海外音楽評論・論文紹介

音楽に関するレビューや学術論文の和訳、紹介をするブログです。

<Pitchfork Sunday Review和訳>T. Rex: The Slider

f:id:curefortheitch:20190407195713p:plain

T. Rex: The Slider Album Review | Pitchfork

点数:9.5/10
評者:Andy Beta

マーク・ボランのキャリアの絶頂にして、贅沢で完璧とも言うべき傑作『The Slider』

969年、マーク・ボランは『The Warlock of Love』と題した詩集を出版した。その頃には、マーク・フェルドとして生まれたこの男はすでにモッズ・ロック・バンド、John's Childrenのギタリストとして活動した経歴を持ち(わずか4ヶ月ではあるが)、その後フォーク・ロック・デュオ、Tysrannosaurus Rexへと注力を注いでいた。ボンゴ奏者のスティーヴ・ペレグリン・トゥックと共に、このグループは『My People Were Fair and Had Sky in Their Hair... But Now They're Content to Wear Stars on Their Brows(邦題:ティラノザウルス・レックス登場!!)』や『Unicorn』といったタイトルのアルバムをリリースした。ボランはだいたいステージ上で足を組んで座り、アコースティック・ギターを掻き鳴らし、後にプロデューサーのトニー・ヴィスコンティが彼をイギリス人ではなくフランス人であると思いこんでしまうほど激しい情動を声に込めて歌った。これらの努力も虚しく、彼がスターになることはなかった。しかしその詩集の最後の行に書いてあったことは、その後起こることを予見していたように読める:「かつて固く凍った水があったこの場所に/爬虫類の王、ティラノザウルス・レックスが立ち上がる/生まれ変わり、踊るのだ」

 そのまさに翌年、Tyrannosaurus Rexは生まれ変わった。T. Rexとしての最初のシングルで、ボランは立ち上がり、レスポールをプラグ・インし、ミッキー・フィンをトゥックと交替し、発音もはっきりと、落ち着いて歌うようになった。手拍子と、堂々と歩く闘鶏のようなギター・リックに後押しされ、「Ride a White Swan」は英国チャートで2位にまで上り詰めた。T. Rexは踊っていた。おかげで『The Warlock of Love』は4万部を売り上げ、ボランは売れっ子の詩人となった。

 T. Rexのセカンドシングル「Hot Love」が1位を獲得した頃、「Tops of the Tops」での演奏の前にボランは頬骨にグリッターを塗ることにした。サイモン・レイノルズが著書『Shock and Awe: Glam Rock and Its Legacy』で振り返っているとおり、そのパフォーマンスこそが「グラム・ロックの爆発を点火させた火花であり」、サイモンは「マーク・ボランの外見とサウンドに心が揺さぶられた。電気ショックでちぢれたような髪、ラメできらめく頬・・・マークはまるで全く別の世界からやってきた将軍のように見えた」と告白している。1971年の『Electric Warrior』はチャートで1位を獲得し、「Bang a Gong (Get It On)」がトップ10入りを果たしていたアメリカの地に乗り込む準備が整った。約2年間にわたる輝かしい年月の間、イギリスは音楽雑誌の呼ぶところの「T. Rextasy」状態に陥った。

 この変身は、どんなマジックを用いて達成されたのだろうか?諸説あるが、この写真がひとつヒントを与えてくれる。ボランはチャック・ベリーのTシャツを着ているが、フィンのシャツにはこうある:「コカインを楽しもう」。目もくらむほど大昔のロックンロール時代ほどにまでサウンドを削ぎ落とし、コカインの神経への刺激を愉しみながら、T. Rexはいきなり「ビートルマニア」以来の熱狂をもたらしたのだ。ヴィスコンティはボランの天才性を、彼がビートルズの影響を完全にスキップし、代わりに50年代に回帰する点に見出している:「彼はエルヴィス、リトル・リチャード、チャック・ベリーバディ・ホリーなんかを参考にしていたんだけど、それが彼の妙というか。そこが独創的だった」。

 1972年の3月にレコーディングが行われ、7月にリリースされた『The Slider』は、T. Rextasyの絶頂であると同時に、すぐそこにまで迫ったその次代の終焉をも暗示していた。フランスの打ち捨てられた城でレコーディングされたこの作品には、「グラムの王」としてのマーク・ボランの最盛期が克明に記録されている。1976年のナディア・コマネチ、80年代のプリンス、スヌーカーをするロニー・オサリバンみたいなものだ。T. Rexはその期間の間、なにか間違えることもできたのだ。

 だから、『The Slider』の一つ一つの手首の動き、一つ一つのダウンストロークには神が宿っている。ボランのノートに書き殴られた一行一行が、深遠なる神からの御宣託となった。そして、それが完璧なポップだろうが荒削りなものであろうが、すべてのカットがヴィスコンティによって綿菓子の中に巻き取られていく。そしてマーク・ヴォルマンとハワード・ケイラン(Flo & Eddieとしても知られる)によるバッキングボーカルは、鼻にかかった声がハーモニーとなり、新たな高みへと到達している。『The Slider』は自信にあふれるばかりにボランの自尊心で酩酊し、うわ言を言っているかのようで、低俗で勢いのあるリトル・リチャード風「ラッ・バッ・ブーン」や奇妙なマチズモ・ロック、霊妙なアコースティック・バラードなどを行き来し、ボランの歌詞は一行おきに深遠さと馬鹿馬鹿しさ、憂鬱とナンセンスを行き来するのだ。

 「Metal Guru」の爆発的なギターと、ボランの感傷的な「Mwah-ahah-yeeeah」という叫び声でアルバムの幕が上がる。これはイントロダクションであり、お祝いの掛け声であり、ヴィクトリー・ラップである。やがてヴァースは奇妙な地形の上をウロウロと回り道することになる:シュールレアリズム的な家具(「甲冑でできた椅子」)、ロックンロールで使い古されたクリシェ(「ぼくのベイビーを連れてきてくれよ」)、早口言葉(「just like a silver-studded sabre-tooth dream」)。膨大な量の無意味さである。

 ジョン・キーツバイロン、パーシー・ビッシュシェリーなどの同郷の詩人や、J・R・R・トールキンルイス・キャロルのような空想的な作家たちにインスパイアされ、ボランはキャリアの最初期から奇妙で、掴みどころのない単語を組み合わせるやり方を見つけていた。ボランが無名なヒッピー・フォークのアンダーグラウンドからメインストリームなポップスターに成り上がり、妖精の代わりに自動車を使うようになっても、彼は自身の歌詞のムードを変えなかった。70年代がはじまり、ロックとポップの間のギャップが広がりだしたこの時期、ボランはジャンルの間の境界線をぼかそうとしていた。もはや捨て曲が多く入ったフル・レンス・アルバムでは満足できず、代わりに45回転シングルの簡潔さを好んでいたT. Rexの最良の曲たちは、まるでハード・キャンディーのような衝撃を聴くものに与えた。噛みごたえがあって、口が溶けるほどに甘くて、ちょっと現実のものとは思えない感じがするのだ。

 それでも、彼は自分のルーツであるフォークを捨てはしなかった。「Mystic Lady」は甘く、繊細なアコースティック・ナンバーで、麻で身を包んだ魔女に捧げられた一極である。かき鳴らされるアコースティック・ギターヴィスコンティによるロマンティックなストリングスが一筋の風を吹かせる。ある一節には、クリシェと衝撃的なシュールレアリズムが並んでいる:「ぼくの心を苦しみで満たして/ぼくのつま先を雨で浸して」ボランの食いしばったような神経質な声が、その直感的な感覚を引き出している。

 70年代のヴィスコンティはのちにボウイやシン・リジーのようなアイコニックなアルバムをプロデュースすることになるのだが、このアルバムですでに彼の黄金のようなタッチが聴こえてくる。3分間のどんちゃん騒ぎのような「Rock On」では、彼はブギウギ・ピアノ、オーバードライブ・ギター、跳ねるようなスネア、Flo & Eddieの輝かしくグロテスクなハーモニー、フェイザーフランジャーをかけたサックスを一緒くたに織り込み、星屑の筋を作り上げる。

 『The Slider』の中でも弱い曲たち―「Baby Boomerang」や「Baby Strange」はタイトルが示すとおり幼稚である―でさえ、ヴィスコンティの手によって昇格されている。「Rabbit Fighter」のストリングス・セクションは、その熱い空気感によって何よりも力強いアンセムを作り出している。同様に印象的なのは「Spaceball Ricochet」のような残り物のような曲が完全に換情的になっている点である。「Ah ah ah/Do the spaceball」という歌詞は書かれたときにはなんの役割も意味もなしていなかったが、格式高いチェロと、ボランの息継ぎとFlo & Eddieの奇妙な伴奏によって、この無意味な散文はアルバムの中でも一、二を争う神秘的な瞬間を作り出している。

 「Chariot Choogle」は(A面の「Buick Mackane」もそうだが)ヘヴィなギターと酩酊感のポリマーである。ラグビー選手の吠える声のような粗暴な歌詞の中にも甘美な部分がある:「ガール、君はグルーヴだ/君が踊る時、それはまるで天体のようだ」。これはT. Rexというバンドがブルース・ロックの超男性的な側面を背負いつつ、それを軽いタッチの、両性具有的なものに置き換えてしまったことを明らかにしている。レイノルズはそれを「コック(男性器の意)・ロックがコケティッシュ・ロックになった」瞬間だと語っている。12バー・ブルースのタイトルトラックでの、ボランの「そして俺は悲しい時、滑り落ちていく」という告白はフェイザーのかかったストリングスやボーカル、シェイカーやシューという摩擦音も相まって、めまいのような、ASMRのような感覚を誘発している。他の場所ではボランはスライダーというのは「セクシャルなグライダー」だと歌っているが、アルバムのプロモ用の広告では「生きるべきか、死ぬべきか、それがスライダーだ」と問いかける。何度も聞き返したが、私にはこのタイトル名詞、あるいは動詞が何を意味しているのかわかっていないことを告白する。

 今考えると、ボランがそこまでうぬぼれている状態というのは想像し難いのだが、イギリスにおいてT. Rexという名前がビートルズストーンズといったバンドと同じくらいの意味合いを持っていた時代というのがあったのだ。実際には会ったこともないボブ・ディランを「ボビー」と呼びアルバムの中で何度も言及するなんていうことができる人物が彼以外にいるだろうか?彼の虚栄心の塊にような映画『Born To Boogie』をビートルズのメンバーに取らせることができる人物が?同じステージ上でエルトン・ジョンを食っちゃう事のできる人物が?そして友でありライバルでもあるデイヴィッド・ボウイが『Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』でやっとチャート・インを果たした時、ボランはトップ30に3枚ものアルバムをチャートインさせていたのである。

 しかし、最後に笑ったのはボウイだった。Melody Maker誌やNew Musical Express誌の読者投稿欄ではボランが好きか嫌いかで戦争が行われていたが、『The Slider』は首位を逃し4位にランクイン。彼の支配は終焉を迎えたのである。彼はあと2つヒットを放ったが、どちらも1位に輝くことはなかった。1973年という年は、ボランが人生において最後にトップ10に曲を送り込んだ年となった。イカロスよろしく、崖から飛び降りたのだった。

 バンド名とのヴォルマンは「彼はロックスターの中でも最も巨大なエゴの持ち主だった。彼の中ではマーク・ボランよりもすごい人なんていないんだ」と語る。「Hot Love」Flo & Eddieのファルセットのコーラスがボランに最初の成功の味を教えたことは偶然ではないように思える。しかしFlo & Eddieはボランのナルシシズムに嫌気を指したのも最初であり、次作『Tanx』の前にバンドを脱退している。ドラマーのビル・レジェンドがそれに続き、ヴィスコンティは『Zinc Alloy and the Hidden Riders of Tomorrow』のあと、あっさりとプロダクションの責任から開放されてしまった。その年のうちにミッキー・フィンも去ってしまった。マーク・ボランが交通事故でなくなった1977年には、彼はすでにボウイの存在によってかき消されてしまっていたのだ。

 しかし、『The Slider』のジャケット写真を一目見るだけで、ボランの残したレガシーは今日も息づいているということがわかる。ある者はそこにスラッシュのアイコニックな外見の元祖を見るだろう。小柄なボランがキラキラ光るハイヒール・ブーツを履いてステージ上を両性具有の妖精のように歩いているのを見れば、そこには同じく小柄で実際にも大きく見えるプリンスのようなロックスターが参考にしたことが見てとれる。21世紀に入り、ロックバンドが過剰な装飾を削ぎ落としても、ボランのDNAはザ・ホワイト・ストライプスブラック・キーズといったアーティストの中で芽吹いている。ギターがなくたって、ミレニアム世代のダンスプロデューサーたちも目指すところは同じで、SuperpitcherやMichael MayerMatthew Dearといった後進たちが、キラキラと光るグラムに立ち返っている。

 イギリスにおけるグラムの誕生を請け負いつつも、レイノルズはT. Rexはロック・レガシーにしては「気まぐれすぎる」と主張する。『Ziggy Stardust〜』には一貫した物語があり「クラシック・アルバム」の地位に上り詰めたが、『The Slider』は我々の理解を永遠に拒むのである。その謎を謎のままにしておくために、ボランの曲は先人たちの曲を見習い、「Wang Dang Doodle」でもジャバウォックの詩でもやってしまうのである。そんな「なぞなぞ」めいたやり方で、ボランはいつだってブギーのために再生するのだ。