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<Pitchfork Review和訳>Tyler, the Creator: IGOR

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Tyler, the Creator: IGOR Album Review | Pitchfork

点数:8.0/10
評者:Matthew Strauss

Tyler, the Creatorの六枚目となるこのアルバムは、彼がスタイルを変えこれまでにないほどソウルをむき出しにした結果、印象派的で感情が詰まっている

Tyler, the Creatorのアルバムのムードはこれまで、様々な「不在」によって語られてきた。父親の不在、批評家からの絶賛の不在、そして愛の不在。何枚ものアルバムを費やし、彼はその失われているものに対して敵意で対抗してきた。しかし2017年の最高傑作『Flower Boy』では彼はこれまでの人生を温かい目線で見つめ直し、ノスタルジアのうずきを見せた。グラミー賞にもノミネートされたそのアルバムは、破壊主義者であった彼がよりよい判断に屈服していく音であり、とても心地よい作品だった。そして28歳になった彼が放つこの6枚目のフルレンス・アルバム『IGOR』において、彼はついにその苦痛と向き合うことができるようになっている。

 『IGOR』のサウンドは、まるで完璧主義者が自身の過激なアイデアに形を与えたかのようである。アルバムのプロデュース・作曲・アレンジのすべてを担当するTylerは今作でより多くのメロディーを歌っているが、自分の曲が伝統的なポップソングになっているかということは気にしていない。曲は徐々に盛り上がっていくのではなく、いきなりその盛り上がりから始まる。1曲目「IGOR'S THEME」は何かへと我々を導く力というよりはむしろ、影に隠れていながらも、その頭を出すタイミングを伺っているような終末のモチーフを循環させているようだ。「NEW MAGIC WAND」では気味の悪いシンセがTylerの思考回路の下部で爆発する:「写真を見たよ、なんか君は楽しそうじゃねえか」というラインが胸を打つ。このような芽生えかけの恐怖心の頂上に、Tylerは甘ったるいキーボードとボーカルのハーモニーをレイヤーした。愛する人を失ったの喪失感の中で、Tylerの明るさは反抗的である。

 Tylerが誰かとの関係を失いつつあるというのは、まず「EARFQUAKE」で明らかになる:「行かないでくれ、俺のせいだから」。最初はピッチを上げた声で、最後には生の声でこのTylerの声は繰り返される。懇願するようでありながら、鼻につくようなものではない。深い傷を手っ取り早く治してしまおうと嘘をついているようには聴こえず、彼はただ単に誠実であろうとしている。『IGOR』は優しく、慰めるような破局のアルバムであり、そのナラティヴは作品の後半でよりはっきりと肉付けされる:Tylerはある男性に恋をしたが(彼が「君は俺のお気に入りのボーイさ」と歌っている箇所がある)、彼は女性のパートナーのもとへと戻りたがっているようだ。「GONE, GONE / THANK YOU」で彼は最初に「俺と彼女では競争にならないと知ってほしい」と歌うのだが、いつもの調子に戻って「愛をありがとう、楽しみをありがとう」と歌う。

 アルバムが進むにつれて、Tylerは受容と拒否の浮き沈みを経験する。しかし彼は愛する人の満足を願い、かなりのエネルギーを使っている。たとえそれが、彼を失うという未来につながるとしても、だ。「RUNNING OUT OF TIME」で、彼はこうアドバイスする:「仮面を脱いでくれ/自分に嘘はつくな、俺は本当の君を知ってる」と。かつては他人からの目線に拒否反応を示していたアーティストにしては、非常に共感的な変化である。別れは最終的には新たな自分の発見につながるのだ:「君は君の真実を生きてこなかったんだ/でも俺はついに平穏を見つけたんだ、だから、またね」と彼は元恋人に告げる。

 『IGOR』の中心部には駆動があって、各曲の加速度によって彼が感情的に前進していくようになっている。Tylerが創作の点でもっとも流動的であるのはそのプロセスのさなかである。「A BOY IS A GUN」では「銃」を歌うにあたって声を低くし、それはまるでトラック(あるいは自身の魂)を切り裂くレーザーのように響く。Kanyeが参加した「PUPPET」と合わせて、これらの曲はトーンやテンポの点で大きく異なり、『IGOR』を通じて見られるTylerの不安定な感情を反映している。収録曲の殆どは自然な終わり方ではなく、まるで誰かがオーディオケーブルを引っこ抜いたかのようにぷつんと切れて終わる。

 『IGOR』は確かに不安定な作品であるが、それは決して落ち着きが無いということではない。Tylerが猜疑心や不満足と格闘する中で、彼はまるで空中で宙吊りになるようなアルバムを作り上げた。ムードを個人的な感覚のロジックとして伝えているという点で、私はSolangeの『When I Get Home』やKing Kruleの『The OOZ』といった作品を思い浮かべた。この種の意識の流れに対するTylerの解釈には重量感がない。曲の中で劇的に展開していくカラフルなコードや、調の印象派的な「はずし」によってアルバムは持続していく。そして何より、Tylerによる合成された裏声唱法が、この『IGOR』にシュールな要素を付け加えている。欲望と現実、内部の独白と人間の会話の境界線がすべて曖昧になるのだ。

 Tyler, the Creatorは自分の人生において欠けていたものを臆せずにさらけ出す。彼は至ってシンプルに「金が全然ない」とあの初期Odd FutureアンセムRadicals」で叫んでいた。そして彼が欲しがっていたと思っていた物を手に入れると、それを見せびらかした:彼は「Answer」で「階段付きのきれいな家も手に入れた」と父親をなじった。『IGOR』は、彼がなにかの不在を動機として制作しなかったはじめてのアルバムである。というのも、彼は他人のために自分自身の一部を失ったのだから。乱暴だが美しい門出「ARE WE STILL FRIENDS?」は、この関係性を救おうとする彼の最期の試みである。彼はついに恋人になるのを諦め、友情で踏みとどまることにしないかと尋ねる。この曲は『IGOR』の他の曲と同じようにぷつんと途切れるようにして終わる。自分自身を捧げきってしまった後に、言うべきことなど何も残っていないものだ。