海外音楽評論・論文紹介

音楽に関するレビューや学術論文の和訳、紹介をするブログです。

<Pitchfork Review和訳>Blu / Oh No: A Long Red Hot Los Angeles Summer Night

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pitchfork.com

点数:7.3/10

筆者:Mehan Jayasuriya

次々に繰り出されるライム、鮮やかな仕掛け、そしてサンプリング主体のビートがゴールデン・エイジ・LAヒップ・ホップを想起させるこの作品。ついにあの呪いのような作品の続きが登場した。

 況が少しでも違えば、Bluはスターになっていたかもしれない。2009年、J Dillaなどとの作品やそれに対する熱い称賛を経て、このLA出身のラッパーはワーナー・ブラザースと契約を交わした。それは音楽に限ったものではなく、彼の今後の作品それぞれについて作られる映像作品も含んだ契約だった。しかしメジャー・レーベルにはつきもののありふれた悲劇がそれに続き、結局それはせいぜい「ピュロスの勝利(訳注:古代ギリシャの王・ピュロスが多大な犠牲を払ってローマに勝利したことから、割に合わない勝利を指す慣用句)」だった。苛立ちからか呆れからか、Bluは自身のメジャー・レーベル作『NoYork!』を2011年のRock the Bellsツアーの際にリークしたと言われている。そしてそれ以来、彼はアンダーグラウンドに潜り、低予算でローファイなアルバムを着実に連続してリリースしている。しかし、ついに彼は『NoYork!』に続く作品を我々に提示する用意ができたようだ。たとえこの『A Long Red Hot Los Angeles Summer Night』が、あの実験的趣味を持つアンダーグラウンドのラッパーに期待するようなサウンドではないにしても、だ。熱心に、そしてスマートにプロデュースされた懐かしのサウンドによって、『Red Hot〜』はBluの郷愁、そして市民としての誇りの蓄えをコツコツと叩くのだ。

 彼がこのような作品を作ろうとしたのははじめてのことではない。2014年の『Good to Be Home』ではウェスト・コースト・ラップの原点回帰を目指している。しかしこの作品は一貫性を欠けていて、不明瞭なミックスがそれに拍車をかけていた。それでも、それは『Red Hot〜』に向けた助走だったのではと今では思える。今作では前作の確信であった自尊心はそのままに、前述の諸問題に正面から向き合っているのだ。この作品は、過去30年間のLAヒップ・ホップの名盤たち―『Regulate...G Funk Era』から『Madvillainy』まで―との会話という構成をとっている。その並びに自分を埋め込みたいというBluの熱烈な試みである。そしてもしウェスト・コースト・クラシックを作りたいのにMadlibとの友情の瓦解がそうはさせない場合、その弟・Oh Noの協力を得るのも悪くないだろう。ふたりとも埃の匂いがするサンプルや技巧派ラップを好むプロデューサーであり、この二人の伝統主義者は完全に同期している。

 自分のヴィジョンを伝えるためのこの確固たる信念があってこそ、この『Red Hot〜』はそのへんの復興主義者たちの作品や、Blu自身のこれまでの作品とはひと味もふた味も違うものになっている。一秒たりとも無駄にすることなく、Bluは空きあらば言葉を滝のように詰め込んでくる。彼のラップは怒りにあふれていて、2007年のデビュー作『Below the Heavens』以来のエネルギーと集中力の入りっぷりを示している。『The Chronic』や『Good Kid, m.A.A.d. City』のようなナラティヴにインスパイアされたBluは、消えゆく都市というものに対する讃歌とも読める物語を編み、17曲の中で確かな「場所の感覚」を生み出している。Bluの描くロサンゼルスは緊迫した場面、疑惑の目、そして突発的な暴力に満ちている。ジェントリフィケーションの波がすぐそこまで来ていて、あらゆる街角に危険が潜んでいる、そんな街。

 映画の契約までこぎつけたラッパーである彼らしく、これらの曲はサウンド的にも内容的にもシネマティックである。「Stalkers」の加工していく鍵盤とオートハープの刺すような音はフィルム・ノワールのスコアのようだ。その中でBluとDonel Smokesはまるでバトルしているかのようにかわるがわるヴァースを蹴っていく。しかし残念なことに、Bluはホモフォビア的なスラーによってこの懐かしムードをぶち壊してしまっている。2019年においては言い訳のできないことだ。もちろん、どの時代を指向しているのかにかかわらずだが。「Murder Case」はSnoop Doggの「Murder Was the Case」のパロディであり、主人公の転落を語る。「Jail Cypher」ではBluの新しい同房者たちを演じるゲストMCたちがそれぞれの物語、そしてアドヴァイスを伝えてくれる。

 まるでホラー映画のように練りに練られた2曲の「目玉」によって、このアルバムのシアトリカルさは極限を迎える。インタールード「Champagne」は1990年代のラップ作品には必ずと行っていいほど収録されていたメジャー・レーベル主導のもとに作られた「女性たちのための曲」のモノマネだが、「The Robbery」の始まりとともに唐突に終わる。BluとOh Noはその不調和なつなぎの美味しいところを上手に使う。ブリッジミュートしたギターの音と金属の空き缶をドラムスティックで叩いたようなスネアの音しかしないトラック上で、Montage OneTriStateが、ラップオタク気質のダジャレを競い合うようにでリヴァーしながら、盗みの物語を明らかにする。「盗みを働く(=”run the jewels”)ときはゆっくりな / ラップグループの話じゃない、チェーンとか靴とかだ」とTriStateは唸る。

 『NoYork!』は当時流行りのチップチューンサウンドを多用し、時代を見据えていた。しかし『A Long Red Hot Los Angeles Summer Night』は意識的に現代のヒップ・ホップから逸脱し、ニューヨークとLAだけがラップにとって重力の中心である世界を提示する。そのような半ば願望にも似た考え方は新しいリスナーの賛同を得れないかもしれないが、この作品はBluとOh Noの二人がウェスト・コーストサウンドの最も献身的な熱狂者であることの証左である。Bluはかなり前から明らかに他人の成功を気にするのをやめたのだ。そしてその方が彼のサウンドは冴え渡る。

<Pitchfork Review和訳>Lil Pump: Harverd Dropout

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pitchfork.com

サウス・フロリダのラップ・シーンのローファイ的ルーツを投げ捨てたLil Pumpは、自身のカリカチュアと成り果てた。このセカンド・アルバムは時々聞いてて楽しいことはあるものの、総じて「不必要」である。

得点:3.8/10

筆者:Alphonse Pierre

 16歳の時にネット上でセンセーションを巻き起こして以来、Lil Pumpはイエス・マンに囲まれ人生最良の日々を送っているようだ。彼の衝動や思いつきはひとつ残らず、メジャーレーベルの敷いた赤絨毯によって何のためらいもなく世に出される。彼の17歳の誕生日にあっては、レーベルはストリップ・クラブを貸し切り、Pumpがザナックスをかたどったケーキに入刀するところを楽しげに見ていた。おそらくこういった連中は彼が「フォートナイト」で遊んでいる間「ちょ、なにするんすかパンプさん」や「パンプさんってマジで金持ちっすよね〜」とか言ってPumpを鼓舞する(訳注:原文では"gas Pump up"となっており、「ガスを入れてふくらませる」といった洒落になっている)ことでお金をもらっているんだろう。そして本当に特別な日にだけPumpをスタジオに送り、Rolling Loudフェスティバルで聞かれるようなEDMホーンがついたビートに乗っかるよう命令するのだ。そのようにしてPumpが曲を大量生産し作られたのがこのセカンド・アルバム、『Harverd Dropout』というわけだ。

 このセカンドは言うまでもなく、ファーストアルバムすらLil Pumpには必要なかった。2016年後半、Smokepurrppのところの若いサイドキックというレッテルを脱ぎすて、サウス・フロリダのラップ・シーンの頂点へと上り詰めた彼は、典型的な一発屋ラッパーとなった。Pumpのリリースはどれも、「物議を醸すピンクドレッド振り回し男」というキャラクターに見事にフィットするように作られていた。Pumpのシングルはどれも不吉なキーボードサウンドと歪んだベース、そしてDJ AkademiksのTwitchをよく見る人であればより理解できるであろうリリックで構成されている。Pumpはマーケットに過剰に供給されることもなければ、多くのラッパーのようにリークに苦心することもなかった。彼のシングルは何ヶ月かおきにリリースされ、彼は熱狂的ファンたちが死滅するまでその波に巧みに乗り続けるのだ。

 やがてレーベルがLil Pumpを食い物にし始めると、彼はそのほぼ完全無欠のテンプレートを投げ捨て、マイアミ風のChief Keef的美学から離れ、ポップスターとしての地位を目指すようになる。2017年、Pumpは自分でも何かの間違いで人気になってしまったと感じている一大センセーションだったが、この『Harverd Dropout』ではそういった感情は消え失せ、キャッチフレーズはまるで予測変換で作られたように不自然に響く。Pumpが実在しない人間にすら感じられることも多い。Pumpがサウンドクラウドの研究所において16歳の状態で生まれたのではないということを示す唯一の痕跡は、「iCarly(訳注:アメリカで放送されたコメディドラマ。日本でもNHKで見ることができる)」やデレク・フィッシャー(訳注:元NBAプレイヤー)などのポップカルチャーからの引用が時折見られることである。

 『Harvered Dropout』において、Pumpが体現しているのはOdd Futureのスローガン「殺せ、燃やせ、学校なんてクソ食らえ」を少ししょぼくしたバージョンである。Pumpの唯一のモチベーションは彼の昔の高校教師たちを演じることだけだ。そのテーマはアルバムにおいて高圧的であり、Pumpは彼はハーバードに通っていて中退したのさ、というジョークで繰り返し我々を叩きのめす。このユーモアがおわかりいただけるだろうか。つまり、ハーバードは賢い人が行くところで、Lil Pumpは自分で行っているように「金持ちだけど、読みがわからない」。Pumpは1曲目の「Drop Out」で、大人たちへの復讐を繰り返す。中身はといえば自慢にもならない自慢である。「中退して、今はお前の母ちゃんよりも金持ちだぜ」(Pumpよ、私の母親は高校教師である)。彼のカネ関連のボースティングはたいてい目も当てられない代物だ。「Multi Millionaire」ではPumpは金持ち過ぎて、Wingstop(訳注:アメリカのチキンウイングチェーン)に行くのにも飛行機を使うんだと息巻く。Pump君よ、Yelp(訳注:アメリカ版「食べログ」)のアプリをダウンロードしてみてくれよ。君の住んでるところにはもうちょいマシなお店があるでしょうが。

 Lil PeepMac Millerの件があった今、Pumpが反教育的な内容の代わりに自分の薬物中毒をのんきに自慢しているのにはうんざりさせられる。「11歳の頃から吸ってるぜ/錠剤は7歳から」とは「Drug Addicts」でのPumpの弁だ。薬物中毒を自慢しなきゃいけないっていうのはちっとも魅力的ではないし、むしろ必死にみんなの注目を集めようとする策略のように映る。

 Pumpの貧しい意思決定能力はビートの選択にも現れていて、まるで去年のDJ CarnageによるEDMセットを大いに気に入ったのかのようなインストの上でラップをしている。それでも大金を注ぎ込んだプロダクションによっていくつか輝いて聞こえる瞬間はある。Lil Wayneのアシストもあり、Pumpの純粋なポップさが開放されている「Be Like Me」がそうだ。Ronny Jはいかにもサウス・フロリダらしいディストーションを「Vroom Vroom」で聞かせてくれるが、彼の貢献も結局はPumpがいかにローファイ的なルーツから離れてしまったのかを我々に思い出させるだけである。

 Lil Pumpは自身のカリカチュアに成り果ててしまったのだ。彼はなにか再発明したり、自分が名を挙げた地元のシーンと再びコネクトすることもできたのだ。しかし今やインスタグラムにおいて1800万人ものフォロワーを持つPumpはあまりにも巨大になりすぎて、後ろを振り返ることができなくなっている。そしてこれが今のLil Pumpの姿である。自分の若さに固執するポップカルチャーのタイムスタンプが、たまたまラップもするというだけのことだ。

<Pitchfork Sunday Review和訳>Nirvana: MTV Unplugged in New York

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pitchfork.com

Nirvanaによる越境的ライヴ・アコースティック・アルバム

 Nirvanaがこの『MTV Unplugged〜』のパフォーマンスを収録した1993年当時、彼らは世界最大のバンドだった。そう見えていたというわけではない。デイヴ・グロールタートルネックとポニーテール姿。クリス・ノヴォセリックは借りてきた巨大なベースを手懐けようと必死。そしてカート・コベインは自分を預言者だと信じている人で埋まった部屋の中で、どうにかリラックスしようと苦心していた。

 もちろんそれは「電源を落とした(=unplugged)」、そしてある意味では「涅槃(=Nirvana)」の状態だった。コベインは有名になったあとも、大抵は苦しみながらも通常であろうと務めていた。『Unplugged〜』収録の1ヶ月ほどあと、彼は黒いレクサスを買ったのだが、そのことによって大変な屈辱を味わい―彼の友達にも徹底的に嘲笑われたのだ―その日のうちに返品してしまった。「これは俺らの最初のアルバムの曲だ」と彼は「About a Girl」の前にぼそっと呟く。「みんな持ってないだろうけどね」と。その次の作品を買った500万人もの人々なんか気にしない(="Never mind")のである。

 バンドがこのような繊細なことをやってのけれるかどうか、収録の前コベインはひどく心配していたと言われる。「俺らは音楽的にもリズム的にも馬鹿なんだ。俺らは激しくプレイしすぎて、ギターのチューニングが間に合わないくらいなんだ」と彼は『Nevermind』(1991)発表時にGuitar World誌に語っている。収録の24時間前まで、彼はデイヴ・グロールをステージに座らせるかどうかで悩んでいた。彼のドラムがバンドの演奏をかき消してしまうことを恐れたのだ。バンドの音楽性のためにエレクトリックな環境で演奏することが必要であるミュージシャンにとって、アコースティックな(もしくはセミアコースティックな)環境で演奏することは大変なことで、裸でステージ上に上がるどころか、手足を切断された状態で人前に立つことに等しい。コベインはフィナティー(訳注:Amy Finnerty。MTVのディレクター。)に対して自分たちがとても静かに演奏したからみんな気に入らなかっただろう、と文句を言ったとされる。彼女は言った。「カート、みんなあなたのことをイエス・キリストだと思ったわよ」

 MTVが「Unplugged」の放送を開始したのは1989年のこと。有名アーティストを比較的親しみやすい文脈でパッケージすることが狙いだった(「Unplugged」というタイトルはそれだけで、音楽が部屋の中にいる人間が行う自発的表現にすぎないというユートピアを想起させる)。アーティストは登場すると、衣服を脱ぎ、その甲冑の下で血を流す心臓をファンにさらけ出す。1991年から1993年の間に、エルヴィス・コステロR.E.M.のような大衆向けオルタナティヴ・バンド、エリック・クラプトンポール・サイモンのようなレジェンド、そしてマライア・キャリーのような当時のポップスターなどがゲストとして登場した。真剣にとらえてほしいという意向でヘア・メタルバンドもいくつか出演したが、残念ながら10代のファンたちの熱烈な愛情はそれほど真剣ではなかった。ちなみにNirvanaが収録する前日のゲストはDuran Duranだった。

 創造的努力を重ね、コベインは見え透いた術策をやめ、自分がリアルだと思うものをやりたいと思うようになっていた。しかし少なくとも、彼は考えなしにワシントン・アバーディンを飛び出し、NirvanaMr. Bigにするようなことはしなかった。彼はステージを黒いろうそくとスターゲイザーリリーで装飾するように指示した。これは葬儀の装飾であり、彼の自殺を予見していたのだという説が定期的に唱えられる。しかしこれは実際は伝統的な美というものをなにかグロテスクなものに転換するという彼の好みに依るところが大きい。彼の日記の中にあった「Rape Me」のビデオの構想の中で彼はリリとユリを使おうとしていた―「わかるだろ、膣の花だ」とコベインは書いている―そのビデオの中では花は花開きしぼんでいく様子をタイムラプスで撮る予定だった。まるで華やかな状態は一瞬しか保つことができないかのように。コベイン自身も度々破れたドレスや汚れたメイクで現れ、まるで舞台の初演で気が動転している女優のように怒りを嵐のように撒き散らす。それはBlack Flag的なというよりは『サンセット大通り』的なものだった。Nirvanaのベストソングで、激しいノイズの嵐がT-MobileのCMに合うような子守唄になりうるという証明したものはなんだろう?もしあなたが花をよく買う人であれば、答えはわかるはずだ。大きく、美しいユリの花束ほど臭うものはないのだ。

 MTVに何の許可も説明もなく提出されたセットリストは6曲のカヴァーを含んでおり、「Come As You Are」以外ひとつのヒットソングも含んでいなかった。これは大きな論議を引き起こし、コベインは収録の前日になってもまだ出演をキャンセルすると脅しをかけていた(フィナティーは「彼は我々が取り乱すところを見たかったのよ。彼はその権力を楽しんでいたの」と語っている)。6曲のカヴァーのうち3曲は当時のツアーメイトであったThe Meat Puppetsのものだった。このアリゾナ出身のバンドはNirvanaと同じように素晴らしきものと愚かなもの、平凡な観察―「太陽は沈んだが、私は光を持っている」―と宇宙的な洞察との間の境界を崩壊させるような世界を作ろうと企んだバンドだった。爆発的なパフォーマンスで知られるバンドにしては、この演奏はきしんでおり、我々に寄り添うようであり、不気味なほどに控えめである。レッド・ベリーの「In The Pines」(ここでは「Where Did You Sleep Last Night?」と改題されている)のカヴァーを最初に聞いたニール・ヤングはコベインの声を狼男に例えたそうだ。死人でもゾンビでもなく、それでも何か超越した存在。私にはわかる。『Unplugged〜』を聴くと私はNirvanaが私の身体に矢を放ち穴だらけにしているような、それでも私は歩き続けているような、そんな感覚になる。

 少なくとも振り返る際、コベインは『Nevermind』に満足していなかった。ある時は「臆病な作品だ」と言ったり、あるときはこの作品をモトリー・クルーと比べた。どちらも謙遜と正統性にとりつかれたパンク・ロッカーであり、宿主を救いようのない状態にするかのように腐敗を完全に露出してしまったのだ。『Unplugged〜』の収録のわずか数ヶ月前にリリースされた『In Utero』では、コベインが『Nevermind』の中に聞いたものの訂正のように聞こえた。凶暴さ、卑劣さ、息切れの音、傷口の周りが腫れ上がった白い肌。今聞いても、私は自分が放課後に吸っていた松脂の匂いを思い出すことができる。このアルバムの人気は私の孤独感を軽減してくれると思っていた。しかし代わりにそれは私は自分が義父を刺し、彼の車でポールに突っ込んでいくような気持ちにさせた。でも今考えるとそれはまさに12歳の子供が感じて然るべき感情である。

 批評家チャック・クロスターマンはそれを「罪悪感ロック(="guilt rock")」と呼んだ。『Nevermind』のような成功作を作ってしまったこと、自分が嫌っていた脳筋バカどものすぐ隣の列までたどり着いてしまったことに対する罪悪感から作られるロック・ミュージックのことである。しかし『Unplugged〜』を聴くと―音の繊細さ、パフォーマンスの脆弱さ、コベインの声に感じられる闘志を聴くと―怒りというのは脆さを拠り所にしているということがわかった。そして『Unplugged〜』と『In Utero』はどんどん分裂していっていた創造性にとって必要だった釣り合いだったということも。『In Utero』が私の怒りを認めてくれたように、『Unplugged〜』はそれを超えた場所を教えてくれた。落ち着いていて、思いやりがあって、傷ついてはいるが静けさのあるところ。空虚であると同時に葬式のような、癇癪のあとに落ち着いたときのような不思議な感覚。

 これが『Unplugged〜』で聴くことができるNirvanaである。世代を代表する声ではなく、伝統を壊すのではなく新しく直感的な配置に並び替えたバンドからの叱咤。私が好きなのは古いブルースの曲(「Where Did You Sleep Last Night?」)である。コベインの痛みも私の痛みも消して新しいものではなく、多くの人々が通り過ぎてきた感情の残滓であり、私もいずれは通り過ぎるものであるということを思い出させてくれるからである。落ち着きがなく、表向きは惨めだがある時いきなりすべてが変わるのだという密かな希望をいだいた少年として、気分を良くしようと思わなくても良いんだと、落ち込むこともあっていいんだと、人間っていうのはいつも落ち込んできたんだと、でも落ち込みすぎることもあるんだと肩に手をおいて言ってくれるのを夢見ていたのだ。

 それはなんだか不穏な遺産である。『In Utero』の仮タイトルは『I Hate Myself and Want to Die(=俺は自分が嫌いで死にたい)』だった。今やどこにでもある表現である。本当の痛みの代わりに用いられる皮肉、苦しみをジョークに変えようとする虚勢。自殺、それはミームである。宇宙の熱力学的死に無感動に振る舞うこと。絶望に慣れてしまって退屈だと感じるという考え。コベインは日記にこう書いた「『先端の世代(=”now generation”)』が敵のフリをして、あるいは敵を利用して敵を内側から破壊することを手助けすることが必要だと常に感じていた」。「先端の世代」。私生活に置いても、彼は自身の冷笑主義から逃れることはできなかった。彼の真の悲劇は中毒でも、はたまた自殺でもなく、彼が自分は運命の美味しいとこどりができる―体制を内側から破壊できる―と言い張った、イカロスにも似た頑固さであった。そのような苦しい試練を受け続け、アルバムに『I Hate Myself and Want To Die』と名付けようと思ったばかりか、本当に自分を憎み、死にたいと思い、数カ月後に死んでしまったのだ。

 『Unplugged〜』の録音とコベインの自殺の間の5ヶ月の間に、NirvanaはMTVのために2つの収録を行った。1つ目はカート・ローダーとエイミー・フィナティーによるインタビューである。そこでクリス・ノヴォセリックデイヴ・グロールは12000ドル相当のホテル家具を破壊してしまうのだが、それはマッチョイズムの表出であり、Nirvanaに是正してほしいと望んでいたものでこそあれ、その例となることは望んではいないことだった。その数日後彼らはシアトル・ピュージェット湾の空き倉庫でショウを行い、その音源は後に『Live and Loud』として発売された。ここでは暴虐で輝いているNirvanaを再び聴くことができる。『Unplugged〜』の忘れがたい瞬間が「In the Pines」の最後の数節でコベインが息切れをしているところだとするならば、『Live and Loud』のそれは「Endless Nameless」終了後フィードバックノイズが鳴り響くなか、彼がカメラにギターを押し付け唾をはく場面である。彼は文句なしに機嫌が良かったようだ。そしてついに彼はMTVで「Rape Me」を演奏することができた(訳注:彼らは1992年のMTVアワードで同曲を演奏したが、放送上ではカットされるという出来事があった)。

 『Unplugged〜』の終盤、「All Apologies」と「In The Pines」の間で、コベインはある男の話を始める。その男はレッド・ベリー財団の人間で、彼にレッド・ベリーのギターを500000ドルで買わないかと持ちかけた。彼は観客を笑わせようと数字を盛っているのがわかる。まるで誰か聡明な人間が愚かにもその収集品にそんな大金を払うだろうと思っているかのように。リアルなパンクスは歴史を買ったりなんかしない。歴史なんて汚してなんぼなのである。

 それでも彼は自身の癇癪と自己嫌悪を隠しきれずに、デイヴィッド・ゲフィンに個人的に買ってくれとお願いしようと思うと付け加えている。どうしようもない息子とそれを甘やかす父親というごっこ遊び。彼はすでにこの練習のようなものを1993年3月号のSpin誌の中で行っている。でもオチは少し違って、「俺にお金を貸してくれるような金持ちのロックスターでもいればいいんだけど」と彼は言った。

 コベインは自殺の約1ヶ月前、2500ドルで65年式ダッチ・ダートを購入している。もちろんあまり運転できなかっただろうし、運転したかどうかも怪しい。この車は最近アイルランドで行われた「Growing Up Kurt Cobain」という展示会で展示され、この車の所有権―ワシントン州の登録で、登録番号は2155173082―は2010年オークションで640ドルの値で落札された。「魂なんてものは安いものだ」とコベインは「Dumb」の中で書いている。そうだ。そしてガラクタっていうのは高くて、結局値打ちがつけられないものなんてほとんど存在しないのだ。

得点:9.5/10

筆者:Mike Powell

<Pitchfork Sunday Review和訳>Tortoise: TNT

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pitchfork.com

演奏とテクノロジーの素晴らしき魔術

 Tortoiseの5人のメンバーがその前に加入していたバンド、そしてその後に加入したバンドをすべて示した図を想像してみよう。その漏斗の上方にはドリーミーなサイケ・ロックからアーシーなポスト・パンクバンドまで、Eleventh Dream DayやBastro、Slint、the Poster Childrenといったグループが含まれる。そして「Tortoise後」の側にはIsotope 217Chicago UndergroundBrokebackといったエレクトロ・ジャズやインスト・ロックバンドがいる。この図において、Tortoiseはギュッと締まっている地点である。このプロジェクトはこれらすべての音の要素を含んでいるが、そのどれにも縛られない音を鳴らしている。

 Tortoiseは自由に動く。まるでコックリさんのように、個々のメンバーはどこに向っていくのか、そして誰がそれを動かしているかはわからない。1998年発表『TNT』は初期の作品では体現しきれていなかったそういった部分を体現しきっている。奇妙なほどに美しく形容しがたいこの作品は、過去の価値観(高度な演奏、計算された作曲)がデジタルな未来と出会った支点であった。

 しかし我々は過去の話から始めるのが良いだろう。つまりリズム隊、2人乗メンバーについて。ドラマーのJohn HerndonとベーシストのDoug McCombsが1990年代はじめに親しくなり、シカゴで演奏をともにするようになったのがそもそもの始まりである。プロデューサーのBrad Woodと共に最初のシングルをレコーディングしようとスタジオに入った際、HerndonとMcCombsは音に肉付けをするために多くの部分をオーバーダブしたのだが、自分たちが思い描いているものを形にするためにはさらに多くのミュジシャンが必要であることに気がついた。テープを知人たちに聞かせていくうちにドラマーのJohn McEntireとベーシストのBundy K. Brownの二人(ルイビルを拠点とするポスト・ハードコアバンドBastroのリズム隊であった)、そしてパーカッショニストDan Bitneyを加えた彼らは、Tortoiseを結成する。

 90年代初頭という時期がTortoiseのようなバンドが出現するのに完璧なタイミングだとしたら、シカゴは完璧な場所と言えるだろう。この街のインディ音楽シーンは全国的な注目を集めるようになっていた。ポスト・Nirvanaオルタナティヴ・ロックの爆発的人気を経て、誰もが「次のシアトル」を探していた。そしてシカゴはその候補地のひとつだった。1993年、ビルボード誌が発表した記事はシカゴを「最前線の新首都」と売り出した。引き合いに出されたのはLiz PhairUrge OverkillSmashing Pumpkinsといったアーティストたちである。しかしプレスの眼差しはMTV向きのオルタナバンドに向いていたため、アンダーグラウンドシーンはスポットライトから遠く離れたところで好き勝手やることができた。そしてシカゴの場合、そういったシーンの土台となっていたのはTouch and Go、Drag City、そして1995年にニューヨークから移転してきたThrill Jockey(設立したのは元Atlanticの名A&R、Bettina Richardsである)といったローカルのレーベルたちである。

 ベーシストのBrownが元・Slintのギタリスト/ベーシストDave Pajoに代わり、Tortoiseは様々な音楽世界を流動的に漂い始める。ロックの楽器を用いた実験的な音楽が出始めると、「ポスト・ロック」という呼称が使われ始めた。この言葉は当初Disco InfernoBark PsychosisといったUKのバンドたちに使われていたが、1995年にThe Wire誌に掲載された記事の中で、批評家Simon Reynoldsはアメリカのこの種の音楽を理解する枠組みを展開した。Reynoldsが指摘するように、アメリカ風のポスト・ロック(記事の中ではTortoiseLabradfordUIStars of the Lidなどが紹介された)はグランジに対する一種のカウンタームーブメントであり、より急進的で越境的なオルタナティヴに対するオルタナティヴだと考えることができた。「グランジは字義通りの意味では『ホコリ』『汚物』『泥』という意味である。そのようなグランジの世俗的な情熱に対抗するためにこれらのバンドがSFや宇宙空間へと想像力を働かせていくのは当然の流れと言える」とReynoldsは書いている。

 グランジやそこから派生した音楽においてはギターが支配的な位置を占めていたが、ポスト・ロックは電子楽器やその他の楽器が入る余地が十分にあった。McEntireがToritoiseのテック・ウィザードだったが、バンドのやり口はデビュー時の重たいビートから当時のエレクトロニカ音楽の潮流に沿うようなものへと変化していった。Virginが1995年にリリースした『Macro Dub Infection』はダークな雰囲気のエレクトロニカが集まったコンピレーションだったが、TortoiseはここにSpring Heel Jack4 HeroTricky、the Mad Professorという面々と並んで参加している。そして翌1996年にはMo' Wax編纂の2枚組トリップ・ホップ・コンピレーション『Headz 2A』に参加、前後の曲はDJ KrushMassive Attackだった。Tortoiseはどちらのコンピレーションにもフィットしていたわけではなかった。彼らの音楽は支離滅裂で、空想によってグルーヴを置いてけぼりにすることもあった。しかしこれらの作品に参加したことで彼らは音楽においてスタジオでの制作が第一であり、パーツを集めて組み立てることに重きを置く考え方を手に入れたのだ。

 リミックスが当時の流行で、Toritoiseはそれを歓迎した。2枚目のアルバム『Millions Now Living Will Never Die』(1996)のオープニングトラック「Djed」は驚くべき20分の旅路だが、その中心にあるのは演奏後のマニピュレーションである。豊かなるグルーヴが生まれ、成長し、そしてエラーにも聞こえるようにデジタル的処理によって途中で崩壊する。その内破が起こる際のまごつくような変化は、次の作品の内容を示唆するものだった。

 『TNT』は「Djed」のアイデアを発展させ、非線形のエディットの創造的可能性を探るものだった。Pro Toolsを用いてハードディスクに録音されるという1996年当時にしては比較的新しいアイデアを用いて制作された(同時期にMcEntireがエンジニアを務めたStereolabの『Dots and Loops』もまたテクノロジーへの新たな試みであった)。『TNT』はコピー、切り取り、ペースト、そしてやり直しが制作を司っていた作品である。個々のパーツはリハーサルで制作されたのちいろいろなコンビネーションで録音され、その後McEntireとバンドによって新たな作品として再形成された。

 録音後の組み立てが『TNT』の美味しい緊張感の一つである。細かな小片を集めて、注意深く計算されて作られた音楽のようには聞こえない。それぞれのパートは機械ではなく人間が演奏しているように感じるだろう。プレイヤーの技術は達人級だが、人間らしく聞こえる。鍵盤を叩く手やドラムキットに座る人間が見えるようだ。ベースは少しヨレて聞こえるし、ギターはベースと会話をしているようだ。

 『TNT』の1曲目は最もライブ演奏のように聞こえる作品だが、これもまたパーツごとに注意深く作られたものだ。最初のシンバルやスネアの音は打ち寄せる満ちていく潮のようで、Tortoiseにしてはジャジーに滑空し着水する。この泡の堆積から抜け出すとJeff Parkerのあの不滅のギターラインが現れる。Parkerはバンドの新顔であり、シカゴの伝説的なコレクティヴAACMにいた経歴を活かし、真剣なジャズの要素を持ち込んだ最初のメンバーだった。彼はそのギターリフ―グループで最も皆に覚えられているであろう瞬間、アルバムのムードだけではなく時代全体の雰囲気すら代弁するようなリフである―を携えてTortoiseに加入した。Parkerの12音のフレーズは質問を投げかけ、もう半分でそれに答えるかのようである。そしてそれは不完全な思考を伝達するので、聞き手が埋めることができる余白を残している。曲のあいだじゅうループされるそのギターのリフレインに後押しされ、「TNT」はホーン、シークエンサー、がっしりとしたベース(とそれにハモるParkerのフレーズ)が混ざり合い展開してく。それがどのように「演奏されているか」ということと同時に、アルバムの「モジュラー構造」―個々のパートが差し込まれ、それが成長しやがて爆発する―も感じることができるだろう。「TNT」は可能性を伝達する―未来について空想するというのはどんな感じなのかという音楽的表現である。もっとも、アルバム自体がすでに時代を先取りしていたのだが。

 この作品の残りの部分はこれほどダイナミックでもオーガニックでもない。そのかわりに『TNT』はジャンルを大股で跨ぎ、その背景に入り込むぞと脅しつつ実際にはそうしないという境界域に落ち着く。これは曖昧な作品だが、実はそれはこの作品の強みの1つである。聞き手には確信のなさをつのらせ、探検の余地を残し、聴くたびに違った作品に聞かせるのである。曲の多くは途切れることなく次の曲へと繋がり、モチーフは一度現れたと思ったらのちに再登場する。他とのつながりの希薄な曲は少なく、あるアイデアが紹介されるとあとから別の角度から再び探求される。まるでこのアルバムが自分との会話をしているようだ。

 「TNT」の最後のシンバルのシューという残響音は、ベースが主役のムーディーな「Swung From the Gutters」へとクロスフェードしていく。この静かな曲はGrateful Deadの『Blues for Allah』の中のインタールードを思わせる。この曲は続く「The Suspension Bridge at Iguazú Falls」につながるシンプルなメロディーに焦点を当てている。このメロディーは後に再び登場し、落ち着いた速さで紐解かれていく。これらのジャンルへのご挨拶は決してストレートには演奏されない。「I Set My Face to the Hillside」は遊ぶ子供の声で幕を開け、続いてナイロン弦のギターの音が入り、Ennio Morriconeサウンドトラックのようにフラメンコの記憶が花開く。このサウンドはすでにTortoiseの定番となっていたが、個々ではもうひとひねり加えられている。「Set My Face」では蹄のポコポコという音に似たドラムが聞こえるが、そこにピアニカで演奏される主旋律が入ってきてAugustus Pablo・ミーツ・アップタウンのThe Venturesのような趣を湛える。

 他の引用はもっとわかりやすい。「Almost Always Is Nearly Enough」ではTortoiseは当時Thrill JockeyからリリースしていたMouse on Marsのようなちょっと変わった騒々しいエレクトロ・ポップを確信犯で模倣している。ご丁寧に飛び跳ねるようなプログラミング・ビートとロボ声までつけて。そのボーカルは「Jetty」まで続き、少し前のめりなビートも相まって通常のダンス・ミュージックへ接近する。「The Equator」はゆったりとしたエレクトロで、不安定なベースラインが楽しげなドローンとスライドギターの下でにじみ渡る。これらすべての曲を定義する言葉は「ほとんど」だ。彼らは他のアーティストの作品にヒントを得てその幅広いスタイルを体現するが、完全に真似しきるということはしないのだ。Tortoiseが本物のダンス・ミュージックを作ることに興味を持ったことはないし、同じく伝統的な手法でインプロヴィゼーションをする気もなかった。彼らの音楽はその2つの裂け目で起こっていることなのだ。

 「最近の数枚のアルバムでは間違いなくトレブルにフォーカスが移っていったんだ」とMcEntireは1998年Billborad誌に語っている。彼が話しているのは『TNT』にも頻繁に登場するマレット楽器、特にマリンバについてである。「Ten-Day Interval」とその仲間「Four-Day Interval」では前作『Millions Now Living』でもちらつかせたSteve Reichの影響をさらに明確に打ち出している。「Ten-Day〜」は比較的濃密で忙しく、「Four-Day」はその前の曲の亡霊のように半分のテンポで進み、2倍になったスペースを使って展開していく。TortoiseがReich的な繰り返しを用いるとポップ的な風味を持ち、長い時間を書けてトランスを作り上げていく代わりに極めて基本的な前提を提示する:ピアノやベース、パーカッションを使ってリズムをひねり、それでおしまい。すべてのかけらが一緒になって機能し、タイトルトラックは抜きにすれば個々の曲に過度の注意を引きつけることはない。

 最初の2枚についてはTortoiseは熱烈な称賛ばかり受けていたが、この『TNT』に対する反応は当初賛否両論だった。その2枚が様々な制限に抵抗して来たのに対し、この作品はそこから少しずれたかのように見えた。様々な伝統をぶっ壊してきた彼らが作ったのは、静かで小奇麗で、ディナーパーティーでかけても大丈夫な作品だった。SPIN誌は『TNT』は確かに良くできているが全く温かみを感じないと評し、The Wire誌は「全く爆発力のない作品で、ただただ困惑させる」と切り捨てた。どちらの批判もフェアではないが、同時にこの作品の特別さを不注意にも言い当ててしまっている―その「どっちつかずさ」を。Jeff Parkerは1998年、CMJに対して「人間っていうのはわかりやすいものを期待してしまう。でも人生はぜんぜんそんなんじゃないし、なんでそんなおがくを作らなくちゃいけないんだ?」と語っている。『TNT』は確信を与えるような作品ではない。それは着地したところで色んな意味を持つ自由な作品であり、表面上は美しいがその深部は解剖ができないアルバムである。この作品を楽しむことは、わからないという不安な気持ちに向き合い、何を感じるべきなのかを教えてくれない音の中でくつろぐことなのだ。

筆者:Mark Richardson

得点:9.0/10

<Pitchfork Sunday Review和訳>Prince Paul: A Prince Among Thieves

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pitchfork.com

1999年作、野望と正義に満ちたストーリーテリング・ヒップホップ作品

  プリンス・ポールはヒップホップ史の中でもかなり重要な音楽家であるが、その功績とは裏腹に何故かずっと無視され続けている存在でもある。時に見下され、時に拒否され、音楽業界に不当に搾取されていたポール・ヒューストンことプリンス・ポールはインサイダーであると同時にアウトサイダーであり、その視点の切替によって不条理と向き合う稀有な能力を身につけた。『A Prince Among Thieves』は少なくとも表面上は35曲入り77分のユーモラスなストーリーテリング・ヒップホップの傑作であり、ヒップホップ黄金時代(いわゆる"Golden Era")のスターやアンダーグラウンドのレジェンドたちがこぞって参加している。しかしその下に横たわっているのは、多難続きのキャリアとそれがこのロングアイランド出身の道化の天才の精神におとした影が生んだ、噛み付くような皮肉なのである。

 1980年代、プリンス・ポールは熱心で驚異的なティーンエイジャーで、スキルと良い"好み"を持つDJとしてニューヨーク・アミティービルの黒人コミュニティでプロップスを得ていた。彼の噂はイースト・ニューヨークのストリートにまで広がり、あのStetsasonicは彼をグループに迎え、ポールはDJを務めたのちお抱えプロデューサーの一員として活躍した。急進的なアイデアを実行に移すため自主性を求めたポールは、彼と同じくアミティービル・メモリアル・ハイスクールに通っていた同志3人と出会うことになる。彼と同じくらいオタク気質で風変わりだったDe La SoulのPosdnuos、Trugoy、Maseの3人にポールは親近感を覚えたのだった。

 その新たな創作の共犯者たちと共に、ポールは当時のラップのクリシェをひっくり返そうと目論んだ。他のプロデューサーたちがJames Brownのカタログからサンプルを絞り出していた頃、ポールとDe La Soulのパレットはもっとごった煮で、Johnny CashからSly and the Family Stoneまでなんでもありだった。みんながゴールドチェーンなら、De La Soulはブラックレザーのアフリカのメダリオン。みんなが前へ前へなら、彼らは控えめだった。他がハードに打ち出るのなら、De La Soulおどけてみたりするのである。

 彼らのやり方は正解だった。『3 Feet High and Rising』(1989)は広く批評的成功を収め、『De La Soul Is Dead』(1991)もそれに続いた。この4人の若者はステレオタイプを転覆させ、ラップのサンプルの幅を広げた。さらにラップ・アルバムにおけるスキットをストーリーテリングの装置として完成させ、アルバムの一貫性に不可欠なものにまで仕立て上げた。この成功で波に乗ったプリンス・ポールは引っ張りだこのプロデューサーとなり、Big Daddy Kane、Slick Rick、Queen Latifah、Boogie Down Productions、3rd Bassなど当時人気絶頂のプレイヤーたちと仕事をするようになった。彼はブルックリンのMC、Jazもプロデュースし、若きJay-Zはそのトラックの上でラップし、彼の名前をシャウトしている

 残りの90年代の間は、ポールにとって不遇の時代であった。今日でこそDrakeのようなラッパーやPharrellのようなプロデューサーが何年もの間勝ち続けることができるが、当時はラッパーがレーベルから落とされずに3枚目のアルバムまでこぎつければ上出来だったし、プロデューサーが流行の音に置いていかれるまでの”旬”は1〜2年が関の山だった。90年代といえばリスナーは皆西海岸のギャングスタ・ラップサウンドに夢中で、ポールの得意とする風変わりで折衷主義のサウンドは時代遅れとなった。3枚目である『Buhloone Mindstate』の製作中にはポールとDe La Soulの間には創作的な面でのギャップが生まれた。留守番電話の音でお馴染みの「Ring Ring Ring(Ha Ha Hey)」を共同プロデュースしたこの男は突然、ヒップ・ホップ界の友達・同僚と連絡が取れなくなってしまったのである。

 90年代の中頃になると、ポールのキャリアは下降線をたどり、彼の私生活もまた波乱に満ちていく。彼が主宰するDew Doo Man Recordsは失敗に終わり、彼にはもうDe La Soulもなくなってしまい、何よりも元恋人と息子を巡る親権争いにも巻き込まれてしまう。ポールは『Psychoanalysis』(1996)で音楽業界に中指を立て、サヨナラを告げるつもりでいた。この作品は彼の空っぽの心を探検する奇妙で興味深い作品であり、ボーカルで参加しているのは彼の周りにいた無名の友人たちである。彼の好みである悪ふざけは幻滅の色合いを帯び、ユーモアはダークそのものだった。2015年にThe Cipher podcastに出演したポールはこの制作の背景にあった考えをこう語っている。「僕のキャリアは終わって、みんな僕が嫌いで、この作品を聴く人なんかいない…だったらこの作品は精神病やらもっと狂ったものごとを患った男についての作品にして、みんなが何を言うかは気にしないでおこう、って」

 しかし意外なことに、この作品はヒップ・ホップ界の異端として称賛を浴び、以前所属していたレーベルであるTommy Boyがアルバムの再発と再契約のために接触してきた。Tommy Boyは当時CoolioやNaughty By Natureといったポップ・ラップ勢と契約し稼いでいたが、ポールに専属一流アーティストになって欲しがったのである。新たな興味に再び活気づいた彼はある提案をする:ナラティヴがスキットだけで語られるアルバムではなく、アルバム自体が始まりから終わりまでのお話になっているアルバムを作ったらどうだろう?このプロジェクト全体が低予算のミュージックビデオで上演されてもいいし、レーベルはそれと同時にTommy Boy Filmsを立ち上げれば良い。レーベルはアルバムのアイデアには食いついたがフィルム制作のコストになると財布の紐をきつく締めた。当時はデジタルフィルムなんて簡単に手に入るものじゃなかったし、まともな映像を作るのはとても高価な作業だった。彼らは予告編の撮影代としてわずか10000ドルを彼に与えた。

 それでもめげず、むしろインスパイアされたポールは、低俗なTV番組のようなものとヒップ・ホップが交差するような物を作りたかった。笑えて、ちょっとひねくれていて、楽しめるようなもの。「録音された映画を作りたかった。大人のための子供向けアルバムを作りたかったんだ」と彼は2011年Complexに語っている。アルバムのプロットを練り上げていく段階で彼は昔良く見たB級映画を研究し、よくありがちな場面を自分の脚本に当てはめていった。お話の結末を決めるにあたって、彼はこれまでに経験してきた苦い思い出に思いを馳せ、その怒りに身を任せた。音楽業界で味わった失望と失敗、息子の親権を元恋人に与えた家庭裁判所を思い返し、話を通底するテーマめいたものが彼のもとに降りてきた。「悪いやつがいつも勝つのさ」

 物語の中心は”Tariq”という卑劣な人物だ。彼は野心を持った怠け者のラッパーで、RZAに会って渡すためのデモのレコーディングを終わらせるのに1000ドルが必要だ。一週間でお金を作らねばならず彼が頼るのがTrueという名のゴロツキの友達で、彼はTariqにお金を貸す代わりに彼を犯罪の世界に引きずり込む。純朴で騙されやすいTariqはすぐに大金はタダでは手に入らないことを学び、汚い取引、そして裏切りの犠牲者となる。ここでTariqは日陰者、境遇、そして貧しい決断の犠牲者である。そう、Tariqとはポールなのである。

 そんな悲喜劇を書き上げたポールだが、彼はキャスティングの仕事もせねばならなかった。『Psychoanalysis』のおかげで彼はふたたびクリス・ロックのようなコメディアンと仕事をすることができるようになったが、全盛期のような権力が完全に回復したわけではなかった。Tommy Boyも彼に多額の予算を割いてくれるわけではなく、例えばTrueをNotorious B.I.G.に演じてもらうなんてアイデアはとうてい無理であった。そこで彼がしたのはいつも彼がやってきたことだった。つまり、浮浪者たちに訴えかけることだ。

 ラッパー兼声優のキャスティングのため、彼は主役にはアンダーグランドのMCたちを、そして準主役には旬が過ぎてしまったと思われているラッパーを求めた。主役にはアンダーグラウンドのラップグループ・JuggaknotsのBreeze Brewinが抜擢された。90年代中盤、彼のグループはEastWest Recordsから放出され、El-P率いるCompany FlowやNon-Phixion、Natural Elementsなどを中心としたニューヨークのアンダーグラウンドの小さなシーンの一部と成り果てた。プリンス・ポールはBreeze Brewinのうねるようなフロウ―巧みな中間韻で構成されたライムスキーム、皮肉の利いた冗談―がこの作品にぴったりだとわかっていた。成功を夢見ていたBreeze Brewinが、自分が生ける伝説だと考えていた男と仕事ができるというチャンスに飛びつかないわけがなかった。

 True役には、地元アミティービルのHorror Cityというクルーのラッパー、Shaを採用した。残りのキャストは彼が信頼するラッパーたちが集められた。House of Pain解散後、『Whitey Ford Sings the Blues』発表前のEverlastはレイシストの警官「Officer O'Maley Bitchkowski」、Kool Keithは「武器と性交渉したことで除隊された」元海軍大佐である武器の闇商人「Crazy Lou」、Big Daddy Kaneは口が上手いポン引き「Count Mackula」、XzibitとSadat Xは監房にいる粗暴な容疑者、Breezeの妹であるラッパーQueen HerawinはTariqの疑い深いが愛も深い恋人、Chubb Rockはマフィアのボス「Mr. Large」を演じた。ポールの古巣であるDe La Soulも出演し、Chris Rockと共にとにかく必死な麻薬中毒者を演じている。

 「このアルバムの制作でやばかったのは、だれも今何が起こっているのかわかっていなかったということだ」とPaulはThe CipherのShawn Setaroに語っている。「誰も全体のストーリーを知らなかった。みんなにはそれぞれの台詞だけを渡して、他の人の分は見せなかった。そして別々に一行ごとに録音したものをあとから編集したんだ」これは1998年、Pro Toolsが広く使われるようになる何年も前のことだ。だからPaulはASR-10、ADATデジタルテープ、MIDIのシークエンスプログラムを用いて音楽や台詞を継ぎ接ぎするという途方もない作業をこなしたのだった。このプロジェクトのビートに関しては、彼は自身のやり方を少し簡素化し、使用するサンプルは1〜2つで、その上にドラムを乗せるという手法をとった。その方が安上がりだったし、ストーリーや役者たちが前面に出てくるのだ。

 2年近くもの作業を経て、『A Prince Among Thieves』は1999年2月にリリースされた。アルバムはストーリーの終わりから始まる。救急救命士が傷を負った主人公を看病している。後ろでサイレンが鳴る中、Tariqの独白によって幕が上がる。スキットに続くのは「Pain」の物悲しいバイオリンの音色だ。Shaもここで登場する。Tariq(Breeze Brewin)がここで暴力や裏切りについて語り、物語の先行きを暗に示唆する。「Steady Slobbin」において彼は母親と暮らす、平凡な負け組として紹介される。Ice Cubeギャングスタの生き様を歌った「Steady Mobbin」のコンセプトを反転させ、この主人公は金欠で母親に叱られることから醜い女性とのセックスで早漏してしまったことまで、様々な「負け」を物語っていく。

 キャラクターをよりわかりやすいものにするため、「Just Another Day」でTariqは彼のずる賢い仲間、Trueとの関係についての背景を説明する。二人は古くからの知り合いである。若かった頃にTrueはTariqにラップの仕方を教えたが、Tariqが彼を追い抜くと彼はラップの夢を諦めたのだった。Tariqはその嫉妬を感じてはいたが、ブラザーの仲を引き裂くようなものだとは思っていなかった。その行き違い、見解の相違が後に登場するマンガのような脇役たちと相まって二人の関係に影を落としていくことになる。当時のポールが持っていた人間の本質に対する懐疑心が物語にも現れていて、Tariqは極めて俗っぽいやり方で1000ドルを手に入れようとするが、その過程でモラルを失っていく。

 (特に当時は)オーセンティシティやリアルさを追求していたこのジャンルにおいて、ポールはそういった決まりごとを喜んで風刺し串刺しにした。Tariqが地下の世界に堕落していくという、ラップの世界で言葉の綾のように繰り返し歌われてきたテーマはここではパロディの材料となっている。銃―のし上がりたいと思うハスラーやポーズをとりたいラッパーには必要不可欠なものだ―を手に入れるためには、彼はKool Keith演じる「Crazy Lou」の隠れ家(合言葉は「浣腸泥棒」だ)を訪ねる必要がある。Kool Keithは実在する武器から想像上のものまで武器を挙げていき、銃の話題をロマンティックに展開していく。そして最後に究極の武器「ドラゴン・プラス」を紹介する(「アルミニウムでできたワニの皮」で覆われた「6フィートのゴリラ」である)。彼が架空の武器庫の話を終える頃には、聞き手はそれが動物なのか機械なのかわからなくなってくるが、それがナンセンスであるということだけはわかる。Paulがスタジオでクスクスと笑っているのが聞こえるようだ。

 そして、誘惑にまつわる寓話がセックス無しで完結するなんてことがありうるだろうか?面白おかしくつくられたラヴ・シーン―勃起を表すビヨーンという効果音まで入っている―はEverlast演じる悪玉NYPD警官によって邪魔される。このキャラクターもまた道化の天才の偉業であり、彼はニューヨークの警官のあらゆるステレオタイプを「ワルいサツがお前の家まで行って / 黒人の家に証拠を植えて回るのさ」「道でお前を撃って / KKKの集会のように十字架にかけて燃やしてやる」といったラインで体現してみせる。しかしEverlastやBig Daddy Kane演じる「Count Macula」はポールのシニカルなストーリーに登場するカメオであるだけではなく、裏切りの担い手でもある。これらのキャラクターは聞き手に世間はお人好しに甘くないということを印象づける。これらはポールの敵、失望、失敗が擬人化されたものである。

 数々のサプライズ、隠された仕掛け、豪華ゲストがあるとはいえ、『A Pricne Among Thieves』という劇の中心はBreeze Brewin演じるTariqである。仕組まれた罠に騙されたとわかり裏切りを悟った時、この愛すべき愚か者はウエスタン風の決戦による復讐(「You Got Shot」)に打って出る。「生きていくのは辛い / お前も一緒なんだろ / お前のこともお前のゲームのことも知ってる / 神よお許しください...」彼の純潔は失われる。クライマックスにおいてTariqが騙されやすいカモから荒んだ復讐の鬼に生まれ変わるのは、ポールが音楽業界で経験したことと鏡写しになっている。でもこの作家は知っている。正しさと勝利を同時に手に入れるなんてことはめったにないということを。

<Pitchfork Sunday Review和訳>Alice Coltrane: Journey in Satchidananda

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pitchfork.com

時代を超越しハーモニーと悲しみに満ちた、スピリチュアル・ジャズの驚異

アリス・コルトレーンの娘、シータ・ミシェルはかつて、登校前にベッドに横になってたいたある朝を思い出してこう語った。彼女は美しいハープの音色で目が覚めてこう思ったのだ。「もし天国というのがこういうものなら、機会が来たらいつでもそれを歓迎したい」と。ジョン・コルトレーンがそのハープを注文したのだが、それが届く前に亡くなってしまったのだ。ジョンの死後数年の間にアリスのバンドリーダーとしてのキャリアが始まり、彼女の練習はその輝かしく新しい楽器を中心として行われていたことを考えると、彼女がジョンと共有していた音楽的遺産を受け継いでいくことを決定づけた贈り物としてこのハープを見るのは魅力的である。

 でもアリスはオルフェウスではなかったし、ジョンもアポロではなかった(訳者注:オルフェウスギリシア神話に登場する竪琴を弾く吟遊詩人であり。アポローン神がその父であり、彼に竪琴の技を伝授したとされる)。そのハープ自体によって彼女のキャリアが始まったとするのは彼女の才能の強烈さを否定するものであり、妻のレガシーはその夫のものに付属するのだという間違った考え方である。もちろん二人の互いへの影響は緊密ではあったが、彼らの作品は別のものであり、この素晴らしくエモーショナルな『Journey in Satchidananda』の中でアリス・コルトレーンのハープの物語の中心にある結び目が解け始めるのである。

 アリス・マクラウドとして1937年の夏にデトロイトにて生まれた彼女は最初から才能にあふれていて、地元のバプティスト教会でピアノやオルガンを弾いていた。彼女が生み出す音楽はとても美しく宇宙的であったので、アリス・コルトレーンは厳格な音楽教育を受けていないと思われがちである。しかし彼女は十代の頃デトロイトでクラシカルピアノのコンサートを開いている。60年代に彼女はパリに移り、バド・パウエルというメンターのもとでジャズを始める。次の年には彼女はパリのブルーノートで幕間にピアノを弾くまでに至る。

 アリス・コルトレーンが結婚した一人目の男は、ある意味では二人目の夫と出会うきっかけを与えたと言える。彼女は1960年にケニー”パンチョ”・ハグッドというジャズ・ヴォーカリストと結婚したが、一人目の子供を身ごもってすぐ彼のヘロイン中毒により二人の関係は悪化し、アリスはアメリカへと戻る。娘シータ・ミシェルの手を取り、その後アリスはデトロイトへ戻りプロのミュージシャンとしてのキャリアを本格化させる。デトロイトを回るうちに彼女はテリー・ギッブスのカルテットにピアノとして加入する。彼女は引っ張りだこの即興演奏家となり、バンドリーダーが提示したリズムすら超越してしまう様なトランス状態での演奏で有名となった。1962年、ギッブスのバンドでニューヨーク公演を行っている間、彼女はジャズクラブ・Metropoleでジョンと出会う。翌年には彼女はジョンと結婚することを告げギッブスのバンドを突然脱退。ジョンとアリスは三人の子供をもうけた。

 ジョンは肝臓がんで1967年に他界。彼女は茫然自失となった。もしくは「茫然自失」より強い言葉があればなんでもよい。彼女はよく眠れず、幻覚を見た。そして痩せ細った。悲しみの淵にあって、アリスはスワミ・チダナンダという男の元を訪ねた。彼はウッドストックで観客に演説を行った導師であり、彼女はその弟子となった。彼の助言や精神的導きが彼女の精神を安らがせた。

 アリスはこの時期になるとかなり深く精神の問題と関わりを持つようになっていた。彼女が作る曲は世界中のあらゆる音楽的伝統へとサイケデリックな方向に継投していったが、デトロイト時代のビバップ的な環境の味付けは残ったままだった。彼女は1970年、自身の精神的助言者スワミの名前をとった作品『Journey in Satchidananda』を録音する。彼女の初期作品はすべて、エジプトやインド(後者に彼女は70年代に何度か訪れている)の神話や宗教を探求するものだった。しかし彼女が60年代に経験した大きな変態―一人の人間として、そしてアーティストとして―へのトリビュートとして作られたのがこの『Journey in Satchidananda』である。

 透明感あふれるハープの音によってすぐさま明らかとなるのは、このアルバムが巧みなオーケストレーションについての作品であると同時に、魂=ソウルについての作品であるということだ。手がかりはタイトルにもある。これは「旅」なのだ。アリスは多くの文化や多様な楽器を用いてジャズの作曲において未踏の領域に連れて行ってくれるが、同時に移りゆく感情も我々に見せてくれる。彼女は1つのキーにとどまるのを嫌がるため、アルバムのテーマを反復するメロディの形として扱うのではなく、『Journey〜』の真の手触りは移行 / 過程 / フロウによって決定される。ここには始まりも終わりも存在しない。代わりに、1曲目の最初の部分で実演されるようにアリスは繰り返しと超越の原理を使うのだ。

 『Journey〜』を聴く際、我々は地面に横たわり目を閉じるべきである。なぜなら、それがアリスがライナーノーツで要求している一種の視覚化を行うにあたってベストなコンディションだからである。「この作品集を聴く者は誰であれ自分がチダナンダの愛の海に浮かんでいるところを想像しようとしなければなりません。その海はこれまでいくつもの帰依者の運命の移り変わりや人生の嵐のような荒波を文字通り乗り越えさせてきたのです」

 だから私は自分の部屋の床に身を投げ出した。すると自分が下の地面と上の宇宙の間の暗渠になった気分がしたのだった。アルバムはタンブーラによる3音のドローンで幕を開け、タイトル曲が始まる。その3音はぐるぐると繰り返し、私をその中にとどめておく。やがて柔らかく手応えのあるベースラインがその下で広がっていく。そしてアリスが入ってくる。タンブーラ(ネックの長い弦ドローン楽器で、弱々しい音が特徴である)で演奏される主題の中で彼女のハープはまるで妖精、あるいは長い幽閉から開放された子供のように聞こえる。まるで誰にも見られていないように気ままに上向きにそして下向きに踊る。目を閉じて聴けば、それはまるで水中に差し込む一筋の光である。

 伝説のフリー・ジャズのパイオニアファラオ・サンダースが加わわれば、彼のサックスのメロディはどこへだって行ける。セシル・マクビーのベースは安定感が抜群だからだ(この時すでに彼はマイルズ・デイヴィス、ユセフ・ラティーフ、フレディ・ハバードなどと演奏した経験を持っていた)。この曲そして続く4曲において、音の不調和は留まる場所ではなく訪れる場所である。すべての主旋律は探求であるが、アリスのオーケストレーションは我々に安定した、そしてくり返しやってくる帰還地点を提供してくれる。そのドローン / ベースによるテクスチャーはマクビーと「トゥルシ」とだけクレジットされているタンブーラ奏者によってもたらされるのだが、その一方でサンダースのサックスやヴィシュヌ・ウッドのウードがアリスのハープに加わってきらめくような自由律のダンスを行う。

 オーケストレーションは広大で深遠であり、間違いなくアリスの南アジアの伝統への興味が反映されている。『Jouney〜』で行われているコード進行はこれ以上ないほどに単調だ。しかしジョンのようにアリスはモード的スタイルを用いてルート音周辺の適当なコードを選び、機能的なハーモニーは切り捨てている。アルバムの和音はインド音階や他の非=全音階の体系を参考にしているが、大体はオープニングの3音ドローンのように主題からは逸脱している。アルバムの中を楽器から楽器へ、ある曲から別の曲へ、メロディはさまよい歩く。それは繰り返され、変化し、戯れる。

 2曲目「Shiva Loka」ではアリスのハープはより強力となり、人格を持って実存を獲得する。曲のタイトルは破壊の女神からとられている。1曲めから続く3音の循環はいまや確固たる土台となり、その残響は厚みを増し生き生きとする。鐘は速さを増し音楽の表面にばらまかれる。拍も厚みを増し、ビートから離れやがて本当のリズムとなる。地面に横たわったまま踊るのは難しいが、「Shiva Loka」はそれを可能にする。

 そのグルーヴは「Stopover Bombay」でも続けられ、列車が線路の上で揺れ始める。静かになるのは「Shomething about John Coltrane」においてだけである。アリスはピアノへとスイッチし、それは雨のように滴っていく。空間をクールな不規則さでかたどっていく。サンダースのサックスが叫び始める時、それが笑っているのか泣いているのかはわからない。強烈な感情によって生命を吹き込まれた曲であり、それは我々をいかなる方向にも連れて行く。終わりに差し掛かると、私は嵐から無傷で生還したような気分になった。タンブーラのサイクルが最初からずっと私を守ってきたかのようだ。

 最後の曲、ライブ録音された「Isis and Osiris」において、我々はようやくアリスの悲しみと向き合うことになる。11分間にわたって、ヴィシュヌ・ウッドは我々に短調に囚われたウードのメロディを献身的に届けてくれる。ウードの音色は鋭いが反響する。彼はすすり泣き、震え、作品の悲哀を決定づける。やがてすべてが静かになり、旅は終わる。

 床から立ち上がるのに長い時間を要したが、その間私はアリスの精神が未だに悲しみに触れられているように感じた。それは音にするよりも言葉にするほうが難しいのだが、作品の中に溢れんばかりに感情がまぜこぜになっている中に、痛みを聴くことができる。ジョンなくして旅はない。スワミなくしてチダナンダはない。悲しみなくしてスワミはないのだ。音楽と人生、夫と妻を分ける二分法の代わりに、この作品はアリス・コルトレーンの人生のすべての要素は無限の神の流れの中で彼女のために存在したのだということを明らかにしてくれる。ジョンの名は彼女に影を落とすかもしれないが、アリス・コルトレーンはそれから逃れようとはしないのだ。

 やっと私が目を開けると、部屋の中に陽の光が満ちていた。アルバムの中心で滝のように流れるハープのように、その日光は死を超えて存在するのは芸術だけだと私に言っているようだった。光がなければ影は存在しない。互いが互いを定義しているのだ。アリス・コルトレーンは『Journey in Satchidananda』を様々な感情、様々な人生、様々な伝統がないまぜになったとらえどころのない流れの真っただ中で作り上げた。アリスの音楽はそれ自体が旅であり目的地でもある、とこの作品は物語る。

点数:10/10

筆者:Josephine Livingstone

<Pitchfork Sunday Review和訳>Robert Ashley: Private Parts

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ロバート・アシュリーの『Private Parts』には筋書きがあるのだが、皆さんはご存じないことだろう。この1978年発表の作品(後に彼が手がけるテレビ用オペラ『Perfect Lives』の下敷きになる)は二人の男女の心情の機微を詳細に描いたものである。この二人の男女の正体は明かされないどころか、この二人同士がお互いを知っているかどうかも定かではない。40分超の再生時間は言葉たちで埋め尽くされているが、その意味はぐるぐると循環し決して帰結しない。このゆったりとした独白の数々によってアシュリーが探求したのは起こって「いない」ことすべてである。影の中をこっそりと踊り回る、ある倒錯である。我々は登場人物の強迫観念、行動の痙攣、性急的思考の反芻、精神の消耗を知らされるわけだが、それらの物語、内容、意味はまるでよく覚えていない夢のようにとらえどころのないままだ。『Private Parts』はその空虚さの上に成り立っている。その空虚さによってここまでわくわくさせられるというのだから驚くべきことである。

アシュリーで有名なのはその声である。落ち着きも大胆さも自信もあるのだが、もごもごとしゃべる。『Private Parts』はある意味ではその声が世に初めて放たれた作品である。この数年前に彼は『In Sara, Mencken, Christ and Beethoven There Were Men and Women』をリリースしているが、この中で彼のスピーチはぶつ切りにされ、モジュレートされ、ディジーなエフェクト処理がなされていた。しかしこの『Private Parts』では彼は少し怪しげでありながら聴くものを思考へと誘うような宇宙的規模の皮肉家という、後のキャリアで常に反復し続けることになる役割を引き受けた。このときですでに40代後半だったアシュリーは60代、70代になってもミルズ・カレッジの現代音楽センターの監督や、ミシガン州・アナーバーで開かれる「ONCE Festival of New Music」の主催者を務めたり、ソニック・アーツ・ユニオンとしてアルヴィン・ルシェ、デヴィッド・バーマン、ゴードン・ママといった分類不可能な音楽家たちと共演したりと精力的な活動を続けた。しかし、彼の録音物の発表は極めて稀となり、それらの多くは挑戦的で聴く者たちを対立させるようなものだった。1968年のリリース「The Wolfman」は偏頭痛を模したような15分の雑音であり、1972年の「Purposeful Lady Slow Afternoon」は完全ではない相互同意の上でのオーラル・セックスを、そのトラウマを克服した側が淡々と無気力に語るという問題作だった。

しかし『Private Parts』ではアシュリーは自分のほんとうの天職を見つけた。これらの尖った作品達は確かに顕著であったが、テレビ用のオペラに取り掛かったことがきっかけで彼の創造力はいまだかつてない高みへと到達する。『Perfect Lives』だけではなく『Automatic Writing』(1979)、『Atlanta (Acts of God)』(1985)、『Your Money My Life Goodbye』(1998)といったこれに続く作品群の多くはこの『Private Parts』が下敷きになっていると言えるだろう。それは完全に未知の領域であったが、アシュリーは全く新しい形式でそのアイデアに飛び乗った。「テレビ用のフォーマットにしたのは、それが音楽の唯一の可能性だと信じているからだ。我々には伝統なんていうものはない。ただ家にいて、テレビを見るだけだ」と彼はインタビューで発言した。彼の作品はシュールレアリズムの範疇で語られ、誰にも理解されないことも考えられた。しかしどれだけ熱心なオーディエンスでも彼の悩みの種ではなかったようだ。「アメリカのテレビ視聴者はバカだ」彼は不躾にこうコメントした。

このアルバムは2話分の作品を収録している。それぞれ20分少しの長さで、CMによる中断は予期していたと思うのだが、一時停止をするのにちょうどいい場所は一切ない。アシュリーはオペラという概念をリベラルに、もしくは文字通りにとらえていた。もしオペラが芝居じみたセットや高尚なドラマ、屋根に対して放たれるような歌声といったものを必要とするのであれば、彼は近寄らなかっただろう。しかしそれが音楽、キャラクター、スポークンワード、歌、セットデザインを組み合わせてできたメディアだとしたら、他に何になり得よう?

加えて、この音楽を聞けば意味についてとやかくあら捜しをしたくなるというものである。結局彼の気取った話し方が気になって仕方ないのである。アシュリーのオペラは疲れ切って大麻を吸った人間が電話帳を読んでいるかのようだが、それでも魅惑的なのだ。前衛的な作曲家「ブルー」ジーン・ティラニーによる曲がりくねるようなキーボードの音色、クリスの徐々に染み渡ってくるようなタブラに後押しされ、『Private Parts』の反・物語は安定した重力を生み出すのである。小さな断片の集まりがある方向を指し示すように思えるが、アシュリーはそういった線形の道を避け続けるのだ。

A面、「The Park」は男の声で始まる。「彼は自分を真面目な人間だと思っている。モーテルの部屋のパンチは切れてしまった。彼はカバンを開けた。」まるでノワール映画のオープニングのような雰囲気である。そして詳細が続く。「そこには2つあり、そのなかにまた2つ、さらに2つがあった。」ここですでに円環状で駆け足な統語論が我々を躓かせる。物語はほんの少しずつしか前進しないため立ち消えそうになる。おそらくアシュリーは次の不明瞭な台詞でその摩訶不思議な世界に対する慰みを与えようとした。「それは気楽な状況ではない。しかし気ままさのようなものが空気を漂っていた」。

一体何が起こっているんだ?そして次は一体何が?すべてが明らかになるのが近いと感じるかもしれない。ある時突然彼が山積みになったバラバラの思考を統合するのではないかと感じるかもしれない。しかし彼の眠たくて一本調子な喋りを聞いているうちに、そんなことは起こらないのだと確信に至る。後ろではキーボードが目的もなく漂い、タブラがのんびりとぶらついている。すべては沸騰寸前の温度にあるのだが、そこからクライマックスに至るわけでも、そこから冷めていくわけでもない。これは素晴らしく不調なラウンジ・アクトや、DMT愛好家によって作られたエレベーター・ミュージックを聞く感覚に近い。

彼と類似した音楽家やその試みは戦後の現代音楽シーンに散見される。ジョン・ケージの「Lecture on Nothing」のようなテキスト作品は、人が良く、知的ないたずら者という雛形を提示したという点で間違いなく土台となっている。アシュリーの文章の日常会話に寄り添った書き方はスティーヴ・ライヒの初期テープ作品やフィリップ・グラス「Einstein on the Beach」のざわめくようなギリシャ風のコーラスと共鳴する部分がある(トランスへと誘うような音楽的構造を重視している点でも同様である)。しかし彼は彼自身の爽やかな美学を持っていた。彼の奇怪さは先人たちと比べてもあらゆる点で過激であったが、それでも肩の力が抜けているように思えた。

ティラニーとクリスも、伝統的な実験音楽のような仕草を避けるという点ではアシュリーと同じくらい骨を折って作業した(アシュリーは実験音楽という言葉を公然と拒否していたことで有名だ。「作曲は決して実験などではない。典型的な専門職だ」と書いた)。彼の散文詩を不吉な不協和音で覆ってみたり、その散文詩に続いてタイトに作曲された(でも即興演奏に影響された)激しいアクセントのビートやギターを乗せてみたり…といったものを期待するかもしれない。でも代わりに彼らは、努めて牧歌的で調和を保ち続けることによって薄気味悪さを演出する。開けっ放しの蛇口のように彼らは終わりなく音やフレーズを垂れ流す。彼らは開放的な新しい時代の渦を受け入れてはいるが、まだ伴奏部には微量の威嚇が感じられる。彼らが鳴らす音にではなく、彼らの音の鳴らし方にこそ特異な点が感じられるのだ。誰に聞かせるわけでもない単調な音を鳴らし続けるような、イージーリスニングをエミュレートする最初期ののアルゴリズムを想像してみて欲しい。

初めて聴く人間には(5回目の人間にも)目隠しをした状態でA面とB面を聞き分けることは難しいかもしれない。両方とも穏やかなストイシズムを備えていて、決してチャンスを逃すことはない。しかしB面の「The Backyard」はどこかハードに聞こえる。おそらくそれは目録であり、計算であり、査定である。主人公の意識の瞑想をスキャンするところから始まり、アシュリーは彼女が考えないこと、すること / しないこと、そして彼女の心がどのように動き機能しているかを列記する。最も魅惑的な瞬間ができあがるのは「42もしくは40たす20は、常に62もしくは60である」という主張の辺りである。ここでプライスポイントと算数の間に亀裂が生じ、頭から離れなくなってしまう。「14.28ドルのほうが14ドルちょうどよりも魅力的に感じる」という考えがこの瘴気のなかから生じてくるのはなぜか?アシュリーはすぐに答える。「そういうものだ」と。

もしこれら全部が気が違うほどに意味不明だと思うとしたら、意味不明なのだ。しかしこの奇妙さが釣り合うのは直感的な衝撃だけだし、その影響は前衛音楽を追い求めた世代に見つけることができる。ローリー・アンダーソンがポーカーフェイスでアメリカの生活を切除したのもこの影響だろうし、スロッビング・グリッスルが同年に発表した「Hamburger Lady」なんかもそっくりに思える。ノー・ウェイヴのシーン全体(『Private Parts』から遅れること1〜2年で誕生した)がハイアートの真面目さとロウブラウ的なニセモノ感という似たような衝突を楽しんだ。一方でブライアン・イーノもデイヴィッド・バーンと共にTalking Heads『Remain In Light』(1980)や二人の共作『My Life in the Bush of Ghosts』(1981)においてシュールで甘ったるいアメリカ人という似たような地域に足を踏み入れることになる。

とても賢いリスナーだけが知り得るような「なるほど!」というような仕掛けがあるかどうか、それはわからない。より巨大な作品である「Perfect Lives」についての精読や徹底的な分析も、それがいかに理解不能であるかということを明らかにするだけである。権威のあるような読みや理解は構造や物語の理解を助けるかもしれないが、『Private Parts』が属している物語は蜃気楼のように遠くにあるものであり、アシュリー曰くそれは断片でしかなく「いくつかは意味をなすが、そうじゃないものある」んだそうだ。受け手にほぼ何も明らかにすることなく、解剖するものは多く与えるというのは少しかっこいいし、自由に見える。アシュリーは自分で現代の生活を「微妙な差異(ニュアンス)の濃霧のようなものであり、それがあまりにも濃いために主たる形式は失われている」と形容した。それは正しいように思える。

しかし別の名言もある。オペラの起源についての話の中で、同世代の作曲家アルヴィン・ルシェはアシュリーとオハイオを車で横切った夜のことを書いている。彼の回想はこの作品に込められている夢のような無限性を示唆しているようでもある。「バーで座り、互いにものすごく真剣に話し合っている男女のカップルたちがいた。私はそこにいる人たちは誰も結婚していないと思った。というのも彼らはとてもおもしろい会話をしていたからだ。そして帰りにその同じ酒場に戻ると、光景が全く同じだった。ここにはこのような人生があって、続いていっているんだ。それが永遠に感じたんだ」

得点:8.8

筆者:Daniel Martin-McCormick