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Weekly Music Review #14: Lyric Jones『Closer Than They Appear』

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Lyric Jonesの「Closer Than They Appear」をApple Musicで

Closer Than They Appear - Album by Lyric Jones | Spotify

 今年はメインストリームのみならず、アンダーグラウンドで硬派なヒップホップ界隈でも女性ラッパー(非男性ラッパーと言ったほうがいいかもしれない)の快作が続いている。Che NoirとプロデューサーのApollo Brownが組んだ『As God Intended』、ベテランながらもRhymesayer移籍後初ということで気合が入っていたSa-Roc『The Sharecropper's Daughter』、そしてGriselda RecordsからデビューしたArmani Caesar『THE LIZ』。さらには今年のXXL Freshmen Classに選出されたCHIKA、そしてBLM関連楽曲に多く参加しているRapsodyなど、BLM運動でも女性/トランス・ジェンダーの活動家に大きな注目が集まっている中、非男性ラッパーの力強いメッセージが多く世に出ているのはある種の必然であり、そもそも男性が大多数を占めていたシーンが「正常化」しただけとも言える。

 そんな中で次なる大躍進を果たそうとしているのが、ボストン生まれ、カリフォルニアを拠点とするラッパー=Lyric Jonesだ。2012年より活動を開始し、これまでに複数枚のアルバムをリリースしているが、何故か今回のアルバム『Closer Than They Appear』はPitchforkを始めとする多くのメディアに取り上げられ、彼女にとっての出世作となりそうだ。

 9th Wonder(はすでに脱退しているが)擁するカリフォルニアのヒップホップ・デュオ=Little Brothersの片割れであり、別プロジェクトであるThe Foreign ExchangeではR&B色の強い音楽をやっているラッパー/シンガー=Phonteがこの作品のエグゼクティヴ・プロデューサーを務めている。19年の『Ga$ Money』ではClear Soul Forcesなどへビート提供しているデトロイトのNamelessとタッグを組み、どちらかといえば無骨なヒップホップ・ビートに乗ってラップしていたが、本作ではPhonteの尽力もあってかメロウで温かみのあるビートが多い。Jones本人もPhonteの音楽のファンだったようで、彼女もラップと歌の両方行ける両刀使いである。アルバムの最後を飾る “Waitaminit” ではほぼ全編に渡ってその甘い歌声を披露している。

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しかし彼女の本分はやはり、MCネームにもある通り言葉遊びに長けたそのリリックである。特にラッパーの楽曲や名前をもじったワードプレイが随所に現れる。

The tragedy is back to back
Hit us more than Aubrey stats
(悲劇が次から次へとやってくる
Aubreyよりも高い頻度で)
"Face To Face"

AuberyはDrakeの本名で、DrakeがMeek Millとのビーフの中で出したディス曲の中に “Back to Back” という曲がある。このビーフではDrakeが執拗に楽曲を返しまくっていたのだが、それよりも高い頻度で私達に悲劇が訪れるという嘆きになっている。

2020 feels heavy, singing D scales
I’m Lyte as a rock, this audio two/too detailed
(2020年はヘヴィだ、Dのスケールで歌っている
私は石のように軽く、この音声は細部まで描き込まれている)
“Rock On”

Heavy D、MC Lyte(と彼女のアルバム『Lyte As A Rock』)、そしてAudio Twoという3組のヒップホップ・アーティストをリリックの中にさっと挟み込んでいる。この曲では曲名にちなんでその後もCoke La Rock、T La Rock、Pete Rockというラッパーの名前も織り込んでいる。このラインナップ、かなり渋い。よほど好きじゃないとリリックに入れようとはならないメンツ(ちなみにこの “Rock On” の90's感あふれるもこもことしたビートをプロデュースしているのは、日本ではPUNPEEとISSUGIの名曲 “Pride” も手掛けているNottz)。

ちなみにこういう謎解きもGeniusというリリック情報サイト上でJones自身が嬉々として自分で解説している。こういう辺りもかなりヘッズ、というよりはギークっぽい。

こういった文字上の楽しみ方だけではなく、彼女のラップは耳でもしっかりと楽しめる。特にPhonteとBig PoohのLittle Brothersの二人が参加した “Cruisin'” は、そのタイトルどおり車で流しながら聴くにはピッタリの、高速道路から眺める夕日が閉じ込められたような極上の1曲。Phonteのエグゼクティヴ・プロデュースによる力なのか、とにかく今作はトラックの質がおしなべて高い!

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しかし残念ながら今作のピークはこの曲で、あえて冷静な書き方をすれば数多ある「よくできたヒップホップ作品」の一つに過ぎない、とも言える。9曲22分という長さもあってなんだか食い足りない印象は否めない(そもそもアルバムではなくEPなのかもしれない)。

アルバムタイトルの『Closer Than They Appear』というのは、アメリカの自動車のサイドミラーに書かれているフレーズ “Objects in Mirror Are Closer Than They Appear(=鏡に写っているものは見かけよりももっと近くにあります)” から撮っている。彼女はそこに成功に近づいている自分を感じ取ったそうだ。確かにこの作品で聴ける彼女の才能には疑いの余地がない。だが、これが彼女のポテンシャルの全てであるようには思えない。もう一段使っていないギアを開放すれば、成功なんてすぐに追いついて追い越せるだけの能力が彼女にはある。次の作品、期待して待ってます!