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<Pitchfork Review和訳>Juice WRLD: Death Race for Love

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pitchfork.com

点数:6.8/10
筆者:Alphonse Pierre

エモ・ラップの旗手が送る、72分にもわたる探求―ドラッグ、失恋、そして失恋につながるドラッグについて

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 の浮上のスピードはそれを期待させたのだが、Juice WRLDがInterscopeのサインの入った箱に入れられ、「新しいラップ界の顔です、お見知りおきを」というメッセージと共に2018年のヒップホップ界の玄関に置かれることはなかった。この20歳のイリノイ出身のラッパーは2015年以来、Lil Peepのような赤裸々さ、Chief Keefのようなデリバリー、XXXTentacionのようなチープなアコースティック・ギターサウンドといった影響を、完璧なレシピを用いて自分のスタイルに発展させていった。しかしこのレシピだけでは彼の成功は説明がつかない。SoundCloudをちょっとスクロールするだけで、同じ様な材料をブレンドさせたアーティストがが山ほど出てくるが、成功しているのはほんの僅かである。その秘密は、Juice WRLDには人を引きつける才能があるということだ:あるラインはまるで、彼が見つけたiPodではMy Chemical Romanceの「Welcome To the Plack Parade」しか流れなかったかのように聞こえるし、かと思えばその次のラインはまるで彼がたった今『Bang Pt. 2』を聴き終えたのかのように聞こえるのだ。

 この『Death Race For Love』の72分間を通して―Juice WRLDのアルバムがポッドキャスト1.5個分の長さであるべき理由はまったくない―Juice WRLDの歌詞は二つのカテゴリーに分けられる。歌詞の50%は悪であり(「最悪の状況に逆戻り、悪魔の絵文字」)、残りの50%もまた悪であるが、それは頭の中に引っかかり、究極的には善となる(「君の最も暗い秘密を教えてよ、クソ、どうせお前はイエス様にもいわないんだろうよ」)。1曲目の「Empty」において、Juice WRLDは自身のお気に入りのプロデューサー、Nick MiraがプロデュースしたZaytovenのなり損ないのようなキーボードの上で、問題を隠すためのバンド・エイドのようにドラッグを使用する(「問題はスタイロフォームで解決」)。その無愛想さは「Robbery」のようなこれまたピアノ・リード曲でも続き、彼はオープン・マイクを台無しにする詩人のように歌い、映画『セイ・エニシング』のジョン・キューザックさながら恋人を取り戻そうとする。「医師を君の窓めがけて投げる/ぼくは家に戻らないと」

 Juice WRLDがエモーショナルになるときはいつも(つまり常に、ということだ)、彼はリーンによって泣きそうになりながらも、すんでのところでその悲しみをほろ苦さに変えるように聞こえる。彼とコラボ・アルバムをリリースしたFutureのように、Juice WRLDの開け具合には限界がああり、自分の男らしさに疑問を持たれることを恐れているように思える。その点について、文字通り「HeMotions」というタイトルの曲が収録されている。

 彼はまるでジキルとハイドである。彼は常軌を逸していて、自分の感情に正直ではない。しかしそれでいて、何かを憎しみによって乗り越えたときでさえどこか得意げなのである。まるで彼の世界は愛を中心に回っているようである。その回転が止まるときまでは。

 『Death Race For Love』には3人のゲストが登場する。一人目は場違い(だが歓迎だ)なR&Bシンガー、Brent Faiyazで、インタールードで歌っている。もうひとりは道化役のYoung Thug、そして3人目がエモいCleverの客演である。Cleverと並ぶと、Juice WRLDがいわゆる「エモ・ラップ」界隈からどれほど抜きん出た存在7日がよく分かる。Juice WRLDは金儲けがしたくてヒップホップを作っているパンク/ロック・アーティストではない。彼はジャンルの範疇外から影響を受けたラッパーなのである。彼はラップを離れ、もっと遠く、例えばポップ・パンクをやっていた可能性も十分にある。でも彼はそうしなかった。そしてその事実こそが『Death Race For Love』に本当のJuice WRLDを感じることができる理由でもある。これまでに受けた影響と心を素直に、人生の浮き沈みをリアルタイムで作品に反映させているという意味で。