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<Bandcamp Album of the Day>Abyss X, “Innuendo”

クレタ島出身のプロデューサーでシンガーでもあるAbyss Xは、このデビュー・フル・アルバム『INNUENDO』において、一連のダークで、断片のようなランドスケープの上にその堂々とした弾性のあるヴォーカルを塗りつけている。彼女はこれまでの作品でも――2018年の『Pleasures of the Bull』EPなどで――断続的にその歌声をちらつかせてきてはいたが、『INNUENDO』ほどそれを中心に据えて作られた作品はなかった。”Fluxuation” では脅すようなマイナー・キーのギターとデジタル波にたいして小を書いて叩きつけられるが、それはまるでピクセル上のオイルの上で足をバタバタとさせているようである。”Animosity” では震えるようなバイノーラルのパーカッションの下で身悶えしている。Abyss Xはピッチを下げた自身の声とハモり、加工された声はまるで悪魔的なオルター・エゴのように生声に影を投げかけている。

彼女と同世代のArca、FKA Twigs、Aisha Deviと同じく、あるいは美学的な先駆者であるGenesis P-Orridgeのように、Abyss Xはその声の持つ多様な可能性に魅せられている。彼女は時にそれを有機的に、喉の底で引きずるように調理し、ときにデジタル操作によって粗いテクスチャを敷くという合成的な手法を用いる。彼女の不安定な歌声と、スペースをふんだんに使ったインダストリアル風のプロダクションによって、彼女はポップ・ミュージックの連続性という普通の感覚を故意に撹拌する。『INNUENDO』の世界は時間の同期性を欠いていて、それは時に恐ろしいほどである。ささやくように歌われる最後の ”Sharp Tongue” のような繊細で美しい瞬間においてさえ、このアルバムは決して予測可能なグルーヴに落ち着くことがない。ビートは飛び、不快なキーが鳴り、歌声が現れては窒息させられる。『INNUENDO』はその謎を明かすことなく、慣れ親しんだ形式に収斂していくこともない。それがこの作品を魅惑的なものにしているのだ。

By Sasha Geffen · August 06, 2020

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