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<Pitchfork Review和訳>Pacific Breeze: Japanese City Pop, AOR & Boogie 1976-1986

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Various Artists: Pacific Breeze: Japanese City Pop, AOR & Boogie 1976-1986 Album Review | Pitchfork

点数:8.0
評者:Jillian Mapes

日本の技術的な好景気の絶頂期の、スムースでファンキー、そして時にとても奇妙な楽曲たちを収めたこのコンピレーションは、シティ・ポップというジャンルへの包括的な、それでいて曖昧なイントロダクションである

YouTubeのおすすめやRedditのスレッド以外で、アメリカのリスナーが、このシティ・ポップという名の、定義があるようでない日本の音楽ジャンルと出会う方法は、奇妙なほどにオールド・スクールなままである:すなわち、日本のレコード・ストアに聖地巡礼をすること、である。CDが未だに覇権を握っている日本という国では、タワーレコードの試聴機を見ることができる―そしてそれはまた、山下達郎『FOR YOU』、大滝詠一『ロング・バケイション』、竹内まりや『VARIETY』、大貫妙子『SUNSHOWER』といった70年代後期〜80年代初期にかけてのシティ・ポップ・クラシックへと西洋の訪問者を惹きつけている。日本語で歌われているものが大半だが、シティ・ポップは当時のアメリカの音楽から、さまざまな「スムースさ」―AORやヨット・ロックからブギー、ジャズ・フュージョンまで―を引き出している。そしてそれらの要素を几帳面な演奏と半ば偏執狂的ともいえる光沢を持ったプロダクションで結びつけてみせる。アメリカ人としてシティ・ポップを好きになるということは、自分たちの文化のダサさが違う文化では磨き上げられ、再解釈されているという面白さを発見するということだ。

 フォーク・バンドVetiverのフロントマンで、この『Pacific Breeze: Japanese City Pop, AOR & Boogie 1976-1986』のキュレーターでもあるAndy Cabicは2000年代中盤、東京に無数にあるタワーレコードの店舗の一つにある試聴機でこのシティ・ポップに初めて出会った。それから15年ほどだたった今、この音楽のスタイルの旬が訪れているように見える。米国での公式なリリースは多くないものの、この動きはオンラインで広まり、インターネット上で生まれたヴェイパーウェイヴというジャンルを生み出すきっかけとなった。名前も顔もジャンルも持たないこの「雰囲気」のミューザクがオンラインで増殖するのを見るにつけ、シティ・ポップがその震源であるのかもしれない。しかしこの『Pacific Breeze』で聴くことのできるシティ・ポップは、エギゾチカへの介入や最先端の電子機器を用いた、より実験的な側面にも光を当てている。

 細野晴臣シティ・ポップの主たる守護神と位置づけるこのコンピレーションの方針は、そのことと一部関係している。収録曲の多くに、この日本のポップ音楽界の「変わり続ける巨人」が参加しているか、もしくは何らかの形で結びついている。参加ミュージシャンがティン・パン・アレイのメンバーだったり、後にイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)に加入する、といった形で。母国語でのフォーク・ロックの草分けであるはっぴいえんどから初期のサンプリング技術を使用した前衛的な冒険に至るまで、細野はアーカイヴ・レーベルであるLight in the Atticの大きな関心の的でもある

 そんな細野のキャリア後期に生まれたのがこの『Pacific Breeze』のベスト・トラック、身悶えするようなシンセ・ポップ「スポーツマン」である。もともとは細野がYMOの成功後初めて出した1982年のソロアルバム『フィルハーモニー』に収録されているこの楽曲は、なんだかフルートのようなサンプルの陽気なループに乗せて、自分がスポーティで魅力的な人間ではないことへの冷笑的な不安が込められている。これはこの『Pacific Breeze』においてシティ・ポップのファンタジーに入った亀裂―このジャンルに関係する暗黒面、つまり東京の中流階級―が露呈する瞬間である。日本が戦後の工業化の産物として技術的な好景気を迎え経済大国となっていく中で、シティ・ポップは裕福な都会に住む若者のサウンドトラックとして出現した。ある意味では、この音楽はその当時新しかったカセット・カーステレオやウォークマンのために設計されたものであった。素朴な録音は通り過ぎる高層ビルのネオンの雰囲気を湛えている。

 日本で急速に増加した有閑階級の人々はウェスト・コースト・アメリカ音楽だけではなく、曖昧でアメリカナイズされたトロピカル・サウンドも好んで聴くようになった。鈴木茂によるエレガントながらも間抜けな「Lady Pink Panther」では、そのようなエキゾチカのパイオニア、Martin Dennyの影響もかすかながら聴くことができる。彼の音楽は第二次世界大戦後の日本で、米軍のラジオ局を通して日本で広まった。サビだけでも英語で歌いたいという欲求が曲に少しノベルティな雰囲気を与えてしまうような瞬間こそが、この『Pacific Breeze』がその対象とするリスナーたちに強調したいことなのである。この16曲入りのコンピレーションに収録されている曲の大半が部分的に英語を使用しており、多種多様な楽器が使用されている。それによって少しいびつなシティ・ポップの概略が提示されている。

 このような視点から見ると、このスタイルの音楽が体現している「日本のDoobie Brothers」のような雰囲気ではなく、より「奇妙な」楽曲にも光が当てられる。細野、高橋幸宏佐藤博(佐藤が細野の誘いを断らなければこの三人がYMOとなるはずであった)によるシンセが際立っている「ミコノスの花嫁」は、文化交流の残響をより一歩推し進めた:この作品はCBSソニーによる海外のある特定の場所に焦点を当てたシリーズ、サウンド・イメージ・シリーズの一環として制作されたものである。この一つの曲の中には、アメリカのポップ・ミュージックや日本の技術革新の痕跡や、そしてギリシャ半島と宇宙の果ての両方からのインスピレーションをみとめることができる。

 『Pacific Breeze』は細野のキャリア中期、そしてシティ・ポップという音楽全体についての広範かつ曖昧なイントロダクションとしてとても良く機能している。この、魅力的で先見の明がある音楽のスタイルにアクセスすることはそれだけであなたの心の隙間を埋め、時にシュールな歓びを喚起するだろう。甘い歌声の佐藤奈々子による「サブタレニアン二人ぼっち」の始まりを聞けば、まるでクイズ番組『ザ・プライス・イズ・ライト』において次の参加者として呼ばれたような気持ちになるかもしれない。過小評価されてきたシティ・ポップのアイコン、吉田美奈子による「Midnight Driver」はChic、The Isley Brothers、そしてメガドライブのゲーム『トージャム&アール』のサントラをごちゃまぜにしたような曲で、7分半もの間素晴らしいジャムを聞かせてくれる。未来の音楽のようであり過去のもののようであり、日本的でありアメリカ風であり、流動的な文化の変化でもあり、あまりに輝きすぎて本物ではない何かの空想のようにも聞こえる。