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<Pitchfork Sunday Review和訳>Fiona Apple: When the Pawn...

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pitchfork.com

点数:9.4/10
評者:Judy Berman

フィオナ・アップルのセカンドアルバムには、彼女の魂と感情の深さを物語るダイヤのように研ぎ澄まされたソングライティングが詰まっている

ィオナ・アップルが書くことを始めたのは、両親との話し合いをより効率的に進めるためだった。問題児扱いされセラピーに通わされていた子供として、彼女はそのような争いごとにおいて自分の置かれている立場を大人たちに知ってもらうことに苦労していた。「だから私は自分の部屋に戻って手紙を書いたの。一時間ほどして部屋から出てくると、『これが私の気持ちです』ってその手紙を読んで、また部屋に戻る」と、アップルは1999年、ワシントン・ポスト紙のインタビューに答えている。「議論において、相手の目の前に自分の立場を置く感じが好きだった。手紙を書いたら、その議論で勝たなくたってよかった」

 この点において、そしてその他の多くの点において、彼女は早熟だった。そんな、議論において意義を申し立てるのと同じ衝動によって、この偉大なアート作品は作られた。無視を決め込もうとする大人たちに異なった世界の見方を見せつけるため。そのオーディエンスがたとえ二人だろうと、300万人―アップルの1999年発表のファースト・アルバム『Tidal』の場合―であっても。この驚くべきデビューアルバムには移り気な恋人やレイピスト、アップルが若くて小さな女性だからといって眼中に置かないような馬鹿者たちに対するアンサーが込められていた。ヒップ・ホップファンである彼女はボースティングの持つ力を理解していた。この無愛想さをもって、『Tidal』は誤解されていることにすでに慣れている者からの先制=自己防衛としても機能したのだ。

 新しいファンの多くはアップルよりも若い女性だったが(アルバムリリース時彼女は18歳だった)、彼女の個人主義的で溌剌としたメッセージを本能的に理解した。しかし彼女のあけすけさは、マスコミからの批判を招いてしまう:1997年のVMAアワードでの「この世界はクソだ」スピーチはエンタメ業界が認めたくはなかった領域にまで踏み込んだセレブリティ文化に対する分析だった。しかしこのスピーチは尻切れトンボのようでもあり、彼女が弁の立つ演説者というよりはやはり雄弁な物書きであることを示してもいる。彼女が2枚めのアルバムに向けて曲作りを始める頃には、アップルは以下のような評判を獲得していた―ビッチ、生意気なガキ、ヘロイン漬けの野良女、拒食症の疑いあり、そしてニューヨーク・タイムズ紙によればTVでは「ロリータ風のパーティー田舎娘を演じている」が、コンサートでは「枯れかけたスミレ」のようになるパフォーマー。この様な評判を彼女は振り落とすか、少なくとも彼女自身の言葉で再定義しようとしていた。

 『When The Pawn...』は一見、障壁のある恋や不健全な欲求を解剖するような10篇の曲群で、常に自分との戦いを強いられている間はロマンティックな関係は保つことができないことを力強く訴えているように見える。しかし、歌詞の多くの部分でアップルが呼びかける「you」というのは必ずしも単数形ではない。女性シンガーソングライターというのは総じて私小説的であると考えられているが、アップルは常々、作品の曲はひとつも特定の、個人的な出来事から作曲されていないと主張してきた。彼女は単に、この嘲笑的で批判的な世の中に対してべらべらと喋っているに過ぎないのかもしれない。

 彼女が内省的ではなく、もっと外を意識していることの第一の手かがりは、彼女がアルバムタイトルに選んだこの90語のポエムである。

When the Pawn Hits the Conflicts He Thinks Like a King What He Knows Throws the Blows When He Goes to the Fight and He’ll Win the Whole Thing ’Fore He Enters the Ring There’s No Body to Batter When Your Mind Is Your Might So When You Go Solo, You Hold Your Own Hand and Remember That Depth Is the Greatest of Heights and If You Know Where You Stand Then You Know Where to Land and If You Fall It Won’t Matter Cuz You’ll Know That You’re Right

(戦場に赴く歩兵は王様のように考えるの/戦いの中では知識こそがとどめをさせるから/そして彼はリングに上がらずとも/既に勝利を手に入れているわ/知性を武器にしたとき/叩きのめす相手など存在しないのだから/だから独りで歩き出すときには自分を信じて/自分を深めることだけが、頂上へと導いてくれるのだと覚えていなさい/そして自分が何処に立っているかを分かっていれば/何処に向かえばいいかも分かるはず/もしも途中でつまずいたとしても、大したことじゃない/だってあなたの中にこそ"真実"はあるのだから[訳:新谷洋子(日本盤ライナーノーツより)

 当時は注目を集めるための無意味な戦略だとして無視されていたが、このポエムは、世間に流布している良くない評判によって笑いものにされ、それから身を守ろうとしている傷つきやすい人間に対する激励演説として、実はかなりわかりやすい部類である(たしかにスポーツのメタファーがいくつも混在してはいるが)。1997年のSpin誌の表紙特集に対する読者の反応を読みながら、アップルはこの詩をツアー中に作った。その特集の中にはテリー・リチャードソンによる写真が掲載されていたのだが、そのキャプションにはいやに感情的な身体的描写があり、その中で彼女はうぬぼれた、芝居がかったいやな奴と描写されていたのだ。「ツアーバスで座っていたらビョークが表紙のSpin誌が置いてあって、拾って読んでみると私の特集に対するひどい読者投稿がたくさんあった『あいつはこの世で一番むかつく存在だ』などなど」と彼女はPost誌で回想する。「すごく動揺して、泣いた。どうやって自分を続けていったら良いのか、どうしたらこの状態から回復することができるのかわからなかった」

 しかし彼女は彼女自身を貫いた。遠慮のない自己分析で、世間のイメージをはねのけたのだ。1999年11月9日にリリースされた『When the Pawn...』は、唸りを上げる魂が目の細かい櫛で自らを解いているところをとらえたオーラ写真のような、よく作られた自画像ではない。1曲目の「On the Bound」において、ナレーターの幸福への不信感はすべてを飲み込んでしまうようなロマンスを脅迫する。「A Mistake」ではシンバルとシンセの低音がサイレンのサンプル音を使わずとも緊急事態を示唆し、アップルの告白の声が切迫感を増す。「私は大した好みを手に入れた/それはよくできた間違いをすること/間違いを犯したい/なんで間違いを犯しちゃいけないの?」しかし、自己破壊的なロックのクリシェとして始まるこの歌は、誠実さや凝り性というパンク的ではない性質についての嘆きに変わっていく。「私はいつも私がやるべきだと思ったことをやっている/大体いつもみんなにいいことをしている/なぜ?」

 『Tidal』における「Sleep to Dream」や「Never Is A Promise」のような虚勢には、彼女の強烈さが他の曲に与える影響に対するアップルの鋭敏な理解が見て取れる。そしてこのテーマがシングルにおいてよく扱われているのは単なるまぐれではないように思える。ひきつったようなシンコペーションの聴いた小曲が彼女のスモーキーなアルト・ヴォイスの敏捷さを際立たせる「Fast As You Can」は「あなたは自分がどれだけ狂っているか/そして私がどれだけ狂っているか知っているつもりなんだ」とご立派に冷やかしてみせる。これは恋人への警告として、そしてアップルのデビュー時におけるパブリシティを通じて彼女に向けられた中傷―それは有史以来のわがままな女性アーティストを払いのけるための中傷だった―として二重の意味合いを帯びる。これは精神疾患に関する描写の正統性についてポップ・カルチャーが真剣に考え始める何年も前だったが、この曲は彼女の内面の葛藤を決して負かすこともなだめることもできない獣(けもの)と身体を分け合うことになぞらえており、その闘いを「内側で萌芽すること」と描写している(2012年に、アップルは自身の強迫性障害について公表した)。

 「今日、またおかしくなっちゃった」と彼女は「Paper Bag」の中で歌う。グラミー賞にもノミネートされたこの曲は、『When The Pawn...』の中でも一番優しい曲として記憶されている曲かもしれない。ブロードウェイ・ミーツ・ビートルズといった趣のこの曲は勝ち誇るようなホーンの突風が特徴だが、メロディがバウンシーになっていくと、歌詞の内容はその調子の良さに抗うように突然、失望を歌う。歌詞は星や白昼夢、希望の象徴としてのハトの話から始まるが、突然このようなポップ・ソングの幻想を追い払い、アップルが求めている男が彼女のことを「片付ける気も起きないガラクタ」として見ているという薄暗い現実を明らかにする。彼女は自虐することになんのためらいもなく、「Paper Bag」は彼女の唯我論に対する狡猾な言及によって決定づけられる。「彼は言った『それは君の頭の中のことだろう』/そして私は言った『これだけじゃなくて全部がそうなのよ』と/でも彼はわかってくれなかった」。彼女と、無理解な世間が一気に引きずり出される。

 この曲はアップルの壊れやすく、気まぐれなイメージを拡大させたという点でアルバムを象徴する一曲である。それは自己認識の点だけではなく、ジャジーでビートがついたピアノ・バラードという『Tidal』のサウンドを拡張させたという点で象徴的なのだ。『When The Pawn...』のプロデューサー、ジョン・ブライオン(彼のバロック的なアレンジは近年、ルーファス・ウェインライトエイミー・マンといった時代やシーンを超越した声の文脈を形成した)は、彼女のスタイルは他の要素を飲み込んでしまうほど特徴的であること、そしてそれは一貫性を失わせるものではないことを見抜いていた。それでも、彼は自分でもこの作品のイノベーションについての業績が自分に負わされすぎていると感じている。Permorming Songwriter誌での談話において、「Fast As You Can」の拍子変化などに見られる変わったリズムの元はアップルの作曲によるものだと明かしている。彼は言う。「色で例えるとコーディネートをしたのは私だが、リズム自体はフィオナのものだ」

 実は、そのような役割分担を指揮したのはアップルである。ブライオンは作業を初めて間もない頃のことを覚えている。彼女はピアノで、ほぼ完成された『When The Pawn...』を演奏し、彼にこう伝えた。「私は優れた作曲家だし、いいシンガーで、自分の作った曲をピアノである程度は演奏できる。で、あなたはそれ以外に長けているわけでしょ。だからそういうふうに勧めていくのがいいと思うの。ああ、なんかズレてるなあと思ったら教えるね」と。それを心に留め、彼はまず彼女のヴォーカルとピアノを録音し(弾き語りで行われたこともあった)、それからディープで印象的なプロのセッション・ミュージシャンたちの助けを借りて他の楽器を足していった。多様なサウンドやスタイルをミックスするという骨の折れる作業であったが、ブライオンの手腕によってアルバムには一貫性があり、どのジャンルのクリシェも覆してしまうような、暗くもロマンティックな手触りが漂っている。

 鉛筆で書いたスケッチの上にコラージュを糊付けしてしまうように、このアレンジの結果アップルの曲が塗りつぶされてしまうという結果になる可能性も十分にあったが、ブライオンは盛大な飾り付けよりもディテールにこだわることを好んだ。大いなる別れの歌「Get Gone」では、まばらなピアノとブラシでこすられるスネアが聞こえる控えめなヴァースと、アップルが弾くキーボードが激しさを増し、ダグラス・サークによるストリングスが辛辣なボーカルを断ち切ってしまう、反抗的なコーラスとの間を行き来する。「To Your Love」のアウトロにおける唸るようなエレキ・ピアノのサウンドは曲のライミング・カプレットの可愛いらしさに割って入り、感情的な複雑さを加えている。「Paper Bag」と「Limp」という、このアルバムの中でも大胆で斬新な2曲に挟まれた「Love Ridden」は『Tidal』の型によって作られた優しい曲で、ブライオンのストリングセクションはアップルの声とピアノの周りの背景に少し影を投げかけるのみである。

 言うなれば『When the Pawn』は『Tidal』よりも身体的親密さをフランクに描写しているとも言える。しかし、後のアルバムではアップルはセックス・アピールを食い物にするのは止めている。ファースト・アルバムに収録され、機知に富んでいながらも広く誤解されている曲「Criminal」(誘惑するような歩き姿や悪名高きビデオは、彼女の作品の中で最も皮肉にまみれた90年代のティーン・ポップに似ていたのだが)と同じようなやり方で。アップルのセクシャリティに対する新しいアプローチはアグレッシヴ過ぎて、恐ろしさすら感じるものだった。「全然惹かれないの/だからあなたが売っているその肉をどこかにやって」と「Get Gone」の中で彼女は呻く。「Limp」の熱狂的なコーラスはガスライティング(訳注:心理的虐待の一種)、性的暴行、公衆の場での窃視行為(のぞき)などをまとめて想起させる:「私を狂人と呼べばいい、押さえつければいい/泣かせればいい、ベイビー、どこかに行って/今にあなたは自分の手のひらの中で野垂れ死ぬだろう」。

 デビュー作がトリプル・プラチナムになった歌手として、そして当時のボーイフレンドにして素晴らしい共作者だった、映画監督のポール・トーマス・アンダーソンの恋人として、彼女は大きな影響力を持つようになり、その力を使ってミュージック・ビデオ内の自分の提示のされ方にまで制御をするようなった。スーツを着込んだ男たちとまぬけな空想の中で踊る、アンダーソンによる作品「Paper Bag」は彼女の不機嫌なイメージを払拭するものだった。「Fast as You Can」では、彼女は曇った窓ガラスを吹き、そこでカメラが彼女を明瞭に捉える。最も驚くべきなのは「Limp」で、彼女は「Criminal」のMVを想起させるような暗い部屋の中にいる:彼女は自画像のジグソーパズルに取り組むのだが、そこに殴り書かれた「angry」という単語を完成させるピースを見つけることができない。最後の場面では、彼女はカメラを見下ろしてこう吐き捨てる。「私はあなたに何もしてないじゃん/でも何をしようとしても、あなたはほろ苦い嘘で私を打ち砕く」これらのビデオは視聴者のアップルに対する見方・イメージに挑戦するものだった。「Limp」が最も極端で、努力している人に対して冗談で攻撃するようなフレームの外の人々全員を巻き込むようなものだった。

 このようなサディストの中には、もちろん批評家も含まれている。それでもすべての批評家たちが、「彼女が性悪で子供っぽい魔性の女」というアップルのためにこしらえた語り口から彼女が除外されるにふさわしいと思ったわけではなかった。『When the Pawn...』に対する好意的な評判(それらが優位を占めていた)であっても、いくつかの小言を挟むのを忘れていなかった。「アップルのパブリック・イメージは、どんな意地悪なジャーナリストが望むよりもずっと彼女にダメージを与えていた」とA・Vクラブのジョシュア・クラインは書いている。「22歳の段階で、彼女はすでにコートニー・ラブを超える嫌な女で、その事実が彼女の素晴らしい音楽を覆い隠してしまうこともしばしばだった」。タイトルに関するジョークはある意味必要とされていた。Spin誌のエリック・ウェイズバードはこの作品が良いものとだと知りながら否定的なレビューを書いた男性批評家たちを暗に揶揄しながら、こう書いた。「私はこの作品をちゃんと鑑賞したから言わせてもらうが、このアルバムは本当の"ball-breaker"である」

 もしもそれが、すでにファンではなかった者たちの間でのアップルのイメージを押し上げることができなかったのだとしたら、すくなくとも『When the Pawn』は彼女の音楽が自ら語ることができる時代に現れたのだろう。『Tidal』が現れたのはアラニス・モリセットの『Jagged Little Pill』が、1995年の6月にリリースされたにもかかわらず10週連続で1位を獲得していた頃だ。ノー・ダウト、トレイシー・チャップマンシェリル・クロウ、ナタリー・マーチャント、ソフィー・B・ホーキンス、メリッサ・エサリッジ、メリル・ベインブリッジ、ジョーン・オズボーンといった面々がホット100を占める、「ロックな女性」の季節だった。アップルを深く傷つけた1997年11月号のSpin誌の表紙特集も「女性特集号」で、それは最初の「Lilith Fair」ツアーのあと間もなくであった。彼女の人気を後押しした「怒れる女性」というトレンドは、アラニス(アップルと同様にイライラしている若い女性)やトーリ・エイモス(自身のレイプ経験を歌にしているピアニスト)としょっちゅう比べられることを意味していた。

 1999年―ラップ・ロック、ティーン・ポップ、スマッシュ・マウス、サンタナ『Supernatural』の年―までには、彼女が類稀な存在であることは明白だった(アップルに似たアーティストがいないことは当時のポップ界の景色であり、作家でありRolling Stone誌の批評家であるロブ・シェフィールドはそれを見て彼にしては珍しく行き過ぎたことを書いている:「ある意味では、アップルの音楽はコーンやリンプ・ビズキットなどの怒りにまみれたラップ・メタルの精神的な姉妹なのである」)。振り返ってみると、彼女のほんとうの意味での同志というのはエリカ・バドゥやザ・マグネティック・フィールズ、ローリン・ヒル、コーナーショップなどのアーティストである。分類不可能なシンガーソングライターで、新旧を織り交ぜたスタイルで時代性を超越したものを作り出すのだ。Entertainment Weekly誌が『When The Pawn』のレビューの中で枠組みを提示したように、「たくさんの若いアーティストたちがチャートやMTVの『Total Request Live』を席巻していて、それは止まることがなさそうだ。しかしその現状によって我々は―なんと言えばよいのだろうか―長生きと本質をパフォーマーに求めるようになっている」

 ポップ・フェミニズムの台頭、メンタルヘルスにまつわる開けた、見聞の広い会話などが、あの10代の悲しい少女が1996年からずっと見てきたものを広く世界に知らしめるのには、フィオナ・アップルは狂ってなんていなかったのだと知らしめるのには、さらに2枚の型破りなアルバム(2005年の『Extraordinary Machine』と2012年の『The Idler Wheel』)が必要だった。でも『When The Pawn』は彼女を批判していた人ですら真剣に向き合うことを強いられるほどよい作品であり、批評家たちも不服ながら高く評価し、彼女が最終的には勝ちを収める闘いの始まりを告げる一斉射撃がこれであった。「私にはいい弁護人が必要」とアップルは「Criminal」の中で嘆願した。そして3年後、彼女は自分自身の最良の代弁者となったのだ。