりであるが、それは長年に渡って醸成されてきた怒りと悲しみの交錯にぴったりのタイミングであり、アメリカはただただ暴力と恐怖の国になってしまったと考える人達に対する完璧な返答として登場したのだ。そしてそんなことよりも、このアルバムはPhife Dawgを瞬間的に生き返らせ、その声は長年のブランクを全く感じさせないものだった。これこそがこのアルバムの真の価値である。”Black Spasmodic” での、一瞬でクラシックと化すヴァースは、まるでこのMCが皆が眠っている暗い部屋のドアを蹴破り、すべての明かりを灯していくかのようである。–Hanif Abdurraqib

43. Sky Ferreira: Night Time, My Time (2013)

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レーベルの要望を退け、Sky Ferreiraは次なる「はにかんだポップ・プリンセス」の枠に型取られることを拒否した。その結果、彼女のデビュー・アルバムは何年もの間塩漬けにさせられ、彼女は自分がモデル業稼いだお金をそれに注ぎ込む羽目になった。そしてついに2013年に日の目を浴びると、『Night Time, My Time』は、そのジャケットーー緑色のタイルのシャワー室を背景に、水に濡れた彼女がトップレス姿で輝いているーーから、彼女の脆弱で、ときに自己嫌悪的な歌詞に至るまで、Ferreiraの正統的なエッジーさを証明する作品となった。作品を通じて彼女は自分の感情の複雑さを意のままに操り、楽観主義から苛立ち、さらにリンチアン的薄気味悪さ(のちに本人が有効に活用した)に至るまでを冷静に行き来している。”Boys” で描かれる夢のようなロマンス、そして ”You're Not the One” で軽蔑される恋人。”I Blame Myself” では自身の評判についての説明責任を負い、タイトル曲では自分の妥当性を問う。Ariel RechtshaidやJustin Raisenといったプロデューサーとの作業の中で、彼女のそれらの生々しい感傷をキラキラ輝くシンセポップとグランジ風の墨で縁取られた楽曲に作り変えている。“Nobody asked me if I was okay…Nobody asked me what I wanted(誰も私が大丈夫かどうか訊いてくれなかった、誰も私が何を欲しているのか訊いてくれなかった)” と彼女はつぶやく。『Night Time, My Time』は自分自身のために歌うことの力を証明した一枚である。–Quinn Moreland

42. Erykah Badu: New Amerykah Part Two: Return of the Ankh (2010)

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過去、現在、そして未来においても永遠に、愛というものは人を少し狂わせてしまうものだ。惑わされることのないR&Bの女王、Erykah Baduでさえもその質からは逃れられなかった。彼女がこのディケイドで発表した唯一のアルバム『Return of the Ankh』を通じて、彼女は酔っ払ってかけてしまう電話のような、そんな率直なリアルさと相反する欲望を提示している。彼女は好奇心たっぷりな10代のように、遠距離恋愛に憧れを抱いている。彼女はなんとなく作ってしまった彼氏とのあれやこれやを笑い飛ばしている。”Fall in Love (Your Funeral)” ではBiggie Smallの冷血なクラシック ”Warning” のラインを用いて、来たるべき求婚者たちに警告を促している。ある時には、いらだちのあまりに彼女は銃撃戦を無双してしまうほどである。

しかし、ここで聴かれる盲目の情熱の中には、それと対応する熟考の時間が存在している。10分間のサイケデリック組曲 ”Out My Mind, Just in Time” の中で彼女は、愛に狂った、共依存の恋人から彼女自身の価値に見合った一人のスーパーヒーローへと進化を遂げる。主に70年代ソウルの心地よいグルーヴに準拠したアレンジが、彼女の宇宙的ファンクへのアナログなタイム・トラベル的な要素を付け加えている。心の中のちょっとした気まぐれについての作品というのは格段新しいアイデアではないが、Erykah Baduの手にかかれば、決して古びることのない作品になるのである。–Ryan Dombal

41. Beyoncé: Lemonade (2016)

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『Lemonade』が最初に我々に見せてくれるのは怒りである:不貞・不義というのは結婚だけではなく、人生全体に亀裂を走らせるものである。世界中で最もパワフルな女性=Beyoncéは嬉々として街に火を放ち、結婚指輪を投げ捨て、女友達と気ままに下世話な話をする。『Lemonade』の最初の10分間に見出しをつけるとするならば、それはおバカなJay-Zが浮気をしたということに尽きる。しかしそこから全ては更に深遠で、完全なものへと構築されていく:愛がいかに自己を疲弊させていくかということについての祈りへと。テキサス、スタジアム、そして農場へと突然場面設定は切り替わり、Led Zeppelinのビートはレゲエのサンプルと、”SpottieOttieDopaliscious” はJames Blakeのフィーチャーと並列に配置される。

『Lemonade』は不協和音の演習のようだ。2つの相容れないアイデアを頭や心のなかで持つという行為だ。誰かを愛しながらも憎んだり、父を親愛しながらも父に対して怒ったり、泣きたいと同時にとワークをしたいと思ったりする、女性は一人の中にこういった感情――あるいはそれ以上を――同時に持つことができるということを、この『Lemonade』という作品は示している。だって、人生というのは、悲しみというのは、歴史というのは、それほど複雑なものなのだから。この作品は平凡であることを深遠でスピリチュアルなものであると称えるものだ:ブラックであること、女性であること、困惑すること、悲しみに暮れること、許そうと試みること、官能的な気分になること、それらすべてを。これら全てこそが、癒やしというものなのである。–Hunter Harris

Part 17: 40位〜31位