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<Pitchfork Sunday Review和訳>Spice Girls: Spice

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Spice Girls: Spice Album Review | Pitchfork

点数:6.8/10
評者:Aimee Cliff

Spice Girlsのデビューがもたらした小奇麗なポップ、英国ナショナリズム、商業的ガール・パワー

1997年の熱狂に満ちたテレビ・インタビューにおいて、当時世界的名声の頂点にいたSpice Girlsは大仰に笑い、互いの腕を叩きあっていた。彼女たちはまるで磁石のようなエネルギーをまとい、半分はインタヴュワ―の質問に答え、半分は共謀してうちわの会話を繰り広げていた。司会者がメディアへの露出が過剰飽和になっているのではと質問すると、Geri Halliwellはこう答えた:「これを過剰露出とか、単なるマスメディアの注目だとして片付けたいのなら、社会ってそういうものでしょって思う。もしストロベリーアイスクリームが大好きなら、山ほど食べるでしょ」と。

 Spice Girlsは1996年6月のデビュー・シングル「Wannabe」で突如姿を表した―しかも見たところ完全な姿で。このシングルは今でもイギリスにおいて全員が女性のグループによってリリースされたシングルの中で最大の売上を誇っている。ワンテイクで撮られた、高級なロンドンのホテルで大騒ぎをするビデオも有名なこの曲は、馬鹿げたドラムトラックと「zig-ah-zig ahh」というでっち上げのリフレインを伴った、挑発的な一曲だった。しかしこれは野火のように広がっていったのである。

 その後もナンバーワンヒットを続けたのち、早くも9月にはデビュー・アルバム『Spice』をリリースし、最初の2週だけで200万枚を売り上げ、27の国でマルチ・プラチナムを獲得した。この数字は現代のブロックバスター大作を相対的に小さくしてしまっただけではなく、ポップでの成功の新たなモデルを提示した。彼女たちは「全て女性のポップ・グループは売れない」という神話を払い除けた。彼女たちはミュージシャンとブランドのパートナーシップの先駆者となった。彼女たちは特に子どもたちを対象にして音楽やビデオを制作した―『Melody Maker』誌は「ティーン向けポップ・アクト」の烙印を押した。そして彼女たちはアジアで初めて音楽活動を行った。彼女たちは世界進出を常に目指していたのだ。

 Spice Girlsは彼女たちのマネージャー、Simon Fullerによるマスタープランの産物である、というのが一般的な認識である。しかし、そのマスタープランがことごとく失敗したことによる結果である、というのがより正確である。実はグループ自体もFullerではなくタレント・マネジメント代理店、BobとChrisのHerbert親子によるHeart Managementによって結成されたものである。1994年、ショウビズ雑誌『The Stage』に「全員女性のポップ・アクトを結成するため、ストリートワイズで、社交的で、熱意があって献身的な」23歳以下の女性を求める広告を出したのは彼らだったのだ。熾烈なオーディションを経て、数百人の応募者はHalliwell、Emma Bunton、Melanie Chisholm、Melanie Brown、Victoria Adamsに絞られた。後にイギリスのプレスは彼女たちをGinger、Baby、Sporty、Scary、Poshと名付けた。

 不幸なことに、Herbert親子は優れ「すぎた」人たちを選んだために、この5人の女性たち(18〜22歳)は彼女たちのマネジメントよりも大きな野望を持っていることが明らかとなった。Daivd Sinclarによるこのグループの目まぐるしい伝記『Wannabe』にの中で、彼は彼女たちがはたらいたある強盗のストーリーを書いている。長期化する準備期間と、Heart Managementが契約を結んでくれないことに業を煮やしたGeri、Mel C、Mel Bはオフィスに乗り込み、それまでに制作したデモのマスター音源(「Wannabe」を含む)を奪い、外で待っていたSpice Girlsの残りのメンバーと共に車で北へと逃亡した。

 そこから五人はソングライターとのセッションを自らブッキングし、Fullerと新たなマネジメント契約の交渉に入った。Fullerがその後の成功に不可欠だったのは間違いない:彼はUKやLAでメジャーレーベルのオーディションを受けるのを手助けし、最終的にVirginと契約をした。『Spice』は1996年のはじめ、「Wannabe」がリリースされるずっと前には完成し、彼女たちはデビューに際して100%の時間と労力をプロモーションに割けることになった。

 ヴァイラル・ヒットがレコード会社との契約に先立つことが多い今日の音楽業界では、名前が知られる前にデビュー・アルバムをまるまるレコーディングできるという特権は想像し難い。しかし、『Spice』をこういうやり方で作ったということは、「Wannabe」が世界的ヒットになるときにはすでに、多くのポップ・ソングが準備万端で用意されているということになる。この作品は広くふたつのモードに分けることができる:そのバックボーンにあるのは、「Wannabe」や「Say You'll Be There」のような賑やかで、アティテュードにあふれていて、ノーザン・ソウルのスタイルを纏った楽曲や「Who Do You Think You Are」のような衝動的なディスコチューンである。そしてもう一つの側面は「Mama」や「2 Become 1」、「Naked」のようなエッジの柔らかい、R&Bの影響下にあるバラードである。

 アルバムは最新の注意を払って作られたポップ商品で、ヒット間違い無しの楽曲が並び、どんな好みにも会うように色んなジャンルが模倣されていた。しかしそのギミックは彼女たちが好かれる理由でもある、「とりあえずやってみよう」という気風を表してもいた。五人の女性がグループにいて、作曲のクレジットと歌割りを均等にシェアするというのは、1996年当時のイギリスのポップ界において新しいコンセプトだった。Spice Girlsはみんなが彼女たちの一部であると感じさせることが目的であり、たとえそれが「Last Time Lover」のGeriのコケティッシュな偽アメリカ英語による奇妙なラップや、センチメンタルな「Mama」における微かに音域から外れた薄っぺらいヴァースという結果になろうともそれは変わらなかった。

 Spice Girlsの楽曲をレヴューするというのは、ペプシコーラの缶のレビューをしようとするようなものだ。海を挟んで片方ではOasisが、もう片方ではAlanis Morrisetteが席巻していた時代において、「オーセンティックなシンガー・ソングライター」というのが当時の支配的なアーキタイプだった。それに比べると、「Wannabe」なんかは恐ろしいほどに磨き上げられた商品である。そして自身のアイデンティティから切り離され言語に包摂され、極度にユビキタス化したブランドのように、Spice Girlは成功を納めれば収めるほど、真剣に捉えられることがなくなっていった(『Rolling Stone』誌は『Spice』について、ライオット・ガール運動を商業化したことと、彼女たちの歌詞「に比べればAlanis MorissetteのそれはPatti Smithに見えてくる」として徹底的にこき下ろした)。しかし『Spice』はいい意味で洗練されていないといえる。たとえ誰も彼女たちの音楽を真剣に捉えていないとしても、彼女たちは真剣だった。オートチューンの登場は後2年待たなければならななかった(Cher「Believe」まで)当時、彼女たちは誰ひとりとして訓練を受けたミュージシャンではなかったが何時間もブースにこもりテイクを成功させようと試みた。まさに「Wannabe」のビデオでHalliwellが巨大なヒールを履いてよろめいているように、このアルバムのボーカルは緊張と緩和を振り子のように行き来する。

 『Spice』にはバカバカしくアマチュアな瞬間があるが、少なくともそれは彼女たちが表現の正統性それ自体に疑問を投げかけるということの証明である。彼女たちが『Spice』のすべての曲の作曲にクレジットされているのは単に印税をもらうためのずる賢い方策などではなく、Stannard & RoweとAbsoluteという作品の大半に携わった2大プロダクション・チームと密接に関わりながら制作を行ったからである。Absoluteの片割れ、Andy WatkinsはSinclairに語った:「彼女たちは誰ひとりとしてミュージシャンではなかった・・・しかし当時の彼女たちはとにかく必死だった。自分たちの弱点も知っていた。その気迫といったら信じられないほどだった」

 このことは、このグループを音楽のことなんか二の次の「製品」だとしたプレスや世間の見方とは異なる(1997年の『Guardian』誌による彼女たちのセカンドのレヴューはこう始まる:「Spice Girlsがガール・パワーだとか、ましてや音楽というものに資していると考えるほどおめでたい人がいたら・・・」)。インターネット黎明期にあって、憎悪に満ちたシュールレアリスト達によるウェブページが乱立し、彼女たちを(『Miami New Times』紙風に言えば)「才能のない雇われたち」であると非難した。そのような非難にもかかわらず、プロダクションの中には奇妙なマジックによるリアルな瞬間もある:最も有名なところではGファンク風「Say You'll Be There」で背後に聴こえるカクテルパーティー効果、「Who Do You Think You Are」のシンセの甲高い音色、そして「If U Can't Dance」のDigital Undergroundのサンプルなど。しかし作品の中心はあくまでも容赦ないほどの楽観主義と、五人の声のつよい友情である。これは親友と一緒にカラオケで歌うためにデザインされたアルバムであるといってもよい:バカバカしく、覚えやすい「swing it, shake it, move it, make it」というチャントが、ロマンティックな愛なんかは最高の伴侶を持つことと比べると無に等しいという叫びと並べられている。

 この楽観主義は当時のイギリスにおいて文化的な氷山の一角であった。それは、D:reamの「Things Can Only Get Better」をサウンドトラックにしてトニー・ブレアダウニング街にはいってくる前の年に当たる。ブレアは左派の労働党をほとんど20年ぶりの勝利に導き、それは英国の久々の政治的希望を体現していた。時を同じくしてOasisBlurが音楽市場で世界的な成功を収め、『Newsweek』誌は90年代中盤のこの時代を「クール・ブリタニカ」と名付けた。それは1997年、BRITアワードでHalliwellがユニオン・ジャックのドレスを纏ってパフォーマンスした時、ポップの歴史にしっかりと刻印された。1996年の『The Independent』誌にEmma ForrestはSpice Girlsは「トーリー党による17年に渡る支配の後だったからこそ出てこれた・・・メッセージは『自力で進むこと。そしてそうすることで周囲の人間を勇気づけること』。Spice Girlsは新しい労働党である」と書いた。

 Spice Girls本人たちはこのアナロジーに賛同していない。『Spice』リリース語間もなく行われた右派の雑誌『Spectator』との悪名高いインタヴューの中で、保守派の元首相であり、悪の化身であるマーガレット・サッチャーについて聞かれると、まずGingerが堂々と「私達Spice Girlsは真のサッチャリズムの支持者である」と宣言。Poshも「トニー・ブレアとも会ったけど・・・彼の髪の毛は問題ない。でも税制については意見が違う」と加わった(Spice Girlsが当時トーリー党派だったことについては多く語られているが、このインタヴューでBabyが発言したのは保守の大物であるSir James Goldsmithについて「誰?」と言ったことだけということと、Sportyは他のインタヴューで「サッチャーは全くサイテーなやつだと思う」と発言していることは触れておくべきだろう)。

 Spice Girlは、英国人であることを誇ることが―少なくともメインストリームなカルチャーにおいては―クールであった時代の象徴である。このことを今思うと少しむず痒い思いがする。というのも彼女たちが(Posh抜きで)リユニオン・ツアーを行ったのは、イギリスが21世紀に入ってから直面した最大の政治的危機を迎えたのと同じ年だったからだ。保守党が公共事業を削減するための残酷なまでの緊縮を行うようになって10年が経つが、今我々はこのうえさらにEU離脱がこの国の経済にさらなる打撃を加えるのではないかという懸念と共に暮らしている。ポップ・カルチャーの世界では、90年代と比べても体制側に対して痛烈なアプローチを取るスターが増えている。ノーサンプトンのラッパーslowthaiはデビュー・アルバム『Nothing Great About Britain』をリリースし、StormzyはあのHalliwellのドレスの事件以来最も衝撃的なBRITでのパフォーマンスを行った。グレンフェル・タワー火災の生存者に対する支援がド派手に失敗したのは何故なのかを、首相であるテリーザ・メイに問うたのだ。

 分断と悲観が広まる現在の英国においてはSpice Girlsナショナリスト的傾向はやりすぎにように見えるが、それでも彼女たちの成功の裏にはそういった社会的流動性があったように思われる。ラップやグライム以外では、UKのメインストリームな音楽業界で私立学校やブリット・スクールの出身ではない新人アーティストを見つけることが非常に難しい。詩人であり小説家であったKathy Ackerが1997年、『Guadian』誌でSpice Girlsをインタヴューした際に述べたように、「Spice Girlsや彼女たちのような女の子たち、そして彼女たちを好きな女の子たちは、2つの点でアメリカの女の子たちと似ている:彼女たちは性的なものに興味があり間違いなくセックス肯定派であると同時に、いい大学に行ってないからという理由で自分たちが馬鹿だと思ったり自分たちの声が無視されてもいいとは思っていない」。

 ハイブラウとロウブラウの間の文化的分断が今よりもずっとくっきりとしていた当時にあって、このような称賛は貴重であった。今日の批評の場では、我々はさらに女性ポップ・ソングライターの影響力を認識する方向に進んでおり、インターネットのメルティング・ポットの中では傑作と共にミームが会話をしている。Spice Girlsを作り上げたような騒々しく無礼な労働階級の若い女性たちの衰退はそのスノッブさにあったことを我々は認識するだろう。彼女たちの「ガール・パワー」というブランドは軽薄なフェミニズムに根ざしていたが、『Spice』が大胆な業績であることに変わりはない。「Wannabe」のヴィデオのように、この作品は5人の招かれざる女性たちを体制側にに忍び込ませ、短いながらもシュールなカオスを引き起こしたのだ。