<Pitchfork Sunday Review和訳>Vince Staples / Larry Fisherman: Stolen Youth
元記事:Vince Staples / Larry Fisherman: Stolen Youth Album Review | Pitchfork
点数:7.6/10
評者:Stephen Kearse
Mac MillerとVince Staplesという二人のアーティストが互いに火花を散らす、重要なドキュメント
Mac Millerがラップ・キャンプのアイデアを得たのはThe Alchemistがきっかけだったが、彼はそれを自分なりに作り変えることにした。HardoやBillといったピッツバーグの同胞から古いツアー仲間のであるCool Kids、彼の新しいロサンゼルスの仲間まで、彼がこれまでの人生の様々な局面で出会った人たちが彼の自宅にあるレコーディング・スタジオ、The Sancuaryに集まりフリースタイルをするのだ。Macが彼のマンションのドアを開ければ、そこはあらゆる可能性に開かれた場所になった。
2012年、Vince StaplesはEarl Sweatshirtを連れてそのラップ・キャンプにやってきた。そこでMacは彼になぜもっとラップをやらないのかと尋ねた。Vinceがビートが集まらないんだと応えると、Macは彼のプロデューサーとしての名義であるLarry Fishermanとして援助を申し出ることにした。「一緒に何曲か作ったんだけど、そこからなんとなくはじまっていったんだ」と、Vinceはおなじみの控えめな語り口で回想する。
当時、VinceとMacは共に、自分たちの急激な進化に伴う痛みに適応しようともがいていた。Macは新しくLAに移り住んだばかりの、驚くべきインディーでの成功者だった。ラッパーになることに青年期を捧げた彼は、15歳の時にはサイファーに参加するために夜な夜な家から抜け出し、19歳にはツアーを主催し、20歳にしてマンションへと移り住んだ。21歳になる頃には、彼は音楽に没頭するあまり、奇妙なことに、彼のキャリアを追ったリアリティ・ショウ『Mac Miller and the Mos Dope Family』が現実逃避の手段になっていた。「何ヶ月もアルバムの制作でスタジオに住んでいたから、番組があると部屋を出て、なにか楽しいことをするきっかけになっていたんだ」と彼は語る。
Vinceは自分の周りの現実から逃避しようとしていた。The Sanctuaryに足を踏み入れたときの彼は高校中退のギャング・メンバーで、音楽との関係は希薄で、あくまでビジネスとして捉えていた。「とにかくお金が必要だった。周りでお金を持っている人間はいなかった」と彼は当時を振り返って語る。「母親もお金を必要としていたし、妹もそうだった。誰かが家族の面倒を見なければいけなかったんだ」。18歳の頃には、何人もの友人や親戚の死や投獄を経験し、ラップという希望がありながらも彼は完全に荒んだ状態にあった。彼は自分への冷笑を隠さずにこう語る。「アブラハム・リンカーンは黒人を一人だって救えやしなかった/彼がくれたのは懲役と、教会のチキン・ディナー・プレートだけだ」
『Stolen Youth』は、MacとVinceの未知数なポテンシャルから立ち現れた。当時、VinceはEarl Sweatshirtの「epar」での、主役の座を奪うような、それでいて短いヴァースによって知られていた。そしてEarlがサモアのCoral Reef Academyに入所したという噂が広まるとその評判は更にました。VinceはEarlの居場所についてさんざん質問され、Earlのデビュー・ミックステープのような下品な音楽をもっとリリースするよう求められるようになった。そして彼はそれを拒否したのだ。
一方、Macもまた違った形で自らの名声によってがんじがらめになっていると感じていた。彼の成功は彼自身をフラット・ラップの代名詞にしてしまった。フラット・ラップとは白人の男の子のファンタジーを食い物にするジャンルであるが、彼のやっている音楽はフラット・ラップとは似て非なるものであった。注意深く聞けば、彼の音楽はパーティー的なアピールを脱ぎ捨て、もっと曖昧で内省的なものである。しかし彼はそれでも笑顔が似合う白人青年であり、仲間とつるんでいるところが想像しやすい人間であった。彼は自分はそれ以上の存在であると主張したが、それを疑うのは容易なことだった。「Macをプロデューサーとして真剣に捉える人はいなかった。ボクをラッパーとして真剣に捉えてくれなかったようにね」とVinceはまとめる。二人のバックグラウンドは違うとはいえ、MacとVinceは世間からの期待を裏切るという決意という点で結びついていた。
二人で組むというのはそもそもMacの提案だったが、ラップ・キャンプを取り巻く自然発生的な雰囲気によって『Stolen Youth』は彼らの直感によって形になっていった。特に決まったコンセプトなどはなかったが、結果としてそれはVinceのはじめてのほんとうの意味でのポートレートのような作品となった。最初の2枚のミックステープでは無表情で冗談を言うようなキャラだったが、それは尖っているだけで人間味がなかった。そのキャラを捨て、Vinceは脚本家、ストーリーテラーとしての自己を確立した。彼はいまだに荒んだままだったが、サウンドは研ぎ澄まされており、彼を取り巻く恐ろしい現実は彼の目によって詳細に語られる。彼の波乱万丈の子供時代ははるか昔の思い出ではない:そこで得たものや失ったものが彼の世界の見方に埋め込まれているのだ。
我々を混乱させるのは、Vinceは直線状の自伝を紡ぐのではなく、様々な人々の歴史を紡ぐことである。彼の物語は具体的であると同時に婉曲的であり、俯瞰的な視点や密接な視点を使わない。銃撃になれすぎている彼は.357マグナム弾の「叫び声」とMac−10の「拍手」の音を聞き分けることが出来た。彼の9ミリは「厚ぼったく」、彼のショットガンはまるでRoddy Whiteのパスのように、50ヤード先にまで届く。ビュイック・ルセイバーは黒く、ナンバープレートがついていない:Orizaba通りには覆面が停まっているから通りたくないだろう。Vinceはこのようなディテールを「ぽさ」を増すためにではなく、個人的な思い出として使用している。彼は別にロング・ビーチの観光ガイドではない:彼はそこの居住者であり、彼の精神世界が現実世界に具現化しているのである。
そのような思い出の旋風の中で、時間や空間は溶解し、子供のVinceと大人のVinceの間の境界線は曖昧になる。「Heavens」のヴァースの中で、彼は一息のうちにショッピングモールの警備員と本物の警官を思い浮かべる:彼は両方から逃亡する。どこにも見つからないときもあった。「Intro」でのもっともらしいドライブバイ銃撃の描写の中では、彼は何時間も道路に横たわっていた死んだ友人を描写酒ることに重点を置く。「まずグッドイヤーの軋む音が聞こえて、続いてドンという音/911なんてくそくらえ、警察なんか来やしない/日が昇るまでジャバリは道路の上」。「Stuck in My Ways」では彼は「罪を犯しても報いはなかった」として宗教に疑問を投げかける。しかし彼は続いてそのような反抗に対しても疑念を呈す。「僕たちは彼らが何も与えてくれなかったことを最大限に活用したんだ」と。それは嘲笑であり、ため息でもあるように感じれられる。彼の思い出同様、彼の冷笑と決意は手を取り合っているのだ。
Vinceがまるで4K画質のようなラップをするのに対して、Larryはテクニカラーで対抗する。Macは、「Mac Miller」という名義ではではあれこれ期待をされると思いLarry Fishermanという人格を作り上げた。Larry FishermanとしてMacは好奇心旺盛で気難しく、半匿名だった。彼は初めて挑戦する楽器を演奏し、一から創作を始めることの苦労を楽しんだ。「自分がクソじゃないってことは知ってる」と彼は自らのプロデューサーとしての才能が芽吹き始めていることについて語った。明らかに彼はその経験の無さをいい機会だと捉えていた。『Stolen Youth』において彼が作り上げたのは、トリップ・ホップ、クラウド・ラップ、ブーン・バップなど幅広い引き出しを存分に使い、軽さといかめしさ、酩酊感とスウィング感を兼ね備えたビートである。ドラムはキックし、ノックし、羽ばたき、ムチを打つ。ヴォーカル・サンプルのいくつかはMac自身のものである(「Thought About You」)が、それらは引き伸ばされ夢うつつなあくびのようであり、陰鬱なループを生み出す。彼の作曲能力の萌芽、そしてその多様性は同じ時期の彼のラップスキルを上回るものであった。Mac Millerは特になんの意図もなく「フォクシー・ブラウンとヤッてみたい」とラップする一方、Larry Fishermanは『Foxy Brown』のサウンドトラックから取り出したWillie Hutchの声をスクリューしてみせる。Macのラップは次第にLarryのプロダクションに見合うようになっていったが、ここでの両者の差はなにか示唆的である。Larryとは、Macがなりたかった存在なのである。
当時、Vinceの声は今日のスイスアーミーナイフような切れ味を獲得する前であり、まだ平坦であったが、Larryの多芸さによって浮き上がって聴こえている。「Thought About You」のコーラスには、まるでキャブレターの産声のようなドラムロールの疾風がフィーチャーされている。Vinceによるフックも生き生きとして聴こえる。同様に、「Fantoms」での、マイナーを引くキーボードを貫通するようなベースとディストーションの轟音はまるで車同士の衝突のように響き、Vinceの嘲りに激しさの薪をくべている。このようなアシストは陳腐にもなり得る―「Guns & Roses」におけるおどけたような打鍵、「Sleep」におけるオルガンのショック・ウェーヴのように―がしかしこれらはMacのラップ・キャンプの精神を体現している。そのゴールは仕事と遊び、共作とおふざけの境界線をかきまぜてしまうことなのだ。
Vinceは、ただ楽しみのためにラップすること以上の熱意を持っていた。「Heaven」や「Sleep」といったポッセ・カットを聞けばそれを感じることができる。そこではVinceはDa$h、Mac Miller、Ab-Soul、Hardoと共にサイファーをする。この2曲においてVinceは共に最後に登場し、このスタンドプレーをもっと有意義な、シャープなものにまとめ上げる。このような断絶は作品全体に広がっており、彼は「『Stolen Youth』はボクの作品ではない」とすら公言している。ここでVinceは彼のマネージャー、Corey SmithとMacが真の黒幕であるとしている。『Boondocks』風のアルバム・ジャケット(と付属のコミック・ブック)が、この発言が単なる心変わりではないことを示している。彼はただ、流れに任せてアルバムを作ったに過ぎない。
他の皆が部屋へと引き上げ、Vince、Mac、そして音楽だけが残されると、このテープは輝きを増す。幸福感のあるコード、飛び跳ねるキック・ドラム、猫が喉を鳴らすようなベース音に彩られた「Outro」では、Vinceは力を抜いて優雅なラップを披露する。イメージ、記憶、冷笑の間を軽やかに飛び移りながら。フックのない、ただただ自由にフロウをしていくこの曲にはセンターピースがないが、以下のような驚異的なビネットがある:「ママは料理をしながらStevie Wonderを聴いていた/サツがドアをノックする、親父が拘置所へ連れて行かれる/母親は俺を外に出したがらなかったから部屋で本を読んだ/一番下の息子が走り回って、Kを拾い上げることを恐れていたんだ」。このシーンは極めて鮮明で、コンパクトで濃密である。個人的でありながら俯瞰的な人生の断面図である。
このような痛いほどの明瞭さがあることで、『Stolen Youth』は欠点がありながらも長く聴かれる作品になった。Vinceはこのテープよりも遥かに成長したが、彼の人生は困難の連続で、彼の経験が声を導き、彼の希少が何もないところから何かを生み出す。彼はこの作品においてありのままの才能を提示し美的感覚を獲得したが、たとえ装飾や資本力がなかったとしても、彼の視点は完全に形作られ、それは広い射程を持っている。19歳にしてボロボロだったVinceは、権力を乱用する人たちや彼らの特権を目にし、それに立ち向かうこと、その正当性を批判することを学んでいた。彼は格好だけで中指を立てる反逆者でも、ゴッド・コンプレックスを持つ早熟の天才でもない。彼はギャングスタ・ラッパーでも、更生したギャングスタでもない。彼は単なるロング・ビーチのグリオ(訳注:口承伝承者)であり、Vince Staplesであり、Macは彼の友達だった。