海外音楽評論・論文紹介

音楽に関するレビューや学術論文の和訳、紹介をするブログです。

<Pitchfork Sunday Review和訳>Vince Staples / Larry Fisherman: Stolen Youth

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元記事:Vince Staples / Larry Fisherman: Stolen Youth Album Review | Pitchfork

点数:7.6/10
評者:Stephen Kearse

Mac MillerとVince Staplesという二人のアーティストが互いに火花を散らす、重要なドキュメント

Mac Millerがラップ・キャンプのアイデアを得たのはThe Alchemistがきっかけだったが、彼はそれを自分なりに作り変えることにした。HardoやBillといったピッツバーグの同胞から古いツアー仲間のであるCool Kids、彼の新しいロサンゼルスの仲間まで、彼がこれまでの人生の様々な局面で出会った人たちが彼の自宅にあるレコーディング・スタジオ、The Sancuaryに集まりフリースタイルをするのだ。Macが彼のマンションのドアを開ければ、そこはあらゆる可能性に開かれた場所になった。

 2012年、Vince StaplesEarl Sweatshirtを連れてそのラップ・キャンプにやってきた。そこでMacは彼になぜもっとラップをやらないのかと尋ねた。Vinceがビートが集まらないんだと応えると、Macは彼のプロデューサーとしての名義であるLarry Fishermanとして援助を申し出ることにした。「一緒に何曲か作ったんだけど、そこからなんとなくはじまっていったんだ」と、Vinceはおなじみの控えめな語り口で回想する。

 当時、VinceとMacは共に、自分たちの急激な進化に伴う痛みに適応しようともがいていた。Macは新しくLAに移り住んだばかりの、驚くべきインディーでの成功者だった。ラッパーになることに青年期を捧げた彼は、15歳の時にはサイファーに参加するために夜な夜な家から抜け出し、19歳にはツアーを主催し、20歳にしてマンションへと移り住んだ。21歳になる頃には、彼は音楽に没頭するあまり、奇妙なことに、彼のキャリアを追ったリアリティ・ショウ『Mac Miller and the Mos Dope Family』が現実逃避の手段になっていた。「何ヶ月もアルバムの制作でスタジオに住んでいたから、番組があると部屋を出て、なにか楽しいことをするきっかけになっていたんだ」と彼は語る。

 Vinceは自分の周りの現実から逃避しようとしていた。The Sanctuaryに足を踏み入れたときの彼は高校中退のギャング・メンバーで、音楽との関係は希薄で、あくまでビジネスとして捉えていた。「とにかくお金が必要だった。周りでお金を持っている人間はいなかった」と彼は当時を振り返って語る。「母親もお金を必要としていたし、妹もそうだった。誰かが家族の面倒を見なければいけなかったんだ」。18歳の頃には、何人もの友人や親戚の死や投獄を経験し、ラップという希望がありながらも彼は完全に荒んだ状態にあった。彼は自分への冷笑を隠さずにこう語る。「アブラハム・リンカーンは黒人を一人だって救えやしなかった/彼がくれたのは懲役と、教会のチキン・ディナー・プレートだけだ」

 『Stolen Youth』は、MacとVinceの未知数なポテンシャルから立ち現れた。当時、VinceはEarl Sweatshirtの「epar」での、主役の座を奪うような、それでいて短いヴァースによって知られていた。そしてEarlがサモアのCoral Reef Academyに入所したという噂が広まるとその評判は更にました。VinceはEarlの居場所についてさんざん質問され、Earlのデビュー・ミックステープのような下品な音楽をもっとリリースするよう求められるようになった。そして彼はそれを拒否したのだ。

 一方、Macもまた違った形で自らの名声によってがんじがらめになっていると感じていた。彼の成功は彼自身をフラット・ラップの代名詞にしてしまった。フラット・ラップとは白人の男の子のファンタジーを食い物にするジャンルであるが、彼のやっている音楽はフラット・ラップとは似て非なるものであった。注意深く聞けば、彼の音楽はパーティー的なアピールを脱ぎ捨て、もっと曖昧で内省的なものである。しかし彼はそれでも笑顔が似合う白人青年であり、仲間とつるんでいるところが想像しやすい人間であった。彼は自分はそれ以上の存在であると主張したが、それを疑うのは容易なことだった。「Macをプロデューサーとして真剣に捉える人はいなかった。ボクをラッパーとして真剣に捉えてくれなかったようにね」とVinceはまとめる。二人のバックグラウンドは違うとはいえ、MacとVinceは世間からの期待を裏切るという決意という点で結びついていた。

 二人で組むというのはそもそもMacの提案だったが、ラップ・キャンプを取り巻く自然発生的な雰囲気によって『Stolen Youth』は彼らの直感によって形になっていった。特に決まったコンセプトなどはなかったが、結果としてそれはVinceのはじめてのほんとうの意味でのポートレートのような作品となった。最初の2枚のミックステープでは無表情で冗談を言うようなキャラだったが、それは尖っているだけで人間味がなかった。そのキャラを捨て、Vinceは脚本家、ストーリーテラーとしての自己を確立した。彼はいまだに荒んだままだったが、サウンドは研ぎ澄まされており、彼を取り巻く恐ろしい現実は彼の目によって詳細に語られる。彼の波乱万丈の子供時代ははるか昔の思い出ではない:そこで得たものや失ったものが彼の世界の見方に埋め込まれているのだ。

 我々を混乱させるのは、Vinceは直線状の自伝を紡ぐのではなく、様々な人々の歴史を紡ぐことである。彼の物語は具体的であると同時に婉曲的であり、俯瞰的な視点や密接な視点を使わない。銃撃になれすぎている彼は.357マグナム弾の「叫び声」とMac−10の「拍手」の音を聞き分けることが出来た。彼の9ミリは「厚ぼったく」、彼のショットガンはまるでRoddy Whiteのパスのように、50ヤード先にまで届く。ビュイック・ルセイバーは黒く、ナンバープレートがついていない:Orizaba通りには覆面が停まっているから通りたくないだろう。Vinceはこのようなディテールを「ぽさ」を増すためにではなく、個人的な思い出として使用している。彼は別にロング・ビーチの観光ガイドではない:彼はそこの居住者であり、彼の精神世界が現実世界に具現化しているのである。

 そのような思い出の旋風の中で、時間や空間は溶解し、子供のVinceと大人のVinceの間の境界線は曖昧になる。「Heavens」のヴァースの中で、彼は一息のうちにショッピングモールの警備員と本物の警官を思い浮かべる:彼は両方から逃亡する。どこにも見つからないときもあった。「Intro」でのもっともらしいドライブバイ銃撃の描写の中では、彼は何時間も道路に横たわっていた死んだ友人を描写酒ることに重点を置く。「まずグッドイヤーの軋む音が聞こえて、続いてドンという音/911なんてくそくらえ、警察なんか来やしない/日が昇るまでジャバリは道路の上」。「Stuck in My Ways」では彼は「罪を犯しても報いはなかった」として宗教に疑問を投げかける。しかし彼は続いてそのような反抗に対しても疑念を呈す。「僕たちは彼らが何も与えてくれなかったことを最大限に活用したんだ」と。それは嘲笑であり、ため息でもあるように感じれられる。彼の思い出同様、彼の冷笑と決意は手を取り合っているのだ。

 Vinceがまるで4K画質のようなラップをするのに対して、Larryはテクニカラーで対抗する。Macは、「Mac Miller」という名義ではではあれこれ期待をされると思いLarry Fishermanという人格を作り上げた。Larry FishermanとしてMacは好奇心旺盛で気難しく、半匿名だった。彼は初めて挑戦する楽器を演奏し、一から創作を始めることの苦労を楽しんだ。「自分がクソじゃないってことは知ってる」と彼は自らのプロデューサーとしての才能が芽吹き始めていることについて語った。明らかに彼はその経験の無さをいい機会だと捉えていた。『Stolen Youth』において彼が作り上げたのは、トリップ・ホップ、クラウド・ラップ、ブーン・バップなど幅広い引き出しを存分に使い、軽さといかめしさ、酩酊感とスウィング感を兼ね備えたビートである。ドラムはキックし、ノックし、羽ばたき、ムチを打つ。ヴォーカル・サンプルのいくつかはMac自身のものである(「Thought About You」)が、それらは引き伸ばされ夢うつつなあくびのようであり、陰鬱なループを生み出す。彼の作曲能力の萌芽、そしてその多様性は同じ時期の彼のラップスキルを上回るものであった。Mac Millerは特になんの意図もなく「フォクシー・ブラウンとヤッてみたい」とラップする一方、Larry Fishermanは『Foxy Brown』のサウンドトラックから取り出したWillie Hutchの声をスクリューしてみせる。Macのラップは次第にLarryのプロダクションに見合うようになっていったが、ここでの両者の差はなにか示唆的である。Larryとは、Macがなりたかった存在なのである。

 当時、Vinceの声は今日のスイスアーミーナイフような切れ味を獲得する前であり、まだ平坦であったが、Larryの多芸さによって浮き上がって聴こえている。「Thought About You」のコーラスには、まるでキャブレターの産声のようなドラムロールの疾風がフィーチャーされている。Vinceによるフックも生き生きとして聴こえる。同様に、「Fantoms」での、マイナーを引くキーボードを貫通するようなベースとディストーションの轟音はまるで車同士の衝突のように響き、Vinceの嘲りに激しさの薪をくべている。このようなアシストは陳腐にもなり得る―「Guns & Roses」におけるおどけたような打鍵、「Sleep」におけるオルガンのショック・ウェーヴのように―がしかしこれらはMacのラップ・キャンプの精神を体現している。そのゴールは仕事と遊び、共作とおふざけの境界線をかきまぜてしまうことなのだ。

 Vinceは、ただ楽しみのためにラップすること以上の熱意を持っていた。「Heaven」や「Sleep」といったポッセ・カットを聞けばそれを感じることができる。そこではVinceはDa$h、Mac Miller、Ab-Soul、Hardoと共にサイファーをする。この2曲においてVinceは共に最後に登場し、このスタンドプレーをもっと有意義な、シャープなものにまとめ上げる。このような断絶は作品全体に広がっており、彼は「『Stolen Youth』はボクの作品ではない」とすら公言している。ここでVinceは彼のマネージャー、Corey SmithとMacが真の黒幕であるとしている。『Boondocks』風のアルバム・ジャケット(と付属のコミック・ブック)が、この発言が単なる心変わりではないことを示している。彼はただ、流れに任せてアルバムを作ったに過ぎない。

 他の皆が部屋へと引き上げ、Vince、Mac、そして音楽だけが残されると、このテープは輝きを増す。幸福感のあるコード、飛び跳ねるキック・ドラム、猫が喉を鳴らすようなベース音に彩られた「Outro」では、Vinceは力を抜いて優雅なラップを披露する。イメージ、記憶、冷笑の間を軽やかに飛び移りながら。フックのない、ただただ自由にフロウをしていくこの曲にはセンターピースがないが、以下のような驚異的なビネットがある:「ママは料理をしながらStevie Wonderを聴いていた/サツがドアをノックする、親父が拘置所へ連れて行かれる/母親は俺を外に出したがらなかったから部屋で本を読んだ/一番下の息子が走り回って、Kを拾い上げることを恐れていたんだ」。このシーンは極めて鮮明で、コンパクトで濃密である。個人的でありながら俯瞰的な人生の断面図である。

 このような痛いほどの明瞭さがあることで、『Stolen Youth』は欠点がありながらも長く聴かれる作品になった。Vinceはこのテープよりも遥かに成長したが、彼の人生は困難の連続で、彼の経験が声を導き、彼の希少が何もないところから何かを生み出す。彼はこの作品においてありのままの才能を提示し美的感覚を獲得したが、たとえ装飾や資本力がなかったとしても、彼の視点は完全に形作られ、それは広い射程を持っている。19歳にしてボロボロだったVinceは、権力を乱用する人たちや彼らの特権を目にし、それに立ち向かうこと、その正当性を批判することを学んでいた。彼は格好だけで中指を立てる反逆者でも、ゴッド・コンプレックスを持つ早熟の天才でもない。彼はギャングスタ・ラッパーでも、更生したギャングスタでもない。彼は単なるロング・ビーチのグリオ(訳注:口承伝承者)であり、Vince Staplesであり、Macは彼の友達だった。

<Pitchfork Sunday Review和訳>Bennie Maupin: The Jewel in the Lotus

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Bennie Maupin: The Jewel in the Lotus Album Review | Pitchfork

点数:9.1/10
評者:Shuja Haider

ジャズの過去と現在の交差点。縁の下のモダニストの傑作

972年の夏のある夜。ハービー・ハンコックのグループ・Mwandishiがワシントン州・シアトルで演奏することになっていた。スワヒリ語で「作曲家」「作家」を意味する語から名付けられたこのグループのメンバーは、ベーシストのバスター・ウィリアムズ、ドラマーのビリー・ハート、そしてマルチプレイヤーのベニー・モーピン。サクソフォンだけではなく、クラリネットとフルートも演奏することが出来たモーピンは、グループに最後に加入したメンバーだった。デトロイト出身の彼は当時32歳、徐々にサイドマンとして己を確立しつつあり、ニューヨークにあるユダヤ人記念病院でのヒルの仕事をやらなくても良くなってきていた。彼がMwandishiに加入する頃には、モーピンとバンドはマイルス・デイヴィスの1970年のアルバム『Bitches Brew』のためのセッション―モーピンとハンコックが初めて共演した場所だ―の際に始まった作業を再開していた。その作業とは、その時代において最も革新的だったジャズの自由即興と複雑な和音の使用といった特徴を保ちつつ、ロックとR&Bのリズムを統合するという試みだった。

 ハンコックが自伝の中で思い出したことには、シアトルでのショウは理想的な状況では行われなかった。バンドが到着したのはショウの前日の夜で、最初のギグのあと、彼らは夜通し飲み歩いた。「ホテルに戻ったときには、日は昇っていただけではなくもはや沈み始めていた」とハンコックは書いている。たった2時間の睡眠のあとで、ハンコックは毎晩行っていたピアノソロでショウを始める気になれなかった。そこで彼は責任を免れるために「Toys」で始めることにした。ベースのソロで始まる曲だ。

 その次に起こったことは、変革をもたらすほどの大事件だった。バスター・ウィリアムズのソロは素晴らしく、ハンコックは当初2〜3分を予定していたソロを10分にわたって彼に弾かせた。「彼の手はまるで気が狂った蜘蛛ののように、ベースのネックを上下に這いずり回っていた」とハンコックは振り返る。ついにバンド全体が演奏に加わると彼らは更に活気を増し、観客に涙を流させるほどの演奏を繰り広げたのであった。

 演奏が終わると、ハンコックは感服のあまり、ウィリアムズにあの演奏をするためのバイタリティを一体どこから見つけてきたのかと問い詰めた。ウィリアムズは喜んで説明を始めた。前の晩、皆が眠りにつこうとしていた頃、ウィリアムズは自身の部屋でずっと詠唱していたのだった。彼は太古の『法華経』というテキストに基づいた日蓮宗の中心的なマントラである「南無妙法蓮華経」という文言をずっと繰り返した。ウィリアムズは妹にその慣習のことを教えられ、すでにベニー・モーピンにも探求するように勧めていた。生涯の付き合いとなるウィリアムズ、モーピン、ハンコックの三人はその後のツアーの間パーティーではなく仏教のコミュニティを訪ねて回った。

 このチャントは「音を通じた神秘なる因果の法則」とも訳すことができ、Mwandishiはそれを彼らの音楽に対するアプローチに取り入れはじめた。ベニーは1975年、『Down Beat』というジャズ雑誌に対し、そのチャントを音楽的に解説している。「自分自身とだけでなく他の人との調和が取れるくらい、このリズム自体はとても基本的なリズムである」

 その後、ハンコックはMwandishiを解散し違う方向に進んだ。しかし彼はモーピンを手元から離さなかった。モーピンは彼の共演者の中でも「最も変化に寛容である」と思っていたからだ。パーカッション奏者のビル・サマーズを迎えた新グループは『Head Hunters』(1973)を録音した。これはジャズとファンクを融合しようとした試みの中でも最も成功した部類に入る。最も有名な「Chameleon」という曲にはモーピンが作ったメロディーも含まれていて、ハンコックがアープ・オデッセイ・シンセサイザーで弾いた催眠的なベースラインの上のドラマティックなファンファーレがそれだ。モーピンはのちに音楽学者スティーヴン・ポンドに対して、あの主題はその年行われたワッツタックス・コンサートのときに降りてきたものだと明かした。観客がファンキー・ロボットと呼ばれるダンスをしているのを見て、彼は頭の中で音がつながっていくのを感じたのだ。結果的にできたメロディは文句なしにファンキーでロボティックである。

 ベニー・モーピンがはじめてのソロアルバム『The Jewel in the Lotus』をリリースしたのは1974年だった。新興だったECMから出たこの作品は、ウィリアムズ、ハート、ハンコック、サマーズに加えてもうひとりの打楽器奏者フレッド・ウェイツを迎えて制作された。タイトルはまたも仏教のチャント「オーン・マニ・パドメー・フーン」からの翻訳である。これはある昔話を思い出させるものである。ブッダがかつて弟子たちを集め説法をしたさい、彼はしゃべるのではなく黙って蓮の花を持ち上げた。蓮は根がなくても、泥水の中でも育つ花ということで力強さの象徴となった。

 アルバムタイトルによって想起されるチャントは、1曲めの「Ensenada」ですぐさま明白になる。バスター・ウィリアムズがドローン的な2音のベースラインで曲を始めると、フレッド・ウェイツがマリンバでアクセントを加える。モーピンによるフルートが前面に出てメロディーが始まる。ハンコックがその下からかすかに輝くハーモニーを加えていく。フルートの旋律は非常に簡素で、メロディーになっているかどうかも怪しい:モーピンはこの曲全体を通して何拍子かに一音だけしか吹かないのだ。『Down Beat』誌に語ったところによると、これが彼がハンコックやウィリアムズ、ハートと共にMwandishiの活動の中で探求していた原理なのである:「我々は(一つ一つの)音という概念を排除してきたし、それにはいくつもの実例がある。我々がしてきたことはコードを示唆するかもしれないけど、実際の例の中ではそうではない。我々はただ単にある種のイリュージョンを発生させるためのいろんなサウンドの領域を発見しただけに過ぎない」

 ジャズに関する伝統的な知識によって解釈したならば、このアプローチはほとんど不完全に思えるだろう。ジャズの伝統に関する主流な読み物の中では、音楽とはヒロイックな個人主義の表出であり、合奏の中で複雑なメロディを用いるソロイストによってそれは体現されるものであった。この推論によって、政治的な結論をジャズの中に見出すという見取り図が不可避のものとなった。伝統主義者のウィントン・マルサリスによって設立されたリンカーン・センターによるジャズの綱領には「我々はジャズが民主主義のメタファーであると信じています」と書かれている。ホワイトハウスでのジャズ・トリビュートイベントの際、バラク・オバマはこう問うた。「アメリカという国以上に素晴らしいインプロヴィゼーションがこれまでに存在しただろうか?」

 かなり簡略化すると、この原理というのはソロの連続―皆が代わる代わる話す順番を持っている状態―を減らすということである。しかし「Ensenada」において、一人突出したヒーローというものはいない。そこには存在しないメロディーに対する伴奏や、伴奏に対する伴奏があるように思える。このような音楽構造は近代の聴き手には親しみやすい:小節同士を編み込んでいくという手法はブライアン・イーノからベーシック・チャネルにいたるまで、アンビエントやエレクトロニック・ミュージックを特徴づけてきた。「Ensenada」は時代を先取りしていた:リカルド・ヴィラロボスやマックス・ローダーバウアーといったミニマル派テクノ・プロデューサーがリミックス・アルバム『Re: ECM』でトラックの土台として使用したほどである。

 トランペット奏者チャールズ・サリヴァンが参加した「Mappo」はわかりやすいジャズの構造を取り入れている。この曲は、サリヴァンとモーピン(フルート)による最初と最後の主題部分以外は、すべてリズム隊に与えられている。ハンコックがこのアルバムの中では最もジャズらしいソロを演奏し、それでもなおベースとパーカッションに同じだけのスペースを残している。この曲のタイトルもまた日蓮宗から取られたもので、仏教哲学において現在の時代を指す言葉である。この時間の儚さへの執着は「Past + Present = Future」「Winds of Change」といった二つの短いインタールードにも現れている。

 アジアの音楽からの引用はジャズにおいて珍しいものではなく、同胞デトロイトのユセフ・ラティーフによるアルバム『Eastern Sounds』(1961)やアリス・コルトレーンの『Journey in Satchidananda』等が挙げられる。ウィリアムズのベースはラーガ(訳注:インド古典音楽における旋律に関する規則。季節や時間帯によって異なったものを用いる)を提示しているようだし、「Excursions」ではまさにモーピンがチャントをしているところを聴くことができる。音楽をチャントの延長線上であるとみなすことは何も行き過ぎではない―同じ音節や音に対して多数の声が重ねられるという点において。チャントに由来するタイトルトラックでは、この考え方を押し進めるとどうなるかということを提示している。この曲ではハンコックが電子ピアノを弾き、モーピンがサックスを吹くというMwandishiのサウンドに近いものが聴ける。ここでモーピンはアルバムを通して唯一の長いソロを取るが、「Ensenada」で確立された原理を保ち、一小節の中で一つ以上の音を吹かないように心がけている。

 ナラティヴよりもテクスチャを強調していることは、それがたとえ国際的なレンズを通したものだとしても、ジャズの伝統から完全に断絶されているということではない。40年代中盤のビバップの出現に代表されるような、メロディラインの発展に重きをおいたジャズ史観は、その下部で起こっていた音楽を取り巻く環境の変化を見逃している。ビバップは1939年によく起点を置かれる。その年にチャーリー・パーカーはポップの曲である「Cherokee」の上でソロを吹き、その際にコードだけではなく音楽的スケールの全体から音を引っ張ってこれることを発見した。しかしジャズの近代化は30年代中頃、ウォルター・ペイジがカウント・ベイシー楽団で行っていた、多様な反復を伴うベースラインにもはじまりを置くことができる。彼の「ウォーキング」スタイルは拍子をあまり区切らないため、ケニー・クラークマックス・ローチのようなドラマーにマッチしたし、ハーモニー間の移行をよりシームレスにし、コードの代用によってピアニストたちがついて行きやすいものであった。『The Jewel in the Lotus』に参加している演奏者たちはすべてこの系譜を受け継いでおり、モダン・ジャズ、コンテンポラリー・R&B、そしてアフリカやアジアの古典音楽に共通点を見出すのだ。

 ベニー・モーピンがリーダーとしてクレジットされているが、『The Jewel in the Lotus』は音楽の作曲や演奏に置けるヒエラルキーに関する仮定をすべて排除するものである。「これ以上に無私なアルバムは想像できない」と『Down Beat』誌のレヴューには書かれている。モーピンは仏教から着想を得たかもしれないが、結果としてできた音楽はもっと普遍的な原理を示唆している。特にジャズにおいて、さらには自己表現一般において。ジャズの巨人たちのなかでももっともヒロイックなソロイストたち―類・アームストロング、チャーリー・パーカージョン・コルトレーンなど―がそれぞれの発明を達成できたのは気配りのできるアンサンブルがあったからであり、巨人たちは彼らにも同等の注意を払っていた。たとえ個人が一人で話しているとしても、集団がそれを聴いているということが前提であり、他人のために伴奏するということ以上の天職はないのである。

<XXL Magazine和訳>カニエ・ウェストと宗教の関係を紐解く

元記事はこちら。

www.xxlmag.com

カニエ・ウェストはゴッド・コンプレックス(訳注:自分に神のような万能の能力があると信じて、尊大に振る舞う心理状態)の持ち主である、というのは少し控えめな言い方かもしれない。Yeはライムを駆使して幾度となく、如何に自分のことを高貴な人間であると考えているか証明してきた。

しかし、ことに宗教となると、このラップスターの作品は有神論的なテーマが多く使われている。これは彼の神聖な信念はいまだに本物であるということの証左である。そう、カニエ・ウェスト複雑な男なのである。

2019年、ファンたちは再びかすかな変化を目撃している。2018年11月に発表が予定されていた『Yandhi』のリリースが延期になった少しあと、カニエは毎週のサンデー・サーヴィス(日曜礼拝)を開始した。クワイアとライヴ・バンドと共に行うラップ/ゴスペルのジャムセッションだ。聖霊を降臨させたコーチェラでのパフォーマンスのあと、カニエが自分の教会を持つことを考えていることが明らかになった。

「彼は教会を持つことについてかなり詳細なプランを話した」と情報筋は語る。「それは伝統的な、賛美歌や説教みたいなものにはならない。そのかわりに芸術や相互自愛のコミュニティを通じて人々とイエス様を向き合わせるようなものになるだろう。また彼は自分の子供にも信心深く育ってほしいらしく、彼自身が信仰に生きることはそれを達成する最良の方法だろう」

Yeezyが完全にカーク・フランクリン化しようとしている今、XXLではカニエ・ウェストと宗教の関係について振り返る。

 

"Jesus Walks"
2004年2月

カニエは2004年のデビューアルバム『The College Dropout』からシングル「Jesus Walk」をリリースする。ARCクワイアによる「Walk With Me」を引用したこの曲で彼は神の力を助けに自らが置かれている状況に意味を見出そうとする。また、純粋なヒップホップをサポートしてくれない音楽業界にも牙を向ける。

「悪魔が俺をくじけさせようとするから神は俺に道を示した/転ばないように、今祈るはただそれだけ」彼はコーラスでこうラップする。「俺の間違いを正すため、俺は今なんだってできると思ってる/俺は神と話がしたい、でも怖いんだ/だって長い間俺たちは話をしてこなかったから」

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“Two Words” Featuring Mos Def, Freeway and the Harlem Boys Choir
2004年2月

Mos DefとFreewayと共演した『The College Dropout』からのシングル、「Two Words」。The Harlem Boys Choirをトラックに招き、より宗教色を増している。

youtu.be

 

イエス・キリストの姿で『Rolling Stone』誌の表紙に登場
2006年5月

2006年5月にカニエは『Rolling Stone』誌の表紙に、イバラ冠を被ったイエス・キリストの姿で登場した。高名な写真家デヴィッド・ラシャペルによって撮影されたこの写真は賛否両論を招き、キリストを冒涜するものだと言う者もいた。

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「G.O.O.D. Fridays」の開始
2010年8月

カニエは自身のレーベルから毎週楽曲のリリースをする「G.O.O.D. Fridays」を開始した。この名称はキリストの磔刑の日である「Good Friday」が由来であり、リリースされた楽曲群の中には「Lord Lord Lord」や「Christmas in Harlem」といったタイトルのものが含まれていた。

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"No Church in the Wild"
2011年8月

カニエはジェイ・Zと共にアルバム『Watch The Throne』をリリースし、「No Church In The Wild」がシングルとしてリリースされた。この曲は伝統的な宗教の教義に対する反発を歌ったものである。「我々は新たな宗教を作り上げた/赦しがあればそれは罪ではない」と彼はスピットしている。

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“New God Flow” Featuring Pusha-T
2012年7月

カニエとプシャ・Tは『Cruel Summer』からのシングル「New God Flow」をリリースした。この二人が2013年のXXLベスト・ビート賞を受賞したトラックの上で神々しいライムを堂々と披露している。

「イエスの名のもとに、聖歌隊に歌わせよう/"I'm on fire"と、リチャード・プライヤーも言ってただろ/そして侵略してくる奴らを全員抹殺してやる」とYeはスピットしている。

 

2013年のMet Galaで"I Am A God"を初披露
2013年5月

ニューヨークで行われた2013年Met Galaにおいてカニエは新曲「I Am A God」を初披露した。セルフボースト曲であるこの曲の中で彼は自身が神の地位に座っていると宣言した。

「俺は神だ/神に仕える男だとしてもだ/俺の人生は神の手の中/だから神を弄ぶべきじゃない」

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アルバム『Yeezus』のリリース
2013年6月

カニエは6作目にして当時かなりの議論を呼んだアルバム、『Yeezus』をリリースした。言うまでもないがタイトルはジーザスをもじったものであり、シングル「I Am A God」が収録されている。

 

『Yeezus』のツアーにキリストを登場させる
2013年10月

カニエは2013年10月、『Yeezus』ツアーをシアトルで開始した。このショーケースにはスペシャルゲストがいたイエス・キリストである。まあ、もちろん本物ではないが。Yeは毎回のショーでイエスの格好をした男をステージ上に上げ、心と心の対話を行った。

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ファンが新しい宗教にカニエ・ウェストの名前をつける
2014年2月

あるファンが「Yeezianity」という、カニエ・ウェストに基づいた新しい宗教を興した

「Yeezusとは、カニエが神の領域にまで上り詰めたときのことを指し、私はそれによって我々全員がそうするポテンシャルを持っていると感じたんだ」と創設者は語る。「それがこの宗教を立ち上げた理由であり、将来的に我々はカニエや彼のおどけた言動のことは忘れてしまうかもしれないが、そのかわりに彼のメッセージに焦点を当てることになるだろう」

フォロワーは「5本の柱」と呼ばれる、以下のルールを遵守することになる。
1. 全ての創造物は全員の利益のためのものでなければならない。
2. いかなる人間の自分を表現する権利も抑圧されてはならない。
3. 金銭は交換のための手段以外には意味を持たない。
4. 人間は欲するもの、必要なものなら何でも創造する力を持っている。
5. 全ての苦しむ人間たちは、人間の創造力を刺激するために存在している。

 

カニエを磔刑を受けるイエスになぞらえた壁画が出現
2014年4月

ロサンゼルスで、匿名のストリート・アーティストがカニエ・ウェストを磔にされるキリストになぞらえた壁画を描いた。それが聖金曜日に現れたのは偶然ではないだろう。画家の署名はなく、下部に「新しい救世主か?」とだけ書かれていた。

 

カニエ、大聖堂の建設を予定か
2014年8月

Yeが家族のために特定宗派に属さない大聖堂を建設することを考えているというニュースが伝わった。

「彼はこの教会に母親へのトリビュートとしての礼拝堂、カニエ、キム、娘のノースを描いたステンドグラスを組み込みたいと思っている」と情報源が明かした。カニエはこのプロジェクトの始動のために500万ドルを貯蓄したと言われている。

 

カニエの娘・ノース、イェルサレムで洗礼を受ける
2015年4月

カニエ・ウェストとその家族は聖地・イェルサレムに赴き娘・ノースの洗礼を行った。儀式はアルメニア人地区にある、12世紀に建立された聖ヤコブ主教座聖堂で行われた。

 

カニエが『The Life of Pablo』をゴスペルのアルバムだと発言
2016年2月

 当初は『So Help Me God』(後に『Swish』、さらに『Waves』)とされていたカニエの7枚目となるアルバムのタイトルが『The Life Of Pablo』と定められた。ビッグ・ボーイのラジオ番組でのインタビュー内で、彼はこのアルバムを「カース・ワードをふんだんに用いたゴスペルのアルバムだ」と発言した。

このアルバムはゴスペル風の「Ultralight Beam」や「Father Stretch My Hands Pt. 1」を収録していた。更にカニエはアルバムタイトルの由来は聖書に登場するパウロであることも示唆している。

 

“Ultralight Prayer”
2016年3月

『The Life of Pablo』の発表から1ヶ月後、カニエは新曲「Ultralight Prayer」をリリースした。これは『Ultralight Beam』のリミックスであり、ゴスペル歌手カーク・フランクリンと彼のグループ・The Familyをよりフィーチャーしたものとなっている。

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ロンドンの教会がカニエのリリックにインスピレーションを受ける
2016年5月

ロンドンはホーンチャーチにある聖アンドリュー教会がカニエのリリックを入口に飾った。ウェストとポール・マッカートニーによる2014年の楽曲「Only One」の「君は完璧ではない、でもそれは君の間違いではない」という部分が使用された。

 

「偽りの偶像」の像がハリウッドに出現
2017年2月

芸術家プラスティック・ジーザスによる「偽りの偶像」と題されたインスタレーション作品がカリフォルニアはハリウッドに出現した。銅像はオスカーのトロフィーをモチーフにしたもので、カニエ・ウェストがイエスのように磔にされている。

 

カニエがイエス・キリストとのつながりを取り戻す
2018年12月

カニエはチャンス・ザ・ラッパーのおかげイエス・キリストとの関係を取り戻したことを認めた。

「俺がどれだけ幸せで俺の家族がどれだけ強いか見て欲しい」と彼はツイッター上で述べている。「神の愛とご加護によって俺たちは更に強くなったんだ・・・チャンスのおかげでルーツやキリストへの信仰心を取り戻すことが出来た」

 

カニエが日曜礼拝をスタート
2019年1月

カニエが後に毎週行われることになる日曜礼拝のリハーサルを開始した。彼の妻、キム・カーダシアンがジャムセッションの様子をインスタグラムのストーリーにアップしている。映像では「Heard 'Em Say」「Father Stretch My Hands Pt. 1」や「Lift Yourself」「Reborn」などのゴスペル風のトラックの中でカニエが聖歌隊全体を指揮している様子が見れる。

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カニエと112がクリスチャン音楽を共作
2019年1月

R&Bグループの112のメンバー、スリムがカニエとクリスチャン音楽を制作していることを明かした。

スリムの説明はこうだ。「カニエは音楽の天才だ。彼はアルバムを丸々ボツにしたりもする。でも起こっていることは全て、神の望みで起こっていることなんだ」

カニエは今とてもいい場所にいる。もっとスピリチュアルなことについても話をしているところだけど、本当にいい場所にいるんだ」

 

カニエが2019コーチェラで日曜礼拝を披露
2019年4月

コーチェラでの日曜礼拝特別パフォーマンスによってカニエは観客を教会に連れ込んだ。野外での長いパフォーマンス中、カニエと聖歌隊は伝統的なゴスペル曲や彼のシングル曲のミックスを披露した。更に新曲「Water」も初披露された。

www.youtube.com

 

カニエが自身の教会を始める可能性
2019年4月

コーチェラでのパフォーマンスに引き続き、カニエが音楽とスピリチュアルへの愛を実現できる場として自身の教会を設立することを考えているというニュースが飛び込んできた。

カニエについては好き放題言ってもらって構わないが、彼は本当に支援を必要としている人を助けようとしているんだ」と情報源は語る。「彼はおそらく、打ちひしがれる経験や癒やしの必要性についてみんなよりも理解している。彼は音楽が人を癒す力を信じているが、失望や諸問題について神が人々を癒やしてくれるということもまた信じているんだ」

<Pitchfork Sunday Review和訳>Macintosh Plus: Floral Shoppe(フローラルの専門店)

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Macintosh Plus: Floral Shoppe Album Review | Pitchfork

点数:8.8/10
評者:Miles Bowe

2011年の先駆的なドキュメントで振り返る、ヴェイパーウェイヴの陳腐なアンニュイ

011年のインタビューで、クレア・バウチャーは当時の新プロジェクト、グライムスを「ポスト・インターネット」と説明した。これはデジタル時代において音楽を作ったり発見したりするという特有の経験に名前をつけようとする試みであった。「なんにでもアクセスできたから、私の子供時代聴いていた音楽は多種多様だった」と、彼女はNapster、SoulSeek、LimeWireなどのファイル共有プログラムを聴いて育った世代に共通して体験していると彼らが気づき始めたことを言葉にした。インターネットが考えうる限りすべてのジャンルをアクセスが容易なフォルダに圧縮してしまったこの自体において、若いプロデューサーにとっては「全部」というのが勝利の公式であることが証明された。

 2019年にもなるとそのような楽観的な見方は消え失せ、インターネットのアクセスの感覚は存在自体が途方もなく感じさせたり、まったくもって脅威であるように感ぜられるようになった。ソーシャル・メディアは現実を歪め全世界的な影響を及ぼし、Spotifyのような巨人がムードに合わせたプレイリストによって音楽をミューザクへと変貌させ、悲劇はライブ配信され、我々はオフにすることができない通知が引き起こす麻痺によって打ちのめされてしまった。

 グライムスの2011年のインタビューのあと間もなく、アルバム『Floral Shoppe』が最初にオンライン上に姿を表したが、それにまつわるものすべては理解不可能であるように思えた。謎の存在であるマッキントシュ・プラスという名義で発表された今作は、ペプト・ビスモル(訳注:アメリカでは一般的な胃腸薬)ピンクのケバケバとしたアートにミントグリーンの日本語の文字、つやつやした街の風景、ぼんやりと上の方向を見つめる大理石の胸像によって装飾されていた―しかし肝心の音楽のほうはというと、これよりも意味をなしていないのだ。安っぽいサックスの音が泥のように溶けていき、まるでYouTubeの動画でバッファリングしているように音飛びしたりするイージー・リスニング音楽、そしてかすかに聞こえる人間の声は速度を落とされ、吐息混じりの柔和なうめき声となる。筆者が2012年の春にこの作品を初めて聴いた時、私は思わずその場に立ち尽くしてしまった。私はiPhoneを見つめ、ファイルが壊れているのかと訝った。もしコンピューター・ウイルスが音楽だったらこう聴こえるだろうか。まるで「ポスト・インターネット」の時代にあったすべての刺激的なアイデアが無に帰したようだった。

 『Floral Shoppe』が、その出自であるディープ・インターネットの領域を飛び出すにあたって、伝統的な論理は全く機能しなかった。しかし作者である当時ティーンエイジャーであったポートランドのアーティスト、Ramona Xavier(別名Vektroid)が正体を明かさないでいる間にも、この作品が持つパワーは急激に広まっていった。彼女はパイオニアでありながら異常分子でもあった。ひどく落ち着かない状態から不自然なほどの躁状態を行き来する麻痺の波がもたらす不安や存在の危機を捉えた作品として、彼女のアルバムは唯一無二で有り続けている。10周年が近づいている今、『Floral Shoppe』はミレニアル期の芸術のひとつの基準である。一年ごとに世界は混沌へと歩みを進めているなか、この作品を理解することはどんどん可能になっているのだ。

 『Frolal Shoppe』が定義することになったヴェイパーウェイヴというジャンルは、無視されるために設計された音楽である。企業CMなどからのサンプルを用い、この音楽は我々の認知の中に残留する。視界の隅で何かが明滅するような感覚。ブライアン・イーノアンビエント音楽を「聴き手が集中するか、後景に聴き流してしまうか選ぶことができるもの」と考えたとしたら、ヴェイパーウェイヴはその規定の効力を聴き手に向けたものである。この音楽は陳腐さによって聴き手を引き戻し、退屈な日常よりももっともらしいトランス状態を作り出すのだ。批評家であり初期のヴェイパーウェイヴ・チャンピオンであるマーヴィン・リンは2012年にこう書いた、「これまでに『ヴェイパーウェイヴ』を聴いたことがあるかどうかということは関係ない。信じて欲しい、君は聴いたことがあるのだ―ホテルのロビーで、トレーニング・ヴィデオのオープニングで、電話でカスタマーサーヴィスの責任者を待つ間に」。音楽が急速に「企業化」した時代に育った世代が反乱を目論み、自己完結的な、反抗的なまでに非商業的な、文字通りのミューザクのシーンを作り上げた。これはその次代において最もパンクな行動であった。音楽はもはや音楽ではなかったのだが。

 『Floral Shoppe』はIDMやかのワープ・レコードを聴いて育ったマインドを反映している。2015年の対話の中で、Xavierは私に、中学校に上がるときまでには「AutechreBoards Of CanadaSquarepusherやAphexなんかを聴いていた。そこからもっと細かいところを掘っていこうと思った」と語ってくれた。このアルバムは当時ヒプナゴジック・ポップと呼ばれていた、印象派的で覚醒と睡眠の間の状態を思い出させるヘイジーな曲たちの正常進化のようにも感じられる。そのジャンルを皮肉にも「チルウェイヴ」と再定義し真っ当なポップとして能率化し成功する向きもいる中で、もっと暗い道へと足を踏み入れる者もいた。

 ディストピア的なミューザク・ジングル探求のシーンを牽引していたのはLAのエクスペリメンタリストであるジェームズ・フェラーロやワンオートリックス・ポイント・ネヴァーであり、シュールで無限にループされたトップ40ソングのサンプルを彼は「eccojams」と名付けた。両ミュージシャンの影響は最初期の賛否両論的な反応からは考えられないほどに広大であるが、彼らのコンセプチュアルな野望は『Floral Shoppe』が持っていた純粋なエモーショナルなインパクトに比べると小さい。このアルバムはシャーデー、安っぽいニュー・エイジ、ダイアナ・ロス、忘れ去られたAOR、ニンテンドー64のゲームのサントラをサンプルとして使用し、それらがすべてXavier特有の超現実的な周波数にチューンされている。ヒプナゴジック・ポップがダッシュボードの上で溶けたカセットテープを聴くようなものだとしたら、『Floral Shoppe』は自分のコンピュータが燃え盛る中で落ち着いてSpotifyのプレイリストを聴くようなものである。

 このアルバムはシャーデーの「Tar Baby」を細切れにした「Booting(ブート)」で始まる。このループはまるでGIFのように、聴き手を螺旋状の不安の発作に陥れる。ヒプナゴジック・ポップがループを安らかなる恒久性への窓として活用するのに対し、Xavierはサンプルをもはや原型を留めないほどに短くカットし、聴き手にじわじわと迫りくる壁にしてしまう。最後の方では曲はスローダウンすると同時にスピードアップされたヴァージョンが背景でエコーし、更に暴力性を増す。それは過呼吸を音楽に置き換えたようなもので、この作品の中で最も薄暗い瞬間であるが、それは最も躁状態な部分によって中断される。

 続く曲のタイトル「Lisa Frank 420/Modern Computing(リサフランク420 / 現代のコンピュー)」は『Floral Shoppe』全体のムードを象徴するものであり、この多幸的で陽気なグルーヴは名刺代わりとなった。ここで再利用されているのはダイアナ・ロスのヴァージョンの「It's Your Move」であるが、Xavierはこのポップ・アイコンの声のピッチを変え濁ったシミみたいにしてしまい、軽薄さを漂白し絶望感を増幅させている。この曲はふさわしいことにドラッギーであるが、ある意味では孤独であることの必要性、苦痛である多幸感へのめまいがするほどの急降下から生じたものであるようにも感じられる。ミックスが主たる楽器となり、エコーやめまいを生じさせるようなパン、チャンネルからチャンネルへとせわしなく音がバウンスしていく感覚は、思わずダブを想起させる。ヴェイパーウェイヴが現実の統合された世界に侵食していくという興味深い事例が見られ、この気持ちの良いトラックは数え切れない程のチェーンメールに登場するヴァイラル・ヒットとなり、工場の組立ラインなどのフッテージを集めた催眠映像「The Most Satisfying Video In The World」のサウンドトラックとなった。

 『Floral Shoppe』の変形力は、サンプル元の曲が不明瞭になればなるほど強くなる。その例がPagesである。PagesはMr. Misterの創始者である二人、スティーヴ・ジョージとリチャード・ペイジによる、全く成功しなかった最初のバンドである。彼らが1978年に発表した「If I Saw You Again」は、スーパートランプが当時浴していたようなチャートでの成功を狙った(そして逃した)のだが、Xavierはその短いイントロ部分の、弾むようなシンセとドラムのサウンドにだけ興味を持った。それは『Floral Shoppe』のタイトルトラックの3分間の中で全くの裏返しにされる。彼女はサンプルを折り曲げ、折り曲げていき、聴き手を迷宮へと誘う。「Library(ライブラリ)」では同グループの「You Need A Hero」から取られたフックに照準を合わせ、吐息が聴こえるような官能性を薄気味悪い渓谷での蒸し暑い一夜に変えてしまう。このことは他のやりかたで機能することもある。ニンテンドー64のゲーム「時空戦士テュロック」で使われる音楽の断片を不気味で落ち着かないほどに引き伸ばした「Geography(地理)」において、アルバムの最初に聴こえる不安の発作が再び表面に現れる時がその例である。

 そこで、『Floral Shoppe』は最後の一線を越える。最後のほうの曲の大半は90年代前半のニュー・エイジ・グループDancing Fantasyをサンプルしており、後半をひとつの組曲へと統合している。広がっていくような「Chill Divin' With ECCOECCOと悪寒ダイビング)」はのっぺらぼうのシンセのウォッシュ音、空っぽなギター・リフを永遠に繰り返すが、その結果は驚くべきものである。この曲は『Floral Shoppe』の陳腐さと越境性のバランスが取れた作品のクライマックスであり、まるで天気予報を見るためだけにMDMAを摂取するかのような感覚である。続くのは「Mathematics(数学)」の優しいカムダウン(訳注:ケミカル系ドラッグにおける二日酔いのこと)である。シンセの電子音や枕のようにふんわりとしたサックスの音色で出来た霧が7分にもわたって這い回り、我々の思考をクリアにしてくれる。のっぺらぼうの忘却のさらに彼方へと漂っていく短い挿入歌「I Am Pico(ピコ)」「Standby(待機)」は両方ともまごうことなき保留音であり、幕を閉じる「Te(て)」は『Floral Shoppe』を現実世界に引き戻す拠り所となっている。

 「Te(て)」は『Floral Shoppe』の中で唯一サンプルを使用していない曲であり、コンピューターの画面を長時間見つめ続けたあとの新鮮な空気のような味わいである。そのメロディーには引き伸ばされスローダウンされたり、前もってかき混ぜられたような編集の痕跡が一切なく、遠くで鳥が鳴く音が聞こえると、この作品がこれまで見事なまでに排除してきた平穏や平衡の感覚が取り戻される。これはまた、Xavierの将来の動きについても示唆している。Xavierが完全に姿を消してしまう前に『Floral Shoppe』に続いて取り組んだのは情報デスクVIRTUALやSacred Tapestryといった一度限りの名義を用いた、ミューザクへとより深く潜り込んだ濃密なプロジェクトであった。2013年の元日に彼女は最初期の名義(そして現在でも使用している名義である)Vektroidとしてカムバックを果たした。彼女がリリースしたのは「Enemy」という10分の楽曲で、これはミューザク、インダストリアル、IDM、ヴィデオ・ゲーム・ミュージックが見事に融合し、そこに実在する人間の共演者、Moon Mirrorの歪んだヴォーカルが乗っかった代物だった。サンプルの使用をほとんど排したXavierの作品はより興奮作用を高めるのみであり、ヒューストンのラッパーSiddiqとのコラボレーションも果たした。

 全ては『Floral Shoppe』が持つとんでもない力を思い起こさせるものとして残った。これは非常に才能のある若いプロデューサーが自分の声を見つけた作品であり、当時その反響はほとんどその声を圧倒してしまうほどだった。Vetkroidは初期の作品を作り直し新たな肉体を与えているが、『Floral Shoppe』はノータッチのままで、Macintosh Plus名義がもう使われていないのにはちゃんとした理由がある。このサウンドを変えたり改善したりすることは何を持ってしても不可能であるし、このサウンドは数多の模倣品を聴いたあとでも、この作品が持つ「認知破壊力」を失っていない。個人的なアンニュイ、失望、孤独、希望、麻痺させるような過剰な刺激をひとつの音楽的言語へと統合した。それはかつてはビックリハウスの鏡を見るように感じられたものだが、年月が経つとまるでiPhoneで撮ったセルフィーのようにパッキリとしている。インターネットのファイル共有の最盛期に育つということはそれによって孤独を点滴されるということでもあり、スクリーンがつながっている向こう側にも人間がいるということを忘れるのは容易かった。我々は断絶されながらも繋がっていた。それはVetkroidによるこの傑作が日記ほど個人的なものでありながら同時にミームとなるほどに普遍的なものであるという逆説とどこか似ている。『Floral Shoppe』はもはや彼女の手を離れ、この世代全体が所有するものとなった。

<Pitchfork Sunday Review和訳>Jill Scott: Who Is Jill Scott?: Words and Sounds, Vol. 1

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Jill Scott: Who Is Jill Scott?: Words and Sounds, Vol. 1 Album Review | Pitchfork

点数:7.7/10
評者:Anupa Mistry

平凡な女性にも愛とセックスをもたらした、ネオ・ソウル・クロニクル

0年代後期からゼロ年代初期、まだTumblrや他のソーシャル・メディアがジェンダーのヴィジョンや身体の表現のための逃避所となる前の話。セックスは魅力的で、痩せていて、若く、そしてストレートな男性と女性のみに許された特権であると考えることは容易かった。MTV世代にとって、愛とはホットであること、そしてヘテロであることの報酬だったのだ。

 映画やテレビがこのようなメッセージを増強させた(「The Bachelor」や「Extreme Makeover」といった番組がその極北である)が、音楽もそのメッセージの担い手であった。若い女性を愛や人間関係といったトピックに固定化させたボーイ・バンドから、快楽主義者のための音楽であったヒップホップまで。Akinyeleの「Put It in Your Mouth」とKhiaの「My Neck, My Back」が約6年間の間隔をおいてリリースされ、その間にはNasとBraveheartsの「Oochie Wally」が浮上した。そんな時代だった。

 セレブ達がマキシマリズムに走ったこの時代に、「規則正しく」「平均」「普通」であることは時代に逆行することだった。健康な身体というイメージと熱狂的同意。禁欲と放蕩の間で倫理的に揺れる代わりに、健康であることの自由。普通であることは、騒がしいセレブリティのエンターテイメント・ショウをパチリと消したあとに部屋中を満たす静寂であった。ニュー・ヨークやLAへと逃亡するのではなく、人々と場所と考え方を結びつけるものであった。太った人が痩せた人を好んだり、その逆だったり。それはセックスを超えたクィアネスだった。普通であることは多様性や相違に満ちて「いた」:脱色した金髪やヴィデオ・ヴィクセン(訳注:ヒップホップのビデオに出てくるような女性のこと)、シックス・パック、映画のスクリーンに映る物憂げな顔、これら以外のものすべては「普通」だった。しかしこのような環境下において、平凡な人たちの生き方などどうしたら知れるだろうか?ジル・スコットがこのデビュー・アルバム『Who is Jill Scott? Words and Sounds Vol. 1』をリリースしたころ、「平凡な」女性にとっての愛やセックスを記したクロニクルはまだ極めて少なかったと言えよう。

 それはリード・シングル「Love Rain」で始まった。一番のヴァースはスコットの故郷、フィラデルフィアのありふれた二人の若者の求愛行動のドキュメントである:長い散歩、長いおしゃべり、そしてたくさんのセックス。そしてそれらすべてがひと夏の恋の突然の終わりへとつながっていく。2番のヴァースは堰を切ったようにこう歌う:「愛が口からこぼれ落ち、顎をつたって彼の膝へと落ちた」彼女のエアリーなソプラノ・ヴォイスが、細切れになった暖かな吐息に言葉を乗せて吐き出される。このような視覚的なリリックはショッキングであった。これはDead Prezによる#sapiosexual(訳注:内面に性的魅力を感じること。ルッキズムやナンパ文化に対するカウンター)アンセムである「Mind Sex」をリリースしたのと同じ年であり、ここでスコットは皮肉を言って楽しんでいるのである。興奮の時代もまた全速力で進んでおり、男性性、資本主義的男らしさといったイメージがポップ・カルチャーを染め上げていた。でもこれは射精ではなかった:スコットも書いているが、これは愛であった。

 スコットが提示したのは、自分のセクシャリティに根ざした「普通の」女性の視点であった。もちろん、スコットは美しい女性である。彼女のボディ・ランゲージは開かれている。彼女は豊満であり、目的を持って歩く女性である。彼女の微笑むような目がそれを証明している。しかし彼女は痩せていること、まっすぐな髪、そして白い肌で支配されていた世界に対するオルタナティヴとして自身を提示した。自分の体に注目を集めるためではないが、スコットは自分の体に注目させた。「心や感情、魂や体を持った、本当に健康な女性がいて、彼女たちはただ自分たちと同じ素質を持った男性を求めているだけ」と彼女はデビュー・イヤーの最後にワシントン・ポスト紙に語っている。「私達は全員が全員5.9フィートではないし、巨乳でもない。本当のことを言えば、そんな女性なんていないんだ」

 『Who Is Jill Scott?』において、この歌手はベティ・デイヴィスの『Nasty Gal』のような溌剌としたファンクからミニー・リパートンの『Perfect Angel』のような柔らかなロマンスまでをひとつなぎにしてみせる。彼女は自身のソプラノ・ヴォイスに低音を入れ込み、その反対側でため息をつく方法を見いだした。愛とは相手に見つけるものであると同時に、自分自身に見つけるものでもある:「He Loves Me (Lyzel in E Flat)」は彼女の実生活のパートナーシップを記録したもので、共感しやすい恋の始まった頃の情熱や激しさを歌っている。「One Is The Magic #」では孤独を開放であると説いてみせる。「The Way」は女性がセックスを中心にして生活をスケジュールするという、このアルバムのハイライトである。彼女は男に会いに行ったクラブで偶然会った女友達にこう告げる:「ダンスフロアで踊っていたいんだけど/頭の中では他のいやらしくて突飛なことを考えてる/今夜はハイスコア更新」。愛やお互いが満足し合うセックスについてのスコットの物語は、パフィーのキラキラと輝くスーツ・ラップやチンコのデカさを自慢するロック・バンド、そしてテストステロンを武器とするボーイバンドによる不平等な快楽主義にたいするカウンターであった。

 そしてさらに、スコットは曲の中に普通の人々のイメージを入れ込んだ。愛を込めてお互いの生活を皮肉る友人たちの声、遊び場を走り回り手遊びをする子どもたち、ポーチに座ったりドミノに興じたりする老人たち、街角にたむろする若い男たち、隣人の窓に運ばれていく料理の匂い。『Who Is Jill Scott?』は音楽家の内的世界を聴手の生活圏内に置き、そこにはそれぞれの人生を生きる人々が溢れている。この作品はそんな彼女のコミュニティの社会的繊維を祝福するものだ。これはすれ違う時にかわされる会釈、通りを飛び交う怒鳴り声、そして世代が混ざり合う社会そのものなのだ。

 「A Long Walk」や「Gettin' In The Way」といった曲のビデオによってこのようなイメージは生命を吹き込まれ、スコットをアメリカのもう一つの側面の隣に住む少女にすることに成功している。後者のビデオはシャワーを浴びる男のショットで始まり―髪を編み込んだ、男らしい、深い茶色の肌をして、ずぶ濡れの男―スコットのカットに移る。スコットは赤いヘッドラップにボタンアップのデニムシャツというカジュアルな出で立ちである。

 ポップ・カルチャーにおける女性はずっと記号として扱われてきたが、黒人の女性に対するそれは更に固定化されたものだった:トリーナ、フォクシー・ブラウン、リル・キムといった人気のアーティストたちは下品だとレッテルを貼られ、マライア・キャリーデスティニーズ・チャイルドといったシンガーは高嶺の花のお嬢様、そして露出の少ない人達―ダ・ブラットやミッシー・エリオット―はセクシャリティに対する疑惑の目を向けられていた。エリカ・バドゥの内省ですらどこか他人事として見られていた。今日ではSZA、ジョルジャ・スミス、ナオ、ノーネーム、カーディ・B、そしてリアーナといった美しく才能のある女性たちが共感のしやすさという点で愛されている―他の黒人女性に対して直接語りかけるという点で。しかしディーヴァかヴィクセンか、コンシャスかポップか、フェミニストか健全であるか、といった二分法によって分断されていた90年代の文脈の中では、一人で同時にフェムで、性的で、黒人で、ソウルフルで、とっちらかっていながらも実験的である―もしくは単に市場でレモンを絞っている女性のようである―というスコットの能力は抜きん出ていた。

 ベビーブーム世代のヒップホップ・フェミニストたちに声を与えた2000年の著書『When Chickenheads Come Home To Roost』の中で、ジョアン・モーガンは「若い黒人女性の声全てを捉えようとすることは不可能である・・・この本だけではあなたに真実を差し上げることはできないだろう。真実とは、あなた方の声が堆積し隙間を埋め、コーラスのリミックス、リワークを施した時に起こること、そのものである」と書いている。『Who Is Jill Scott?』はこのようなたぐいの真実を提示するものである。「Gettin' In The Way」のような曲では父権制というものが女性感の関係性に与える害を明らかにしているが、それに先行する曲はスコットに更に微妙なニュアンスをにじませることを可能にしている。「Exclusively」はある女性が朝のセックスに浴し、オレンジジュースを取りに行くところの、ウトウトとした内面の独白であり、フェンダー・ローズとレイジーなドラムがその後ろで鳴っている。可愛らしい女の子がスコットの「女性としての直感、そしてある種の不安感」に火をつけ、彼女はスコットの匂いを嗅ぎ―スコットの朝の遊戯を調査するためだ―「ラヒーム、でしょ?」と聞く。そしてスコットは音楽が消えゆく中こう答える「そのとおり」。

 世紀の変わり目、フィリーは震源地となった。ザ・ルーツミュージック・ソウルチャイルドといったミュージシャンがヒップホップやR&Bの分野でオルタナティヴなアイデアを創始し始めていた。ビーニー・シーゲルはロッカフェラと絶好調。1997年には黒人女性・家族・コミュニティを支援する草の根イベントであるThe Million Woman Marchが数十万人もの人々を集めた。アレン・アイヴァーソンはシクサーズでプレイし、容赦ない彼のスワッグはスポーツメディアの度肝を抜いた。

 スコットはこのようなエネルギーを糧にしただけではなくそれを吸収し、彼女の音楽はエネルギーを持続させる一助となった。熱心なファンであればザ・ルーツの1999年発表の4作目『Things Fall Apart』のライナーノーツでジル・スコットという名前を知っていたことだろう。まだ有名になる前のスコット・ストーチと共に、彼女はこのフィラデルフィア出身のバンドの出世作となった「You Got Me」を作曲した。ストーチがスコットと会った際、彼女はフィラデルフィアのアーバン・アウトフィッターズで働いていた。二年後、彼らがザ・ルーツの曲を完成させ、スコットはフックを歌ったのだが、バンドのレーベルによって変更がなされた。当時のネオ・ソウル界きっての女皇帝であり、すでに大きなファンベースを築いていたバドゥがスコットに代わってフックを歌った(両者の関係は良好である)。この曲はグラミーを受賞し、ザ・ルーツはスコットをツアーに連れだし、「Jilly from Philly」ここにあり、とファンに知らしめたのであった。

 スコットは自身のコミュニティやブラック・アメリカに関する言説や意識に注意を向け、そのことが彼女の人間性と音楽性を決定づけた。彼女はヒップホップ、ジャズ、戦争賠償金、アブラハム教の文献、ソウルフード(とコラードの腸に対する働きについて)、著名で収監されていた活動家であるムミア・アブ=ジャマール、四散の概念化、市場に行くこと、夜遅くに電話することについて書いた。彼女の音楽はヘテロセクシュアルの関係や黒人男性に対する尊敬を中心においており、それは内面化されたミソジノワールクィアフェミニスト作家のモヤ・ベイリーが発案した用語で、黒人女性に対するレイシズムミソジニーが結びついたものを指す)であると議論する者もいた。しかしそのイメージやそれらの肯定は、歌唱に評価されているコミュニティや生き方が大事ではないということを意味しないし、「骨の髄まで孤独/昨日の夜には/あなたは私の家、私の身体の中に/私のドームの中にいたというのに」や「これまで自分のプライドを誰かの目を通して定義してきた/でも自分の内側を覗いてみたら、そこには自信満々に闊歩する自分がいた」といった率直な歌詞が若い世代の女性たちに訴えるものがないということでも決して無い。

 2001年の暮れ、スコットは「Words and Sounds」ツアーの模様を収録したダブル・ライヴ・アルバム、『Experience: Jill Scott 826+』をリリースした。比較的お行儀の良い作曲だったデビューアルバムの曲が、ビッグに、広がりを持ち、脱構築を経た楽曲になっている。そこで彼女は自分の声が持つ力やレンジをフルに発揮している。節回しに遊び心を加え、音節を伸ばしたり、スキャットをしたり、インプロをしたり、観客に歌詞を叫ばせたりしている。観客を彼女の内面の声、門にもたれかかり「良い一日を」と言ってくれる地元の人達として捉え、『Experience〜』でスコットは近所の人々の話し声や笑い声を再現している。彼女は観客に語りかけ、彼らはそれに応える。「Gettin' In The Way」のミュージック・ヴィデオについてこういう指摘をしている:「私達はナチュラルさをもった人間を自動的にポジティヴだと決めつけちゃうよね」と。観衆は野次を飛ばし、笑った。Jilly from Phillyは受け入れられた。だって彼女はいつだってリアルさを失わないのだから。

<Pitchfork Sunday Review和訳>T. Rex: The Slider

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T. Rex: The Slider Album Review | Pitchfork

点数:9.5/10
評者:Andy Beta

マーク・ボランのキャリアの絶頂にして、贅沢で完璧とも言うべき傑作『The Slider』

969年、マーク・ボランは『The Warlock of Love』と題した詩集を出版した。その頃には、マーク・フェルドとして生まれたこの男はすでにモッズ・ロック・バンド、John's Childrenのギタリストとして活動した経歴を持ち(わずか4ヶ月ではあるが)、その後フォーク・ロック・デュオ、Tysrannosaurus Rexへと注力を注いでいた。ボンゴ奏者のスティーヴ・ペレグリン・トゥックと共に、このグループは『My People Were Fair and Had Sky in Their Hair... But Now They're Content to Wear Stars on Their Brows(邦題:ティラノザウルス・レックス登場!!)』や『Unicorn』といったタイトルのアルバムをリリースした。ボランはだいたいステージ上で足を組んで座り、アコースティック・ギターを掻き鳴らし、後にプロデューサーのトニー・ヴィスコンティが彼をイギリス人ではなくフランス人であると思いこんでしまうほど激しい情動を声に込めて歌った。これらの努力も虚しく、彼がスターになることはなかった。しかしその詩集の最後の行に書いてあったことは、その後起こることを予見していたように読める:「かつて固く凍った水があったこの場所に/爬虫類の王、ティラノザウルス・レックスが立ち上がる/生まれ変わり、踊るのだ」

 そのまさに翌年、Tyrannosaurus Rexは生まれ変わった。T. Rexとしての最初のシングルで、ボランは立ち上がり、レスポールをプラグ・インし、ミッキー・フィンをトゥックと交替し、発音もはっきりと、落ち着いて歌うようになった。手拍子と、堂々と歩く闘鶏のようなギター・リックに後押しされ、「Ride a White Swan」は英国チャートで2位にまで上り詰めた。T. Rexは踊っていた。おかげで『The Warlock of Love』は4万部を売り上げ、ボランは売れっ子の詩人となった。

 T. Rexのセカンドシングル「Hot Love」が1位を獲得した頃、「Tops of the Tops」での演奏の前にボランは頬骨にグリッターを塗ることにした。サイモン・レイノルズが著書『Shock and Awe: Glam Rock and Its Legacy』で振り返っているとおり、そのパフォーマンスこそが「グラム・ロックの爆発を点火させた火花であり」、サイモンは「マーク・ボランの外見とサウンドに心が揺さぶられた。電気ショックでちぢれたような髪、ラメできらめく頬・・・マークはまるで全く別の世界からやってきた将軍のように見えた」と告白している。1971年の『Electric Warrior』はチャートで1位を獲得し、「Bang a Gong (Get It On)」がトップ10入りを果たしていたアメリカの地に乗り込む準備が整った。約2年間にわたる輝かしい年月の間、イギリスは音楽雑誌の呼ぶところの「T. Rextasy」状態に陥った。

 この変身は、どんなマジックを用いて達成されたのだろうか?諸説あるが、この写真がひとつヒントを与えてくれる。ボランはチャック・ベリーのTシャツを着ているが、フィンのシャツにはこうある:「コカインを楽しもう」。目もくらむほど大昔のロックンロール時代ほどにまでサウンドを削ぎ落とし、コカインの神経への刺激を愉しみながら、T. Rexはいきなり「ビートルマニア」以来の熱狂をもたらしたのだ。ヴィスコンティはボランの天才性を、彼がビートルズの影響を完全にスキップし、代わりに50年代に回帰する点に見出している:「彼はエルヴィス、リトル・リチャード、チャック・ベリーバディ・ホリーなんかを参考にしていたんだけど、それが彼の妙というか。そこが独創的だった」。

 1972年の3月にレコーディングが行われ、7月にリリースされた『The Slider』は、T. Rextasyの絶頂であると同時に、すぐそこにまで迫ったその次代の終焉をも暗示していた。フランスの打ち捨てられた城でレコーディングされたこの作品には、「グラムの王」としてのマーク・ボランの最盛期が克明に記録されている。1976年のナディア・コマネチ、80年代のプリンス、スヌーカーをするロニー・オサリバンみたいなものだ。T. Rexはその期間の間、なにか間違えることもできたのだ。

 だから、『The Slider』の一つ一つの手首の動き、一つ一つのダウンストロークには神が宿っている。ボランのノートに書き殴られた一行一行が、深遠なる神からの御宣託となった。そして、それが完璧なポップだろうが荒削りなものであろうが、すべてのカットがヴィスコンティによって綿菓子の中に巻き取られていく。そしてマーク・ヴォルマンとハワード・ケイラン(Flo & Eddieとしても知られる)によるバッキングボーカルは、鼻にかかった声がハーモニーとなり、新たな高みへと到達している。『The Slider』は自信にあふれるばかりにボランの自尊心で酩酊し、うわ言を言っているかのようで、低俗で勢いのあるリトル・リチャード風「ラッ・バッ・ブーン」や奇妙なマチズモ・ロック、霊妙なアコースティック・バラードなどを行き来し、ボランの歌詞は一行おきに深遠さと馬鹿馬鹿しさ、憂鬱とナンセンスを行き来するのだ。

 「Metal Guru」の爆発的なギターと、ボランの感傷的な「Mwah-ahah-yeeeah」という叫び声でアルバムの幕が上がる。これはイントロダクションであり、お祝いの掛け声であり、ヴィクトリー・ラップである。やがてヴァースは奇妙な地形の上をウロウロと回り道することになる:シュールレアリズム的な家具(「甲冑でできた椅子」)、ロックンロールで使い古されたクリシェ(「ぼくのベイビーを連れてきてくれよ」)、早口言葉(「just like a silver-studded sabre-tooth dream」)。膨大な量の無意味さである。

 ジョン・キーツバイロン、パーシー・ビッシュシェリーなどの同郷の詩人や、J・R・R・トールキンルイス・キャロルのような空想的な作家たちにインスパイアされ、ボランはキャリアの最初期から奇妙で、掴みどころのない単語を組み合わせるやり方を見つけていた。ボランが無名なヒッピー・フォークのアンダーグラウンドからメインストリームなポップスターに成り上がり、妖精の代わりに自動車を使うようになっても、彼は自身の歌詞のムードを変えなかった。70年代がはじまり、ロックとポップの間のギャップが広がりだしたこの時期、ボランはジャンルの間の境界線をぼかそうとしていた。もはや捨て曲が多く入ったフル・レンス・アルバムでは満足できず、代わりに45回転シングルの簡潔さを好んでいたT. Rexの最良の曲たちは、まるでハード・キャンディーのような衝撃を聴くものに与えた。噛みごたえがあって、口が溶けるほどに甘くて、ちょっと現実のものとは思えない感じがするのだ。

 それでも、彼は自分のルーツであるフォークを捨てはしなかった。「Mystic Lady」は甘く、繊細なアコースティック・ナンバーで、麻で身を包んだ魔女に捧げられた一極である。かき鳴らされるアコースティック・ギターヴィスコンティによるロマンティックなストリングスが一筋の風を吹かせる。ある一節には、クリシェと衝撃的なシュールレアリズムが並んでいる:「ぼくの心を苦しみで満たして/ぼくのつま先を雨で浸して」ボランの食いしばったような神経質な声が、その直感的な感覚を引き出している。

 70年代のヴィスコンティはのちにボウイやシン・リジーのようなアイコニックなアルバムをプロデュースすることになるのだが、このアルバムですでに彼の黄金のようなタッチが聴こえてくる。3分間のどんちゃん騒ぎのような「Rock On」では、彼はブギウギ・ピアノ、オーバードライブ・ギター、跳ねるようなスネア、Flo & Eddieの輝かしくグロテスクなハーモニー、フェイザーフランジャーをかけたサックスを一緒くたに織り込み、星屑の筋を作り上げる。

 『The Slider』の中でも弱い曲たち―「Baby Boomerang」や「Baby Strange」はタイトルが示すとおり幼稚である―でさえ、ヴィスコンティの手によって昇格されている。「Rabbit Fighter」のストリングス・セクションは、その熱い空気感によって何よりも力強いアンセムを作り出している。同様に印象的なのは「Spaceball Ricochet」のような残り物のような曲が完全に換情的になっている点である。「Ah ah ah/Do the spaceball」という歌詞は書かれたときにはなんの役割も意味もなしていなかったが、格式高いチェロと、ボランの息継ぎとFlo & Eddieの奇妙な伴奏によって、この無意味な散文はアルバムの中でも一、二を争う神秘的な瞬間を作り出している。

 「Chariot Choogle」は(A面の「Buick Mackane」もそうだが)ヘヴィなギターと酩酊感のポリマーである。ラグビー選手の吠える声のような粗暴な歌詞の中にも甘美な部分がある:「ガール、君はグルーヴだ/君が踊る時、それはまるで天体のようだ」。これはT. Rexというバンドがブルース・ロックの超男性的な側面を背負いつつ、それを軽いタッチの、両性具有的なものに置き換えてしまったことを明らかにしている。レイノルズはそれを「コック(男性器の意)・ロックがコケティッシュ・ロックになった」瞬間だと語っている。12バー・ブルースのタイトルトラックでの、ボランの「そして俺は悲しい時、滑り落ちていく」という告白はフェイザーのかかったストリングスやボーカル、シェイカーやシューという摩擦音も相まって、めまいのような、ASMRのような感覚を誘発している。他の場所ではボランはスライダーというのは「セクシャルなグライダー」だと歌っているが、アルバムのプロモ用の広告では「生きるべきか、死ぬべきか、それがスライダーだ」と問いかける。何度も聞き返したが、私にはこのタイトル名詞、あるいは動詞が何を意味しているのかわかっていないことを告白する。

 今考えると、ボランがそこまでうぬぼれている状態というのは想像し難いのだが、イギリスにおいてT. Rexという名前がビートルズストーンズといったバンドと同じくらいの意味合いを持っていた時代というのがあったのだ。実際には会ったこともないボブ・ディランを「ボビー」と呼びアルバムの中で何度も言及するなんていうことができる人物が彼以外にいるだろうか?彼の虚栄心の塊にような映画『Born To Boogie』をビートルズのメンバーに取らせることができる人物が?同じステージ上でエルトン・ジョンを食っちゃう事のできる人物が?そして友でありライバルでもあるデイヴィッド・ボウイが『Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』でやっとチャート・インを果たした時、ボランはトップ30に3枚ものアルバムをチャートインさせていたのである。

 しかし、最後に笑ったのはボウイだった。Melody Maker誌やNew Musical Express誌の読者投稿欄ではボランが好きか嫌いかで戦争が行われていたが、『The Slider』は首位を逃し4位にランクイン。彼の支配は終焉を迎えたのである。彼はあと2つヒットを放ったが、どちらも1位に輝くことはなかった。1973年という年は、ボランが人生において最後にトップ10に曲を送り込んだ年となった。イカロスよろしく、崖から飛び降りたのだった。

 バンド名とのヴォルマンは「彼はロックスターの中でも最も巨大なエゴの持ち主だった。彼の中ではマーク・ボランよりもすごい人なんていないんだ」と語る。「Hot Love」Flo & Eddieのファルセットのコーラスがボランに最初の成功の味を教えたことは偶然ではないように思える。しかしFlo & Eddieはボランのナルシシズムに嫌気を指したのも最初であり、次作『Tanx』の前にバンドを脱退している。ドラマーのビル・レジェンドがそれに続き、ヴィスコンティは『Zinc Alloy and the Hidden Riders of Tomorrow』のあと、あっさりとプロダクションの責任から開放されてしまった。その年のうちにミッキー・フィンも去ってしまった。マーク・ボランが交通事故でなくなった1977年には、彼はすでにボウイの存在によってかき消されてしまっていたのだ。

 しかし、『The Slider』のジャケット写真を一目見るだけで、ボランの残したレガシーは今日も息づいているということがわかる。ある者はそこにスラッシュのアイコニックな外見の元祖を見るだろう。小柄なボランがキラキラ光るハイヒール・ブーツを履いてステージ上を両性具有の妖精のように歩いているのを見れば、そこには同じく小柄で実際にも大きく見えるプリンスのようなロックスターが参考にしたことが見てとれる。21世紀に入り、ロックバンドが過剰な装飾を削ぎ落としても、ボランのDNAはザ・ホワイト・ストライプスブラック・キーズといったアーティストの中で芽吹いている。ギターがなくたって、ミレニアム世代のダンスプロデューサーたちも目指すところは同じで、SuperpitcherやMichael MayerMatthew Dearといった後進たちが、キラキラと光るグラムに立ち返っている。

 イギリスにおけるグラムの誕生を請け負いつつも、レイノルズはT. Rexはロック・レガシーにしては「気まぐれすぎる」と主張する。『Ziggy Stardust〜』には一貫した物語があり「クラシック・アルバム」の地位に上り詰めたが、『The Slider』は我々の理解を永遠に拒むのである。その謎を謎のままにしておくために、ボランの曲は先人たちの曲を見習い、「Wang Dang Doodle」でもジャバウォックの詩でもやってしまうのである。そんな「なぞなぞ」めいたやり方で、ボランはいつだってブギーのために再生するのだ。

<Pitchfork Sunday Review和訳>Janet Jackson: Damita Jo

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Janet Jackson: Damita Jo Album Review | Pitchfork

点数:7.8
評者:Rich Juzwiak

再評価にふさわしい、豪華で、ずば抜けてセックス・ポジティヴなアルバム

ャネット・ジャクソンがジャケットで見せている、チェシャ猫のような笑みに騙されてはいけない―このアルバムはある意味で悲劇なのである。このアルバムは、まるで数時間後に死亡事故に逢う最愛の人との他愛もない会話のように、思わぬ重さを持ってしまっている。始まろうとする愛の表現として意図されたものは、多くの目には不快で恥ずかしいものになってしまった―ジャネット・ジャクソンがある一線を越えてしまったあとに、さらにその先にまで行ってしまったことの証明である。

 2004年のスーパーボウル・ハーフタイムショー―例の乳首事件が起こった―の直後にリリースされたこともあり、『Damita Jo』は、あの世界的に愛されたアーティストのキャリアを揺るがしてしまったほどの暴落にどうしても結び付けられてしまう。彼女の『Greatest Hits』には本当にグレイテストなヒットが収録されるほどの、商業的なピークにおいて、である。一夜にして、ジャネットは「普通の人」から「奇人」ジャクソンになってしまったのである。

 しかし、『Damita Jo』はその状況の単なる被害者であるばかりではない。これは騒動へのレスポンスでもあったのだ。恥を恐れないセクシュアリティで溢れかえったこの作品は、ジャクソンの作家性(例のスーパーボウルでのパフォーマンスも含め)の中にすでに充満していた官能性をあからさまに倍増させた。ジャクソンはこのセックスの愉しみに関する瞑想を拡大していくことを抑えることだってできたはずだ―2004年1月の半ばに放送された「MTVニュース」を読むとスーパーボウル後にもまだ数週間、彼女にはアルバム制作時間が残されていたことがわかる。しかし、そのかわりに彼女は自分のヴィジョンを描ききった。「問題になるだろうからと、いくつかの曲をアルバムから外すよう求めてきた人もいた。でもそうすると自分自身のあり方を変えてしまうことになる。そんなことはたとえ誰のためであろうとやらない」と、ジャクソンはアルバムリリース日の翌日、「Good Morning America」で語っている

 ジャクソンは真っ向から戦うのではなく、子守唄を歌うべきだったのかもしれない。『Damita Jo』のリリースのタイミングで行われたほとんどすべてのインタビューでスーパーボウルの話題が持ち上がり、ジャクソンは明らかに不快そうだった。しかも魔の悪いことに、彼女の身体に脂が乗っていたのは明白だった。ジェイ・レノはキスを請い(「よかったよ・・・君の得意分野だ」とキスのあとに言った)、イギリスのトークショーの司会ジョナサン・ロスは「なんて可愛い顔をしているんだ」と述べデヴィッド・レターマンは普段は毅然としているジャクソンを激怒させるほど問い詰めた。10分間ものスーパーボウルに関する質問を受けたあと、彼女は「私の胸に注目してほしいわけじゃないから、なんか他のことは話せないわけ?」と言い放った。

 近年、ブラック・ツイッター(訳注:アフリカ系アメリカ人たちの、ツイッター内でのヴァーチャル・コミュニティ。#BlackLivesMatterや#HandsUpDontShootなどの運動の中で一定の役割を果たしている)や、ジャスティン・ティンバーレイクが2018年のスーパーボウルでパフォーマンスするというどう考えても癪に障る決断によって、ジャクソンのキャリアは批評的な再評価がなされてきた。リスナーたちには無視され、批評家たちには適当な聴かれ方をした『Damita Jo』はジャクソンの作品の中でも拭うことのできないシミであり、如何に強者が没落していくかを量的に示した一連の商業的失望の第一歩である。

 しかし『Damita Jo』は我々の関心や正義を受けて当然である。それは単に評価を修復するということだけではなく、メインストリームの場―スーパースターが所属するメジャー・レーベルの、高い期待寄せられたアルバム―における具体的なセクシャリティの描写という点でずば抜けているからだ。

 『Damita Jo』は新しく築かれた人間関係においてセックスが担う決定的な役割についての探求である。これは除菌されたメインストリームのポップカルチャーが若い恋愛を描く際に虚飾されてしまう基本的な真実である。付き合いたてのカップルはたくさんセックスをするという単純な事実を検証した芸術は―大島渚の1976年の映画『愛のコリーダ』やギャスパー・ノエの2015年の作品『Love』のように―悪名高い遺産を残すことがよくある。『Damita Jo』はアルバムのリリース時でジャクソンが1年半ほど付き合っていたプロデューサーのジャーメイン・デュプリとの関係に着想を得たものである。

 「これは愛についてのアルバムだ」とジャクソンはライアン・シークレストに答えている。そして、このセリフはこの時期多くのインタビューで繰り返されている。これを昼間のテレビ用の方便であると捉えることもできるし、文字通りに捉えてもいい:『Damita Jo』が愛というテーマを下敷きにしているのなら、セックスについて率直に話し合うことが必要不可欠なのである。愛に焦点を当てることは、セックスを漂白することではなかったのだ:それはセックスを文脈の中で語るということなのである。あるいは当時多くの評論家が言ったように、レコードを多く売るために挑発的になっているのだ、ということもできるし、長い間リスナーから信頼を得てきたアーティストを信頼するということもできた。「セックスは売れるって多くの人が知っているし、彼らはそれを利用したんだと思う。でも私にとっては、セックスっていうのは本当のことに思えた。私の友達に聞けば、セックスは私の人生の大きな部分を占めているって教えてくれるはず」と彼女はBlender誌に語る

 ジャクソンによる事実に基づいたセックスのプレゼンテーションは、アメリカが生まれつき持っている清教徒的風土にあってはラディカルであると受け止められた。『Damita Jo』やそのひとつ前の2001年の『All for You』(ジャクソンが9年間を共にした元夫、レネ・エリゾンド・Jr.との破局直後に制作)で書かれ、歌われているセックスは、結果など気にせずに提示されたものであった。ファンタジーの中でも最上級のファンタジー、メタ=ユートピアがあり、そこでは女性やスーパースターは自分自身を完全にさらけ出すことができ、更にそれでいてそれを恥じる必要がない。ジャクソンという、何十年も自分のベッドに聴き手をいざなってきたアーティストが可もなく不可もなく、平凡なミッドテンポなR&Bを使って微妙な命題を伝えようとしたことは、子作り用の音楽で溢れたこのジャンルにおいて、ヘイターたちを納得させるには間違いなく不十分である。(訳注:この一文だけどうしても意味が取れませんでした・・・。)

 ジャクソンが『Damita Jo』と引き換えに思い出させてくれるセックスというものは、楽しいものであると同時に彼女の存在にとって非常に決定的な概念である。「映画にも出るし、ダンスもするし、音楽もやる/何かをするっていうのが大好きなんだ」と彼女はタイトル・トラックで歌っている。この曲の推進力のあるコーラスでは、まるで70年代のシットコムのテーマソングのように上昇するホーンの音に導かれて始まる。『Damita Jo』においてセックスはクラブの隅っこで見つけられたり、古きハリウッドから脱出するための婉曲表現として飾り立てられたりする。カニエ・ウェストがプロデュースに参加している「I Want You」では、B.T. エクスプレスによる「Close To You」のサンプルの上で彼女は「好きにして」と甘くささやく。このサンプルはピッチがかなり上げられているので、ストリングスはまるでダグラス・サークの映画の音楽のような凄まじく感情的な音色になっている。

 ここでは、ジャクソンにとっては歓びというものが原理となっている。彼女の歌は、欲望の対象については多くを語らない:これらは愛そのものに宛てられたオードなのである。これらの歌はジャクソンを中心に据え情熱のための情熱、セックスのためのセックスを訴える。このことは「Warmth」や「Moist」のようなオーラル(・セックス)組曲において最も明白になる。前者では駐車した車の中でフェラチオをすることを熱を込めて語っており、ジャクソンは口にペニスと思しきなにかが入った状態で歌っている(2009年、『Discipline』のリリースタイミングでのインタビューにおいて彼女は確かに「口の中に何かを入れて」レコーディングを行ったことを喜んで認めた)。「Warmth」は歌というよりはサウンドスカルプチャーに近いものであり、ちょっと弱いサビと同じくらい、うめき声や喘ぎ超えが重要な役割を果たしている。「これは私のターン」と彼女は「Warmth」の結末でささやき、オーラルセックスを受ける側に回る「Moist」へと流れ込んでいく。

 2曲は合わさってこのような場合における「能動的」と「受動的」な役割を構成していると同時に、ジェンダーに関係なくオープン・マインドなセックスがもつ汎用性のようなものを強調している。ジャクソンは自らを「ボトム(訳注:セックスにおいて服従的な役割を担う人。Mということなのか、ゲイ用語で言う「ネコ」のことなのかは不明瞭)」であると公言している―2004年6月、ニューヨーク・プライド・フェスティバルにおける「The Dance on the Pier」でヘッドライナーを務めた彼女は集まったゲイの男たちに向けてそう言ったと言われている。しかし彼女のリリックを見るに、ジャクソンが特に「パワー・ボトム(訳注:これはゲイ用語。「される」側でありながらセックスにおいて主導権を握ること)」であることは間違いない(彼女が見知らぬ男のナニを見て、すぐさま「私だけって言って」と懇願する「All For You」における彼女の推察の仕方は、完全に彼女の正体を暴いている)。

 『Damita Jo』は黒人女性によって著されたメインストリームのエロティカである点だけではなく、それが暗闇や恥にまみれていないという点でも特異であった。ジャクソンの1997年の名作『The Velvet Rope』は我々をボンデージ・プレイを行うダンジョンに放り投げるようなものであったが、『Damita Jo』は一転して概してアップビートである(音楽がアップテンポというわけではないが)。彼女のキャリアの中でも最もR&B的なサウンド(ジミー・ジャムとテリー・ルイスによるプロダクション/作曲チームに依るところが大きい)によって、『Damita Jo』は明るく涼しげな雰囲気を持っている。島を想起させるような曲もいくつかある。そう、その島というのは人々がファックする島である。

 前述したアルバム・カバーで彼女が浮かべている笑みは、トム・オブ・フィンランドが肉感的な絵画で描いてきたような、ありえないくらいの巨大な男たちの余韻である。自分たちがしたセックスの一秒一秒を愛するような、そんな笑み。歓びとパワーに溢れた「ボトム」の話をしよう。高名な伝記作家デヴィット・リッツによるUpscale誌のインタビューの中で、彼女は自分がセックスに取りつかれているのではという憶測を取り上げ、こう言った。「『取りつかれている』というのはなんだか断定的な言葉に聴こえる。セックスについては、私はあらゆる断定を窓から投げ捨てようとしている」

 しかし、内部からの恥がないことは、外部から見ても恥がないことを保証はしない。『Damita Jo』には確かに好意的なレビューもあったが(有名なところではBlender誌で4つ星をつけたアン・パワーのものが知られている)、多くの批評家(その大抵は男であったが)がこの作品に当惑し、うんざりした。ニール・ストラウスはRolling Stone誌に『Damita Jo』は「気張りすぎてるきらいがある」と書き、Whashington Post紙のデヴィッド・シーガルはこのアルバムには「自暴自棄な雰囲気が感じられる」と言った。Entertainment Weekly紙で、デヴィッド・ブラウンはジャクソンが「セクシーで挑発的であろうと気張るあまりに、結局どちらにもなれていない」と言った。アレクシス・ペトリディスによる一見好意的なレビュー(「その結果は驚異的なものである」)でさえもこのアルバムの「歌詞における偏執狂」を取り上げている。「彼女は『doing it』や『coming』と言った語句を使ってうんざりするほど言葉遊びをしており、それはまるで発狂した14歳の少年のようだ」と。

 今日において『Damita Jo』がセックス問題を抱えていないことは明白であるが、一つだけ特殊な問題を抱えている。「R&B Junkie」のようなすばらしいトラックにはあまりメッセージが込められていない―それはジャクソンがラテン系のように踊ること、キャベツ・パッチ(訳注:80〜90年代に流行したダンスの一種)、エレクトリックスライド(訳注:これもダンスの一種)、Voughan Mason & Crewの「Bounce, Rock, Skate, Roll」・・・などなどを引用する、オールドスクールR&Bに対する漠然とした賛歌である。(言うだけ野暮かもしれないが、Evelyn "Champagne" Kingの至高のブギー・クラシック「I'm In Love」を引用して曲を作ったのは、ジャクソン自身がR&Bジャンキーであることの証明である)

 下品な論説を伴うということは、ジャクソンがそれまで公にしてこなかった面―つまり、大胆不敵なダミタ・ジョー(彼女のミドルネーム)と、誰とでもヤッてしまうストロベリー―を提示するという点で『Damita Jo』における明白なテーマである。しかしこれらのキャラクターはいささか軽快なタッチで描かれている。たしかに彼女のアルバムがここまでセックスにフォーカスしたことはなかったが、彼女に注意を払ってきた者ならだれでも、彼女がそれまでの数十年にも渡ってヤリマン女だったことは知っていた。そして、彼女が遡ること1986年に「私のファースト・ネームは「baby」じゃない/ジャネットっていう立派な名前があるの/ミス・ジャクソンとお呼び」と吐き捨ててからというもの、そのことを改めて考える人はいなかった。では、『Damita Jo』はいかに我々のジャネット・ジャクソンに対する理解度を高めたのだろう?はっきり言って、このアルバムにはそんな効果はないのだ。

 実は、これらのキャラクターは答えよりも疑問を我々に投げかける。このアルバムにはジャクソンが伝えていないことを伝えているというライトモチーフがある:「私にはもう一つの一面がある/それは隠していない/でも見せはしないけどね」と彼女はタイトルトラックで歌う。アルバムは告白のアルバムであると宣伝されていたので、聴いたとしても新しい情報はないと、騙されたと感じて聴くのを止めたくなるかもしれない。しかし、9年間の結婚をそれが終わる時になるまで秘密にしていた(『The Velvet Rope』のプロモーションの際にオプラに嘘をつくということをしてまで)エンターテイナーとしては、彼女自身のナラティブに関して好戦的であるのは一種の表現である。これらの仮面やキャラクターというのは彼女の違った側面を照らし出すためではなく、むしろ彼女が手放したくないものを守るためのものなのだ。

 それでも、そんなことは彼女の愛嬌のあるデリバリーを聞けば気にならないものだ。ジャクソンは技術的な面では素晴らしい声の持ち主ではないが、素晴らしいシンガーである(その点では、クリスティーナ・アギレラはそのちょうど真逆である)。彼女は美味しそうに曲を飲み込み、確信を持ってパフォームをし、明らかに限られたレンジの中で優しさの無限のパレットを持っているようだ:クスクス笑い、呻き、囁き、猫のような声、小鳥のさえずりのような声。彼女のリズムの感覚は敏捷で、それによってビートの周りでボーカルが跳ね回る。彼女は教会の屋根を吹き飛ばすほどのパイプの持ち主ではないが、非常に器用なパフォーマーである。彼女、ジャム、ルイスの三人が彼女の限界をどうしたら拡張できるかを知っているため、彼女のメイン・ボーカルを幾重にも重ねたハーモニーにもたれかからせるのである(甘美な「Truly」を聴いてみると良い)。彼女の声には美的な力は備わっていないように思えるが、伝統的な「歌の巧さ」を超越することができる理由は、「全能のパワー」以外にあり得るだろうか?

 『Damita Jo』のシングルはひとつも国内のトップ40にチャートインしなかったが、ヒットが少ないことでかえって、我々は今日この作品を聞いても余計な文化的付録に惑わされることなく、一つの声明として聴くことができる。(それは、たとえ「Truly」や「Island Life」ほどの至高の作品が無視されていても、ポップカルチャーに公正さを履行する義理はないということも思い出させてくれる。)ジャクソンが普通の人間であり、セックスのような普通の人間がすることを普通にするというステータスを頑として表明したこのアルバムのリリースが、彼女の商業的な不振とたまたま重なったことはテーマ的な宿命であるように感ぜられる。『Damita Jo』の中で―意図として、そしてその遂行において―明白に提示される人間性は、愚鈍なマーケティングの観点とは逆に、究極的には人間の本来の機能・欲望の一部として性的な内容を売った。曲と曲の間には彼女のトレードマークとも言うべきインタールードがあり、そこで彼女は湿気、ウナギ、夕暮れ時、そして音楽に対する愛をぺちゃくちゃとしゃべる。彼女は人生とは部外者には無関係に思われるようなディテールにこそ価値があるということを知っている。『Damita Jo』の中には勝利、悲劇、そして死の運命と言った気配が、まるでジャクソンの笑顔のように広がっている。彼女は言う、生まれたまんまの真っ裸でここにいるけど、乗るか乗らないか、どうする?と。多くの人々が乗らなかった。そしてそれは彼らの敗北であった。