<Bandcamp Album of the Day>Tele Novella, “Merlynn Belle”
「どこへいってしまったの/その行方を誰も知らない」テキサスのサイケ・ポップ・バンド、Tele Novellaの2作目となる『Merlynn Belle』の幕開けで、Natalie Ribbonsはこう歌う。爪弾かれるフラメンコ風のギターとぜんまい仕掛けのおもちゃでえんそうされているかのようなミニマルでぐらつくパーカッションの上で口ずさむように歌う彼女の声はなめらかで情感豊か。それは、喪失の経験そのものというよりも不在という恒久的な存在と、その結果陥ってしまう簡単に抜け落ちてしまったものを取り戻そうとする妄想に関する作品である本作にうってつけである。その曲のコーラスでは「ここにとどまってくれる言葉」とも歌われている。
『Merlynn Belle』を通じて、Tele Novella(今はRibbonsとマルチ奏者のJason Chronisの二人組である)は、もう過ぎ去ってしまったものの形を想起させるために絶妙にディテールの凝った、しばしば映画的とも言えるような想像力を用いている:前は絵がかけられていた壁に残る跡、寺院が「罪人に捧げられていて/蝋燭の明かりに照らされていて」ほしいという願い、シャンデリアから振り落とされてきた水晶を晩餐で食す冷徹な女魔法使いの物語。「この目が人の顔を探しているように、心は物語を追い求めている」と、Ribbonは繊細なバロック・ポップ・バラード “One Little Pearl” で歌い、置いていかれたものを列挙することで物語の輪郭を描き出す:ボンネット帽子、日記、そして古い歯。「小さな真珠/それを牡蠣の自叙伝に添える」Ribbonはこの曲の奪われた結末に置いて、少し声を震わせながら高音域へといきなり舞い上がっていく。
空想の領域というのはTele Novellaにとって未踏のものではない。2人の2016年のデビュー作『House of Souls』はシンボリズムと輝くようなシロフォン、虹のようなシンセ、リヴァーヴが深くかかったボーカルがふんだんに用いられた、奇妙な夢の世界を旅するアトモスフェリックな作品だった。今作でも同じようにティンパニ、ベル・チャイム、そして時折聞こえるファズのかかったエレクトリック・ギターなど奇妙でレトロなサウンドは使われているが、サイケデリックな装飾が本作では優しいパステル・カラーに置き換えられている。一つ一つの楽曲が個別で制作・録音されたというが、入念に作り込まれたインストゥルメンテーションの上で亡霊のようなメロディがゆっくりと前景化していくさまを聴くと、それがこの複雑さと開放感を与えているように感じる。Tele Novellaはさらにその音の絵の具箱の中に、20世紀中盤のカントリー・ウェスタンを少しばかり加えている。それは、姿見のこちら側から壊れた夢の断片をふるいにかけるにはうってつけの愛に満ちたジャンルではあるが、また二人のタロットカードような中世的なものへの強い偏向を、馬小屋で行われるオカルトの儀式やルネッサンス・フェアーをさまようLee Hazlewoodの魂のような、気まぐれな時代錯誤へと変えてしまう要素でもある。
その気まぐれさを抜きにすれば、二人の謎めいたワゴンを意図的により三次元世界へと近づけることによって、Tele Novellaの音楽は、特に感情のひび割れをこちらに見せてくる時などには、心が引き裂けるほどの優しさを持ちうるような人間的な優雅さを獲得している。松明のような ”Desiree” では、RibbonsはFrançoise Hardyの煙たい亡霊を呼び出し、漠然と告白を始める。「私はまだ、それが自分であると信じている/あなたは生きていくために私の元へ戻ってくると/だから何年もドアに鍵は閉めていない」と。その1曲後には彼女は悲しみが結晶化したような泣き声を解き放つ。それはこのバンドの本拠地であるテキサス州の小さな町の荒涼とした丘に響き渡るかのようである。この作品の最後にとどめられた言葉は、魔法は自分の欲望を結晶やろうそくでこの世界に押し付けるものでなくてもいいということを明らかにしてくれる。だって、自分のこのちっぽけな心の回復ほど魔法のような出来事なんてこの世界にないのだから。
By Mariana Timony · February 05, 2021