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<Pitchfork Review和訳>Blu / Oh No: A Long Red Hot Los Angeles Summer Night

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pitchfork.com

点数:7.3/10

筆者:Mehan Jayasuriya

次々に繰り出されるライム、鮮やかな仕掛け、そしてサンプリング主体のビートがゴールデン・エイジ・LAヒップ・ホップを想起させるこの作品。ついにあの呪いのような作品の続きが登場した。

 況が少しでも違えば、Bluはスターになっていたかもしれない。2009年、J Dillaなどとの作品やそれに対する熱い称賛を経て、このLA出身のラッパーはワーナー・ブラザースと契約を交わした。それは音楽に限ったものではなく、彼の今後の作品それぞれについて作られる映像作品も含んだ契約だった。しかしメジャー・レーベルにはつきもののありふれた悲劇がそれに続き、結局それはせいぜい「ピュロスの勝利(訳注:古代ギリシャの王・ピュロスが多大な犠牲を払ってローマに勝利したことから、割に合わない勝利を指す慣用句)」だった。苛立ちからか呆れからか、Bluは自身のメジャー・レーベル作『NoYork!』を2011年のRock the Bellsツアーの際にリークしたと言われている。そしてそれ以来、彼はアンダーグラウンドに潜り、低予算でローファイなアルバムを着実に連続してリリースしている。しかし、ついに彼は『NoYork!』に続く作品を我々に提示する用意ができたようだ。たとえこの『A Long Red Hot Los Angeles Summer Night』が、あの実験的趣味を持つアンダーグラウンドのラッパーに期待するようなサウンドではないにしても、だ。熱心に、そしてスマートにプロデュースされた懐かしのサウンドによって、『Red Hot〜』はBluの郷愁、そして市民としての誇りの蓄えをコツコツと叩くのだ。

 彼がこのような作品を作ろうとしたのははじめてのことではない。2014年の『Good to Be Home』ではウェスト・コースト・ラップの原点回帰を目指している。しかしこの作品は一貫性を欠けていて、不明瞭なミックスがそれに拍車をかけていた。それでも、それは『Red Hot〜』に向けた助走だったのではと今では思える。今作では前作の確信であった自尊心はそのままに、前述の諸問題に正面から向き合っているのだ。この作品は、過去30年間のLAヒップ・ホップの名盤たち―『Regulate...G Funk Era』から『Madvillainy』まで―との会話という構成をとっている。その並びに自分を埋め込みたいというBluの熱烈な試みである。そしてもしウェスト・コースト・クラシックを作りたいのにMadlibとの友情の瓦解がそうはさせない場合、その弟・Oh Noの協力を得るのも悪くないだろう。ふたりとも埃の匂いがするサンプルや技巧派ラップを好むプロデューサーであり、この二人の伝統主義者は完全に同期している。

 自分のヴィジョンを伝えるためのこの確固たる信念があってこそ、この『Red Hot〜』はそのへんの復興主義者たちの作品や、Blu自身のこれまでの作品とはひと味もふた味も違うものになっている。一秒たりとも無駄にすることなく、Bluは空きあらば言葉を滝のように詰め込んでくる。彼のラップは怒りにあふれていて、2007年のデビュー作『Below the Heavens』以来のエネルギーと集中力の入りっぷりを示している。『The Chronic』や『Good Kid, m.A.A.d. City』のようなナラティヴにインスパイアされたBluは、消えゆく都市というものに対する讃歌とも読める物語を編み、17曲の中で確かな「場所の感覚」を生み出している。Bluの描くロサンゼルスは緊迫した場面、疑惑の目、そして突発的な暴力に満ちている。ジェントリフィケーションの波がすぐそこまで来ていて、あらゆる街角に危険が潜んでいる、そんな街。

 映画の契約までこぎつけたラッパーである彼らしく、これらの曲はサウンド的にも内容的にもシネマティックである。「Stalkers」の加工していく鍵盤とオートハープの刺すような音はフィルム・ノワールのスコアのようだ。その中でBluとDonel Smokesはまるでバトルしているかのようにかわるがわるヴァースを蹴っていく。しかし残念なことに、Bluはホモフォビア的なスラーによってこの懐かしムードをぶち壊してしまっている。2019年においては言い訳のできないことだ。もちろん、どの時代を指向しているのかにかかわらずだが。「Murder Case」はSnoop Doggの「Murder Was the Case」のパロディであり、主人公の転落を語る。「Jail Cypher」ではBluの新しい同房者たちを演じるゲストMCたちがそれぞれの物語、そしてアドヴァイスを伝えてくれる。

 まるでホラー映画のように練りに練られた2曲の「目玉」によって、このアルバムのシアトリカルさは極限を迎える。インタールード「Champagne」は1990年代のラップ作品には必ずと行っていいほど収録されていたメジャー・レーベル主導のもとに作られた「女性たちのための曲」のモノマネだが、「The Robbery」の始まりとともに唐突に終わる。BluとOh Noはその不調和なつなぎの美味しいところを上手に使う。ブリッジミュートしたギターの音と金属の空き缶をドラムスティックで叩いたようなスネアの音しかしないトラック上で、Montage OneTriStateが、ラップオタク気質のダジャレを競い合うようにでリヴァーしながら、盗みの物語を明らかにする。「盗みを働く(=”run the jewels”)ときはゆっくりな / ラップグループの話じゃない、チェーンとか靴とかだ」とTriStateは唸る。

 『NoYork!』は当時流行りのチップチューンサウンドを多用し、時代を見据えていた。しかし『A Long Red Hot Los Angeles Summer Night』は意識的に現代のヒップ・ホップから逸脱し、ニューヨークとLAだけがラップにとって重力の中心である世界を提示する。そのような半ば願望にも似た考え方は新しいリスナーの賛同を得れないかもしれないが、この作品はBluとOh Noの二人がウェスト・コーストサウンドの最も献身的な熱狂者であることの証左である。Bluはかなり前から明らかに他人の成功を気にするのをやめたのだ。そしてその方が彼のサウンドは冴え渡る。