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<Pitchfork Sunday Review和訳>Prince Paul: A Prince Among Thieves

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pitchfork.com

1999年作、野望と正義に満ちたストーリーテリング・ヒップホップ作品

  プリンス・ポールはヒップホップ史の中でもかなり重要な音楽家であるが、その功績とは裏腹に何故かずっと無視され続けている存在でもある。時に見下され、時に拒否され、音楽業界に不当に搾取されていたポール・ヒューストンことプリンス・ポールはインサイダーであると同時にアウトサイダーであり、その視点の切替によって不条理と向き合う稀有な能力を身につけた。『A Prince Among Thieves』は少なくとも表面上は35曲入り77分のユーモラスなストーリーテリング・ヒップホップの傑作であり、ヒップホップ黄金時代(いわゆる"Golden Era")のスターやアンダーグラウンドのレジェンドたちがこぞって参加している。しかしその下に横たわっているのは、多難続きのキャリアとそれがこのロングアイランド出身の道化の天才の精神におとした影が生んだ、噛み付くような皮肉なのである。

 1980年代、プリンス・ポールは熱心で驚異的なティーンエイジャーで、スキルと良い"好み"を持つDJとしてニューヨーク・アミティービルの黒人コミュニティでプロップスを得ていた。彼の噂はイースト・ニューヨークのストリートにまで広がり、あのStetsasonicは彼をグループに迎え、ポールはDJを務めたのちお抱えプロデューサーの一員として活躍した。急進的なアイデアを実行に移すため自主性を求めたポールは、彼と同じくアミティービル・メモリアル・ハイスクールに通っていた同志3人と出会うことになる。彼と同じくらいオタク気質で風変わりだったDe La SoulのPosdnuos、Trugoy、Maseの3人にポールは親近感を覚えたのだった。

 その新たな創作の共犯者たちと共に、ポールは当時のラップのクリシェをひっくり返そうと目論んだ。他のプロデューサーたちがJames Brownのカタログからサンプルを絞り出していた頃、ポールとDe La Soulのパレットはもっとごった煮で、Johnny CashからSly and the Family Stoneまでなんでもありだった。みんながゴールドチェーンなら、De La Soulはブラックレザーのアフリカのメダリオン。みんなが前へ前へなら、彼らは控えめだった。他がハードに打ち出るのなら、De La Soulおどけてみたりするのである。

 彼らのやり方は正解だった。『3 Feet High and Rising』(1989)は広く批評的成功を収め、『De La Soul Is Dead』(1991)もそれに続いた。この4人の若者はステレオタイプを転覆させ、ラップのサンプルの幅を広げた。さらにラップ・アルバムにおけるスキットをストーリーテリングの装置として完成させ、アルバムの一貫性に不可欠なものにまで仕立て上げた。この成功で波に乗ったプリンス・ポールは引っ張りだこのプロデューサーとなり、Big Daddy Kane、Slick Rick、Queen Latifah、Boogie Down Productions、3rd Bassなど当時人気絶頂のプレイヤーたちと仕事をするようになった。彼はブルックリンのMC、Jazもプロデュースし、若きJay-Zはそのトラックの上でラップし、彼の名前をシャウトしている

 残りの90年代の間は、ポールにとって不遇の時代であった。今日でこそDrakeのようなラッパーやPharrellのようなプロデューサーが何年もの間勝ち続けることができるが、当時はラッパーがレーベルから落とされずに3枚目のアルバムまでこぎつければ上出来だったし、プロデューサーが流行の音に置いていかれるまでの”旬”は1〜2年が関の山だった。90年代といえばリスナーは皆西海岸のギャングスタ・ラップサウンドに夢中で、ポールの得意とする風変わりで折衷主義のサウンドは時代遅れとなった。3枚目である『Buhloone Mindstate』の製作中にはポールとDe La Soulの間には創作的な面でのギャップが生まれた。留守番電話の音でお馴染みの「Ring Ring Ring(Ha Ha Hey)」を共同プロデュースしたこの男は突然、ヒップ・ホップ界の友達・同僚と連絡が取れなくなってしまったのである。

 90年代の中頃になると、ポールのキャリアは下降線をたどり、彼の私生活もまた波乱に満ちていく。彼が主宰するDew Doo Man Recordsは失敗に終わり、彼にはもうDe La Soulもなくなってしまい、何よりも元恋人と息子を巡る親権争いにも巻き込まれてしまう。ポールは『Psychoanalysis』(1996)で音楽業界に中指を立て、サヨナラを告げるつもりでいた。この作品は彼の空っぽの心を探検する奇妙で興味深い作品であり、ボーカルで参加しているのは彼の周りにいた無名の友人たちである。彼の好みである悪ふざけは幻滅の色合いを帯び、ユーモアはダークそのものだった。2015年にThe Cipher podcastに出演したポールはこの制作の背景にあった考えをこう語っている。「僕のキャリアは終わって、みんな僕が嫌いで、この作品を聴く人なんかいない…だったらこの作品は精神病やらもっと狂ったものごとを患った男についての作品にして、みんなが何を言うかは気にしないでおこう、って」

 しかし意外なことに、この作品はヒップ・ホップ界の異端として称賛を浴び、以前所属していたレーベルであるTommy Boyがアルバムの再発と再契約のために接触してきた。Tommy Boyは当時CoolioやNaughty By Natureといったポップ・ラップ勢と契約し稼いでいたが、ポールに専属一流アーティストになって欲しがったのである。新たな興味に再び活気づいた彼はある提案をする:ナラティヴがスキットだけで語られるアルバムではなく、アルバム自体が始まりから終わりまでのお話になっているアルバムを作ったらどうだろう?このプロジェクト全体が低予算のミュージックビデオで上演されてもいいし、レーベルはそれと同時にTommy Boy Filmsを立ち上げれば良い。レーベルはアルバムのアイデアには食いついたがフィルム制作のコストになると財布の紐をきつく締めた。当時はデジタルフィルムなんて簡単に手に入るものじゃなかったし、まともな映像を作るのはとても高価な作業だった。彼らは予告編の撮影代としてわずか10000ドルを彼に与えた。

 それでもめげず、むしろインスパイアされたポールは、低俗なTV番組のようなものとヒップ・ホップが交差するような物を作りたかった。笑えて、ちょっとひねくれていて、楽しめるようなもの。「録音された映画を作りたかった。大人のための子供向けアルバムを作りたかったんだ」と彼は2011年Complexに語っている。アルバムのプロットを練り上げていく段階で彼は昔良く見たB級映画を研究し、よくありがちな場面を自分の脚本に当てはめていった。お話の結末を決めるにあたって、彼はこれまでに経験してきた苦い思い出に思いを馳せ、その怒りに身を任せた。音楽業界で味わった失望と失敗、息子の親権を元恋人に与えた家庭裁判所を思い返し、話を通底するテーマめいたものが彼のもとに降りてきた。「悪いやつがいつも勝つのさ」

 物語の中心は”Tariq”という卑劣な人物だ。彼は野心を持った怠け者のラッパーで、RZAに会って渡すためのデモのレコーディングを終わらせるのに1000ドルが必要だ。一週間でお金を作らねばならず彼が頼るのがTrueという名のゴロツキの友達で、彼はTariqにお金を貸す代わりに彼を犯罪の世界に引きずり込む。純朴で騙されやすいTariqはすぐに大金はタダでは手に入らないことを学び、汚い取引、そして裏切りの犠牲者となる。ここでTariqは日陰者、境遇、そして貧しい決断の犠牲者である。そう、Tariqとはポールなのである。

 そんな悲喜劇を書き上げたポールだが、彼はキャスティングの仕事もせねばならなかった。『Psychoanalysis』のおかげで彼はふたたびクリス・ロックのようなコメディアンと仕事をすることができるようになったが、全盛期のような権力が完全に回復したわけではなかった。Tommy Boyも彼に多額の予算を割いてくれるわけではなく、例えばTrueをNotorious B.I.G.に演じてもらうなんてアイデアはとうてい無理であった。そこで彼がしたのはいつも彼がやってきたことだった。つまり、浮浪者たちに訴えかけることだ。

 ラッパー兼声優のキャスティングのため、彼は主役にはアンダーグランドのMCたちを、そして準主役には旬が過ぎてしまったと思われているラッパーを求めた。主役にはアンダーグラウンドのラップグループ・JuggaknotsのBreeze Brewinが抜擢された。90年代中盤、彼のグループはEastWest Recordsから放出され、El-P率いるCompany FlowやNon-Phixion、Natural Elementsなどを中心としたニューヨークのアンダーグラウンドの小さなシーンの一部と成り果てた。プリンス・ポールはBreeze Brewinのうねるようなフロウ―巧みな中間韻で構成されたライムスキーム、皮肉の利いた冗談―がこの作品にぴったりだとわかっていた。成功を夢見ていたBreeze Brewinが、自分が生ける伝説だと考えていた男と仕事ができるというチャンスに飛びつかないわけがなかった。

 True役には、地元アミティービルのHorror Cityというクルーのラッパー、Shaを採用した。残りのキャストは彼が信頼するラッパーたちが集められた。House of Pain解散後、『Whitey Ford Sings the Blues』発表前のEverlastはレイシストの警官「Officer O'Maley Bitchkowski」、Kool Keithは「武器と性交渉したことで除隊された」元海軍大佐である武器の闇商人「Crazy Lou」、Big Daddy Kaneは口が上手いポン引き「Count Mackula」、XzibitとSadat Xは監房にいる粗暴な容疑者、Breezeの妹であるラッパーQueen HerawinはTariqの疑い深いが愛も深い恋人、Chubb Rockはマフィアのボス「Mr. Large」を演じた。ポールの古巣であるDe La Soulも出演し、Chris Rockと共にとにかく必死な麻薬中毒者を演じている。

 「このアルバムの制作でやばかったのは、だれも今何が起こっているのかわかっていなかったということだ」とPaulはThe CipherのShawn Setaroに語っている。「誰も全体のストーリーを知らなかった。みんなにはそれぞれの台詞だけを渡して、他の人の分は見せなかった。そして別々に一行ごとに録音したものをあとから編集したんだ」これは1998年、Pro Toolsが広く使われるようになる何年も前のことだ。だからPaulはASR-10、ADATデジタルテープ、MIDIのシークエンスプログラムを用いて音楽や台詞を継ぎ接ぎするという途方もない作業をこなしたのだった。このプロジェクトのビートに関しては、彼は自身のやり方を少し簡素化し、使用するサンプルは1〜2つで、その上にドラムを乗せるという手法をとった。その方が安上がりだったし、ストーリーや役者たちが前面に出てくるのだ。

 2年近くもの作業を経て、『A Prince Among Thieves』は1999年2月にリリースされた。アルバムはストーリーの終わりから始まる。救急救命士が傷を負った主人公を看病している。後ろでサイレンが鳴る中、Tariqの独白によって幕が上がる。スキットに続くのは「Pain」の物悲しいバイオリンの音色だ。Shaもここで登場する。Tariq(Breeze Brewin)がここで暴力や裏切りについて語り、物語の先行きを暗に示唆する。「Steady Slobbin」において彼は母親と暮らす、平凡な負け組として紹介される。Ice Cubeギャングスタの生き様を歌った「Steady Mobbin」のコンセプトを反転させ、この主人公は金欠で母親に叱られることから醜い女性とのセックスで早漏してしまったことまで、様々な「負け」を物語っていく。

 キャラクターをよりわかりやすいものにするため、「Just Another Day」でTariqは彼のずる賢い仲間、Trueとの関係についての背景を説明する。二人は古くからの知り合いである。若かった頃にTrueはTariqにラップの仕方を教えたが、Tariqが彼を追い抜くと彼はラップの夢を諦めたのだった。Tariqはその嫉妬を感じてはいたが、ブラザーの仲を引き裂くようなものだとは思っていなかった。その行き違い、見解の相違が後に登場するマンガのような脇役たちと相まって二人の関係に影を落としていくことになる。当時のポールが持っていた人間の本質に対する懐疑心が物語にも現れていて、Tariqは極めて俗っぽいやり方で1000ドルを手に入れようとするが、その過程でモラルを失っていく。

 (特に当時は)オーセンティシティやリアルさを追求していたこのジャンルにおいて、ポールはそういった決まりごとを喜んで風刺し串刺しにした。Tariqが地下の世界に堕落していくという、ラップの世界で言葉の綾のように繰り返し歌われてきたテーマはここではパロディの材料となっている。銃―のし上がりたいと思うハスラーやポーズをとりたいラッパーには必要不可欠なものだ―を手に入れるためには、彼はKool Keith演じる「Crazy Lou」の隠れ家(合言葉は「浣腸泥棒」だ)を訪ねる必要がある。Kool Keithは実在する武器から想像上のものまで武器を挙げていき、銃の話題をロマンティックに展開していく。そして最後に究極の武器「ドラゴン・プラス」を紹介する(「アルミニウムでできたワニの皮」で覆われた「6フィートのゴリラ」である)。彼が架空の武器庫の話を終える頃には、聞き手はそれが動物なのか機械なのかわからなくなってくるが、それがナンセンスであるということだけはわかる。Paulがスタジオでクスクスと笑っているのが聞こえるようだ。

 そして、誘惑にまつわる寓話がセックス無しで完結するなんてことがありうるだろうか?面白おかしくつくられたラヴ・シーン―勃起を表すビヨーンという効果音まで入っている―はEverlast演じる悪玉NYPD警官によって邪魔される。このキャラクターもまた道化の天才の偉業であり、彼はニューヨークの警官のあらゆるステレオタイプを「ワルいサツがお前の家まで行って / 黒人の家に証拠を植えて回るのさ」「道でお前を撃って / KKKの集会のように十字架にかけて燃やしてやる」といったラインで体現してみせる。しかしEverlastやBig Daddy Kane演じる「Count Macula」はポールのシニカルなストーリーに登場するカメオであるだけではなく、裏切りの担い手でもある。これらのキャラクターは聞き手に世間はお人好しに甘くないということを印象づける。これらはポールの敵、失望、失敗が擬人化されたものである。

 数々のサプライズ、隠された仕掛け、豪華ゲストがあるとはいえ、『A Pricne Among Thieves』という劇の中心はBreeze Brewin演じるTariqである。仕組まれた罠に騙されたとわかり裏切りを悟った時、この愛すべき愚か者はウエスタン風の決戦による復讐(「You Got Shot」)に打って出る。「生きていくのは辛い / お前も一緒なんだろ / お前のこともお前のゲームのことも知ってる / 神よお許しください...」彼の純潔は失われる。クライマックスにおいてTariqが騙されやすいカモから荒んだ復讐の鬼に生まれ変わるのは、ポールが音楽業界で経験したことと鏡写しになっている。でもこの作家は知っている。正しさと勝利を同時に手に入れるなんてことはめったにないということを。