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<Bandcamp Album of the Day>Pantayo, “Pantayo”

“bahala na”というのは、宿命論者でありながら楽観主義者でもあるというフィリピン人の性格を表したものである。人生に起こることは何であれどうにかすることができる。それが神的なものによる干渉であるときもあれば、その人の持っている力で成し遂げられる場合もある。この考えかたは、このトロントを拠点とするアンサンブル=Pantayoのセルフ・タイトル・デビュー作を導く気風にもなっている。「我々による、我々のための」といった意味になるタガログ語からその名前をとったこのグループは、今の南フィリピンにあたるT'boliやMaguindanaoを含む多くの東南アジアで何世紀にもわたって演奏されてきた、主に鐘を用いた土着の音楽=クリンタンという音楽を演奏している。このフィリピン人クィアのコレクティヴはクリンタンを用いた実験を2013年から行ってきたが、この『Pantayo』はこれまでで最も冒険的な作品となっている。

この作品に収められている8つの楽曲はいともたやすく我々の方向感覚を奪ってしまう。一つの手で――いや、一つのアルバムで、といったほうがいいかもしれないが――多くの世界を一掴みしてしまっているからだ。R&B風の”Eclipse”や”Divine”はエロティックに脈を打ち、コントラルトの声は恋人に向かって「時間切れになる前に一緒に来て」と懇願し、それは官能的なベースのリフ、神聖なシンセ、そして打ち鳴らされる鐘の音に重ねられている。“Heto Na”の前半部分では鐘の音が昔ながらの4つ打ちのビートと組み合わされ、その催眠的なコンビネーションは生き生きとしたフル・ドラム・キットと集団でのチャントも相まって爆発的なダンス・アンセムとなり、リスナーは強制的にダンスフロアに繰り出し、クィアハウス・ミュージックとフィリピン・ディスコの良いとこどりをした「このファンキー・シットに身をゆだねる」ことになる。楽しみや欲望のほかに、この作品には怒りを感じさせる底流も存在し、それは“V V V (They Lie)”や“Taranta”で明らかにされる。前者は「もしCarly Rae Jepsenが植民主義の世紀に世代的なトラウマを抱えていたら」といったサウンドで、後者は攻撃的なラップ・ファンクである。

『Pantayo』はフィリピン・ディアスポラサウンドサンプラーであり、世界が燃えているときに反抗的な幸せを見つけるためのガイドともなる。

By James Factora · May 18, 2020

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